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何でも屋の日常

 旅に出る。


 カウンターの上に無造作に置かれていた紙には、一言そう書かれていた。ミミズがのたうちまわったような汚い字は、紛れもなく師匠の筆跡である。透かしてみても、火であぶってみても、魔力を通してみても、ほかに文字が浮かび上がってくるようなことはない。

 期間も目的地も、そもそも戻ってくる気があるのかどうかさえも、文章からは読み取れなかった。


 銀髪の少年――リデルはこめかみを押さえながら、ため息をついた。


「自由すぎる。というか、どうするんだよ、この店は」


 木製の椅子に座り込み、店内をぐるりと見まわす。


 狭い事務所だ。部屋はふたつ。事務室の外周は接客用のカウンターとなっている。


「まさか俺ひとりで切り盛りしろって言うんじゃないだろうな」


 ここはいわゆる便利屋だった。町の住人の悩みを聞き、解決するのが仕事だ。掃除、配達、迷子の捜索など、持ち込まれる依頼は様々だ。一度受けた依頼は速やかにかつ堅実に解決してきた実績があることから近所の評判も上々で、いまではそれなりの頻度で依頼が舞い込んでくる。事務所のあるこの建物が、建て替えの適齢期をとうに過ぎているであろうことを除けば、問題はなにもなかった。


 この店の店主兼リデルの師匠がいなくなるまでは。


 朝の清々しい空気を取り込もうとして窓を開けたリデルのすぐ横を、まるで待ち構えていたかのように一匹の鳥が通過した。弓から放たれた矢のごとき速度で飛び込んできた鳥は、そのまま壁に突き刺さる。


「だから、伝書鳩の代わりに鉄つつきを使うなって何度も言ってるのに。……っていうか、いい加減、魔法にしろよ」


 危うく鋭利なくちばしに貫かれそうになったリデルは、はあ、と息を吐き出しながら、慣れた手つきで暴れる鳥を壁から抜いてやった。その拍子に、はらはらと数枚の羽根が床に落ちる。


「また壁の修理をしなきゃいけないな」


 くちばしの形に空いた穴を見て、リデルは再度ため息をついた。鉄つつきは、きょとんと首を傾げていた。


「ひげのおじいさんからのお手紙?」


 物音を聞きつけたのだろう、ひょっこりと部屋の奥から顔をのぞかせたユノが問いかけてくる。


「そうだよ。どうせろくな内容じゃないだろうけど」リデルは鳥の脚に巻かれていた手紙をほどいた。


「またぶっ飛ばす?」


 ユノがあどけない顔でさらりと物騒な言葉を口にする。リデルの普段の言葉遣いを真似た結果だ。


「ユノ、間違ってはいないけど、もう少しオブラートに包もう」


「たとえば?」


 リデルはしばし視線を虚空にさまよわせ、


「ひねり――」


「ひねり?」


 いや、とリデルは首を振る。恨み辛みがありすぎて、穏当な言葉を思い浮かべるのが難しかった。どう返したものか、と悩んでいると、


「あ、ラフィだ」


 ユノの弾んだ声に、視線を入り口ほうへ動かす。その直後、からんころんとベルが鳴り、金髪の少女が入ってきた。


「おはようー、ユノちゃん、リデル」


 元気な声が室内に響く。


 手紙をズボンのポケットにねじ込むと、リデルは眉間に寄せていた皺をすっかり消し、「おはよう、ラフィ」と応えた。「ごめんな、わざわざこっちにまで来てもらっちゃって。今日、家のほうは大丈夫?」


 彼女の家は魔材屋を経営している。魔物や魔法植物から採れる素材を取り扱っているお店で、リデルは常連客の一人だ。


「うん。大口の注文も入っていないし、少しぐらいわたしが抜けても全然問題ないよ」


 にこりと笑うラフィに、リデルはしばしの間、見惚れる。


 朝日をまといきらきらと輝く、腰まで伸びた黄金色の長髪。

 雪原を思わせる滑らかで白い肌。

 長い睫毛の間から覗く瞳は、まるで紫水晶のような紫色だ。


 いつ見てもきれいだ、とリデルは思った。


「顔、赤いよ」


 ユノの無邪気な声に、我に返る。


「ばっ……ヘンなこと言うなよ!」


 動揺を露わにするリデルを見て、ラフィはくすくすと笑った。


「仲がいいね、ふたりとも」


「最近、生意気さに磨きがかかってきて困っているところだよ」リデルは口を尖らせた。


「今日も依頼?」手に持ったバスケットをテーブルに置きながら、ラフィが訊いてくる。


「ああ。ゴドウィンの護衛、みたいなものかな」


 リデルは、小熊のような体躯の少年を思い浮かべながら言った。


「彼が依頼を?」


「いや、あいつの父親から」正式な依頼というより、知り合いからの頼み事に近い。「あいつ、今日これから冒険者ギルドに行って冒険者の登録をするんだってさ。それで、ギルドでヘンなトラブルに巻き込まれないように見守ってくれ、って頼まれて」


「ああ。あの人、ゴドウィンのことをすごく溺愛しているもんね」ラフィが苦笑する。「でも、登録をしに行くだけでそんなに心配していたら、魔物の討伐依頼を受けたときはどうなるのかしら」


「陰から魔物討伐の手助けをしてくれって依頼が間違いなく来ると思う」


 あの筋肉馬鹿にそんな手助けはいらないだろうけど、と内心で付け加える。


「大変ね、リデルも」


「まったくだ」


「そんな君に、はいこれ」ラフィがバスケットにかかっていた布を外す。「サンドイッチを作ったんだけど、もしよかったらどうぞ」


「うわあ、おいしそう」椅子の上に乗ったユノが、バスケットを覗き込んで目を輝かせる。


「ユノちゃんの分もちゃんとあるからね」ラフィが上機嫌に返す。


 卵やトマト、レタスなど様々な具材が挟まったサンドイッチは、一目見ただけで食欲をそそった。朝食はまだだったので、ありがたく受け取る。

 早速頬張ると、口の中で野菜の瑞々しさが弾けた。しゃりしゃりと心地よい音を響かせながら、よく味わって飲み込む。


「おいしかった?」


「おいしかったです」


 腹ごしらえをすませ、部屋の整理を簡単にしたあと、リデルは手紙を一通したためた。壁際の棚の上にちょこんと大人しく載っていた鉄つつきの足に括り付け、行け、と命じる。鉄つつきは、開いた窓から一直線に飛んで行った。姿が見えなくなるまで、ユノがじっと空を見つめ続けていた。


「おじいさんからの依頼、受けたの?」


「丁重に断っておいた」


 外出する準備を整えてから、リデルはラフィに声をかけた。


「それじゃあ、俺がいない間、ユノをよろしく頼むよ。ユノも、ラフィの言うことをしっかり聞いて、いい子にしているんだぞ」


 依頼を受けている最中は、幼い子どものユノを連れ歩いているとどうしても都合の悪いときが出てきてしまう。だからこうして、ラフィにユノの面倒を見てもらうことがあった。


 彼女の実家にお願いすることには最初こそ抵抗があったが、本人たちが思いのほか乗り気であったため、紆余曲折がありながらも続けてもらっている。本当に頭が下がる思いだった。


「いってらっしゃい」


「いってきます」


 ラフィの笑顔に送り出され、リデルは王都の町へ繰り出した。





 雑踏の中をリデルは進む。


 朝から王都は喧騒に包まれていた。あちらこちらから、商人の客引きの声や、石畳を叩く馬蹄や車輪の音が聞こえてくる。屋台からは肉の焼ける香ばしい匂いが漂い、鼻孔をくすぐった。


 大通りをしばらく歩き、やがてリデルは住宅が立ち並ぶ居住区に入る。ゴドウィンの住む家の前まで行き、彼が出てくるのを物陰でじっと待つ。


 朝に弱いと父親から聞いていたから、ここまでゆっくり来たものの、それでも早すぎたようだ。


 ゴドウィンが家から出てきたのは、一刻ほどたったころだった。


 いつにも増して眉間のしわを濃くした彼は、リデルの存在に気がつく様子もなく、王都の市街地へ歩き始めた。同い年とは思えない、がっしりとした体格だ。彼の後ろをついて歩きながら、もう少し筋肉をつけたほうがいいだろうか、とリデルは自分の華奢な体躯を見下ろして思う。


 ゴドウィンがとある建物の前で足を止めた。〝冒険者ギルド〟と書かれた看板を一瞥し、観音開きの扉を押して中に入る。リデルもあとに続いた。


 むわっとした熱気と、冒険者たちの蛮声や嬌声がリデルを出迎えた。


 相変わらずこの時間帯のギルドは騒々しいな、と眉を顰める。依頼は基本的に早い者勝ちであるため、朝は冒険者の数が多い。肌を撫でる殺気立った空気を鬱陶しく思いながら、きょろきょろとロビーを見まわす。


 風紀の乱れをなくすため、という名目でギルドと酒場が切り離されてから久しい。昔と比べてギルド内で揉め事を起こす冒険者の数は減ったと聞くが、この光景を見るにとてもそのようには感じられなかった。いつちょっとしたきっかけで乱闘騒ぎが起きてもおかしくない、緊張感を孕んだ雰囲気が流れている。もし本当にこれで減ったのだとしたら、以前はどれだけひどかったのだろうかと首を傾げずにはいられなかった。


 ロビーの隅にあった椅子に腰かけると、ゴドウィンの様子を観察した。


 登録用紙の記入、魔力量の確認、そして冒険者プレートへの個人情報の登録。手続きは滞りなく進められている。いまのところ、特に問題はなさそうだった。問題が起きるとすれば、登録を終えた直後だろう。一般市民ではなくなるからだ。


 あくびを噛み殺していると、ゴドウィンが受付に背を向けたのが見えた。そのまま依頼掲示板に向かおうとする彼の進路を、三人の男が塞いだ。下卑た笑みを浮かべる彼らが、親切心から声をかけたわけではないことは一目でわかった。


「……新米が先輩冒険者に絡まれるのって本当だったんだ」


 ゴドウィンが優男だったらまだしも、あの風貌だ、まさか本当にトラブルに巻き込まれるとは思ってもいなかった。


「なんだ、おまえら」とゴドウィンは臆することなく口火を切った。「邪魔だ、そこをどけ」


 年長者への敬意ぐらい少しみせろよ、ふりでもいいからさ、と腰を上げたリデルは頭を抱えたくなった。

「スラムの餓鬼を引きつれていたお山の大将が一丁前に冒険者とは、笑っちまうねえ」頬に傷のある男が嘲笑する。「俺たちの顔をおぼえているか」


「知らねえよ」


「むかつく野郎だぜ。おまえが邪魔をしたせいで、俺たちは依頼を失敗したことがあるんだ」


 どうやら過去の逆恨みらしい。リデルはげんなりした。敬意を払うに値しない大人だ、と判断する。ついでに、冒険者としての腕も底辺だろう、とも。器が小さすぎる。


 このままゴドウィンに任せてしまおうかという考えが一瞬頭をよぎったが、万が一ということもあったので、仕方なく前へ出ることにする。


「はあ」と気の抜けた返事をするゴドウィンに、「てめえ、なめてんのか!」と長身の男が恫喝した。


 あのう、とリデルはゴドウィンの後ろから声をかけた。こちらを見る四人に向かって、「そこ、どいてもらえますか」と端的に言う。「ちょっと依頼を見たいんですけど」


 闖入者の登場に、男たちの気が一瞬逸れる。ゴドウィンは、目を丸くしていた。どうしておまえがここに、とでも思っているのだろう。リデルとゴドウィンは知り合いだ。それほど親しいわけでもないが。


「あの黒髪野郎は……」


「げ、トリックスター……!」


 と呟く声を、リデルの耳が拾った。ちらりとそちらのほうを見れば、二つ名を持つ高名な冒険者たちだった。目が合うと、彼らはそそくさと視線を逸らし、巻き込まれまいとでもするかのように距離をとった。


「てめえ、見かけねえ顔だな。冒険者か」長身の男がじろりとねめつけてくる。


「見かけないのも無理はありません。あんまりギルドには来ないもので」リデルはわざとぼかして答えた。


「あっ、こいつ、何でも屋の餓鬼ですよ。ほら、市街地の外れにある、いまにも壊れそうな店の」


「なに、じゃあただの町民か」


 小太りの男の発言を受け、リデルは心の中で舌打ちをした。


 冒険者が一般人に手を出すことはご法度だ。例外はもちろんあるものの、破った者にはたいていペナルティが与えられる。


 一般人だと知られないまま彼らを煽り、一発ほど殴られてそれを理由に彼らを排除しようという目論見だったが、当てが外れてしまった。ギルドでは魔法の使用が禁止されているし、さてどうしたものか、と考えあぐねる。


 彼らは忌々しげに舌打ちをすると、道を開けた。


「ありがとうございます。――お先にどうぞ」


 リデルは、ゴドウィンに先に行くよう促した。


「こいつはダメだ」と傷の男が止める。「まだこっちの話が終わってねえ」


「そうなんですか」とリデルはゴドウィンに訊く。


「……俺は別に用はない」


「だそうですよ。通してあげてもいいんじゃないですか」


「ダメだ」


「どうして」


「てめえには関係のない話だ」


 ゴドウィンの実力がどの程度かは知らない。こいつら三人ぐらいなら簡単にのしてしまうのかもしれないが、過大評価して万が一彼がやられてしまった場合、リデルは依頼に失敗したことになる。逃げ出すという選択肢もなしだ。そうしたらゴドウィンの評価が下がってしまう。息子を溺愛するあの父親のことだ、それはそれでいい顔はしないだろう。


 めんどうだ、というのがリデルの偽らざる本音だった。こういうときばかりは、相手を一瞬で黙らせられる地位や見た目といったわかりやすい実力がほしいと切に思った。


 眉根を寄せ、切るべきカードを悩むリデルに、助け船は思いがけないところから出される。


「なんの騒ぎだい、朝から騒々しい」


 しわがれた、しかし有無を言わさない迫力の込められた声に、ギルド内にいたほぼ全員がぎょっとする。


 リデルは入り口のほうを見やり、思わず呟いた。


「ギルドマスター?」

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