如何にして 15
女神の細い右手が空を指さす。くるり、くるりと指先を回せば、それは世界創造か。指先に集まる白光の薄っぺらな光達は折り重なってまあるい光の球となった。ショートの手のひらで包み込めてしまえそうな小さな白の世界を、女神は握りつぶす。弾けた光の粒が散り散り夕陽色の地面を空っぽの鈴の音を立てて転がって消えていく。そうやって微笑む女神が造り上げた白の刃は振り上げられた。
白い月を描く刃の細さと言ったら光のよう。だが、発する熱は太陽が宿っているのか熱々とショートの顔を照らし出す。目を開けてられない、だが、身体は跳ね上がって動き地面を抉る刃を避けて転がった。女神の軽い身体が宙に浮くほど力任せに叩きつけられた刃が跳ね上げた地面が粒となって飛び回る。野次馬な風が地表から立ち昇りかけた土煙を追い払うと、その中から爛々と輝く笑みがあった。
「逃げなさい!」
太陽の刃が再度ショートの身体を真っ二つにするのだと振り上げられた瞬間、女神よりも薄い、並ぶと青の影を薄く纏った光の針は空から落ちる。ガラス細工の翼も、細い身体も一緒くたに地面に縫い付けてやろうと意気込むも、ガラスの擦る音を立てて女神の刃は退ける。弾かれた光の針は砕けて散った。
女神の微笑みは、優しくて優しくは無かった。慈しみと嗜虐をうっとりと眼差しに溶かして、美しくも恐ろしい。目の中に閉じ込められたリーシャの息がしばし止まった。しかし、彼女は強い。
「私の、私のアセメリアと似た顔で、けったいなことしてんじゃないわよ!」
いかな女神の前だとしても、ただ一つ彼女の中に長らく抱き続けた景色を踏み躙ることは許さない。ショートには、リーシャのそう言った叫びが聞こえた気がした。
突き放すために伸びた手が振り下ろされれば、リーシャの憤怒に青白く染まった光の針は女神を囲んで土から飛び出る。それを、冷えた眼差しで一瞥した女神は、腕を振って雑に刃を閃かせても青白い針は壊れない。中心により集まろうと青白い光たちは身を捩り、捻り女神ごと一つの柱になっていく。ガラス細工の翼を無理矢理押し込めるチリチリと窮屈そうな軋みは鳴り初めの鈴に似ていた。
その様子を見て慌てて起きあがろうとしたショートは、足元の瓦礫に足を滑らせ膝をつくと同じく、光の柱は隙間なく縮み細い光へと変わっていく、はずだった。
刹那の音は、認識よりも遅く。だが、感覚よりも後に残ってショートの中に長らく居座る。癇癪を起こした子供が感情に支配された音。白い刃が光の柱から顔を出した瞬間、柔らかい果実を切れ味の鋭い包丁で種の周りを一周刃を入れるが如く、あっさりと切り捨てられ崩れ地面に触れる前に粉々に砕け散る。地面に突き刺さって残った柱を片足で踏みつけ軽々外に出てきたのは、果たして女神だろうか。好戦的に歪めた眉間に寄った皺には禍々しさの臭気漂う。薄く湾曲に開いた口元から覗く細く白い上下四本づつに並ぶ牙の奥、喉がくつくつ茹るあがる。その後に口を動かすが、出てくる言葉は理解できるものではなかった。
三対の翼が空に広がり、震え、人の頭ほどある四つの光の球を産み落とし下二対は垂れ下がった。地面に転がった光を、女神は容赦なく踏みつけ、あるものは白の刃で貫く。光の球の中から、こぼれ落ちる液体は卵の白身のように無色透明でドロドロとしている。その奥に蠢くものが、ショートの目を一時、止めた。
「ひっ、」
奥にあったのは、手だ。爪がかけ、指の長さが揃っていない不格好な手が一本、その奥からまた一本。その次に煤け濡れた丸いものと、首肩が出てくればそれが何なのか嫌でも想像はつく。
人だ。あの光の球は、人の卵だ。それも生きているとは言い難い死人の卵。光のどこに這いずり出した身体があったのか、白いのっぺりとした身体の大きな男たちが四体。湿った身体は外気の元、白い湯気を立てて立ち上がる。
顔の部分に黒く爛れた煙が渦巻くもの、身体のあちこちに不自然な凹凸あるもの、両腕がないもの、そして後頭部が凹んでいるもの。それらは女神の元におぼつかない足取りで集まった。
光から這いずり生まれた者たちをショートは知っている。呼吸の術を忘れ、頭の中ぎぼんやりと滲んで行ってもゆらゆら身体を不安定に揺らす姿は鮮烈に色づいて、そこだけにしか意識がないようだ。その意識を置き去りに胸か頭か、肉体の中のどこか深いところでぎゅるぎゅる音を立てる螺子がある。それが、様々な感情を巻き込んで穴を穿ってゆく。そのせいか、身体の表面に上がるのは無だけ。
「おじちゃん……」
それだけをようやっと口にできたけれど、それだけ。ショートは自分というものの形がわからない。
青白い光の針が両腕のない身体を貫き、その奥にいる女神を捉えても、不自然な凹凸は割り込み無理矢理青白い光を押さえ込む。黒く爛れた煙を自ら叩くと、分厚い鐘の音が走る雷を呼ぶ。リーシャの周りを取り囲んだ弾ける火花は赤い夕日の中、一際白く光った。
意地の悪い無邪気なはにかみには花が咲きそうであるるのに、女神の手の中には花に似つかわしくはない月の薄さと太陽の熱さを持った刃がしっかりと握られている。裸足の足先が軽やかに進み火花に炙られ逃げようにも逃げられないリーシャの前に立った。ショートは、その時ずっと女神を見ていた。地面を握ったはずの手の中、ぶよぶよの触感に驚き手を広げ見ると、土とも物体とも取れる何かを握っている。酷い臭いがして、それとリーシャとが重なってしまいたまらず立ち上がって女神の腰に飛びつく。細い腰は暖かかった。
「やめてそんな事したら、だって、でも、ねぇ! あんたは誰なんだよ!」
鬱陶しいと見下ろす双眸の中に溢れた新緑は見慣れたものであるのに、身体の厚さや骨のゴツゴツとした逞しさは無くなってしまったのに、ショートにはどうしても両腕で回した腰と、幼い頃抱き上げてもらい腕を回した首が全くの別人であるとは不思議と思えなかった。それどころか、似ていない箇所よりも目に着く程に似ている部分は際立って目で追いかけてしまう。額を力一杯に押しやる左手の平は、額を撫でる手の平と違っていてそれでいて同じ。
何と言っているかわからないがキーキーと罵倒しているだろう事だけはわかる激しさで女神は鳴くがショートは離れなかった。リーシャとエースの関係など、良くは知らない。だが、彼女を傷つけたらばエースはきっと悲しむ。それだのことで絶対に離さないと決断は固い。
周りから死人の手が伸びて無理矢理ショートを引き剥がそうとしてきた腕に噛みつく。鐘の音を鳴らし、血管を破裂させそうな痛みが頭から足の先まで駆け抜けても、身体中を巡る血潮の勢いは増すばかり。不自然な凹凸の一つ一つに赤黒い染み浮かぶ手が炎を纏ってショートに近づいても、目を強く瞑って手を歯を離さなかった。首筋の産毛が燃える痛みがあった、しかしすぐに遠ざかる。理由は、フードの中に身を硬くして隠れていたカルアーだ。
聞いたことのない激しい唸りは、身体の大きな獣のよう。耳元で聞いたショートの心臓は驚き慄き跳ねる。近づく炎の両手を一喝で肉片に分解した黒い毛の精霊は、三つ目で女神を睨み見上げ不機嫌な顔に飛びかかった。
「カルアー!」
黒い毛と白い肌が入り乱れ、しかし混ざること無くお互いの輪郭をしっかりと保ち続ける。腕ではね上げられたカルアーは自ら宙に舞ったのだと言わんばかりに女神の首の後、光の卵を産み落としてから垂れ下がったままの羽の一番下の一枚に噛みつき爪を立て、半ばから砕いた。心安らかなうっとりといつまでも聞きぼれていたくなる音の意味は破壊。精緻なガラス細工は地面に触れた途端に光の泡となって溶けていく。その途端、凹凸の手も身体もあるべき死人の姿に戻り腐った臭いの物体は倒れ伏し動かなくなった。
また隣の一枚の羽にカルアーは狙いをつけ上下四本づつの牙を食い込ませる。心地の良い音は鳴り止まない。そこに女神の苦痛の悲鳴が加わればさらに神秘的な音楽へと変わっていく。
心は勝手に耳をすまして深く深く美しい音楽を聴きたがるけれど、ショートは暴れる女神にしがみつく事で精一杯だった。
ふんふん鼻息荒げカルアーは一対の羽を砕き切ったところで、突き飛ばされた。頭上を飛んでいく黒い丸まった毛玉を目で追いかけ、それでも気になって首を回す。すでに夕陽も落ち掛け黒に染まった赤の名残の上に転がった柔らかい身体。駆け寄りたかったのだけれど、腹を鈍く蹴られ息の詰まる鈍痛にとうとう腕を離してしまった。腹を抱え蹲るショートだけに白い光は降り注ぐ。振り上げた白い刃の下、怒りに形相を悪鬼の如く歪め、それでもやはり見目麗しく剥き出しになった上下に二本づつの牙は白く艶めき指でなぞりたくなる誘惑を抱かせる。だが、それは無理な願いだ。腹の痛みを忘れ、ぼんやりと現実から切り離された心は清浄な白い光と怒れる女神を両膝を地に見上げていると何もかも空っぽの中身が満たされる。けれど、
「おとーさん」
無意識に呟くのは、ただ一人。似ていない部分も似ている部分も混ざり合って、部分的にすら取り出せないというのに追いかけてしまう面影。ショートの胸は、血潮とは違う熱く飛び出しそうな勢いのある感情で刹那詰まり、だが押さえ込むことは出来ずに叫ぶ。
「おとーさん!」
白い刃が落ちてきた。
目を離さずに、迫る月の細さにも負けじと、振るう者だけを見つめ続ける。太陽の熱が見上げた顔を炙り、目を痛めた。それでも、ショートはさらに瞼を広げて、目玉を自ら炙った。
振り下ろされた刃を止めた左手は、まごうことなく女神自身のもの。重なると右と左とでは色味に違いがある事が際立って良くわかる。力と力の反発は刃先を揺らし、唸る声は首を振るが左手はゆっくりと月の細さの刃をショートから離した位置に下ろす。癇癪を起こし喚き出した女神は、いくつかの呼吸の合間静かに左手を睨みつけていたが、徐々に不思議そうな顔つきに、無邪気な好奇心に頬を染めてしまいにはショートを見下ろす。ゆっくりと口を開いたが、何もなかった。そして、また口を動かし音の頭が出てきた瞬間、静けさを震わせる大きな音。それに遅れて、音を吐き出しかけた女神がようやく吐き出したのは、生暖かい赤の液体だった。




