如何にして 19
権力の椅子から引きずりおろされた男がどんな反応、様子であるのかショートには知らない。ただ、彼のようで無いはずだということはなんとなく理解している。
「聞いたか! 俺も戦場に立つ、しかも、女神様を直接殺しに行くぞ! 楽しみだろ、そうだろ!」
見栄えの良い外見に纏った俗っぽさ。楽しそうに大きな声で笑う豪快な様子に、落ち込むだとか項垂れるという言葉も行為も無いらしい。似合わない剣と銃とを腰に刺して胸を張って見せると、意気揚々と玩具を見せびらかす子供の無邪気さしかなかった。
「直接って」
「お前が寝込んでいた間に、それはそれは働きアリ共が上に鞭うたれて頑張ったようだな。女神様は、飼われているペットと変わらないという情報を手に入れてくれたぞ。よかったじゃないか!」
物言いに眉根を寄せ不快感を顔にアンリを睨む。すると、挑み返してくる蒼は、快活な晴れ間を見せびらかし胸をはる。
「何がいいんだよ。何も良くない」
「本物の神になったら、俺たちなんぞその辺の土塊と変わらんぞきっと多分。ペットならまだ身近な分、土くれの区別ぐらいはつけてくれるだろうさ、喜べよ」
偉そうに言って、アンリは机の上に地図を広げた。使い込まれた一枚の紙は端がよれ、書き込まれ過ぎて海に文字が漂う。無機質に引かれた境界線をショートははっきりと目にした。沢山の国。沢山の線、その線の中に海すらも別つ長い線がある。
「これ」
指で線をなぞった。長い線だ、国の形なんてお構いなしに上から真っ直ぐに下に行くと右に僅かに湾曲して海に出ていく線。この左右で、生き方が全く違うという事をショートは知識として持っていた。そして今、身をもって知っている。
「消しゴムでけせりゃぁいいんだけどそうもいかない。これが俺とお前を分ける。お前ら風に言えば神さまが決めた境界線だ」
嫌なものを喉の奥から吐き捨て、アンリはイライラと地図の端を指先で忙しなく叩いた。
「人と人が殺し合うための線だ。血を流すためにある線だ。こんな目にも見えない形もない、神だとかよくわからんもんが決めた線に踊らされて俺たちは血を求める。馬鹿馬鹿しい、本当に馬鹿馬鹿しい。こんな線一本で何が変わるってんだって馬鹿にしても、変わるんだよな。人生ってやつが」
青いため息は、線を揺らすこともできずに消えていく。まじまじと地図の上に引かれた一本の線を眺めるショートは、「なんだこれ?」と疑問を抱く。
線が一本。世界に一本。神様の線の上は赤く、争い絶えず、死で線を濃くする。何も叶えてはくれない神様の、従僕すべき神様の描いた、長い長い線。
あっちとそっち。こっちとそっち。
「変わらなかった」
「ああ? ボソボソとセンチメンタルかそれともなんだ、神様の線だと感動でもしてるか? まぁそんな事は後にしてくれ」
慌ただしい指先が、ショートの手を追い払う。そして、大きな大地に引かれた線の、目に見て真ん中だろうあたりを爪先で強く叩く。
「ここが大事なんだよ、俺はここにいるよくわからんが人を弄ぶもんを殺したいんだよ。だがなぁ、女神様が現れたせいでここ、わかるか? ここまで俺たちは後退した」
真ん中から、左へと少し指先がスライドした。
「くそっ、今まで真ん中でだあれも手出しできなかったってのによぉ! 今じゃなんだ、どっかの誰か……多分お前んとこの上の奴らだろう。神の神殿だとか言って、我が物顔で占拠してやがる。毎日毎日、女神が暴れた後逃げ遅れた捕虜はここで血祭りだ。だがどれだけ血を捧げたって、相変わらず何もない外側のままだ。哀れなこったな」
思い出す、耳に入ってくるばかりの儀式の様子。上のものが神にあれを捧げた、これを捧げた、と風たちはひそひそ話をするけれど、ショートが食べるものも、寝る場所も、周りに居る人達も、何も変わり映えなどしなかった。
「で、だ。飼われてる女神様はなぁ、ここだよここ。ここら辺で鎖に繋がれて次の散歩を待ってるらしいぞ」
地図の上で指先が少しだけ長い線に近づく。先程まであった場所とほぼ変わってはいない。
「いい飼い主なのかもなぁ、運動の場を与えてやってるってのは」
「隊長は、ペットじゃない。人だ、お前と変わらない人だ、それともお前も飼われた獣なのか?」
しん、とした部屋に二人の強張った目と目。色も形も違うけれど、同じ種類の形をしている。はっと、目の中で黒い丸が小さく大きく揺れたのを、ショートはアンリの目の中にいる自分、アンリはショートの中にいる自分
の姿で気がつく。
「……すまん」
殴られたショートが数日の間、押し込められている部屋はベッドと窓、それからのんびりと身体を伸ばして眠るカルアーしか無い。そこへまあるい机と地図を持ってきたのはアンリだ。
心底傷ついていたアンリの顔は実に間抜けで、力の入れ方さえもわかっていない身体初心者と言う体で、今し方の自身の発言に今更戸惑っている。
「すまない」
誠意は深かった。だが、足場を見極められずにふわふわとしているのか、上ずりそうになっていた。落ち着かない様子は、口を閉じると他の部位に如実に現れ、ショートもつられて落ち着かない。そわそわと精神の音が二つ、カルアーの欠伸がよく響いた。
「う、ん」
なんと受け止め、なんと返すべきか。曖昧な相槌に会話の終わりを悟ったのか黒い毛並みは軽やかに跳ねてショートの腕の中に収まる。頬に擦り付けられる頭、口元を舐める小さな温度。肩に前足を乗せればゴロゴロと幸せそうなリズム。ショートはほっとして温かい毛並みを撫でた。
「悔しいほどにお前に懐いたな」
後悔の残るほろ苦い笑みは、人懐っい。
しばらくの間、カルアーは自由に思う存分ショートに愛を擦り付け満足げに三つ目を閉じて、腕の中から動かなくなった。アンリは、羨ましそうに、だけれどショートを妬む事なく先っぽで唄う尻尾を眺め、地図に顔を戻す。その後、リーシャが椅子を二つ手からぶら下げ部屋にやってくると、人懐っこかった笑みは消え去り、緊張と興奮、それから身を縛る歯を食いしばった力で表情を変える。落ち着きのなさは神経質な苛立ちに残り、口数も多く地図の上で指を行き来しながら、前のめりに口を開く。
「次、俺たちは女神を殺す。――、いや女神を人に落としに行く。結果は二通りだけしかない、成功か死か、だ。すまんな、今の俺にあるものなんてこの身ぐらいなもんだ」
弱く肩を落としたのはその時限り。アンリはすぐさま顔を前に向けると、些か強張っていたものの強気で悪戯好きな表情をうかべていた。
「ねぇ、怒って私達だけでやってこいって蹴り出してもいいのよ? 文句は言わないし、それにあんたは今まで、」
「もともと送り出したのは俺だ。なんだ、俺らは全員で下手こいたって事だ。そういう事にしてくれ。今まで、リーシャやガーランド、不本意ではあったろうが俺の下についてくれてた名も知らぬ有象無象、お前達のおかげで俺は人を殺すことを知らないままでいる事ができた。礼を言う。だが、それももう卒業だ」
持ってきた椅子に座って聞いていたリーシャは、納得は言っていないながらも頷き手を振って了承を示した。カルアーの耳先を舐めながら、ショートは進む行先を待つ。
「ガーランドは?」
ふとショートは、ここには居ない存在を問うた。不機嫌なカルアーが鼻を鳴らすのとそっくりな様子でアンリは下唇を尖らして見せる。
「今のあいつは、上官様さ! 俺の温もりたっぷりの椅子に座っているよ、仮置きだけどな。今回の件には絡まないだろうさ。終わった後の噂話を聞くだけだ」
リーシャは小難しそうな顔を肩こり辛そうに傾げ、一度口を閉じ、彼女のタイミングでまた開く。
「なんだかんだ面倒くさい言い訳して来そうな気もするけど。だって、あんたが危ない場所に行くってだけで心配で倒れそうじゃない、いい年した大人相手に過保護なのよねあれも」
「ふん、なんせ俺は可愛い弟様だからな! おにーさまにとっちゃ大切なもんよ」
オーバーに両手を広げ自慢げに、声の抑揚の端々に、思春期の反応をきかせてアンリは堂々謳う。身のうちから溢れだす自信は彼をキラキラと過剰に輝かせる。
「あれは単なるマザコンでしょ。大切なのはあんたじゃなくてお母様、マジで捻れてるけど、あんたもあいつも兄弟そろってマザコン野郎ってよく似てるわねぇ」
「種は違っても腹はおんなじなんだ、そら似てるだろうて。だがな、マザコンはあいつだけだ、そこは一緒にすんな」
アンリの萎れた両腕は身を守らんばかりに組まれる。あからさまな嫌悪に歪になった顔。それと似て、リーシャの顔も崩れるが二人は暗黙の了解に触れたように話を地図の上に戻した。
「地図で見ればここから車で数日。女神様がとっとと移動しないうちに手を掴みに行くぞ」
ショートは口の中の香ばしい匂いを飲み込む。置いていったエースを思うと血潮は騒いだ。




