1 ワーフ大森林
青空の下、机を取り囲んで各国の将官達が集まり今後の対策が話し合われていた。作戦会議は始まって少し経っており、現在はカエルラ帝国のアントワーヌが率先して発言している。アントワーヌは一九歳という若さながら、会議の進行役を勤めていた。
「我がカエルラ騎士団の偵察報告を待ちましょう。魔族に再び攻撃の意思があるのか、ないのか。もし魔族達が組織的に再集結する可能性が無さそうなのであれば、つまり魔族が散り散りになったならば、こちらから攻勢に出て点在する魔族を撃破することも可能でしょう。周辺に散らばっている魔族たちを討伐しながらアダマス海を迂回し、南部戦線の魔族を側面から攻撃できるようになります。そうなれば膠着している南部戦線を打開し、この魔族との戦いを終わらせることが出来ます」
地図を何回も指しながら、指を現在位置からアダマス海を北西から南東部へと進めていく。地図を何回も指しているのは各個撃破を表現しているのだろう。ここで赤い軍服を身にまとったアルビオンの将官マドラス・ランバートが反論した。
「先ほどもあったように、魔族の再攻撃が行われる可能性も十分に考えられます。そうなれば攻勢どころではありません。そして、極めて基本的なことですが、森林地帯に集結している軍隊を攻撃するのは非常に困難です。まして敵は魔族。魔族ならば人よりも森での戦いに慣れている種族もいるでしょう」
アントワーヌは北部戦線のみならず南部戦線も意識していた。しかし南部戦線に出兵しているカエルラ及びアルビオンの両国はともかく、北部戦線にしか出兵していない国の将官達は、戦線拡大には険しい表情だった。彼らの国は北部戦線の後方にあり、ここさえ守れば自国の領土は守れるのである。激戦と言われる南部戦線に赴くのには抵抗があった。そもそも、人によっては森林地帯に攻勢をかけること自体を疑問視していた。
魔族が逃げ込んだワーフ大森林は、アダマス海に面する巨大な森林である。木々だけでなく、身の丈ほどの草が生い茂っており視界不良。平野部なので山のように激しい高低差はないものの、自然の作り出した地形は平らではない。行軍、そして戦闘は非常に困難なものが予想される。マドラスはこのような空気を感じ取ったのだろう。アルビオンの士官として、カエルラのアントワーヌに対抗心を燃やしていたのも間違いない。
「自ら偵察隊の報告を待とうと言いつつ、不確定な状況の中で勝負を賭けようとするのは、どうかと思いますがね」
このようなマドラスの立て続けの挑発に、アントワーヌはため息をついた。しかしあれだけ敗走していった魔族たちだ。万を超えた魔族の雪崩ではなく、散り散りになって戦意も落ちているとすれば、戦機はここにありとするアントワーヌの意見も間違ってはいない。
「森林地帯へ攻勢をかける心配はごもっともだが、森林であればあの厄介な翼竜やドラゴンは降りてこれない。アルビオンのあのデカいだけで頼りない砲なんかよりも、よっぽど安心出来るんじゃないか?地上の魔族だけならば、分隊を組んで戦えば何も怖くないぞ」
ステファンは堂々とアルビオンの皮肉を口にした。アルビオンの重砲は、地上の魔族に対して遠距離から砲撃可能で効果も高かったが、翼竜やドラゴンに対してそうではなかった。
「ならばカエルラ騎士団だけで森林へ追撃に出られるのがよかろう。この拠点は残った我らでお守りいたします。あなた方が居らずとも怖いものはありません。大精霊エズリーズ様がいらっしゃればね」
アントワーヌは目を閉じていた。カエルラとアルビオン、両大国でヤジが飛び交い雰囲気が悪くなってきたところで、部外者たちのため息が漏れる。アストリッドも同じだった。
「そこまでにしてもらおう。敵の数は我々より遥かに多いのだ。迂闊に動くべきではない。一歩でも間違えれば我々は敗北し、後方に住んでいる民たちは魔族に蹂躙されることになる。自国の国民でなかろうと、民を守るのは騎士や軍人の誇りではなかろうか」
カエルラ及びアルビオン関係者らはアストリッドの発言に押し黙らざるをえなかった。
「先ずは偵察隊の第一便を待とう。それと偵察隊は二個小隊では足りない。もっと数を出した方がいいと思う。どうだろうか」
「結構だと思います、アストリッド様。アルビオンの方々、協力していただけますかな?」
アントワーヌはアストリッドの提案に即答だった。
ここまでで主な内容としては、前回の戦いでは勝利したが現状では魔族の脅威が去ったとはまだ考えられないこと、森林への攻撃は困難であるため積極的攻勢には出られないこと、魔族が再び攻勢に出た場合には同じ布陣で臨むことが決定された。そして、偵察隊を追加で派遣し、彼らの偵察結果を踏まえて行動計画を立てることとした。
アダマス海に面する大森林、ワーフ大森林では、カエルラの偵察兵たちが魔族を狩りながら進んでいた。彼らは二名ずつに分かれて六つの集団に分かれ、集合時間まで各々探索する方法をとった。
森林を歩く騎士が二人。片方はこの偵察隊の隊長で、もう一人は若い騎士だ。数体のオークを屠り、最後の一体を倒したところだ。人間よりも巨大なオークは、冒険者では数人で一体を相手にしなければ危険だろう。彼らは易々とオークの群れを倒していた。
「ゴブリンとオークしかいないな。それにしても、もう集団で動いている感じじゃない」
「そうですね、隊長。ほとんどの魔族は自分たちの縄張りに帰っちまったんじゃないですか?」
この広大なワーフ大森林には多くの魔族が住み着いている。この森林は、アダマス海北部に面する森林であり非常に広大だ。ゴブリンやオークはそこで暮らしていたのだろう。とはいえ、あんな何万もの数がこの森林にいたとしたらゾッとするな、と若い騎士は思った。
「魔族たちが混乱している間に共食いでも始めてくれればよかったんだがな」
魔族とは元々そういう存在のはずだ。あのように種を超えて徒党を組む存在ではない。
「あのヘルハウンドは大食いそうでしたからねぇ。数もかなり多かったですし」
「そうだな。だが今のところ食事会が開かれた様子はないな。さすがに今日まで一緒に戦ってきた仲間では食欲が出ないのか?」
「犬っころでもそんな感情が出るんですかね」
隊長は、思わず笑いが出てしまった。釣られてお互いに笑いあった。
「ともあれ、どこまで探索を続けますか?今ちょうど一時間探索したので、一時間後には集合地点に戻らないといけないですが」
若い騎士は懐中時計を取り出した。地球の懐中時計となんら変わらないものだ。
「ここから戻るのには三十分もあれば十分だ。それまでは、そこにいる彼と話をしたいな」
隊長は森の奥を見ながらそう言った。若い騎士は何を言っているんだと思ったが、その意味に気づき、再び剣を取り出した。隊長が向いている茂みに集中する。
男ではなく、クスクスと笑う女の子の声が聞こえてきた。フードを被り、チュニックを着た小さな子が前に出てくる。彼女がフードを外すと、どこにでもいそうな村娘といった感じだった。しかし魔族が蔓延るこの場所に、普通の女の子がいるはずもない。
「やぁお嬢ちゃん。どこから来たんだい?」
隊長はカエルラ出身で、もちろん母国語はフランス語だったが、英語で対応した。この世界では市民を中心に広く英語が普及している。隊長の問いかけに、女の子はまたもやクスクスと笑い出した。
「もりのむこうからきたのよ」
少女は背後を指さした。それは隊長たちが来た方向とは真逆で、森の奥から来たことを意味していた。
「お嬢ちゃんはどこの村の出身かな?私たちは、カエルラから来たんだよ」
この付近はマクシミリアノ共和国の領土だが、一ヵ月前に魔族が進行してきて以来、共和国は領土の半分を魔族に占拠された。襲撃された地域の住民は殆どが逃げ出している。
少女は質問に答えず、顔は下を向いていた。騎士達は赤い髪に隠れたその表情を、伺い知ることはできない。
不意に、騎士達は周囲の様子が変化したことに気づいた。木陰から、巨大な犬型の魔族であるヘルハウンドがこちらを見つめていた。ハッとなって左右を見回す。軽く見回して四〜五体、いや、恐らくもっと多くのヘルハウンドに囲まれている。
「隊長ッ!」
若い騎士が隊長の背後に飛び移り、背中を合わせて警戒の体勢に入った。「猛獣使いか。しかも、大型の魔族であるヘルハウンドをこんな数まで操るとは……」
ヘルハウンドの出てきたタイミングからして、あの少女が操っているのはほぼ間違いない。それでもなお、この少女がただの女の子で、付近の村の生き残りである「可能性」は残っている。だがカエルラの騎士であれば知っている……古代ダークエルフ達が作り出したという「ヒト」に似た、魔族を率いる力をもつ「魔族」の存在を……
再び少女は笑い出す。
「あれだけよういしたのにみんなにげかえってきちゃったんだもん。びっくりしちゃった。あなたたちのそのちから、みせてもらわなくっちゃ!」
少女の望みに応えるかのように、隠れていたヘルハウンド達が構える騎士達へとゆったりと進み出てくるのであった……