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42 善悪の彼岸にあるもの 下

 どこまでも続く夜の雪原を、雲の隙間から月明かりが照らす。この世界の月は、地球と殆ど変わらない美しさを放っている。


 この寒さの中を動き回るものはない。木々も眠りについているが、どこからか、キンキンと金属のぶつかり合う音がする。


 剣道の基本姿勢である「自然体」で刀を構えた青年が、角や翼の生えた悪魔のような存在から激しい斬撃を受けていた。


 余裕があるのは悪魔の方ではなく、青年の方だ。全力をぶつけるアーヴィンスラードに対し、渉は至って冷静である。


 延々と打ち合いを続ける二人だが、刀に刃こぼれは見られない。両者とも、エンチャントで刀を強化しながら戦っていた。


 渉は後ろに下がりながら、次から次へと繰り出される大技を軽くいなしている。さながら追い込み稽古のようだ。


 アーヴィンスラードの勢いに陰りが生じると、渉は面に振り下ろされた刀を擦り上げつつ、アーヴィンスラードの脇腹に打ち込んだ。


 咄嗟に魔力で身体を硬化させ、肋骨で刀が止まる。悲鳴とともに、裂かれた皮膚から血が流れ出していた。落とした刀を拾って後退し、出血部位を左手で押さえながら治癒魔法をかける。アーヴィンスラードには、そのような真新しい刀傷が何箇所もあった。


「どうした、もうおしまいか?」


 渉は刀についた血を払うと、返り血を浴びた服を錬金術で元通りにしていた。頬には拭われた血がべっとりと付いている。呼吸が激しく乱れているアーヴィンスラードに対し、渉は汗一つかいていない。


「チッ‼︎……さっきから考え事してんじゃねぇぞ‼︎」


 アーヴィンスラードは刀を燃え上がらせると、傷口にそれを当て交った。斬られた時よりも激しい痛みが襲うが、それで傷口をふさいでいる。思い出に上の空だった渉もそれを見て目が醒め、驚きで目を見張っていた。


「別に、今まで通り待ってやるぜ?だから普通に治癒魔法で治せよ。頭おかしくなったのか?」


 アーヴィンスラードは答えない。応急処置を手早く切り上げると、刀を燃やしたまま渉へ突進する。


 一足一刀、一歩踏み込めば刀が届く距離である。そこでアーヴィンスラードは刀を振らず、魔法による攻撃を選択した。アーヴィンスラードの怒りに応えるかのように、渉の視界を一瞬で烈火が埋め尽くす。


「ちっ……マジでしゃらくせぇ」


 渉は炎に包まれた刀を警戒していた為に、魔法で来ることは予想外だったが、魔力放出による波動で炎を押し退けている。


 それを凌ぐと、燃え盛る刀が迫ろうとしていた。アーヴィンスラードは、渉の目の前で逆袈裟に斬り上げる。


 立て続けに迫る炎に肝を冷やした渉だが、「啓蒙デミスティファイ」を清光にエンチャントし、数手返すと刀の炎は消えていた。


「クソっ、これでもダメなのかよ……」


 勢いを失ったアーヴィンスラードは、逆に押し返される形になってしまう。攻め立てる渉に押されて、ジリジリと後退していく。


「魔法だぜ?オマエが今使えるのは。それは素晴らしい力だが、魔法に頼りきっちゃ駄目だ。ソードをどう扱えるのか考えろ」


 つまらない反撃でエズリーズとの思い出に水を差され、渉は苛立ちを募らせていた。


(なんなんだこの大精霊は……精霊のくせに得物振り回しやがって……)


 アーヴィンスラードは、渉が自分を殺そうとしていない事を理解している。これは稽古だ。しかし、初対面の相手から手解きを受けるいわれはない。


(師範とソカーニルで間に合ってるんだよ、このクソガキ野郎が‼︎)


 押されるままになっていたアーヴィンスラードだが、ここにきて反撃の一撃を放つ。面に振り下ろした渉に対し、相打ち覚悟で逆胴を放っていた。面を庇った状態から、面抜き胴でも返し胴でもない、捨て身の一撃である。


 渉は、横に跳躍して鍔迫り合いに持ち込むと、睨みつけるアーヴィンスラードの顔をまじまじと見つめた。それに満足した渉は、後退して一旦仕切り直す。


 互いに正眼のまま睨み合いになり、剣戟が小休止に入ると、勝機を掴みたいアーヴィンスラードが口を開く。情報を探りつつ、今は呼吸を整えたかった。


「意味わかんねーんだよ、お前。刀狂いの大精霊が……騎士の真似事がしたいんだったら、周りにいくらでも相手が見つかるだろ」


「その刀狂いに刀で挑んだのが運のツキだ。稽古をつけてやってるんだから感謝しろ。遠距離の魔法戦を仕掛けるようなら容赦なく殺すからな。その刀で勝負してみせろ」


(ダメだ、理解不能だ。コイツ)


 笑うしかない。殺意とは違う、身に覚えのない不可解なプレッシャーを受けてアーヴィンスラードは困惑していた。


 先程の「ファイアブレス」は、アーヴィンスラードが十年かけて習得した切り札である。自己が繰り出せる最強の攻撃魔法であった以上、結局は刀で挑むしかないと判断した。奥の手はあるが、不意打ちでないと自信がない。





 渉は、かつての自分とアヴィンスラードを重ね合わせていた。アーヴィンスラードは攻撃的なスタイルで、速度を生かした男らしい戦い方である。しかし剣理の修練を怠り、魔法による強化に頼りきっている。


 アーヴィンスラードに速さはあっても、昔の自分自身を見ているようで対応する技が自然と出てくるのだ。渉が師匠と最後に打ち合った時にも、同じようなことを言われていた。


 こちらの世界に来る前に、渉は世界中の剣技を動画で研究している。特に、こちらの世界でも使い手の多い「ドイツ流剣術」の動画はよく見ていた。本来は西洋剣を扱う剣術だが、その特徴を、刀を使うアーヴィンスラードから感じていたのだった。


 アーヴィンスラードはミラジットをちょくちょくと見て、それで自分を奮い立たせている。その様子も、戦場での渉とそっくりだった。 心配そうにアーヴィンスラードを見つめるミラジットを見て、どう見ても悪役なのは自分だと思い、自笑する。





 ミラジットを見ながら気味の悪い笑みを浮かべる渉を見て、アーヴィンスラードは我慢ならなかった。殺意を覚え、隠し持っていたパーカッション式リボルバーを取り出す。捕虜であるレタレクティアの士官から奪ったものであり、六発が装填済みである。


 渉が殺気に気づいた瞬間、アーヴィンスラードは引き金を引いた。早撃ちした弾は、渉の胴を捉えていた。しかし、渉は魔法をって弾道を逸らす。


「人の話を聞いてなかったのか?」


「聞いてたさ。魔法使ってねぇだろ」


 右腕を伸ばして狙いをつけると、続けて二発撃ち込んだ。何もせずに外れてゆく。渉は思わず溜息を吐いた。


「お前、射撃の腕まで俺そっくりだな。この距離なら当ててみせろよ」


「クソッ‼︎」


 まだ弾は残っているが、アーヴィンスラードはリボルバーを放り投げた。


「俺は刀で勝負しろって言ったんだよ‼︎」


 渉が攻め掛かるが、アーヴィンスラードは意気消沈しており手応えがない。気落ちしてしまった渉は、そのまま押し切らずに数歩引いた。


(姐さんの前でこれ以上恥はかけねぇ……だけど一体どうすりゃいいんだ……)


 アーヴィンスラードは完全に打ちのめされていた。渉が自分を殺さない、という明確なハンデキャップがあるにも関わらず、それを生かしても勝機は見えない。


 弱々しくミラジットに視線を移した。そんなアーヴィンスラードを見て、渉は作戦を変える。


「これならどうだ?この戦いで勝った方がミラジットを手に入れる。オマエが勝ったらミラジットをやるよ」


 この挑発は聞き捨てならなかった。ゆっくりと睨みつけてきたアーヴィンスラードに対し、渉はニヤリと笑う。


「あれ?お怒りかな?」


 アーヴィンスラードは舌打ちすると、今度は渉から視線を逸らして、目を閉じた。


 これは見え透いた挑発だ。遊び足りない精霊が、遊びたいから振り向いて欲しいのだ。正面を向けば、相手の思い通りになってしまう。瞳を閉じて心を鎮めた。


「へぇ……そうかよ」


 ぼそっと、日本語で呟く。そっぽを向いたまま目を閉じるアーヴィンスラードを見て、渉が感じたのは怒りだった。


「お前がミラジットを想う気持ちは、そんなものなのか?」


 怒りが込められているからこそ、その言葉はアーヴィンスラードに響いた。瞳を開くと、遠くで想い人が自分を見つめている。泣きそうになった。


 そんなアーヴィンスラードを見て、渉は再び笑みを見せる。今度は、優しい微笑みだった。


 やっぱりそうか、こりゃあどうしたもんかな。


 力が抜けてしまった渉は、それでも、手加減は不要だと判断した。ミラジットに視線を移すと、目が合った。彼女も覚悟を決めている。


 渉はニヤリと笑った。


「その想いを俺にぶつけてみろよ。一撃でいい。俺が見定めてやる」


 そう言って、数歩下がってから刀を構えた。切っ先を向けて正眼に構える。


 渉は、互いの位置関係を「あの時」に合わせていた。渉が見たいのはあの一撃だ。偶然の産物、怒りの産物を、想いの一撃として見たいのだ。


「マジで意味わかんねーんだよ、オマエ」


 渋い顔でそう言いながら、渉の求めに応じて全身の魔力を引き出していく。渉が後退した時点で、アーヴィンスラードにもその意図が伝わっていた。屋根の構え(フォン・ターク)の体勢から、混濁する当時の感覚を一つ一つ呼び戻す。


「遊び相手が欲しかったんだろ?お前の期待に応えられなくて悪かったな。俺は姐さんのもとに帰りたいんだ。いや、姐さんが好きなんだ。だから終わりにさせてもらう」


 臭いセリフに鼻を鳴らした渉を見ずに、アーヴィンスラードは目を閉じた。満身創痍のアーヴィンスラードは、魔力の暴走を恐れずに力を引き出している。祈りながら刀を握っているようだった。


 そんな祈祷者を祝福するかのように、周囲のマナが弧を描いて、アーヴィンスラードへと吸い込まれていく。ミラジットの祝福だった。胸の前で両手を組んだ、想い人への祈り。


「両想いか……いいなぁ」


 日本語でぼそりと呟き、瞳を閉じて集中しているアーヴィンスラードへと意識を戻す。


 ミラジットが手助けするのは予想外だった。正確に言えば、手助け出来るのが予想外だった。この距離でマナを操るのは、大精霊であっても難しいだろう。今までの手加減をやめて、清光へと力を注ぐ。


「俺も本気を出す。刀を圧し折ってやるぜ?彼女を守りたかったら、愛しているなら、全力で俺に打ち込んでこい‼︎」


 渉は言い終わると、高まる興奮に唾を飲んだ。一呼吸に合わせて魔力を放出し、全身の力を抜く。剣道の試合において、勝負どころで冷静になるための渉の癖だ。それを視たアーヴィンスラードは好機と捉え、一気に魔力を解放した。












 刹那、清光の切っ先三寸が見事に宙を舞う。アーヴィンスラードの姿は渉の真横にあり、喉元に当てられた刀が、僅かに血を啜っていた。


「くぁ……」


 渉が刀を捨て、膝から崩れ落ちそうになると、アーヴィンスラードは刀を引いた。


「俺の負けだ。ミラジットはお前にやるよ」


 アーヴィンスラードは苦笑する。


「バーカ、始めから誰にもやらねぇよ」


 両膝を地面につく渉の目の前に立ち、渉を真似て血振るいをしていた。


「まだ告ってなかったくせに、カッコつけやがって」


 これも日本語だった。

『愛によってなされたことは、つねに善悪の彼岸にある』

フリードリヒ・ニーチェ

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