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如何にして 18

 目を開けても、意識はまだ眠っているようにぼんやりとしていた。目は覚めているのだとわかっているのに、まだ寝ている。顔中に熱が膿んで痛むせいで、考えたそばから膿の中に消えていった。

 何度か夢をみた気がしたし、何度か誰かと話した気がした。けれどなにも覚えていなかった。ただ、口さびいしい時に香ばしい匂いを舐めていた事はなんとなく覚えている。

 夢の中でエースを見たような気がしたけれど、はっきりとした姿をしていなかった。時に胸板厚く、時に薄く花弁のように。でも、はっきり覚えている気配。どちらも笑みに変えた平和でショートを迎えてくれたし、「生きてて偉い」と褒めてくれた。

 けれど「殺すな」と、言われてしまうと「ごめんなさい」を繰り返すことしかできなかった。

 痛みに寝かしつけられると言うのもおかしな話だが、顔のどこが傷んでいるのかもわからない疼く痛みはうとうとと眠気を誘う。そのまま目を閉じて、開いてを繰り返していたつもりだったがいつの間にか時間は勝手にショートを連れて歩き出してしまっていた。

 焦げた匂いに目が覚める。開いた窓から入ってくる空気の中に混じった匂いのは太陽に炙られた大地の匂いだと気がついたのは、しばらくの間、取り留めもなく呼吸を繰り返してからのこと。強張った身体を起こそうとすると、痛む顔や頭に自己を揺らす漫然とした空間がある。その中から必死に己を見つけ出し、目脂のついた目を瞼の上から揉んだ。欠伸をする。口の端が痛む。違和感のある口内を舌先で確かめる。歯は揃っていたけれど、内頬に大きな口内炎があって触ると沁みた。服も体も、汗でベトベトだった。

 かけられた布団の中、足元で蠢くものが身体を伝って顔を出してみれば、耳の先の毛が心なしか薄くなったカルアーだった。牙を控えめに覗かせ、掠れた声で鳴く。健気にショートだけを見つめる目玉は、相変わらず生命の輝きを閉じ込めたようで美しい。

「カルアー」

 名前を呼び、喉の下を指先で擦ってやるとゴロゴロ音を立ててしっかりと頭を擦り付けてきた。暖かく、しっかりとした触り心地に安心した。窓の外からやってくる空気とも風とも取れぬ、細やかな感触にショートは遠くに置き去りにされた日常をわずかに思い出した。

「起きたのね」

 ノックも無しに扉が開き、入ってきたリーシャをカルアーは一瞥しただけでその場から動くことはない。手に持った桶とタオル、肩にかけたバックを丁寧に扱い、だが扉は足の裏で閉める。桶の中に入った水を零さないように足音なくショートの元まで近づくき顔を覗き込んだ。

「ま、一昨日、昨日より顔の腫れはだいぶましね。あんた、丈夫ねぇ。下手したら頭かち割られて死んでたってさ。固い頭でよかったわよ」

 ベッドサイドに桶を置き、タオルを振ってショートの顔の前で揺らす。揺れる白いタオルは見るからにゴワゴワしていそうだったが、揺れる度に清潔な石鹸の香りがショートの鼻先に届いた。

「昨日まで、高熱でうんうん魘されてたから。汗、かいてるでしょ。自分でふける?」

「ふける」

 手渡されたタオルは、不思議と見た目よりも柔らかい。肩にかけたバックも一緒に渡され、リーシャは少し離れた位置で後ろを向く。

「起きてるんなら、なにか食べるものも持ってくる。それまでに着替えちゃいなさい。着替え、バックに入ってるから」

「う、ん」

 ぎこちない返事を聞いてリーシャは部屋を出て行った。

 身体を拭きながら、ショートの頭は難しいニュアンスの答えを探していた。服を脱ぐ時、後頭部にできたたんこぶに触れて悶絶したが、それでも頭の中には不思議な肌心地のニュアンスがある。

「なんかリーシャ、変じゃない?」

 カルアーに聞いても無視され、ショートは己の内で問う。

 どこが、と言われてもわからず、だが何かが違う。そう、ニュアンスとして固かったものが気のせいにしてしまいたいほど柔らかくなった、そんなものだ。その変化がなんであるのかはわからないが、突然変わってしまうと落ち着かない。もっとわかりやすく変わったのなら無理やりにでも変化に巻き込まれるのだろうが、些細な変化は一方的に足並みを揃える事を要求してくる。

 脱いだ服の上でカルアーは丸くなって着替え終えたショートを見上げていた。黒い尻尾が揺れると、なんとも言い難いものだと聞こえた気がした。ショートはベッドに浅く腰掛けると、我が物顔でベッドを占領するな柔軟な背中を手のひらで撫でつける。悪戯に毛を逆立てて撫でると香ばしい匂いが香り、口寂しくなって黒い耳先を指で突いた。

「魘されながらずっとカルアーの耳を舐めてたけどそんなに美味しいの?」

 扉が開き、何よりもまず入ってきたのはスープと焼きたてのパンの濃い匂い。ベッドサイドの桶と交換して置かれたトレーの上には湯気たつ食事が並ぶ。銀色のスプーンとフォーク、大皿の上に乗った焼いた鶏肉にタレが満遍なくかけられたもの、それらを見ていると突如として身体は空腹を思い出し胃の中が侘しいのだと言う訴えにショートの気は逸る。

「無理して食べなくていいから」

 桶を部屋の外に追い出すリーシャに隠れるようにトレーを膝の上に置いた。当然とばかりにカルアーも顔を突き出し美味しい香りを堪能し、小さな舌で口元を一舐め。パンをちぎり大きな野菜が黄金色の風呂に浸かっている間に無理やりパンの欠片をねじ込むと底の方に寝転んだ分厚い肉の塊を見つける。パンから滴るスープを零さないように頬張れば旨味でパンはトロトロに溶けていく。よく噛んでよく味わって飲み込みたいのに、胃が急かすせいですぐに口の中は空っぽになった。すぐにもう一度パンをちぎり口に、勝手にスープを舐めていたカルアーの前足にねだられればパンや鶏肉をわけあった。あっという間に食べ終え残ったのは室内の残り香だけ。満腹には程遠い胃の中は、しかし暖かさに大人しい。

 程よい腹の張りに、また眠気がやってきたが一人分間を開け隣に座ったリーシャの足先に落ちた痛痒ある表情を見つけて、おずおずと背を正した。

「私、やっぱりあんたが嫌いよ」

「そう」

「だってアセリアはあんたに優しいもの。それがすごくムカつく。……でもね、すごく心から感謝もしてる。嫌いなあんたを少し好きになれちゃうぐらいに」

「――感謝?」

 満足げなカルアーの毛繕いを手伝っていた指先を止め、ショートはしばし窓の外の何もない空の半ばに感謝される理由について聞いてみるが、わからない。

「うん、アセリアを守ったのはあんただもん。ありがとう、ショート」

 その感謝を受け取るべきか、悩み喉は詰まる。

「ガーランドの言うように、確かにあんたのせいで人が死んだ。でも、あんただけのせいじゃないでしょ、その場にいた私だって同じよ。でも、それでも誰が死んだってアセリアと比べるまでもないのよ私の中では。だから、私はあんたに感謝する誰が何と言っても、あんた自身が悩んでたとしても、羽が生えてたってあれはアセリアだった。だからアセリアを守ってくれてありがとう」

「う、ん」

 背中をうんと伸ばしてカルアーは二人の間に寝転ぶ。気だるげに尻尾を大きく揺らし大きな目を閉じた。

「私とアセリアはね、昔内側にあった国の片隅にある小さな村に生きてたのよ。それも、ずっと一緒に居るって決められてしまうような本当に小さな村でね」

 両手を膝の上で緩く組むリーシャのその手の中を覗くと、その村が見える気がした。だからだろうか、彼女の両手の親指は指先を押し合うだけで放そうとはしない。

「ずっと一緒?」

「そう、ずっと一緒。ようするに、子供も少なかったもんだから生まれた時から結婚相手が決められてたの。私はアセリアでアセリアは私ってね。村もそうだけど、その血筋とでも言うのかしら、それを絶やしたくは無かったみたいなの」

「ふぅん、じゃあ隊長って元々は内側の国の人だった、あれ? それじゃあ何で今は外に居るの?」

 リーシャがどんなに自分中心の物語を語ろうとショートの興味の真ん中はエースだけ。その面白くなさそうな話になんとなく耳を傾けた結果首は傾く。

「もう、ずっと前。あんたいくつよ」

「成人したから18」

「わっか、見たまんま子供ねぇ。じゃ、あんたが生まれる前にね、一度境界線が変わったのよ突然」

 大切な思い出だろうに、リーシャは組んだ手のひらをくっつけ、親指をクロスさせがっちりと塞いでしまう。不自然な間が不自然な句読点となって、彼女の思い出をぶつ切りにする。惑いの首筋は正直に己を俯瞰しているのだろう苦痛に首は垂れていく。

「その時、私ね、いたの。アセメリアと、いたのよ。天気の良すぎる日で、日差しが痛かった事を覚えてる。普通の夏の日よ、なんて事のないいつもの日だった、はずなの」

 とうとう思い出を組み潰した手に額を当て項垂れきったリーシャを、ショートは誰かの目を通して見ていた。彼女に寄り添うことができないが、一蹴してしまうこともできない。

 神は何も叶えてはくれないのに。

 そんな呟きを胸に閉じ込め、隣で祈りの姿で項垂れる年上の女性の全体を視界の中に取り込む。空想を美しく描こうと、それだけに心血を注ぎながら途中で飽きてしまった絵を見ている気分になった。

「地面がまるで蛇の腹のようにうねったの最初。私とアセリアはね村の人がそうであれと望まれた通りに手をつないで居たのよ、きつく、緩く、繋いでいたの。でも、地面がうねって、立っている事は出来なくてバランスを崩したのは私が先だったかしらね、それともアセリアが先だったかしらね。まぁ、そんな事はどうでも良くて、バランスを崩して肩と肩がぶつかったのよ、その時にはもう揺れも収まっていて、ただ彼の存在がとても近くてお互いの困惑とか恐怖とか、その時、些細な内面だって見逃すことの無い距離に私はーー耐えられなかった」

 やおら顔を上げた少女。ショートの隣に居るのはまぎれもなく少女だ。強張った眼差しが一心に見つめる先を一緒になって眺め見る。幼い目の中にうつるものと同じ景色を見ることはできないとわかっていたから、耳から入る光景を頭の中で作り出して、一緒になって少女の、きっと後悔という止まった時を見つめる。

 窓の外は、悪意無く晴れている。それこそが少女の中で時間を止める棘を痛ませても、空の無垢なる青には関係ない。

「アセリアはね、たった一人の私だけの人。そうやって決められた人。けれど、彼はとても遠くに居る綺麗な手を届かせてはいけない人なの、だって一人でなんだって出来て、誰よりも精霊に愛されていたから。あなたにはあの人はどんな人かしら。どうだっていいわ、どうだっていい。だから、突然、間近に感じた存在感に怖くなった。触れてしまったことが、恐ろしくなった。だから、思わず突き飛ばしてしまった、私という存在から離してしまいたかった」

 冷笑に鼻を鳴らしたカルアーは三つの目を細め、にやけ顔の口元で前足を洗う。ショートの胸にその黒い毛は痛みをうつす。

「離れたわ、私とアセメリアは。確かに、その時に私という存在から彼は離れていった。遠くまで。私が望んだ通りに。ねぇ、あんたはおかしいと思わない?」

「何が」

「境界線っていっても目に見える線があるわけじゃ無いのに、どうして人は決められた場所に留まり続けるのかしら」

 リーシャの疑問にはっとした意識は鮮明。火花のように、刹那、色彩の暴力を咲かせ、すぐさま潰える。その短い色彩の爆発にショートは狼狽える。

 心臓の中で何かが出してくれと暴れていた。

「わからない」

 声が震えた。

「そう。あの時アセメリアはどうだったのかしら、見えない境界線のこちらとあちら、飛び越える事だってできた、踏みにじることだってできた。でも、私も彼も歩み寄ることなく離れてしまった。きっとあんたたちが神だって言う理由も、その辺にあるのかもね」

 疲労の溜息を最後に一人語りに満足したらしいリーシャは少女をしまい乾いた頬を拭って幾分か歳を重ねる。

「私は、あんたが嫌い。アセメリアが大切にしてるから」

「隊長は、あんただって大切に思ってる、」

 「妹のように」と、続く音の語尾を噛んで止める。言ってはならない気がしたのだ。

「知ってる。あいつはすぐに大切に数えたがるから。そのくせ、深度って表せばいいのかしらね、そういう位置づけをするから。ーーわかってる」

 傷のついた微笑みに花は咲かぬ、だが枯れもせぬ。ショートの膝に乗る空っぽの寄せ集めのトレーを持ち上げ、リーシャは立ち上がる。

「これから騒がしくなるわ、覚悟なさい。あんたはどんなに逃げ出そうとしても逃げられないんだから、何もかもを踏みにじる気合で居なさいよ」

「なにそれ」

 背筋を伸ばし、部屋を出ていく後ろ姿をベッドの上で動かず追いかけた。

「今回の件でアンリが引きずりおろされた。あんたの立場を守るものが居なくなったし、アンリを守る居場所もなくなった。また、アセメリアに会いたいでしょう? お互いに生き残りましょうね」

 扉が閉まる間際に見えた腹の座った表情からは決意のような熱のようなものが見て取れた。戦場に向かう前に面倒臭いからとへらへら準備をしているエースはそういう熱を纏う事は無かったけれど、戦場に立つ彼の横顔とよく似ていた。

 一人きりの室内で、ショートは窓の外を眺める。

「生き残る」

 弱弱しい意思の独り言。満足げに手足を先の方まで自由に伸び伸び、脱力したカルアーは鳴く。相変わらず「にゃー」と「みゃー」の中間にある鳴き声は、肩に飛乗ると首の後ろにある死んだ石を甘噛みした。

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