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続けて言いにくそうに殿下は言う。
「それに。今はまだ戻りにくいだろう?落ち着いてからで良い。あちらには『事情聴取と治療』という名目での滞在と伝えよう。気の済むまで居てくれて構わない。…むしろこのままずっとここに居て欲しいくらいだ。私の妻として、なんてな。」
有難いご配慮だ。
それでいて本気なんだか冗談なんだかわからないようなことを言う。
ドアがノックされ、エレナがお茶を運んでくれた。
殿下と私は離れ、いすに座ってエレナを部屋へ入れた。
「クレア様、ハーブティーをお持ちしました。遅くなり申し訳ありませんでした。ハーブを摘むところからはじめましたので中々に時間がかかってしまいましたね。殿下も同じものでよろしいでしょうか?」
まじめなようで少しおどけたような様子でエレナは殿下の返事を待たずにティーカップへお茶を注ぐ。
「それでは失礼致します。何かご用の際にはお呼びくださいませ。」
そう言って退室した。
お互い無言でお茶を飲み、お茶菓子を頬張る。
無言なのだが、居心地は悪くない。
気まずさがない。
窓辺に行き、外を眺めてみる。
昼間の活気が感じられる外の様子に日常を感じる。
昨日までの日常と、今日からの日常は私には同じようで全く違う。
なのに世界の日常は変わらずに、ここに存在することの何と不思議なことか。
「殿下。私は領地の改革を目指して日々邁進して参りました。これから多くの人々の日常生活は変わるでしょう。それは良くも悪くもです。全ての人に等しく幸せは訪れないというのは世の理なのでしょうか?誰かが笑うと、どこかで誰かが泣いている。そう思うと、私は何かを変えることも、自分が変わることも恐ろしくなりました。私が何かを行うことで、幸せにあった人が不幸になるかもしれない。私が何かを行うことで、幸せになる人もいるかもしれない。より多くの人を幸せにできるのなら成すべきでしょう。でも不幸にしてしまう人がいるなら何もしないほうが本来あるべき日常なのかもしれないと思いはじめました。」
殿下はじっと私を見つめながら真剣に話しを聞いてくださる。
少し考えながら、殿下はまた私を正面からじっと目を見てこたえられる。
「私が思うに、だな。クレアがやろうとしている改革により、人々の生活水準は向上すると思うのだ。ベースが高くなるため、当然今と比較すると全体的には幸せであると言えるのではないか?今幸せな者が泣きをみる場面もあるかもしれないが、今の幸福度合いをベースにするとして、それが改革によって下がるというのは極少数だろう。ほとんどの者は現状より豊かな生活水準となる。その全体の中で今まで上位であった者が今後全体の平均的な水準になれば、全体から比較すると生活水準が下がったように感じるだろう。実際は向上していてもだ。その程度なのではないか?不幸にまで陥るような仕組みにはなるまい。クレアがやろうとしているのは幸せになるための仕組みだ。そこはブレてはいけない。」




