シスターからの依頼
ギルドマスターの突然の登場に、ロビーは水を打ったような静けさに包まれた。彼女の足が床を踏みしめる音だけが響く。
「身内で揉めているひまがあったら、依頼をひとつでも多くこなしたらどうだい?」
竜人である彼女の射るような眼光に、ゴドウィンを囲っていた三人の冒険者たちは、ひいっ、と短い悲鳴を洩らす。「す、すいませんでした!」と顔を青くし、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
ギルドマスターはふんと鼻を鳴らすと、ロビーを睥睨した。真紅の竜鱗がきらりと光る。年老いてもなお、その圧倒的な存在感は健在だった。
「ほらほら、ぼさっとしているんじゃないよ。さっさと依頼を片づけに行きな」
彼女の言葉に、ギルド内に再び慌ただしさが戻る。依頼を受けずにたむろしていた冒険者たちは、依頼掲示板に向かう者と逃げるようにギルドを出ていく者とにわかれた。
「ゴドウィン、君も依頼を受けるんだろう?」
リデルは、固まっていた少年に声をかける。
「え、あ、ああ」
金縛りが解けたゴドウィンは、リデルに促されるまま依頼掲示板のほうへ歩いていった。あいつもあんな間抜け面するんだな、と思った。
悠然と歩いてきたギルドマスターが、リデルの横で足を止める。冒険者もギルド職員も、彼女に目を付けられまいと忙しなく動き回っているため、こちらに注意を向ける者はほとんどいなかった。
「ギルドマスターが正面から入ってくるとは、思ってもいませんでした」リデルが言う。
「ここは私の城さ。どこから入ってこようが、私の勝手だろう」
「確かに」頷いたリデルは、そっと頭を下げた。「助けてくれてありがとうございます」
「おまえさんに貸しを作るためだったら、これぐらいお安い御用さ」
にやり、とギルドマスターが笑った、ような気がする。竜人の表情は読みにくいのだ。この貸しひとつが高くつきませんように、と声には出さずに願う。
「また厄介ごとかい?」
「いえ、今日は友人の付き添いで来ました」
「宝の持ち腐れとは、まさにこのことだねえ」
ギルドマスターは呆れたようにそれだけ言うと、歩みを再開した。リデルは肩をすくめた。
人が少なくなったところで、依頼掲示板の前に立つ。どんな依頼が出ているのか、報酬はいくらなのか、興味があったのだ。
左上から順に依頼書を読んでいると、リデル、と呼ぶ声があった。振り向けば、ゴドウィンだった。どうやらまだ残っていたらしい。
「さっき、ギルドマスターとなにを話していたんだ?」
「ん? 大したことじゃないよ。あなたのおかげで怖い思いをせずにすみました、ってお礼を言っただけ」リデルは答える。「どの依頼を受けるか、悩んでいたの?」
「いや、それもあるんだが」ゴドウィンはこめかみのあたりをぽりぽりと人差し指でかく。もごもごと口を動かしたあと、ややあって言う。「その、悪かったな。俺のせいで、くだらない喧嘩に巻き込みそうになっちまったみたいで」
ゴドウィンの謝罪に、リデルは驚いた。昔の彼の傲岸不遜な態度を知っていたから、青天の霹靂だった。
「気にしていないよ。それよりゴドウィン、君は運が良いね」
「俺が?」
「だって、冒険者登録をしたその日に、ギルドマスターの姿を拝めたんだから。あの人が表に出てくるのって、滅多にないんだよ」
「へえ」ゴドウィンは、ギルド長室のある二階へ続く階段を見やった。「きれいな鱗だったな。あの人、蜥蜴人か」
「それ、絶対に本人の前では言うなよ。っていうか、ギルド内だろうが、町の外だろうが、どこにいたとしても絶対に言うな」リデルは老婆心から忠告する。
急に声を低くしたリデルに戸惑ったのか、ゴドウィンは鳩が豆鉄砲を食ったような顔になった。
「あの人は竜人だ。気高く、プライドが高い。間違っても、蜥蜴人といっしょにしちゃダメだ。別に蜥蜴人が悪いってわけじゃないけど。うっかり口を滑らせてみろ、消し炭になるからね」
「お、おう。気をつける。……消し炭?」
「火を噴くんだ。竜人なんだから、当然だろう?」
鉄をも溶かす火炎放射だ。喰らえばひとたまりもない。
「ギルドマスターって、人間じゃなくてもなれるんだな」
「むしろ、人間が務めているところのほうが少ないよ。種族的に、どうしても人間はほかの種族よりもいろいろと劣るからさ」
実力主義の冒険者ギルドでは、他種族に対して意外と寛容だ。実力さえあれば、どんな種族だろうが関係ない。王都のギルドマスターである彼女も、冒険者時代にその圧倒的な才覚と頭脳が認められ、いまの地位まで上り詰めた傑物だ。
「俺も頑張らないと」ゴドウィンが息巻く。
「まあ、君はまだ冒険者になったばかりだし、まずはこつこつと、焦らずに信頼を得ていくことから始めていけばいいと思うよ。……冒険者じゃない俺が言うのもなんだけど」
「いや、おまえはたいしたもんだよ。親父がいつも誉めてる」
「それはうれしいな」
それから二言三言、言葉を交わしたあと、薬草採取の依頼書を手にギルドのカウンターへと向かうゴドウィンを見送ったリデルは、再び依頼掲示板へと視線を移した。
魔物討伐や素材の採集といった依頼が、やはり大多数を占めていた。その中で、行方不明の冒険者の捜索という内容の依頼書が目をひく。
冒険者がふといなくなるのは、珍しいことではない。魔物に殺されたり、遺跡の罠に嵌ったり、理由は様々だ。いなくなったのが有名な冒険者である場合を除き、たいていは失踪ということで処理され、きちんとした捜索が行われることはない。しかし、たとえばその町に家族がいた場合は、その家族から捜索依頼が冒険者ギルドに出されることがある。
掲示板に貼られているのは、おそらくそういった経緯を得たものだろう。自分の身を案じてくれる者がいることはすばらしいことだ、とリデルは思う。
大多数の冒険者は、誰にも気に留められずに亡くなっていくのだから。
太陽が真上に近づくころ、ドアベルが鳴る。客がやって来たようだ。
カウンター越しに立っていたのは、修道服を着た若い女性だった。歳はリデルと同じ十代後半ぐらいだろうか。ひどく虚ろな目をしている。
どこかで見たことあるな、と思っていたら、ユノが店の奥から顔をのぞかせて叫んだ。「サリアさん!」
「あら、こんにちは。いつも子どもたちと遊んでくれてありがとうね」
サリアと呼ばれた女性は無理やり笑顔を浮かべると、近寄ってきたユノの頭を撫でた。ユノが、ぱあっと顔をほころばせる。
「もしかして、孤児院の方ですか」
ユノがよく、教会区にある孤児院に遊びに出かけていることを思い出したリデルは、彼女の正体に当たりを付けた。見覚えがあったのは、ユノを迎えに行ったときに見かけたことがあったからだろう。
「はい。サリアと申します。孤児院でシスターをしております」
リデルも自己紹介をすると、いつもユノがお世話になっていることへの礼を述べた。
「それで、今日はどのようなご用件で、こちらに?」
「実は、リデルさんにご相談したいことが……」
どうやら仕事の話らしい。向かい合って椅子に座ると、いつの間にかお茶を淹れていたユノが、彼女の前にグラスを置いた。
「ありがとう」
サリアの声には疲労が滲んでいた。相当疲れがたまっているようだ。
お茶を飲みほしたサリアは、グラスを置くと、困った表情を浮かべユノを一瞥した。その視線の意味するところを正確に読み取ったリデルは、「ユノ、いまから大事なお話をするから、おまえは違う部屋で遊んでおいで」とユノに告げる。ユノはリデルとサリアの顔を見比べたあと、未練がましそうにカウンターから離れていった。
「良い子ですね」
「サリアさんの前だから、いいところを見せたいんじゃないですか」
彼女は微笑んだ。
リデルはお茶のお替りを淹れたあと、サリアの真正面に座った。
「リデルさんのお噂は、かねがね承っておりました。なにか困ったことがあれば、こちらに頼めば間違いはない。皆さん、口を揃えておっしゃっていました」
「そこまで高い評価していただているとは、光栄です」
リデルは恐縮した。
「そんなあなたを見込んで、ひとつお願いがあります。――行方不明の子どもを、捜してもらえないでしょうか」
「子どもというと、孤児院で暮らしている?」
サリアは頷いた。
「詳しいお話を聞かせてもらってもよろしいですか」
「ええ。その子の名前はジャンと言います。昨日のお昼頃、中庭で見かけたのを最後に忽然といなくなってしまったんです」サリアは表情を暗くする。「一日しか経っていないのに心配し過ぎなのではないかと思われるかもしれませんね。ですが、子どもたちがこれほど長く家を無断で空けることはこれまでに一度もなかったので、彼がなにかの事件に巻き込まれてしまったのではないかと不安になってしまって」
「そのジャンという少年ですが、最近、変わった様子とかはありませんでしたか」
リデルの問いに、サリアはしばらく考え込むそぶりを見せた。「いえ、特に気になるようなことはなにも。ほかの子どもたちにもそれとなく訊いてまわったんですが、結果は同じでした。ただ」
「ただ?」
「関係があるかどうかはわかりませんが、実は昨日、私の誕生日だったんです。そのことを知った子どもたちが、どうやらサプライズでお祝いをしようと考えてくれていたみたいで。数日前から、こっそりと準備を進めていたのを何度か見かけたことがあります」
「そうなんですか」
「必死に隠そうとするものですから、こっちも気づいていないふりをしていましたけど」
微笑ましい関係だ、とリデルは思った。そういえばつい最近、ユノがどこからか花を摘んできて、綺麗な冠を編んでいたのを目にしたことがあった。あれはもしかしたら、サリアさんへのプレゼントだったのかもしれない。
「彼が、自分の意思で孤児院に戻ってこようとしない可能性は?」
「……ないとは言い切れません。子どもたちの中には、外の広い世界に憧れを抱いている子もいます。狭い孤児院を飛び出したいと思うこともあるでしょう。特にジャンは、英雄という存在にひどく憧れていましたから。よく絵本を眺めながら、自分も将来、物語に登場するような英雄になりたいと言っていました」
そのときの光景を思い出したのか、サリアの表情が和らぐ。
家出か、はたまたトラブルに巻き込まれたか。いずれにせよ、行方不明者の捜索は、リデルの得意とするところだった。
「わかりました。ジャンくんの居場所について、こちらで調べてみましょう」
「本当ですか。ありがとうございます」
サリアが深々と頭を下げた。
それから、話は報酬に関することに移った。不謹慎かもしれないが、こちらも商売でやっている以上、避けては通れない道だ。彼女もよく理解しているのか、顔をしかめることはしなかった。
「ひとつ、お願いがあります」金額がまとまったところで、リデルは口を開いた。「ジャンくんが普段、大事にしているものはなにかありませんか」
「彼が愛読している絵本ならあります。毎日のように読み耽っていて」
「タイトルは?」
「確か、『ゆうしゃレオンハルトのだいぼうけん』だったと思います」
「その本、少しの間、私に貸していただけないでしょうか」
「ええ、かまいませんよ。早速あとでお持ちします」とサリアは一もなく二もなく頷いた。席を立つと、彼女は再び頭を下げた。
「ジャンのこと、どうかよろしくお願いします」
「ご期待に応えられるよう、最善を尽くします」
リデルは力強く言った。