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如何にして 16

 額に落ちてきた生暖かい大玉の雫。頬を撫でるようにゆっくりとねっとりとショートの肌を流れる。不思議そうな顔をした女神と見つめ合い、刃を握ったままの手の甲で口元を拭った所、また先程とは違う方向からの音の衝撃に左手肩を後ろに突き飛ばされる。一歩下がり、また音に押されて片膝から崩れ、音に額を殴られる。

 時間の経過の無い、永遠にも等しく、刹那にも等しい間隔をショートは間近で見た。火花の咲く光に気が付き視線を動かす。転がるように火花の中を突っ切ったリーシャの白煙上がる手が伸びる。

 光の針は、空から降った。だから、目の前にある血だらけの細い身体を、抱きしめた。

「立て! そんなとこでじっとしてても、死ぬだけなんだよ、バカ!」

 身体を強ばらせ、来るであろう痛みは来ない代わりに激しい叱咤にショートは顔を上げた。背後から雨の音がバラバラ絶え間なくうるさい。振り向くと白い光の針でできた壁が何かを防ぐ。腕の中の軽過ぎる重みに恐怖しながら腰を浮かせたが走り出すことはできなかった。

「まとめて殺しちまえ!」

 空に響く宣言に呼応した雄叫び。走る足音は思ってた以上に近く、周りを囲む。どこへ逃げればいいのかと迷った瞬き。そして、次に目を開けるとショートは、冷たい地面にうつ伏せで押しつけられている。背中にのし掛かった重みは足掻いてもびくともしない。土の味を噛み、目の中が黒く染まって痛む。重い背中を無理に持ち上げ顔を上げ女神を探した。

 額から流れる血で顔の半分以上を真っ赤に染めた女神は、沢山の銃口を突きつけられ囲まれても、なぜ立てないのかわからない、そんなあどけない顔を人の隙間から覗かせ目を瞬かせて横たわる。

「まっ」

「黙れ! ヒニャは死んでしまえ!」

 声を上げる事すら許されずにショートは後頭部を押されて地面に顔面を強か打ちつけ、口の中にしょっぱく滑る味と痛みを飲み込み喉を鳴らす。

「邪魔をしないでと言ったはずでしょ!」

 リーシャの声は、硬い拳でかき消された。それでも彼女は足を踏ん張り手を振りかざそうとするも、夕暮れの中にも混じれない黒々とした銃で殴られ無理矢理ひざまづかされ、さらに男は欲望に血走る目を向け、口から涎を垂れ流しそうなほど歪ませ、馬乗りになり抵抗すれば顔を殴って襟に手をかける。

「リーシャ!」

「裏切り者が、死ね、獣は死んでしまえ」

 背中にのしかかる呪い。それはショートの血潮に火を放つ。熱く、激しく、そして「なぜ」と疑問は尽きず。息を吸うことも吐くことも熱く、自らを焼き焦がす。

 やめてくれ。ふざけるな。それでも唱えることのできない、お前らなんて、と言う死が降り立つ願い。まとまらないが我の強い意識が首の後ろ、もう息絶えた精霊石に集まっていく。新緑の色がショートを見ていたが、顔を踏まれ群がる人に覆われ見えなくなったがその中から耳に優しい破壊と心地よい悲鳴の音が聞こえる。

「殺せ!」

「獣め!」

 合わさった男の命令の怒声とショートの土を食んだ叫び。遅れてカルアーの尖った鳴き声が重なった。

 世界が硬直する。遠くに去っていた音がまた戻るまでの一時、確かに世界は押しつぶされ圧縮され、一つの石ころになって今という景色や時間、そこに生きるものを閉じ込めた。まるで水晶のように、透明に。まるで分厚い壁のように頑丈に。そして、獣のように荒々しく女神に向けられていた銃口は全てひしゃげ、丸まり潰れる。発泡の音はしたが、出口を見失った弾丸はその場で込められた精霊の力と共に小さな光を夕暮れに走らせる。どよめきが伝播し、薄暗い中に人の困惑はだんだんと恐怖に近いものへと変化していく。

「ひはっ」

 騒めきの波に潜んだ、奇妙な笑い声にショートは気が付いた。倒れていた女神が、両腕で身を支え、両足で立ち上がる。一番上にある首から生えた翼はひび割れてなお轟々炎色に光り輝き、女神を中心に遠くまでを明るく照らし出す。全てが晒し出された世界は、赤かった。

 閃きの刃が、目の前にいた男の首から生える。氷が滑るように引き抜かれた場所から漏れ出した液体。女神は前のめりになった肉塊を裸足の足は蹴って捨てる。

 仰向けに倒れた男の驚きに呆けたまま時間を止めたカラダ。どこを見ているのかもわからない男に付き合うことなく、月をふるって血の雨を降らせる女神の引き締まった顔つきにショートの胸は震えた。

 先程とは全く別人だ。ただ力任せに刃を振り下ろす事しか知らなかった動きが嘘のように足運びや地面を足の指先でしっかり踏み締める様は、戦うことを知っているものだ。それだけでは無い、逃げようとしたものを許さない光の炎を纏った矢、目を眩ます炸裂した赤の閃光。ヒビの入った一対の翼で身体を軽々持ち上げ狙った腰を抜かした男の頭頂部に月を差し込む。

 リーシャに馬乗りになっていた男は悲鳴も一緒くたにされ首を執拗に狙われ、首がどこにいったのかわからなくなった。ショートの背中に呪いを吐いた男は、逃げようとしたが燃える矢は猛禽類の正確さを持って胸を貫く。肉塊が数を増やしていく女神の目尻には、確かな戦意と殺意に尖っていた。

 その様は生きている人のようだった。

 知っている人のようだった。

 女神と崇められるような、手触りのないふわふわとしたものではなかった。

 また静けさがやってくると同時に、女神の羽は勢いを無くし垂れ下がる。夕暮れは遠くに滲み、夜の星が反対側の裾の方からチラチラ瞬く。

 息も荒げずに肌寒くなった空気の中で、その人は咳き込む。湿った咳を出し尽くすと、ようやくと言ったふうに浅い呼吸を苦しげに繰り返し倒れ込みそうになって、無理やり両腕で上体を支えたのを目に焼き付けショートは飛び起き土を噛んだまま走り出した。

 薄暗い中で血を吐き震える肩に思い切って伸ばした両手で掴んだ力の入れ具合がわからないほどに細い肩。

「おとーさん?」

 尖った目尻に予感と錯覚が交差した瞬間をショートは見て、そして、得体の知れない確信があった。

「懐かしいなぁ、お前がさぁそう呼ぶの」

 苦しげに眉を寄せていても平和を人にもたらす笑み。血に濡れようと、体の厚みが薄くなろうと、どこか他人の面影があろうとエースがエースである限りそれは変わらないのだとショートはその事実を息と一緒に美味しく呑み込む。

 繊細な爪の形と肌のキメ、骨の細さすら目立つ左手は伸びて当たり前のようにショートの頭を力無く撫でる。

「偉いな、ルクシア。お前、生きてる」

 幸福の新緑は瑞々しく潤む。細められた目と頬の穏やかな丸みを見ていると、どうにもショートの身体の中に弱々しいものが図々しく顔を出す。

「うん、生きてるよ、偉いでしょ。だから、一緒に帰っていいでしょ。おじちゃん達も皆んな、そっちに居るでしょ?」

 ただ深い何かが見え隠れする笑みを口元に浮かべたまま、エースはゆっくりと顔をそらす。息を深く、とても深くしつかりと苦しそうな表情も何もかもをまとめて吸い込んだ。

「お前ももうさ、うん。親ばなれをしなきゃいけないのかも知れない。いつかは、誰かと生きていくんだ、違う場所で。りーちゃんは大丈夫? 守ってやって、あれは案外夢に夢見る、妹みたいなやつなんだ。なんでこんな場所にいるんだか、自分からはなぁんもできない怖がりの癖にさ」

 言われて思い出した存在。意識の中には彼女の存在はあったのだが、それよりももっと大きな存在の下に埋もれてしまっていたことに今更気がつく。慌てて振り向くと、首の無い身体の横で顔を両手で覆って倒れたまま。

 ゆっくりと立ち上がったエースの後に続いてリーシャに近づく。啜り泣きを噛んではいるがしっかりと聞こえた。

「りーちゃん、リーシャもう大丈夫だそんなに泣くなよ」

「アセリア、こわかったよお。おっきい男が」

 すんすん子供のように鼻を鳴らすリーシャの頭をエースの細い左手は大人の手つきで頭を撫でた。

「ああ、怖かったな。でも、もう居ない。大丈夫だよ」

 両手を顔からどかしてそのまま頭を撫でていた手に引き起こされた身体は、今のエースと比べると輪郭線は頼りなく見えた。ボタンの飛んだ服の前を整えてやるエースと鼻を啜りそれを受け入れるリーシャの姿は、親子のようであり兄妹のようでももあり、上下のない家族の繋がりの中に大切に囲まれた関係があって、そこに入っていくにはショートには資格も理解も足りていない。そばに居るのに、気持ちも身体すらも離れている気がして、だがどのように近づいていいのかもわからなくて、手を握りしめて二人の優しさが原動力であるやりとりを空気の観客となって見つめている。

 その囲いの中に加わりたいかと言えば、そうではなかった。ショートにはショートの囲いがあってその中に居るエースや他のものを捨ててしまうことはできない。

 頬を濡らす涙を拭う、華奢になってしまったエースの手が羨ましい。それを当然与えられる手だとわかっているリーシャが羨ましい。

「……、まいったな。俺はそんなに甘やかしたつもりは無かったんだけどなぁ」

 強張っていく頬の筋肉が恥ずかしくて、俯いたショートの肩をエースが叩き、困ったと息をつく。顎を下げたまま上目に見上げれば、眉をたれ下げ苦笑しているけれど、ショートの平和はそこに居る。それがとても嬉しかった。

 このまま何事もなく、いつもの通りの日々に戻って行けたなら。たとえ、苦労や苦痛の連続であったとしても、元に戻りたい。その願いを込めて手を伸ばしたけれど、望んだように受け取ってはもらえなかった。

 チューブから絞りだした空気の汚い音。それがどこから聞こえるのかと言えば、エースの口の中からだ。平和は歪み、口を開けているのにぐうぐう、ぐうぐう喉の奥でエラー音が唸っている。喉に巻きついた色違いの両手は一生懸命に何かを引っ掻いて、赤い痕はすぐに赤い傷口へと変わる。前かがみにえづき、しかし出てくるのは血の混じった唾液だけ。

「隊長!」

 バランスを失った身体が倒れる前に抱きかかえると、やはり軽い。罅の入った翼は苦しげに蠢きショートを打つ確かな質量は痛い。どうしても目に入ってしまうエースの首の裏に、見知った黒の影を内包する精霊石とは別に、血を薄め凍らせたような薄赤く透ける精霊石が埋まっている。その下にある細い首飾りが皮膚に食い込み、早くも周辺の皮膚が赤黒く変色し始めていた。相当な力が入っているのだろう、目を離した瞬間に首の骨まで達して折ってしまいそうな恐怖があった。首飾りがエースを苦しめている、その事実で頭は埋め尽くされどうにか離そうとするも食い込んだ首筋に赤い筋を増やすことしかできない。

 悲鳴も呻きも締め付けられ、声も呼吸もままならないエースを前に無力な二人が出来ることは彼の代わりに悲鳴を上げる事だけ。

「アセリア! どうしよう、死んじゃうアセリアが!」

 それから、彼から体温が消えてしまわぬように、触れ続ける事だけ。しかしそうした所で、首飾りが締め付ける強さが変わる事はない。着実に肉に食い込み、今では肉を無理やり押し切り、中へ中へと食い込んでいく。もう、表面から触れることも出来ない。ショートもリーシャも、ただ細い首飾りがエースを殺していく時間を、永遠にも感じながら見ていることしか出来そうになかった。代わりに彼の首を落とす事をショートは、ちらっと光る葉の裏側程度に考えたが、すぐに自身が悪魔のように思えた。

 吐きたくても吐き出せず、吸い込みたくても吸い込めない。抗う身体は羽をばたつかせ両手で飽きることなく首を掻きむしり、空気や声を取り戻そうと口を何度も何度も動かし続ける。

 哀れだった。苦しみから大きな涙を数滴しか流せないエースがあまりにも哀れだった。

「誰か……、助けて!」

 縋るリーシャは目をつむり、エースに抱きつく。それにつられ、ショートも神に祈りを告げて、呆然とした。

 神は従うものであって、願う相手では無い。それが、ショートの神だ。どんなに願おうと助けてはもらえないのだと、わかりきっている、のに。

「誰か、お願い」

 真に縋るリーシャの姿を美しいといえば、美しく。それと同時に滑稽だと言えば滑稽であるとショートは呆然としたまま、口だけを動かす。

 こっくりと聴こえたよく響く音は、二人の心臓に刹那の死を実感させた。

 あんなにも蠢いていた羽から力が抜け、徐々にしな垂れていく。力が抜けた身体は、先ほどよりも幾分だけ重くなって、しかし先ほどよりも軽い意味しか持っていない。強張らせた顔をエースの顔もとに寄せたリーシャが不自然に俯く羽の生えた身体を仰向けにしようとしたのをショートは遮った。

「ちょっと、」

「顔、見れない……」

 震えたリーシャの目元に集った弱弱しく光るもの。はっと、真実を知った恐怖が彼女に襲い掛かるも、気丈に振り払うと同時にショートを押しのけ、まだ温い身体をひっくり返した。

 目は、開いていた。苦しみが無理やり絞り出した涙に目元は赤く、虚ろで枯れた新緑を縁どる。赤の混じった唾液の流れた口元は、今でも薄桃に柔らかそうにしっとりとしていたが皮がささくれているのが目立つ。首に食い込んだ首飾りに付いた白い石が、流れた血に濡れている。見たくなかった顔を、どうしてかショートはまじまじと見つめ、離れることのない死に気が付く。リーシャが頭を支えていなければのけぞっただろう首に骨の支えは無い。

 天を仰ぐ女神たる人の目を惹きつける魅力は、今では死もあいまって人を引き込む。

 同じ場所へと行きたいとショートは呼吸のように願い、そらすことも瞬くことも出来ずに見開いた目で消え去ったエースの器の隅々を揺れる世界を見ていた。

 この場で止まる事の無い二人分の心臓と時の流れ。もうすでに、月の輪郭がはっきりとしている。肌寒さが他人事のようで、いつの間にやらショートの中でめぐっていた血潮は黙りこくり、再びなくならない疲労を背負いこんでいた。

「あ、」

 それは、希望の声にしては悍ましかった。暗がりの中で燐光を放ちだした力無い羽。同じ時に虚ろな双眸は、生き生きとした宝であるとの自覚を取り戻し燐光を放ちだす。力ない身体に走った痙攣に揺られ首の支えを失った頭が小刻みに動く。先ほどとは別の意味で息が止まった。

 ぐるりと回った目玉が、しっかりとショートを捉えた。

 鋭く夜を貫くカルアーの鳴き声。それと同時に強い力で付き飛ばされたと気づいた。

 横たわるエースは、首を抑え藻掻き、明滅する白い石の首飾りをとろうとするが爪の間を赤く染めるばかり。そうして、あっという間に白い煙に包まれ、そうしてあっという間に消えていく。ショートを置いていった日と同じように。

「なんで置いていくんだよ」

 頬を舐めたカルアーは喉を鳴らした。

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