如何にして 11
ひっつく瞼を無理やり開ける。開けることができたのだから、ショートはここに居るらしい。枕元で鼻息をふすふすたてるカルアーの耳の付け根に生えたふわふわの毛が視界をくすぐる。
「生きてるよ、俺」
ベッドの上で身体を起こし、変わらずの景色の窓を眺める。心臓は動き、呼吸をして、食べて寝て、また朝を迎えて。疲れた身体はそれらのサイクルを繰り返し、続いている。
「でも、精霊は死んだんだ」
かけた精霊石は、指を弾いてもただの冷たい石のまま。
「悲しいね」
三つ目を細め、カルアーはないた。
アンリに呼び出され久方に顔を見ると、初対面のぎこちなさをショートは思い出し気持ちは後ろに下がる。遠目から忙しそうに早歩きをしている所を何度か見かけた時にはそんな事にはならなかったのだが、こうしてしっかりと同じ空間を共有しているのとはわけが違うようだ。
「やぁやぁどうだいお前、少しは目が覚めたかい」
「はぁ」
散らかった大きな机は、ショートの足りない審美眼で査定しても古く安い。椅子もよく見ればパイプ椅子であり、机の上に所構わず転がっているボールペンはどれも同じ姿をしていた。綺麗な顔を子供っぽく歯を出して笑い、ショートの平坦な相槌に口をすぐさまへの字にかえる。片眉は文句に上がり、ショートの隣につんと鼻を上げて立っていたリーシャを不満をぶつけた。
「きちんと面倒見ろって。それが、保護の約束だろぉ?」
態度もツンと、リーシャの凍った双眸はショートとアンリの表面をなぞるだけなぞって、すぐにアンリの背後にある窓の外を澄まし顔で眺める。
「見てるじゃない。3食きっちり食べさせて、自由を与えて、無理に矯正だってしてない。アンリから見て変わらないというのならそれはこの子が自ら変わろうとしなかったせいだし、それでもと言うのならあんたが教えてあげたら? あんたと違って生きてれば、それでいいのよね私は。でもね、死んだってそれはそれでいい、前にそう言ったわよね」
ぼんやりとしていたショートは意識を突然引っ叩かれ、慌てて耳の穴から勝手に入って抜けていった会話の端々をかきあつめ、曖昧に頷いておく。
「お前ってやつは、まじで日々嫌なババアになってくよ。やめてくれよ、ヒステリックもシンデラレ症候群も。憎しみは生まれても感動は生まれんぞ」
辛そうに目の前の書類の紙切れに目を落としたアンリを睨んだ憤怒の化粧に染まったリーシャの顔は、実年齢よりある角度では若く、ある角度では老いて見えたし、可愛らしくも醜くもあった。
ガーランドに買い与えてもらったフードの中は落ち着かないくせに、度々中で丸くなるカルアーの大きな欠伸の空気が呑気に抜ける。
「ま、いいか。へいへい、お前なんて言うんだっけ」
誰も答えずに生まれてしまったしばしの沈黙の中をカルアーの半ば寝言は過ぎ去っていく。残響もなくなり果て、沈黙も目を閉じるその時、咳払いをしたアンリに急かされ「ショート」と呟く。
「ショート、ショートね。何が短いんだお前、身長か命か、それともあっちか?」
「あっち?」
どんなに美しい造形をしていようと、その意志が汚らしいのであれば造形をも汚す、と言う事をショートは初めて知った。濁音の笑い声は、通りが悪く耳にうるさい。
「短かろうが成せる事は成せる。気にするな、で、だ。こんなくだらない話をしたいわけじゃなくてだなお前、ショート君、いい話と悪い話どちらがお好みだ?」
「そりゃ、」
「いい話だよなぁ、悪い話を好むやつはナルシストだ」
唇を大きく弓形に象る。
「じゃあ、せっかくだからいい話から行こうか。これってさ、お前の知り合い? 女神様って崇められてるらしいぞ、それお前が着てたのと同じ軍服だろ」
ぞんざいにアンリは机の上を払った。
机の端に素知らぬ顔をして存在していた紙の束を床に撒き散らされ、立ったまま見下ろす。それは、写真だった。世界をブロックで映し取った荒々しいしものばかりで何を写しているのかは分かっても、そこに見出せる事はない。だが、そのうちの一枚まるでショートを見上げるかごとく足先に落ちた写真は、はっきりと鮮明に物事を切り取り、違う事なく輪郭を一筆書きしている。
「た、いちょう?」
壊れた建物、燃え上がる炎、どこかが足りない人の身体を片手に持ち、遠くを見る新緑の瞳。その横顔は、間違いなくエースだ、だが、しかし。
「うす、い?」
床に散らばった写真をかき集め切り取られた時間の中に置き去りにされた人物を見ると、どれもやはり身体は薄い。それだけではない、頬や首の輪郭のなんと儚いことか。これでは単なる花だ。細い首をさらに締め付け食い込む白い石のついた細工の首飾りがよく合うなど、あるはずもない。
なによりも、ショートが一番に信じられなかった切り取られた時間は、笑った表情だ。
「違う、誰だよこれ」
漲った力は荒々しく熱く。久方に身体全体を駆け巡る血潮。握りしめた写真に映った、エースの面影ある誰かの首の後から伸びた六対のガラス細工で作られた精緻な芸術家の魂がそこにあるような透明な翅は人のものでは無い。
「アセリア」
「違う! 隊長はこんな、こんな顔で笑わない!」
触りたくもないと床に放置された嗜虐と混沌に輝く恍惚の三日月。唇から尖った牙の先端をのぞかせる微笑みは確かに人々の想像を具現化したのならば、そのように造られるだろう目を奪い独占してしまいたくなる強烈な美だ。しかし、ショートの血潮はそんな事では眩まず、ひたすらに煮えたぎる。
「こんな、あり得ない。そうだろ、あんただって知ってるんだろ!? エース隊長はさ、こんな死で際立つ笑い方なんてしないだろ。もっと、もっとさ、」
強く願い、強く求めた否定。
リーシャは、曖昧にもくれはしない。膝をつき、残った写真を手にきつい猫目はショートに向けられる拒絶を失い、代わりに惑い真実を探し弱くなる。
「幼い頃とよく似てる」
「だから――、」
会話を割った打撃音は空気を伝ってフードの中で身を固く小さくしていたカルアーを飛びあがらせた。
「なんだっていい! 悪い話だ、外側が言うにそいつはまさに女神様ってやつだ。突然空から降ってきて丸々殺し尽くしたんだよ、お供に首無し従者どもを引き連れて前線は今や壊滅、境界線に踏み込まれた!」
写真を胸に抱えたリーシャは、見た目相応の恐れを知った年若い女性の顔をしていた。
「そんな、うそ」
「まだ一部分の崩壊だがな、このままにしておけば心臓を、境界線の真ん中を奪われる。そんな事されちゃあ困るんだよ。俺はさ、そこにある神だかなんだか言われてるもんを壊したいんだ! その女神とやらを殺す、これが俺たちに与えられたお上からの指示だ」
他人だとエースでは無いと言ったくせに、ショートの心臓はアンリに握りつぶされてしまった。どくどく激しい雨滴に満遍なく打たれ痛んだ。
太陽の熱い眼差しに気がついたのは、つい最近のことだ。それまではずっと物憂げな冬の腕に包まれていたはずであるのに、いつの間にか一方的な期待に白く明るく照らし出され、否応なしに舞台に引き摺り出された気分だ。
時間は流れ、取り戻せない。
流れる汗はまるで治らぬショートの血潮なのか、熱くとめどなく全身を伝い服に染みを作った。それでも、カルアーの定位置はショートの羽織るパーカーのフードの中だ。暑ければ離れればいいのに、黒い毛の先端を太陽に焼かれ全体的に香ばし色に変わった気がした。
「ほら」
水飲み場で身をかがめフードの中からカルアーを引っ張りだす。熱い毛皮に手のひらを焼かれてしまいそうだ。急いで水を出してやると、太陽の一方的な好奇心すらも包み込む柔軟な水は、何を飾るでもなくただあるがままで美しい。その美しいものを、カルアーの小さな舌は舐め取り、しまいには頭から被る。黒い毛に弾かれた水滴が刹那、宙を転がり落ちて流麗にながら行く。しばらくその様子を黙って見つめていたショートも、頭の天辺がいよいよ馬鹿になるほどかっかっと焼かれカルアーの横で水を被った。
くすぐったい水の指先が、火照った頭皮を優しくすいていく。気持ちがよかった。それでもショートの中には、絶えることなく燃える血潮は巡る。
写真に映った美しい姿。ショートの国は、それを女神と呼んで中には崇めている者もいるらしい。変わって、ショートが今いる国は、悪魔だとか化け物だとか皮肉って同じように女神様と呼んでいる。ただ共通していることは、死を纏う姿こそが美しい、とただそれだけ。美の体現は、不規則に戦場に降り立ち拮抗保つ境界線の上を踏み荒らしては飛び去り、未だに触れる事は愚かしっかりと全身像を生の目で見たものはこの国にはほとんどいない。
皮膚に十分冷が行き渡り、顔を上げ頭を振るう。真似したわけではないだろうが、カルアーも頭から尻尾の先まで毛を震わせフードの中に戻っていった。
空を見上げると、透けているのに底が見通せない深い深い蒼穹が今にもショートの全てを巻き込んで渦を巻き出しそうだ。伸びをすると服がキツイ。これで何度目だろう、新しい服を支給してもらうのは。
「また伸びた」
伸ばした手裾から腕がはみ出ていた。




