手がかりを求めて
「おまえから頼まれていたことだけど、調べてきたぞ」
翌日、居住区の外れにある公園のベンチに座り日光浴に耽っていると、通りの向こうからゴドウィンがやってきた。リデルは居住まいを正し、彼を迎える。
「ありがとう。早かったね。もう一日ぐらいかかるかと思っていたけど」
今日は依頼を受けていないためか、ゴドウィンは武器や防具の類を装備していなかった。いたって普通の服装だ。心なしか以前よりも身体が引き締まっているように見える。
「別に。スラムの連中に話を聞いて回るだけだ、そんなに時間はいらねえよ」
「その聞いて回ること自体が、俺からすれば大変なことなんだけどね。さすが、スラムの子どもたちを束ねていたボスなだけある」
「やめろ。昔の話だ」
あまり思い出したくないことらしい。ゴドウィンはリデルの隣に腰を下ろした。
「冒険者のほうはどう? もう魔物の討伐とかしている?」
「いや。まだ薬草採取とか、素材集めぐらいだ。ギルドの方針で、魔物討伐の依頼を受けられるのはもう少し先になってからなんだと」
「不満?」
「地味な作業は性に合わん。戦闘訓練はギルドの練習場でやってるけどな。そろそろ実戦も経験したい」
「君なら、ゴブリンぐらいだったら平気で殴り殺せそうだね」リデルは彼のたくましい腕の筋肉に目をやりながら、言う。「おじさんには止められそうだけど」
「毎日、家を出ようとするたびに言われるよ。無理をするな、死ぬな、だめだと思ったらすぐに冒険者なんてやめるんだぞ、って」
心底嫌そうにゴドウィンは顔を歪めた。
「心配され過ぎるのも大変だね」
「親父だって昔通った道だろうに。――それで、スラムの連中に聞きこんだ結果なんだが」
「うん、なにかめぼしい情報はあった?」
「そのジャンとかいうガキが殺されるところを目撃した奴はいなかった。そもそも、そいつやエルフのガキを見たっていう奴すらいなかった」
「隠蔽系の魔法をかけていたのかな」リデルは眉を顰める。「そのふたりの子どもが、前にもスラムに来ていたっていう話は?」
「そういう話も聞かなかった。茶髪のほうはともかく、エルフならそこそこ目立つ。フードを目深に被って顔を隠していたなら別だが、素顔を晒していたなら誰かしらの目には留まったはずだ」
「だよね。となると、スラムのほうからこの線を追うのは難しいか」
「ガキどもの目撃情報は得られなかったが、ひとつ気になる話が出た。これを見てくれ」
ゴドウィンがズボンのポケットからなにかを取り出す。大きな掌に乗せられていたのは、金属製のプレートだった。
「これ、冒険者プレートじゃないか。しかも、銀等級の」
冒険者にはランクが存在する。下から、銅、鉄、銀、金、白金、ミスリル、オリハルコンという順番になり、これは冒険者の強さや信頼性の高さを表す指標となる。当然、上のランクに上がれば上がるほど、高い難易度と報酬の依頼を受けられるようになる。銀等級ともなれば、持ち主はそれなりの実力者と言えるだろう。
「俺もスラムの浮浪者がこれを持っていたときには驚いた。なんでも少し前にスラムの路地で拾ったらしい」
「拾う? 冒険者プレートを?」
リデルは瞠目した。冒険者プレートは、冒険者にとってとても大切なもののはずだ。そう簡単に落としたりなくしたりするはずがない。もしあるとすれば、それはよっぽどのっぴきならない事態に陥った場合だろう。
手に持った冒険者プレートに視線を落とし、リデルはあることに気が付く。
「これを拾ったとき、近くで男の死体を見かけたとは言っていなかったか」
「そんな話は聞かなかった。……どうして男なんだ?」
「プレートに名前が刻まれているだろう。その名前なら、ギルドの依頼掲示板で見たことがある。行方不明者として、捜索依頼が出ている」
ゴドウィンが、冒険者プレートをまじまじと見つめる。「おまえ、よくおぼえているな」
「情報は大切だからね。普段からいろいろと見るようにしているんだ。それにしても、スラムで冒険者プレートを拾った、か」
リデルは腕を組み、遠くを見やる。
プレートが冒険者の手から離れて時間が経過しすぎていることから、過去夢は使えなかった。
「プレートがスラムで発見され、当の本人は行方不明……生きてると思うか」とゴドウィン。
「十中八九死んでるだろうね。病死か事故死か、それとも誰かに殺されたか。銀等級冒険者が殺されたっていうのは、にわかには信じがたいことだけど」
スラムは無法地帯だ。人の目も法も届かない。誰が誰を殺そうが、関心を示す者はいない。スラムに死体が転がれば、面倒を嫌う浮浪者たちがあっという間に隠滅を図る。スラムとはそういうところだった。人殺しにはもってこいの場所だろう。だからこそ、ジャンもそこで殺された。
「そのプレートを拾ったのは、いつのことだって?」
「珍しく〝天海〟が広がった日だって言うから、一週間前だな」
「あの日か」
なんらかの理由で海水が空を漂う現象のことを天海と言う。たまに海洋性の魔物が落ちてきたり、力の作用がなくなった海水が降ってきたりするため、異常気象のひとつとして認識されている。内陸のいくつかの都市では、新鮮な海の幸を得られるまたとない機会だとして、魔法使い総出で漁業に繰り出すところもあると聞く。
「そういえばラフィは初めて目にしたって言っていたな。子どもみたいにはしゃいでいた」
「その顔がかわいかったって言うのか。惚気話ならよそでやってくれ」
「そんなんじゃないよ」
「なんだ、まだそういう関係になっていなかったのか」
「その図体で、こういう話題を出されることにひどく違和感があるんだけど」
「ひっでえ偏見だな」ゴドウィンが豪快に笑った。それからすぐに笑顔をひっこめて、言う。「で、なにか関係があると思うか。その冒険者の死と、孤児の殺しに」
「まだなんとも。でも、少しきな臭くなってきたね」
予想以上に厄介な仕事になりそうだと思い、リデルは表情をかたくした。
真っ先に思いついたのは、ジャンが銀等級冒険者の殺害現場を目撃してしまい、口封じのために殺されたという可能性だった。
しかし、リデルはすぐにこの考えを捨てる。銀等級の冒険者を殺す実力のある犯人であれば、孤児のひとりやふたり、その場であっという間に息の根を止めてしまうだろう。もし運よくその場を逃げ出せたとしても、殺人という凄惨な場面を目撃したのなら、ジャンは通常の精神状態じゃいられなかっただろうし、そのことにサリアが気づかないはずがない。たまたま記憶喪失になり、たまたま犯人の魔の手から逃げ出すことに成功したとも考えられるが、はたしてそこまで偶然が重なるだろうかという疑問が残る。
冒険者プレートをギルドに届けたあと、リデルは孤児院に足を向けた。離れたところからそっと様子をうかがう。
小さな子どもたちが、青々とした下草の生えた中庭で楽しそうに喚声を上げながら動き回っていた。泥だらけになってもそんなことにはおかまいなしに、元気いっぱいに駆けている。親に捨てられたという負い目をまるで感じさせない明るさだった。そんな彼らを、修道服に身を包んだ妙齢の女性が、顔に笑顔を浮かべながら見守っている。サリアだ。
殺されたジャンも、数日前まではあの場所で晴れやかな笑みを浮かべていたのだ。そう思うと、胸が痛む。
「ユノ!」
リデルが呼ぶと、中庭で遊んでいた黒髪の子どもが泥のついた顔をこちらに向けた。「リデルが迎えに来てくれたからもう行くね」とサリアに伝える。
「いつもユノがお世話になっています」リデルは、ユノの手を引いて入り口まで歩いてきたサリアに、頭を下げた。
「気にしないでください。ユノくんが来てくれるおかげで、子どもたちも喜んでいますから。また遊びにいらしてくださいね」サリアは朗らかに笑った。少し無理をしているような、陰りのある笑顔だった。
そんな彼女に、リデルはこれまでにわかったことをかいつまんで話す。ジャンが殺されたこと、それが魔物の仕業であること――残酷な事実を伝えることに抵抗をおぼえたが、いずれわかることだと心を鬼にした。
ジャンの死を知った彼女は、顔からすべての表情をなくしたあと、悲しみと怒りの混じった涙を流した。手で口を覆うが、嗚咽は止まらない。彼女の慟哭を、リデルはただ傍で聞いていることしかできなかった。
「すみません。見苦しい姿をお見せしました」
しばらくしてから、涙を拭ったサリアが言った。
「いえ」とリデルは無力感をおぼえながら、返答する。「魔物のことは、冒険者ギルドに伝えました。すぐに討伐依頼が出されると思います」
「そうですか……」
絶望の色に染まったサリアの表情は、晴れない。
慰めの言葉を思いつかず、絶望に打ちひしがれるサリアにそれだけ告げると、リデルは孤児院をあとにした。ユノが心配そうに何度も後ろを振り返っていた。
「ジャンを殺した魔物は、必ず討伐する」誰にともなく、リデルは呟く。「必ず」
日が傾き始めた中、町を歩きながら、リデルはユノが孤児院でほかの子どもたちから得た情報を教えてもらった。メルドールという名や、エルフの少年を見かけた者はやはり誰もいなかった。
「これからどうしたものかな」リデルはぼやく。
マリエラの話では、信頼のおける冒険者パーティにシェイプシフターの討伐依頼を出したそうだが、まだ発見したという報告は上がってきていないという。リデルもそれとなく探してはいるが、なかなか見つからない。
「露店は?」
孤児たちの話の中に、市街地にある露店をまわり、サリアへの誕生日プレゼントを探したというエピソードがあった。ちょうどジャンが殺される前日のことだ。
「調べてみるか」
ユノからのアドバイスを受け、リデルは人々で賑わう市街地に足を向けた。食糧品から装飾品、異国の珍しい品々を並べた露店が、軒を争っている。いくつか閉店準備を進めているところもあったが、ほとんどの店はまだ開店中だった。
ユノが集めた情報によると、ジャンはここでふたつの品を買ったそうだ。ひとつは南国から海を渡り届けられた名花〝晴やどり〟、もうひとつは、暗闇で淡く発光する魔法が組み込まれた短剣である。前者はサリアへのプレゼント、後者は自分へのご褒美だと、ジャンはほかの子どもたちに話していたらしい。
髪の色を魔法で変え、伊達眼鏡をかけて簡単な変装を済ませたリデルは、まず、晴やどりを購入した店の主人に話しかけた。
「おお、あの子か。店先で長いこと悩んでいたから、よくおぼえているよ。なにを探しているのか尋ねたら、いつもお世話になっている人に渡すための花を探してるって言うじゃないか。小汚い身なりをしていたし、最初はお金を払えるのか怪しんだものだけど、いま思えばそんなことを考えていた自分が恥ずかしいねえ」
ずんぐりと太った女店主は、店先に並んだポッドやガラス瓶を整理しながら自嘲するように言った。
「花をガラス瓶の中に入れてるんですね」
「ああ、これかい? これには植物を枯れさせない魔法がかけられていてね。ほら、花粉とかにおかしな効果を持つ花もあるだろう? ああいうのを外気に触れさせるのはまずいっていうんで、そういう花とかをこうやって瓶の中に入れておくんだ。あとは、傷みやすい花とかをね」
「晴やどりも?」
「そうだよ。あれは単に、見栄えをよくするために入れてるだけだけど。晴やどりは気温の変化に弱いから」
晴やどりの値段が気になったので訊いてみると、想像したよりも安かった。ジャンのような子どもでも頑張れば届く金額だ。気温の安定した南国では雑草の如くそこかしこに生えているため、供給自体がけっこう多いらしい。
せっかくの機会だったので、リデルは晴やどりを数本購入し、二つのガラス瓶にわけて入れてもらった。
次に話を聞いたのは、子ども向けの魔道具を売っている店の主人である。こちらは髭を蓄えた白髪の老人だった。
「茶髪の子ども……すまんがおぼえてないのう。なにしろ一日に何人もの子どもが群がってくるからのう」
いまも店先には数人の子どもたちが座り込み、目を輝かせながら商品に見入っていた。母親の服の裾を引っ張り、買ってくれるようごねている子どももいる。
「晴やどりという、こちらの花を手にしていた子なんですけど」
「ううん、すまんな。どうしても思い出せんわい」
リデルはがっくりと肩を落とす。
「ところで、〝導きの短剣〟はよく売れるんですか?」
気を取り直したリデルは、商品の正式名称を口にする。見た目は普通の短剣と変わらない。老人は大仰に首を縦に動かした。
「この店一番のおすすめ商品だ。子ども、とくに男の子は勇者や英雄といった存在に憧れる。そんな彼らに近づくのにもっとも手っ取り早い方法が、武器を持つことだ。武器を手にすれば、自分が強くなったと錯覚することができるからのう」
刃は殺してあるから危険はないぞ、と老人は続けた。
試しに短剣をひとつ購入したリデルは、魔道具店を離れ、来た道を戻った。途中、先ほど素通りしたいくつかの店の主人にも、念のために声をかけてみた。
「茶髪の餓鬼? さあ、おぼえてねえな。似たような餓鬼はいっぱいいるんだ。いちいちおぼえてなんかいられねえよ。べっぴんさんなら、絶対に忘れないんだけどな」
「もしかして、小瓶を大事そうに抱きしめていた子かしら。きれいな赤い花の入った。どこかで見たけたことがあると思っていたけど、孤児院の子だったのね。……おかしなところ? さあ、特になかったと思うけど」
「うっすらとだけどおぼえてるよ。子どものくせに、魔法のかかった短剣を腰に携えていたもんだからさ。あれは将来冒険者になる口じゃないかな。……え、それ以外に印象に残ったことはないかって? 見かけたのはそれ一度きりだし、あとはそうだな、花の入った瓶を持っていたような」
変装を解いたリデルが魔材屋にやってくるころには、すっかり日が暮れ、夜の帳が下りようとしていた。店先で、ちょうどラフィと出くわす。
「どうしたの? もしかして、ほしい素材がなにかある?」
「今日は買い物じゃなくて」そう言ったきり立ちすくむリデルの脛を、ユノがちょんと軽く蹴飛ばした。
うっ、と小さな呻き声を上げたあと、「これ、さっき市場で見つけんだ」と晴やどりの入ったガラス瓶をひとつ差し出した。「前に花を育てるのが好きって言ってただろ。だから、ちょうどいいかなと思って」
「わたしに? うれしい、ありがとう!」
ラフィが、えへへと笑顔を弾けさせながら、大事そうにガラス瓶を両手で包み込む。その陽だまりのような優しい表情を見れただけで、リデルの心は幸せ一色に染まった。
「晴やどりだ。やっぱり綺麗な花だなあ。絵で見るのと実物を見るのとでは大違い」
「知ってたんだ、その花のこと」
「うん。ちょうど今日、図鑑で見て。あ、ちょっと待ってて」
そう言って、ラフィは店の奥に消えていく。しばらくして出てきたときには、一冊の本を胸に抱えていた。タイトルを一瞥すると、どうやら植物図鑑のようだ。
「魔材屋の娘としては、いろんな国の素材のことを知っておかないとだめだと思ってね。これ、図書館から借りてきたの」
勉強熱心だなあ、とリデルは感心する。冒険者ギルドで魔物の資料などはよく閲覧しているが、図書館にはあまり足を運んだことがなかった。
「ほらここ」とラフィはリデルの前に図鑑のとあるページを開いてみせた。そこは、晴やどりの詳細が書かれたページだった。ラフィに促されるまま内容をざっと読み流していたリデルは、とある記述を見て息を呑む。
「どうしたの?」
急に雰囲気を固くしたリデルを見て不審に思ったのだろう、ラフィが不安そうな声を出す。ぱっと振り向いたリデルは、ラフィの両肩をがしっとつかむと、
「ラフィ、勉強してくれていてありがとう! これでぜんぶつながった!」
「え、あ、うん。どういたしまして……?」
状況の変化についていけず、ラフィは呆気にとられたようにぽかんと口を開けている。そんな彼女の様子にはおかまいなしにリデルは、こうしちゃいられないと鼻息を荒くする。
「いったいどうしたっていうのよ」
ひとり取り残されたラフィは、少し不満気だ。
ユノに矢継ぎ早に指示を飛ばしていたリデルは、振り返り、言った。
「事件が解決したんだ」