如何にして 25
あえて深夜の帰還を選択した理由は、火花の名残で焼けた皮膚の身体を小さく小さく折りたたんで眠る女神様の為だ。ガーランドは何か言いたげではあったが、3人に囲まれればいかな体の大きな男といえども肝を冷やして、頷くのみ。
夜に目が冴える猛禽類の目とよく似た遠くの月。その下を、数日かけてようやく薄暗闇の中でも安堵する見慣れた風景へと戻ってきた。
女神は、車の中で何度か目を覚ましたものの開いた薄目には疲労は抜けずに、すぐに眠りについてしまった。その隣に控えた、ショートとリーシャは今か今かと女神の目覚めを待ちながら、決して無理強いする事なく基地に帰ってきてしまった。
味方の懐だと言うのに、まるで敵陣のど真ん中に潜む間者の如く、月の明かりだけを頼りに室内に忍び込み音を立てずに女神を移動させる。ガーランドは苦い顔をしたが、アンリはショートと同じ部屋に押しこんだ。
それから、月が眠り太陽の目が覚める。
その少し前の事だ。アンリは疲労に目が冴えていた。そして、数日前からずっと心臓はずきずきとうるさく音を立てるものだから目を閉じても夢は一向にやってこない。やってきたとて碌でもない夢である予感もあったし、目を閉じて開いてをベッドに寝転がりながらじっくりと繰り返す。夜は、独特の沈黙を持って耳鳴りと、微かなほうほうと言う鳩ともフクロウとも似ている鳴き声だけがじんわりと広がっていく。
掛け布団の上に転がっていると、背中は暖かいが天井を向いている仰向けの面は冷え冷えとした空気に晒されて、寒い。そうとわかっていても動く気力はちっとも湧かなかった。
両手を組み揉み込む。寒さのせいではない。眼鏡をつけたまま、天井に映った映像はアンリにしか見る事はできない。
ゆったりとした呼吸とつり合わない心音。汗もかいていないのに、纏った服は水分を帯びて冷たい。
揉んでいる指と指が、単調の動きについていけなくなり両手で両手を握り締めると、痛みは鈍感だった。口を開いて、何かを言いかけ、だがアンリには吐き出す言葉が見当たらない。言いたくない言葉だけが喉仏のすぐそばにあることに困惑していた。
疲れている事はよくわかっているのに、目は寝かせてはくれない。目を閉じれば、見える感触。見える感触などとアンリ自身おかしい事はわかっているのだが、そう言わざるを得ない。目を閉じると何度となく円環を描く終わりなく始まりももはやどこかもわからない景色は、必ず手のひらの中に人を刺し貫く感触をしっかりと余す事なく再現したからだ。組んだ手を揉んで、感触を忘れようとしても、血流が巡り温度が上がった手は冷たかった頃よりも素直に感触を振動させアンリの身体の内側を震わせた。
悪いとは思っていない。なぜなら、男は一人で灰にならなくてはならないと言うのに女神を男自身の欲に巻き込もうとしたのだから。アンリは、瞬き夜の中にはめられた天井を見た。
「神など居ない」
だが、人は神を望む。ショートも、ショートの居た国も境界線を勝手に引いて人と人を争わせるよくわからないものを神として、疑う事なく従って居る。
ならば望まれた神は、万人の上に無くてはならない。
「だったらよくわからんもんは一人だけでいい」
境界線を作るよくわからないものをアンリが消す事は、絶対の目標だ。彼にとっては、夢でも何でもなく現実にするべき事だし、本当に願った時に助けてもくれないものを崇める気になどなれない。
とめどなく、くるくる頭の中で回る考えを止めたくて、両手を天井に掲げる。暗闇の中で薄ぼやけて浮かぶ両手が、アンリ自身のものではないようだった。今すぐに、身体から離れて行ってしまいそうで、そうなったとしても惜しくはない。だが、アンリがため息と共に脱力すれば両手も腹に強か叩きつけられる。衝撃に胃の中に鈍痛が産まれた。
目を閉じて、開いて。手をにぎって、組んで揉んで。どれほどの時間そうしていただろう、長い時間そうしていたと思っていた彼の想像とは裏腹、月の位置はほとんど変わっていなかった。
ふと、暗闇の奥に足音を見つけた。柔らかい音は、迷う事のない歩幅で近づいてくる。誰か同じように寝れない者がいるのだ。その考えをアンリは初めてもった。
そのまま掛け布団の上で、息を潜めて大人しくしていると足音は近づき止まった。精神的な錯覚でなければアンリの部屋の前で止まった足元は、そおっと扉を開き中に入ってくる。途端、暗い部屋の中を灯す、弱々しくも温かな陽の灯り。
「お前こんな時間に何やってんだ」
背後手に扉を閉めた女神はアンリと同じ軍服に沢山の隙間をつくり硬い布に溺れてしまいそう。波の上に出ている小さな頭には平和が笑う。
「ありがとう」
「はぁ?」
裸足の柔らかな足音がベッドに近づき、そして端に腰掛けた。ほとんど揺れる事なく、腰掛けた女神の背中には、首の後ろから生えた羽が三対。二対は力無く垂れ下がっているが、一番上にある半ばから折れてもなお目を奪う羽は、邪魔をしないように小さく縮こまって背中に沿って並んでいた。
触れようと手を伸ばしかけたが腰を捻った女神の顔に火傷の痕をみて指先は手のひらに食い込む。
アンリはそれが憎かった。
「あんたが殺してくれたから……、もしかして人を殺したのは初めて?」
先まで抱えていた心臓はどこにいってしまったというのか。心音の調子は全く別人の顔を見せ、うるさい事だけは変わらずに胸の中であっちこっちに転がっている。何を言っているのかすぐには理解できなかったが、段々と眠れぬ理由が滲み出てくる。肯定は、心音の中にだけ。声になりそうでならない、幼気な葛藤。顰め面にも、真顔でいる事も、得意顔もできずに苦し紛れに眼鏡の下に両手を突っ込み目元を強く擦る。平穏な苦笑が通った途端に親しみやすい輪郭の温度が女神の中から現れフィットした気配。
「すまんなぁ、俺なんかのために」
「お前の為では、ない」
「あ、そぉ? でもま、あんたのおかげで、これからは無理やり大股開かせられなくて済む。案外キツいんだよなぁ、こんなになってもさぁ」
わざとその様に振る舞っているのかとアンリは手の隙間から女神を伺う。疲れているのにそれらは平和の中に苦笑としか浮かんでいなかった。細い脚をもう片方の太ももに乗せて、肘をついた背中で一番上の羽がちょっとだけ背中から浮き上がる。
「こんなになったから、何とかなってるのかもしんないけどなぁ。しかし何でアレ、生きてるんだからラッキーなこったと思うほかねーよ」
ラッキーとは幸福の事であるが、まるで女神は不幸を幸福と取り違えている。それもまた、とても人間臭かった。貧乏ゆすりではないが、規則正しく組んだ方の足首がゆれ、生白い足先は揺れる。
「でぇ、あんたは大丈夫かよ。初めて人を殺した時ってさぁ、やばいよな色々。まぁ、俺はずぅっと昔のことでよく思い出せないけど。どんな感じだったっけかなぁ」
アンリは両手を組んで、握る。その中にある感触を潰してしまおうとしても、弾力のあるそれは無くならない。
「……間違ったことをしてしまった」
女神が、喉を震わせて鈴が鳴る。
「このご時世にそれはねーよ。間違ってないどころか、あんた百点満点だ」
「そう、だろうか」
「そう。そう思わなきゃ、死ぬぜ」
そう言った女神は平和を浮かべ、わざわざアンリを覗き込む。そんなことをされてしまうと、
「そう、か」
これで良いと信じてしまう。
すぅっと楽に呼吸をこなし、組んだ手を離した。
「それになぁ、あんたがそうしてくれなきゃ俺たちはいつまでも脚をおっ広げて、」
「そう言う事は聞きたく無いんだ。お前には悪いが、そんな事知りたくない。これではダメか?」
目を僅かに大きくすると、新緑の中にふわふわと柔らかそうな光が潤む。それをずっと見続けていると、全てがどうでも良くなってしまいそうだ。
「そりゃ、すまんなぁ。結構根に持ってるんだな、きっと。それで、これからどうなる?」




