如何にして 23
光の下を目指して走っていたアンリとガーランドは、夜を目覚めさせる光の質が変わったことにすぐに気が付いた。
ガーランドはそのまま駆け抜けていこうとするアンリを無理やり引き留める。前につんのめるも手首を掴む重石のせいで、つんのめりきれなかったアンリの身体は不恰好に跳ねその場に止まった。逼迫を全身に振り返り、掴まれた手首をめちゃくちゃに振るも、大きく筋肉の厚い腕はびくともしない。
「なんだよ!」
「リーシャじゃないだろ、この光は! ちったぁ冷静になれよ、急いだっていい事がない時もあるんだ」
心臓は前に前に身体から飛び出してアンリを置いて行きたがっているのがわかるからこそ、血管が疼いて仕方がない。走り出したい足の裏で、瓦礫を蹴り無理やり腕を引ったくって取り戻した。
「静かだな」
底の方が硬い声音でガーランドは夜が薄まる空と、その足元に目線を向ける。思えば、品性も知性も足りない笑い声の群れがいつのまにか聞こえなくなっている事に気がついた。それでも、アンリは、だからどうした、と心臓を持って走り出そうとしている。
「リーシャが片付けたんだろ」
似た色合いの、けれど同じに色にはならない青はアンリのそれをチラリと見てしっかり唇を閉じてからわざわざ口を開く。
「だとしても、光が違う。あいつのは言っちゃあ悪いが、どこか冷たいんだよ。いま上を照らしているのはなんだ? お前にはどう見える、全く同じに見えるか」
アンリのもっとも嫌うタイプの教師然としたガーランドに、背中の痛い部分を突かれ渋々よく目を開いて夜へ顔を上げる。
「朝みたいな色だ」
なのに端には夜がある。
不思議な光景に、心臓も胸の中でようやく落ち着きを思い出す。だが、持ってきた剣と銃の感触は、アンリを落ち着かなくさせた。
腹の中に揺るがない重み。それをガーランドは持っている。しっかりと辺りを見渡し、そして、再びアンリの腕を取ると、近くの瓦礫の影に押し込み始める。
「なんだよ!」
「静かにしろ、そこを動くな。いいな、動くんじゃないぞ」
こんな時に限って、彼はあえて兄になる。いつもであれば、その肩書きをアンリにだって押し付けたくない、見せたくないという風であるのに。
そう、こんな時ばかりガーランドは彼が幼い頃、強制的に背負う事になった肩書きをしっかりとアンリに見せるのだ。その肩書きを見せられると噛みつきたいが噛みつけない。ままならない天秤がアンリの中でガタガタ音を立てている。吐き出してしまいたいものをどうにかぶつけたいのに声は奪われた。落ち着かないアンリの身体はガーランドを前に、そのように動くだけしか出来ない玩具であるが如く、肩をすくめて止まる。
「いい子だ、ってそんな年じゃねーなお前は」
「……たりめーだ。いくつだと思ってんだ、おっさん手前だぞ」
「そう言うなよ。そう言われると俺はおっさんじゃないか。やめてくれ、まだおっさんを受け入れられないんだよ」
軽口に薄く笑ったガーランドは、すぐにアンリから離れ光の下に続く果てた道の真ん中に立つ。不動の背中を物陰から眺め、しかし多くの時、夜を照らす光に目は奪われる。そこへ行ったら、剣も銃も単なるおもちゃになる気がしたからだ。
アンリの期待と不安を慌ただしく下手くそな足音は踏み壊した。
道の奥の暗がりの中から乱れた服装の丸々とした腹を揺らす男が、汗だくの顔に光を遠くの背後から受けながら走ってくる。
遅い足は、今にももつれてしまいそうであるし、疲労に頬の肉がこけている。どこから走ってきたのかはわからないがきっと、光の下からだろう。光と走っている男との距離を見比べる。
近くもないが遠くもない。要するに、息を吸うことすらもままならず、それでも走り続ける男は壊滅的に足が遅く、体力も運動神経も無いのだろう。必死に前だけを見て走る男の羽織っただけの軍服は、写真に写っていた女神と同じ物。
男はふうふう口を鳴らし前方に立っているガーランドを見つけると、わかりやすく目を見開いて急に足を止めた。張った腹の肉が揺れ、走り続けた膝はか弱く震え今にも尻から座り込んでしまいそうになりながら忙しない呼吸の間に、ヒステリックな動物の鳴き声を真似る。
「きちんと喋ってくれや。俺はな、獣の言葉はわからないんだ」
大きな背中はどんな顔をしているのかは見えないが、アンリには想像容易い。口の端を、ちょっと持ち上げてわざと顎を引いて上目に睨むのだ。それも、相手の繊細な糸にわざと引っかからせて。
その雰囲気はアンリとガーランドの母親によく似ていた。人を下に見る事に嫌悪を覚えない人、それがアンリの母と兄だ。そして、一心の愛と期待を求める所もよく似ている。
余裕の背中と腰に手を当て片足に乗った重心。ガーランドを背後から刺すことは、そんじょそこらの手練れには不可能な現実だろう。真似たわけではないが、腰にぶら下げている剣の柄を手のひらの真ん中に当てる。緩く力を入れ握ろうとして、アンリにはできなかった。
息も整う前に男は向きを変えて逃げ出そうとしても、ガーランドは許さない。空を斬る音を立てて腰の剣を抜き払う、が、そこに刀身は無い。音に怯え身体を縮こまらせた男は、柄だけの剣を嘲笑おうとして、すぐにそのまま顔面に蒼を塗る。
「いいだろ、これ。嘘も悪も、あまねく悪しきものを嫌悪する。これこそ正義だ」
ガーランドは柄を握ったまま手首を回した。すると、本来刀身のある柄の部分にちらちら濃く紅い熱が灯る。周りの空気を食い、膨張し悪態のように火の粉を飛ばす長い刀身は燃えていた。長い刀身の先で、人の営みの面影残るアスファルトは溶かされ抉られ、不快な臭いを撒き散らし明明と揺れる切っ先を嫌々受け入れる。重いのか軽いのかも見た目では判断できないそれを、ガーランドは指の代わりに男を指差す為に使う。
「考える必要はない。こいつで燃えたら悪だ」
離れた位置の夜を塗り替える朝の明るさとは違うガーランドの光は、真っ直ぐだからこそ他人を傷つけることを厭わぬ光。アンリには持つことのできない光が目の中で燃えると、込み上げるじらじらとひりつく熱持つ痛みを堪えなくてはならない。
その光は、いつかアンリの目を潰すのだろう。
その予見は幼い頃から彼の背後に立っていた。
「このっ、人でなしどもめ!」
でっぷりとした腹を波うたせ男は足を踏み鳴らす。精一杯の癇癪は真っ直ぐであることだけを選んだガーランドに伝わる訳もない。彼は、切っ先で風を斬るような音を鼻で鳴らす。獣だと見下すものの言葉を鼻から理解しようとしない。肩を竦め、剣を手首で軽々回し、なんてことなく踏み出す。目の前の小石を蹴る為に、わざわざ心構えなどいらないということなのだろうとアンリは見ていた。
剣の機嫌を確かめるふうに横に一閃。男に鋭く尖った炎の先端は届きはしないが、爆ぜた火花は男の周りに咲き誇った。男の悲鳴が上がる前に、肉の焼ける音が聞こえた気がしたが、アンリの目が作り出した幻聴だった可能性は多いにある。目を見開いて、そのばで慌ただしく重たい身体の隅々までを使って踊るステップ。憐れみを求め演じる男に感化されてアンリはそっと、すぐ横に目を逸らしてしまったがガーランドは、飽き飽きと鼻を鳴らしただけ。
「おいおい、まだ何もしてないだろ。そんなに大慌に事を終わらせてくれなくても良いんだ。はむかってこその獣だろ、それもできなきゃなんだ、お前らは。まさか女神様とかいうよくわからんものにに飼われたペットとでもいうか?」
炎の華が枯れるか、男が灰になるか。そのどちらかだけが、悲鳴をとめる術であり男の救いだ。華は、紅く蒼く色をうつろわせ、男の身体に蔓を這わせて種を産む。すると、また新たな華が一輪、一輪、崩れることのない花弁を纏って赤に青に色をかえて咲き誇る。アンリは、もはや足元を凝視していた。けれど、耳にはいる悲鳴は止まらない。ふと、悲鳴に混ざる微かな暗さ。だがそれは、誰かの足元をほの明るく照らす悦び、のようなものが含まれている。
物陰から肩を出し、アンリは男に顔を向けた。燃え盛る花弁の隙間から、燃える肉の間に時折垣間見える見開いても小さな目。
目があった、何度も何度も。だが、男は別の誰かを見ていた。華に埋め尽くされた身体で天を仰ぎ、両手をささげて男は赤と青の華の中に蹲る。否、両足を揃え膝まづくき、絶え間なく悲鳴かそれとも悦の声かを上げ続けた。
今際の側に見た幻想と戯れているのだといえばそうかもしれない。
「気持ちが悪い」
心の底からアンリは呟く。
男が美しくねじ曲げられた幻想を見ているにしては、救心と欲とに塗れそれが燃えているようだ。
男が苦しみに、喘ぐ。快楽に喘ぐ。その違いを正しく見極める事など、当人以外に断定できるのもなどいるのか。そういった曖昧な不安から腰に下げた、ただの剣の柄をアンリは握りしめた。




