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消えた少年の行方

 夢は穏やかな風景から始まった。


 柔らかな陽射しが照らす昼下がりの王都を、茶髪の少年が軽やかな足取りで歩いている。鼻歌を口ずさむ彼の顔は、とても楽しそうだった。冒険者のだみ声や商人のよく通る声に彩られた町並みを進みながら、時折、きょろきょろとあたりを興味深げに見まわす。その度に歩みが遅くなり、先導する金髪の少年が振り返り、彼を急かした。


「ジャン、はやくしないとおいてっちゃうよ」


 名を呼ばれた少年――ジャンは、慌ててもうひとりの少年のほうへ駆けていった。


「ご、ごめん。はじめて見るものばかりだったから、つい」


「町中を散策したことないの?」


「あるけど、いつも決まったルートしか通らないから。こっちのほうには、来たことないんだ」


 ふうん、と金色の髪を風にたなびかせながら、少年は言った。彼の耳は細長い。エルフと呼ばれる種族の特徴だった。幼いながらひどく端整な顔立ちをしており、成長すればかなりの美丈夫になることが容易く想像できた。


「メルドールは、よくこのあたりに来るの?」ジャンがエルフの少年に訊く。


「たまにね」


「へえ、いいなあ。ひとりで?」


「ひとりのときもあれば、親といっしょのときもある。ジャンは、ひとりで外出したことはないのかい?」


「子どもだけじゃできないんだ。大人がいっしょにいないと」


「こっそり抜け出して、町を探検してもばれないんじゃない?」


 メルドールの疑問に、ジャンは困ったように笑う。


「そう考えたこともあるんだけどさ。うちにいる大人はみんなカンがするどいっていうか、かくしごとができないんだよ」


「君が単純なだけではなくて?」メルドールがからかうような口調で言った。


「おまえ、オレをばかにしてるのか」ジャンが睨む。


「気を悪くさせたなら謝るよ、ごめん。それより、あまり家を留守にすると、君も僕も勝手に外出していたことがばれてしまう可能性が高くなるから、先を急ごう。お目当ての場所まで、まだもう少し距離がある」


 ジャンとメルドールは連れだって再び歩き出した。


 いくつもの路地を曲がり、ふたりは喧騒から次第に遠ざかっていく。


 さきほどまで肌にまといついていた熱気が薄れ、かわりにねっとりとした空気があたりに満ち始めた。すれ違う人々の服装も、小奇麗なものから薄汚れたものに変わっていた。


 ジャンの表情に、わずかな怯えの色が見え始める。


「な、なあ、こんなところに来てだいじょうぶなのか」


 真昼だというのに薄暗い路地を、ジャンはおっかなびっくりといった様子で進んでいく。


「ちょっと怖いかもしれないけど、君だって男だろう? 将来、英雄になりたいんだったら、これぐらいのことは楽々とこなさなきゃ。それとも、やっぱり帰る?」


 挑発するようなメルドールの物言いに、ジャンは表情を引き締めた。「帰るわけないだろ。ほら、はやく行こうぜ」


 強がる茶髪の少年に、メルドールは含みのある笑みを向けた。「こっちだよ」


 ふたりはついに、スラムと呼ばれる貧民街にたどり着いた。


 メルドールはあっさりと、ジャンは躊躇ったあと、王都の暗部に足を踏み入れる。


 ()えた臭いが鼻を刺した。靴が、地面にこびりついた吐瀉物(としゃぶつ)を踏みつけ、不快な音が跳ねる。


「こんな場所に、本当にあるのかよ」ジャンの呟くような問いかけに、メルドールは答えなかった。振り返ることもせず、ただ黙々と進む。


「な、なあ」


 メルドールは振り返らない。


 ジャンはここでようやく様子がおかしいことに気がついたようだった。足を止め、震える声で言う。


「お、オレ、やっぱり帰るよ!」


 踵を返した彼は、一目散に駆け出そうとする。しかし、数歩進んだところで、ジャンは足を止めた。止めざるを得なかった。


 彼の目の前に、メルドールが困ったような表情を浮かべながら現れたからだ。


「だめだよ、ジャン。勝手に帰ろうとするなんて」


 メルドールの紅顔が歪む。醜悪で、邪悪で、悪意に溢れた顔だった。


「お、おまえ……」


「本当はもう少し奥に行ってからにしようと思ってたんだけど、まあ仕方ないか、ここでも」


 そう呟いた直後、メルドールの身体が膨らみ始める。あどけなかった少年の顔に無機質な複眼が表れ、白く小さな手は黒みがかった緑色の巨大な鎌へと変貌し、四本の脚が地面に降ろされる。


「知らない人についていっちゃだめだよって大人に習わなかったのかい? 相手が子どもに見えるからって、油断しちゃだめだよ。こんなこと、いまさら言っても遅いだろうけどさ」


 ジャンは呆然と立ち尽くし、メルドールのメタモルフォーゼを見つめる。歯がかちかちと恐怖で音を立てる。


 おぞましい蟷螂(かまきり)の魔物へと変貌したメルドールは、目に涙を浮かべるジャンを見下ろした。その顔には、なんの感情も浮かんでいない。


 ジャンは腰に手をやると、なにかを抜き取った。震える手に握られているのは、淡く発光する小さな短剣だった。怪物を相手にするには、あまりにも小さな武器だ。


 メルドールは短剣を一顧だにしない。巨大な鎌を振り上げると、躊躇いもなく、少年の細い首を切り飛ばした。


 その一部始終を見ていることしかできなかったリデルは、拳を握りしめ、そして――。





 ――目が覚めた。


 がばりと跳ね起きると、リデルは額に手を当て荒い呼吸を繰り返した。底なしの無力感が全身を支配する。


「リデル、平気? 汗びっしょりだよ」


 心配そうに覗きこんできたユノに、大丈夫、と返す。木製の椅子の背に凭れかかったリデルは、ふうと息を吐いた。胸に抱いていた絵本に視線を落とす。


 サリアから借りた、ジャンが大切にしていたという絵本だ。表紙には、剣を掲げた英雄の姿が描かれている。


「ひどい夢だった」


「ジャンは――」


「死んだ。殺されたんだ。魔物に」リデルは苦々しく吐き捨てる。「あいつは、最初エルフのふりをしていた。ジャンになにを吹き込んだのかは知らないけど、孤児院から連れ出し、人目につかないスラムまで誘って、そこでキラーマンティスに変化して、殺した」


「エルフからキラーマンティスに」


「あれはたぶん、シェイプシフターだ」


 リデルは断言する。


 シェイプシフターとは、様々な生物に姿形を変化させられる魔物だ。その変身能力は精度が高く、本物とほとんど見分けがつかない。


「これからどうするの」


「とりあえず、ギルドに報告してくる。町中にシェイプシフターが侵入しているとなれば、大問題だ。すぐに討伐依頼を出してもらうよう、お願いする」


「彼らに倒せる?」とユノ。


「どうだろうな。あのシェイプシフターは、流暢に人間の言葉を発していた。ジャンとも普通にコミュニケーションをとれていたし、たぶん長い間、人間のそばで息を潜めていたんだと思う。あるいは……」リデルは虚空を睨む。「いずれにせよ、かなり智慧のある個体だ。並みの冒険者じゃ、逆に狩られる可能性のほうが高いかもしれない」


 そのあたりは、ギルド側がうまく采配してくれることを祈るしかなかった。


 ギルドへ行く前に現場となったスラムに足を運んでみたが、ジャンの遺体はおろか、殺人の痕跡すら見当たらなかった。どうやら念入りに証拠を消したらしい。魔物の犯行にしては、ずいぶんと手際がいいと思った。


 リデルはユノを連れ、冒険者ギルドに向かう。


「あら、リデル君。どうしたの、そんなに怖い顔をして」


 ギルドの受付嬢であるマリエラが、目を丸くして出迎えた。幸い、ギルドは閑散としていた。受付に並んでいる冒険者もほとんどいない。ゴドウィンはあれからうまく冒険者家業を続けているのだろうか、とふと思う。


「実は、至急お伝えしたい情報がありまして。いま奥の個室って空いてます?」


「ええと、確かいまは空室のはずよ。ちょっと待っててね」


 マリエラはそう言うと、近くにいた同僚に少し席を外す旨を伝えた。


 彼女のあとに続いて小さな部屋に入ると、リデルとユノはマリエラと向かい合う。


「それで、今日はなにをつかんだの?」


「王都のスラムで、孤児院の子どもが魔物に殺されました。その魔物は、おそらくシェイプシフターだと思われます」


 端的に告げられた内容に、マリエラは絶句し、一瞬固まる。「冗談ではなくて?」


「冗談を言うためにマリエラさんを個室なんかに連れ込みませんよ」


「根拠は?」

「夢を見ました。子どもが殺された瞬間の夢です」


 マリエラは、鋭い双眸をリデルからユノにずらす。ユノはきょとんとした顔で彼女を見上げていた。


「〝過去夢〟ね」


 リデルは頷くことで肯定の意を示す。


 過去夢とは、ある人物の強い想いが宿ったものに触れることで、眠っている間にその人物の過去を夢として見ることのできる魔法のことだ。発動条件が厳しいほかに、発動中は無防備になったり目が覚めてからすぐに夢を振り返らないと内容がおぼろげになってしまったりするなどのいくつかの欠点を持つが、過去を探る魔法の類の中では頭一つ抜き出て長いシーンを見ることができるため、リデルはこの魔法を重宝していた。行方不明者の捜索の際は、いつも使用している。


「その魔物は、最初エルフのふりをしていました」


 エルフという単語に、彼女の長い耳がぴくりと動く。マリエラもまたエルフだった。


 リデルは彼女に、ジャンが殺されるまでの経緯を説明する。「エルフとキラーマンティス――種族を超え、さらに人や亜人以外にも化けられるとすれば、シェイプシフターだと考えるのが妥当だと思います」


 人や亜人限定だとほかにドッペルゲンガーという魔物も候補に挙げられるが、今回は昆虫型の魔物にも変身したことから、その線はないだろうとリデルは考える。


「もしそれが本当だとしたら、大変なことよ」マリエラは顔をこわばらせた。「リデル君の話だと、人間の言葉にも精通しているみたいだし、人間社会に深く溶け込んでいるのだとすれば、見分けるのは至難の業だわ」


「人間の言葉を話せるのは、もしかしたら別の理由からかもしれませんが」


「別の理由?」


「はい。そのシェイプシフターが、魔物使いにテイムされているとしたら、コミュニケーション能力に優れていることにも説明がつきます」


「まさか、シェイプシフターをテイムした者がいるというの?」


 魔物使いとは、魔物を調教し、従順なしもべとして使役することを得意とした魔法使いのことを言う。魔物ならなんでも従えさせることができるというわけではなく、テイムできる魔物の種類は、魔物使いの魔力と魔法技術に左右される。当然、強力な魔物ほど要求される力量も高い。シェイプシフターは、テイムが難しい分類に入った。


 つまり、もし今回の事件に黒幕がいた場合、その人物の実力は相当なものになるということだ。


「あくまで可能性の話、ですが。一応、王都に住む一市民として、魔物に関する情報はギルドの耳に入れておこうと思いまして。依頼については、ギルドから出してもらえると助かります」


「リデル君が退治してくれてもいいのよ?」


「魔物討伐は冒険者ギルドの専売特許みたいなものでしょう。それを横取りするような真似はしませんよ。俺はギルドに登録していませんから」


 建前として、そう述べる。基本的に、冒険者をはじめとした魔物討伐の権利を持つ者以外が魔物を殺すことは、あまり推奨されていない。一般人が魔物に戦いを挑まないよう、牽制するためだ。


 マリエラは不満そうな顔をしていたが、ややあって頷いた。「わかった。上にも相談して、早急に方針を決めるわ。リデル君、貴重な情報をありがとう」


「よろしくお願いします。あ、それから、ギルドマスターに伝言を頼んでもいいですか。先日の借りは、これでチャラだと」


 マリエラと別れたリデルは、冒険者ギルドをあとにする。


 広場を歩いていると、ユノが訊いてきた。


「これでおしまい?」


「だといいんだけどね」


 広場では吟遊詩人が英雄の叙情詩を語っていた。集まった人々の後ろを通り過ぎながら、リデルは肩をすくめる。


「ただ、まだ気になることがあるから、もう少し調べてみようと思う」


 なぜ、ジャンをおびき出してまで殺したのか。


 その動機がわからなかった。

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