ザーク家の姉弟
そんな話があった2日後、件の姉弟がやってきた。
子供とはいえ、上位貴族の家の人間が来る場合は玄関で待つのが礼儀なため、リミルリはハルモアとメイドの列の奥へ並んで待っている。
「お父さま、まだ帰って来られないのですね」
「あと数日はかかると思うわ」
母の答えを聞き、ハルモアは嫌な予感がする。
サマンタルア卿は、少女には甘いが少年相手だとかなり厳しい。男子は跡を取るため、甘やかせると今後の貴族たちに悪影響を与えてしまい、ひいては国のためにならないからだ。シュカの弟がどのような人物かは知らないが、もし問題児であったならば、きっと叱ってくれるはずだ。
こうなったらシュカの弟が、姉とは違い真面目であることを祈るしかない。
玄関の扉が開くやいなや、栗色の長い髪を纏めた少女が玄関ホールを駆けてきた。好奇心旺盛なのか、大きな目を爛々とさせている愛らしい子だ。
「ハル! ハル! 久々ね!」
「相変わらず元気ね、シュカ」
「ええとっても! それよりハル、妹ができたんですって!?」
「遠縁の子よ。リミ、挨拶を」
ハルモアの後ろで控えていたリミルリがシュカの前へ歩み寄り、スカートを軽くつまみ挨拶をする。
「リミルリと申します。宜しくお願いします」
「あ、えっと、こちらこそ……」
そんなリミルリを見てシュカはなにか恥ずかしくなったようで、顔を赤くし俯く。
あのシュカでさえ大人しくさせるのかと、ハルモアは改めてリミルリに感心した。
「よくいらっしゃいました」
「あらサマンタルア夫人。お世話になるわ!」
ついでと言わんばかりに挨拶をするシュカに、サマンタルア夫人は苦笑する。いつものことだ。
「嫌っ」
「きゃあ!」
突然いくつかの悲鳴が。周囲を見るとメイドたちのスカートが次々とめくれ上がっていく。
「へへっ」
原因はひとりの少年が駆け回り、メイドたちの背後からスカートを跳ね上げていたのだ。
「きゃわっ」
ついにはハルモアのスカートまでめくり上げられた。そして少年は次のターゲットをリミルリにしようとする。
そんな少年の方へリミルリは向き、にこりと微笑んだ。
「うっ」
近付く自分に対し、恐怖や驚き、怒りの表情ではなく笑顔を向ける。今までにない反応に少年は一瞬怯んだ。
「こぉら! そういうことしちゃ駄目だって言ったでしょ!」
そのスキをついてシュカが少年を捕まえる。
「ごめんねハル、この子イタズラが過ぎて」
「全くよ、もう」
顔を真っ赤にさせスカートを抑えつつ、ハルモアは少年を睨む。
これが件のシュカの弟なのだ。シュカに似て可愛らしい顔をしているところが余計に憎たらしく思える。
『とんでもないガキきゃ。あとで噛んでやるきゃ』
(きゅきゅちゃん落ち着いて)
耳を後ろへくるんと回し攻撃モードになっているきゅきゅを指でくすぐるリミルリ。きゅきゅは怒りの方向をリミルリの指に変え、ガジガジと噛む。
「ほら挨拶なさい!」
「ふんっ」
シュカの言葉も聞かず少年はそっぽを向いた。
「全く、困った子ね」
ハルモアはお前が言うなと言いたげにシュカを見る。散々振り回せている困った子は今までシュカだったのだから。
それにしても嫌な予感は当たったものだ。あとで父へ報告せねばならない。
「それではお部屋へご案内……」
「大丈夫! このままハルの部屋に行くから! リミルリもね!」
「あっ、ちょっと」
メイドの話を切り、シュカはリミルリとハルモアの腕に自分の腕をからませると、引きずるように連れて行った。弟がこの場にいようとこういうところは変わらない。
「さて、それじゃあリミルリ! あなたのお話を聞かせてちょうだい!」
「私のですか?」
「ええ! どこから来たの? どんな生活をしていたの?」
質問攻めだ。だがこの辺りは既に考え済み。ダクターフなんていう遠くの国の話なんて誰も確かめられないのだから、9、いや、10割きゅきゅの捏造だ。
「────このような感じです」
「素敵ね! さすが大国! 行ってみたい!」
どうやら疑われることなく喜んでもらえたようだ。
だがこのシュカ、本当に行ってしまいそうで怖い。とはいえ馬車では山脈を越えられないため、大きく迂回するか海を渡るしかない。片道2カ月はかかるだろう。
娘とはいえ貴族が往復4カ月も留守にできるわけがない。学校は義務だし、卒業したら社交や業務がある。娘であれば結婚をするだろうが、そうなると余計に社交が重要になってしまう。
さすがのシュカも羨ましそうな顔で話を聞くのがせいぜいである。最終手段としてダクターフの貴族と結婚するという手を除いたら。
「どう? シュカ。ワタクシの妹は」
「とても素晴らしいわ! うちの弟と交換しましょ!」
「絶対に嫌よ。リミとじゃ釣り合いがとれないじゃない」
「でも弟と一緒になればザーク家はあなたのものよ?」
「ワタクシにはザーク家よりもリミのほうが魅力的だもの」
ハルモアはリミルリをぎゅっと抱きしめる。なにせ一目惚れした相手が手に入ったのだ。たかだかやんちゃなオスガキ程度では手放す理由にならない。
「そうだわ、せっかく晴れているんですから、テラスでお茶を飲みながら話の続きをしない?」
最近雨続きのなか、久々の晴れ間だ。風も心地いいから部屋よりも外のほうがいい。
「それはいいわね。リミ、行きましょ」
リミルリは笑顔のまま少し頭を傾けた。
「リミルリ……私もリミって呼んでいい? あなた本当に素敵ね! とても優雅で美しいわ! こんなに綺麗な子、見たことない!」
どうやらきゅきゅの指導は他の貴族の少女のお眼鏡にもかなったようだ。満足げにきゅきゅはリミルリの耳にすんすんと鼻を近付ける。
『リミはモテモテきゃ』
(そんなんじゃないよぉ)
きゅきゅが茶化しつつ、一同は部屋を出てテラスへ向かう。
部屋を出たところ、待ち構えていたかのように少年が背後から駆け寄ってくる。
気付いて振り返るハルモアとシュカ。だがそのときには既に少年の手はリミルリのスカートに触れそうなところだった。
あとは手を上げるだけ。その瞬間リミルリは身を翻しつつ、ハルモアの陰になるよう半歩下がった。少年の手は虚しく空を切り、勢いのままつんのめった。
「まだ懲りてないの? この悪戯小僧!」
シュカが少年の頭をはたくと、少年は頭を押さえながらぎろりと睨み、走り去っていってしまった。
「危なかったわね、リミ」
「大丈夫です。気付いていましたから」
ギリギリのところで華麗にかわす。きゅきゅの指導の賜物だが、これがよくなかった。
もしこれを見ていたのが戦いの達人だったのならば、きっとこの実力に気付き警戒しただろう。しかし相手はただの子供。今のを「もう少しでできた」と、勘違いしてしまったのだ。
それから少年は執拗にリミルリを狙うようになった。
駆け寄るのが駄目なら隠れて襲う。少年はものの陰に身を潜め、リミルリが通り過ぎたところで背後から飛び掛かる。
だがきゅきゅに鍛えられたリミルリが少年如きの気配を察することができないはずもなく、尽くかわしていく。
「やはりリミは最高ね!」
「うん! 私もこんな妹欲しい!」
そこへハルモアとシュカがリミルリを守るようにまとわりつく。少年は悔しそうにその様子を物陰から眺めている。
『ほんとガキは鬱陶しいきゃ』
(私だって子供だよ)
『リミはかわいいからいいのきゃ』
きゅきゅのかわいければ許される論は他人にも使えるようだ。勿論選り好みはする。それこそ彼女がダブルスタンダードを自称する所以である。
翌日もまた性懲りもなく少年はリミルリに挑みかかるが、もちろんその全てはかわされてしまう。
『あいつスカートめくりに人生かけてるきゃ。変態貴族きゃ』
(あはは……)
きゅきゅですら呆れるほど、なにがそこまで彼を駆り立てるのか。
その日の昼下がり、少年が階段を降りていたところ、下の廊下にリミルリの姿を発見。しめたという感じに駆け出そうとするが、足をもつれさせて階段を踏み外し、頭から飛ぶように落ちてしまう。リミルリがこれをかわすのは容易いが、それでは大怪我をさせてしまうかもしれないと、落ちてきた少年を優しく抱きとめ、くるりと回った。
直線運動を回転運動へ変化させ、中央に収束させる。それにより互いにダメージを受けることなく止めることができるのだ。
少年は最初なにがおこったかわからなかったが、自分の顔がリミルリの胸にうずまっていることに気付くと、顔を破裂寸前まで真っ赤にさせた。
勢いが止まったところでリミルリは少年と離れ、にこりと微笑む。
「子供は元気なのが一番ですが、迷惑をかけていい歳はもう過ぎてますよ」
そう言い立ち去ったリミルリの後ろ姿を少年は呆然と立ちつくして見送った。
(あんなひとことでよかったの?)
『あれは「ひとに迷惑かけてんじゃねえよバブガキが」って言ったのきゃ。あの年ごろは子供扱いされると嫌がるから、お前は困ったガキだって突きつけてやるのも手なのきゃ』
特に大して歳の変わらない少女に言われたら効果が高い。
それ以来、少年は完全に静まってしまい、メイドの横を通り過ぎる際にもスカートをめくろうとはしなくなった。
「さすがワタクシのリミ! 素晴らしいわ!」
「ええ! あの子を大人しくさせられるなんて! やっぱ私の妹にしたい!」
それからハルモアとシュカはより一層リミルリにべったりするようになった。
これによりリミルリへの守りが強くなったわけだが、少年はリミルリの前へ姿を現さなくなった。