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如何にして 10

「見れるようになったじゃねーか」

 片手にぶら下げた白い袋の口から覗く赤と花柄。その下で潰された光沢は、それでも気高い。身なりに関してショートは無知であると短い時間に突きつけられたのだが、それでも何が良くて悪いのか、どうして赤いシャツではだめだったのか、その理由を理解できたとは言えない。

 色の薄いジーンズと、どこかはわからずともどこでも見かける雑草花そっくりな色のロングTシャツ。首の裏を隠す為にと選ばれた若草色のパーカーもあいまって、ショートの気分は雑草だ。カルアーはパーカーのフードの中に居るが、あまり居心地は良くないのかむずむずと先ほどから身の置き場を微調整して落着きが無い。そのせいで、空気が行ったり来たり、ひと時留まり暖かくなったり忙しなく入れ替わったりと、首の後ろの空気の循環も忙しなかった。

「クロちゃんそこに入られるとさ、こいつの後ろが丸見えなんだわ。出来れば肩に落ち着いて欲しいんだが、どうだろう」

 ようやく落ち着いたと思ったのにガーランドが上からまんまるの目を覗き込んだせいで、またもぞもぞとフードが揺れる。仕方なく、もともと着せられていたジャンパーを羽織った。視界が暗くなったせいだろうか、カルアーはすぐに落ち着く。

「あいつのセンスはまじでわからん。だからと言って俺のセンスがいいかと言われればそれもまたわからんが、お母様には褒められたことはある。赤シャツ花柄と並んで歩くよりましだ」

 服としての意義をなしているのであれば赤だろうが花柄だろうがショート「ら問題は無い。相容れなさそうな気はしたが。

 肩は緩かったし、ズボンも固くベルトで締め付ける事も無い。エースやガーランドと比べるとショートの胸板の厚さなど紙も同然ではあるけれど、支給されていた制服は必ず身体のどこかが自由と不自由の境界線の上にある。その窮屈にならない窮屈さがガーランドの選んだ服にはない。

 顔を上げ辺りを見渡すと、街中で雑音を歌い歩く人は誰もがそういった、窮屈からはほど遠い服装ばかり。中には、規律を服にしたスーツ姿の人もいたけれど、しかしだからと言って不自由と自由の間に身を置いているようには見えない。では、ショートの居た国の軍に支給された服以外は無かったのかといえば、違う。違うけれど、その服には窮屈は無かったけれど自由は無い。

「こんなにも違う」

「なにが」

 ただの感慨は、思いのほか意思を滲ませガーランドに受け取られ応答はかえってきてしまい仕方なく腹の中にある物を一つ、一つ確かめながら吐き出していく。

「服とか、食べ物とか。あと、そう街の様子とか、神様とか……境界線一本の事なのに」

 気持ちのいい作業ではなかったし、言葉にする行為はとても疲れる。言い足りなさはあったが、それ以上何かを考える事も伝える為に、それについて詳しく自らのうちにもぐりこんでいく事もひどく疲れて出来そうに無い。溜息は疲労の確認でしか無く、一息吐き出してしまえば前頭は重たくなってショートは俯く。この国に来て支給されたブーツに安心を覚えた。

「そら俺とお前、前提条件が違うだろ。内側と外側、それぞれ同じであるならわざわざ争う理由もない。内側に入れればいいことがる、いいことが欲しくて俺たちは必死に相手から血を吸ってんだよ。今に始まった事じゃ無いだろ」

 片手を腰に、ガーランドは不動山の存在を声に変えた。

「神だかなんだかしらんがアレを殺さなくたっていい。境界線があって外側と内側があって、優劣のある今のままでいい。俺はアンリの言う境界線の廃止を歓迎しない。このままでいい、あまり難しい事なんて考えたくも無いね」

 神が居なくては誰に従えばいいのか迷うショートもその点ではどちらかと言えば多分、同意だった。多分とどっち付かずで行先を濁してしまっているショート自身は家を持たなず彷徨う人とそう変わらないか、もしくはもっともっと低俗な、否、ショートは思い直す。

「獣だ」

 獣になった。

 人ではなく獣になって神に従僕したのだから劣っていて当然だ。獣であると再度思い出した瞬間、カルアーは首の後ろを甘く噛む。痛くは無いが、精霊石の欠けた部分を齧られた音が身体を伝って聴こえる。

 その音は、声になり獣の仮面の下にそぉっと囁く。

「……人だ」

 エースはどちらだったのだろう。遮られる事なく辺りを見渡す顔を擦ると乾燥した痛みがあった。


 特にそのあとの行動といえば、あっちにつれられこっちにつれられ、会話も弾まず土塊が二つ歩いてる様なもので、時々店に立ち寄ってもすぐに出たり入ったり。ガーランドは買い物をしていたのに気づいたが興味もなく、フードの中で伸びたカルアーの息遣いを慎重に拾い集め真似をしていた。

 控えめに息を吸い込むと見せかけて、肺の隅々まで酸素を巡らせ、大胆に吐き出すと思えば止めたりゆるゆると揺れる鼻息にしたり、長い時間を使って吐く。その繰り返しは、眠気を誘う。歩き出しは気にならなかった足はある一線を超えると急激に持ち上げるのも引きずるのも大変になり熱の疼きは痛む。

「ちょっと休むか」

 飛ぶ燕の激しさはガーランドの目尻にあった。横目を落とし、すぐに跳ね上げ一人で翠の屋根の木製造りの店舗に入ってしまう。丸窓から中を覗くと、窓際の棚に並んだパン。匂いを嗅ぎ分けなくとも、もっちりとしたバターの香りが鼻に五月蝿いほど漂っていた。

 閉じようと気を抜いた扉を無理やり開き、先に入っていったガーランドを探す。大きな身体はすぐに見つかった。外観と似た丸い木製のテーブルと角も足も丸い木製の椅子。どちらも木で造られていると一目でわかるが色味は人工的な翠白っぽさと茶っぽさに濡れている。ガーランドの前に座り艶々のテーブルを覗き込むと、そこはまるで水面。水面の中にある鏡の世界の中で、透けたショートは疲れ切った顔をしていたし、首の後ろから顔を出すカルアーは大きな欠伸をして上下それぞれ四本づつの牙はよく見えた。

 すぐに頭を顎の下に潜り込ませ、カルアーはショートよりも貪欲にガーランドの見ているメニュー表を丸い手で叩く。乾燥した唇を撫でる耳先に自動的に空いた口は先端の黒い毛を喰むと香ばしい匂いを吸い出す。

「お前、それ美味いの? クロちゃん風呂入ってるとこ見た事ないけどよ」

「まずくは、ない。香ばしい」

「きったねぇなぁ」

 背中の丁度手の届かない位置がむず痒いと言わんばかりに身体を捩ったガーランドの、くしゃみが出そうで出ないすっきりとしない顔は遠くにあるようだ。ショートは黒い耳の毛先を口に含んだまま聞いた。

「あんたたちは、どうやって力を使ってる?」

 メニューとそれを叩く丸い前足を交互に見ていたガーランドはあからさまに顔つきを変えた。

 わかりやすい変化は、わかりやすい威圧感と敵愾心で迎え撃つ相手を拘束しようと見えない鎖を勢いよく放つ。避ける事も流す事も出来ずに大人しく捕まったショートの心臓は、瞬間縮こまり、刹那動き出す。胸元の音は、内から聞こえてくるものなのか、それとも外の空気を振動させ聞こえてくるものなのか、はたまた大きな音をたてているのは知らない誰かの心臓かもしれない、そんな事にすら脳みそはついていけない。

 今のショートを占めているのは恐怖ではない、かと言って反抗でもない。神を前にする従僕と変わらない。

「なぜそんな事を聞く」

 考える余分な隙間は身の丈のどこを探してもない。叩いたら泣く子供と同じ、口からでた反射。

「気になったから」

 猜疑心は目に宿った。目の中にある空の中には、嘘偽りを見抜く神がいる。

「なぁ、お前はクロちゃんの事を何だと思ってる?」

「カルアー?」

 顎の骨の手前、柔らかな顎の肉に一点、濡れた感触は突くせいで顔を動かせない。手探りに指が食い込む柔らかな毛玉を持ち上げる。手のひらにドクドク脈打つ熱。三つの瞬き、命の眼差しは揺れる事なくショートを見つめる。脱力した後ろ足と尻尾の微かに震えていたが、本当に震えていたのはショートの両腕だった。

「猫、ではないと思う」

「猫じゃねーだろ。三つ目の猫なんて見た事あんのかよ」

 首を傾げ傾げ、明後日の記憶を思い出す。

 鴉はよく見た。死体のそばにいる鳥は、大小なんであれショートにとって鴉だ。それしか鳥の名前は知らない。

 犬もたまに見た。鴉との間合いは貪欲な空腹で、鴉も犬もいつもいつも死体よりもお互いの肉を欲していた。そして、猫はショートのそばに居たのだろうかそれとも居なかったのだろうか。幼かった頃はネズミの尻尾を追いかける事はよくあったけれど、その時に出会うのはショートと同じ形をした獣だけ。そんなんでも、猫という生き物をなんとなく理解しているのは、エースが時折部屋に匿っていた事を知っているからだ。近くで見せてもらう事はなかったが、幾度かエースの部屋からカルアーとよく似た鳴き声が漏れてきた事があった。

「や、まてよ」 

 ふと、ショートはカルアーの三つ目を覗き込む。覚えている、エースの自室、細く開いたドアの隙間から覗いた小さく丸っこい黒い足。覗くつもりはなかったショートをドアの内側から覗く人ではない目玉。

 興味津々に輝いた三つ目の瞬き。

「カルアーは、猫だ」

 テーブルにカルアーをゆっくりと置いて丸い前足を一本、手のひらに包む。しっとりとした肉球の感触は人の汗ばんだ肌のよう。

「猫じゃねぇって。三つ目の猫は化けもんだ。クロちゃんは精霊だよ精霊。お前らヒニャがどうやってんのかは知らんけど石にして身体に埋め込む、大元だ」

 小さくとも軸のしっかり通ったカルアーの鳴く声。背後から尻尾を触ろうとしたガーランドは、毛先の温度も知ることは出来ずに終わった。悔しそうな彼の口は子供の我儘に蓋をした様に少し尖り、しかし日々の摩耗した精神的な疲労によるため息は大人にしか出せない音色をしている。諦めの早くテーブルに肘をついて残念そうに肩を落としても、ショートとの身長の差が埋まる事はほぼ無かった。

「精霊? カルアーが、精霊?」

 黒い毛に覆われた頬を両の手で挟み、力加減を間違えぬよう揉み込む。三つ目はすぐにうっとりと蕩けていった。

「そうだよ。お前さ首に精霊を押し込んでるくせに見たことないのかよ。この辺には結構いるぜ、カルアーみたいな野良」

「野良……」

 たっぷりと溜め込んだ鼻息を一度で吐き出し意味もなく舌で口の周りを舐め回すカルアーは、三つのうち一番上にある一つ目を意味ありげに細める。

「アンリが契約したがってて長らく口説いてたけど、きっと無理だな。クロちゃんのお気に入りは、お前だ」

 煌めく命をショートは知らないし見た事もない。カルアーの三つ目は、知らないもの知っているものと錯覚させてしまう、もしくは気づかせる。さらに、もしかしたら、と抱いてしまった期待にショートは己の胸にそうとわからぬように片手を当てる。

「精霊ってこんなに近くにいるんだ」

 指先を一本、カルアーの鼻先に持っていく。引き寄せられた鼻息は肉と爪との境目をほんのり湿らす。

「お前さ、なんも知らないんだな。自分の国の事も、俺たちの事も、自分のことも、なぁんも」

 口をしっかりと閉じたものの、ショートは特別知らない事について思い馳せていたわけでも、悲しみを抱いた訳でもない。ただ、そりゃそうだ、と頷いた気になっているだけ。反応を期待するガーランドに応えるには感情の揺れ幅はあまりにも平坦すぎた。

 なにも知らない馬鹿にした目で見下ろされても、反論もなければ無知を恐る理由もない。当然、羞恥心も疼かない。

「知らなくたっていいんだよ、神様に従ってればいいんだから」

 閉じかけた唇の僅かに開いた隙間から、吐息を押し退けて目立ちたがる閃き。

「いや、知ったら駄目なんだと思う、きっと」

 細々、隅々、ショートの知らない事をたくさん知っていそうなエースはそれでも平和を笑みに変えていたのだろうか。カルアーの髭を指先で弾きながら頭の中の生ぬるい水場に浸っているショートの前でガーランドが汚濁の中を覗き込む嫌悪の相を浮かべた。

「なんつーか、お前にはお前が居ないようて気持ち悪いよ。なんだ、しゃべる石ころの相手をしてるみたいだお前ってやつは」

 そう言われても気を害するでもなく、かと言って喜ぶでもなくショートはただ疲れていた。

 何も言わないショートに何を思ったのかはわからないが、隠すことのない舌打ちは石と石の張り合いに似て、鋭く軽くどこか安っぽい。

「お前たちは精霊を石にして首に埋め込みそこから力を引き出し使う。俺たちは精霊と契約して力を借りる。そういうこった」

 聞いた話から見えた曖昧な想像。ショートの貧相なイメージでは不鮮明ではあれど、言葉の意味はりかいできた。だからといって、得心するほどの理解をしたとは言い難い。朧げにショートの中に残ってしまったイメージについてもう少し深く考えたいのだが、ショートの中の疲れはそれを許さない。胸と肺に穴がいつからか開いていて、そこから体温に似ている気体でありながら液体の輪郭は抜けていく。慣れ切ってしまった虚脱感がなくなるには穴を塞ぐのかそれとも何かを満たすのか、どちらが良いのかしばらくは頭を悩ませたものの答えが出る前に疲れてやめてしまった。その代わりにカルアーの胸元を指先でくすぐる。上下四本づつの牙は指を甘く噛んだ。その指で首の後ろを撫でるとフードに埋もれてかけた精霊石の感触。そうしてから、なんとなくだが染みてくるものがある。

「ああ、そっか。死んだのか」

 だから何もできなくなってしまった。力も使えない、何も考えられない行動もできない。ショートは今、自分が一体なんなのかはっきりとわからなくなってしまった。

「やっぱお前さ、色々と軽いな。まぁ、だからってうちの連中もどうかと思うけどな。だからこそ、境界線はあったままの方がいいんだ」

 それから何を話したのかはぼんやりしていて覚えていない。ガーランドが食べさせてくれた甘いものだとか渋い飲み物だとか舌は覚えているらしいが、曖昧な残り香だ。

 ショートはベッドの中で元々疲れていた身体が不思議と軽くなり何か意識のようなものまでも薄く薄く伸びて窓から外へ伸びて色を無くしていくそんな夢を見た。どんどんと色を無くしていく自身の体を見下ろしても、なんとも思わないのに。

「生きろよ」

 そう声が聞こえた途端、何もかもが無くなっていく事に申し訳なくなった。

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