41 善悪の彼岸にあるもの 中
俺が中学生になると、瑠花が親父たちの部屋、つまりリズが使っていた部屋に移動することになった。俺に懐きすぎている瑠花が自立できるように、という両親と俺の判断だ。瑠花には猛反対されたが、最終的には部屋を移動してくれた。
リズが俺の部屋で生活するようになったけど、俺とリズの関係は前と何も変わらないままだ。今みたいに二人で寝ることもなく、リズは部屋のどこかで姿を消している。会えば多少は会話してくれるけど、二言三言会話したら打ち切られてしまう。姿を消しているときは返事もしてくれない。
俺は完全に、リズに本と泊まるスペースを提供するだけのパシリだった。
リズに好かれようと努力はしたんだけどね。リズが読んだ本を読んでみたり、漫画で釣ってみたり。だけど、リズには思慮の浅さを指摘されるだけで、漫画や小説には興味を持ってもらえなかった。
知識に興味があっても、人間には興味がない。そんな精霊を振り向かせるのは難しい。
リズは人間を知るために地球へやってきた。戦争で世界樹が焼かれそうになり、世界樹を愛する精霊として、今まで避けてきた人間を知る必要に迫られたのだ。
今では「調停者」の渾名を持ち、人間と関わりを持つリズだが、俺と出会うまでは人間と会うことはあっても、人間社会に関わり合いを持つことはなかったようだ。
危惧していた戦争はすぐに終わる。それはリズが学んだ知識を活かして紛争の解決に乗り出したからだ。
リズは役目を果たしたが、それでも地球へ戻ってきた。世界樹を守るために本を読み漁っていたのだが、リズは地球の書物で得られる知識の虜になっていた。世界樹の世界でも読書を始めたんだろうが、明らかに地球の方が進んだ文明を持っている。科学と歴史には特に興味を示していた。
知の扉とも言うべき、知的好奇心の発露。リズは自分自身の価値観、世界観を持っていたから、不死の存在にしては遅すぎたのかもしれない。
知識に対して関心を持ったリズだが、これを生み出す存在、人間のことは嫌悪し続けた。読書にもその傾向があらわれている。当時のリズは作者の主観的側面が強いものに興味を示さず、客観的な根拠があると判断したものを好んだ。
リズには、人間が持つ価値観を理解できなかったのだ。リズは独りぼっちで生きてきたから仕方ない。
恋をしたことがない、働いたことがない、家族もいない。これって人間の思考を基礎付ける存在だと思うのだが、ヒトにとって必要不可欠とも言えるこの三つでさえ、精霊であるリズには不必要なものだった。人間が語る博愛と友愛の精神など、リズにとって弱者の戯言でしかない。経験的事実から物事を正当化したり、「自明の理である」と言われても、リズには全くピンとこないのである。
ヒトは否応なく『時代』という価値観を共有するが、リズはその枠外からきた存在だ。ヒトが持つ常識を持ち合わせていないのだから、小説を読んだとしても全く共感できない。俺と接したり、人間を観察したり、読書を通じてヒトというものを少しずつ理解していったが、未だに狭い世界に閉じこもっているリズに大きな変化が起こるはずもなかった。
俺とリズの関係が変わったのは、十三歳の誕生日に親父がパソコンとゲーム機を買ってくれてからだ。引きこもりのリズはゲームに興味を示し、そこから一気にリズとの距離が縮まった。
親父は爺ちゃんが大っ嫌いだった。爺ちゃんは俺にゲーム機器を与えようとはしなかったのだが、親父は爺ちゃんの価値観を否定するためには全力で俺に協力する。お陰さまで、中学一年の誕生日にハイスペックゲーミングPC(デスクトップとノートの二つ)と主要ゲーム機を全種類買ってもらうことができた。
当時のリズは日本語ができないから、海外のゲームがメインだ。同じ理由でテレビを見ることもなかったのだが、パソコンを手に入れたリズはアニメに夢中になる。
非日常の世界は想像力の宝庫だ。人物の行動や感情を理解できなくても、派手な演出で興味を引く。文章では想像できなくても映像ならば理解しやすい。状況が分からなければ、俺が隣で解説をした。
ド派手な演出、主人公たちの一喜一憂。それを見て人間の心理に興味を持ったようだ。そこから映画やドラマ、漫画にも手を出すようになった。リズは、今では恋愛小説を読んで、胸を打たれまくる乙女の一人である。
日本語を勉強し始める頃には、リズは目に見えて明るくなっていた。また一緒に散歩したり、食べ物を食べるようになったり、一緒にゲームをしたり。リズとの距離は一気に縮まった。俺は中一の間にリズの身長を追い越して、年上っていう感覚も薄れていった。今みたいにフランクな関係になったのがこの頃である。
変わったのはリズとの距離だけじゃなかった。リズと触れ合うことが多くなり、俺は「世界樹の苗木が作り出すマナ」を取り込める体になったようだ。ある日突然、実体化していないリズを、光り輝く球体として捉えることが可能になっていた。
リズ曰く、マナとの親和性が極めて高い証拠らしい。世界樹の世界の人間でも、精霊を知覚可能なほど親和性が高いのは珍しいようだ。
こっちの人間は産まれた時から魔力を生成する力を持っているが、マナとの親和性は生まれつきではない。精霊魔法がからっきし使えない魔法使いも多く、それは騎士に多い。
俺の場合は、マナを体内に取り込んだことにより、自分自身で魔力を生成できる身体になったようだ。リズ曰く、魔力は神経の情報伝達に伴う波のような存在であり、持ち主の意識に反応する。精神を集中させることで魔力は活性化し、魔力を消費していけば生産能力が向上していく。
魔力が高まれば、負荷に対する対策が必要になる。念のために、対策の一つとしてリズが教えてくれたのが「魔力放出」だ。魔力を放出してしまえば、無意識の魔力暴走を抑制できる。
エンジンの回転が落ち着いて、ちょっと冷静になれるから俺は好きだ。その時の感覚を思い出すだけで十分に魔力を制御できるけど、不必要になった訳ではなく、俺の大事なゲン担ぎになっている。大事な場面の前にはそれで気持ちを整理してから臨むようにしていて、特に剣道大会で強敵と戦う前には必ずやっていた。
剣道は全身の感覚を使う競技であり、極めて高い集中力を必要とする。魔力の修練にこれほど適したものはないだろう。毎日のように道場へと通い、休みの日は瑠花の目をかいくぐってリズと遊んでいた俺は、中学の間で魔法が使える体になっていた。
中学最後の夏休みでは、魔力というチートを使って中学生全国剣道大会を優勝。決勝戦は、最後の最後で相手の竹刀を巻き上げての完勝である。魔力がなくてもそこそこ強かったのだが、さすがに全国大会で優勝するほどの実力はない。七段持ちの師匠の教えが良かった。
師匠は、俺が魔力全開の本気を出しても、動きを読んで対処不可能な手を繰り出してくる。経験の差は歴然、持っている技の数が違いすぎる。中学の終わりには「反応強化」と「身体強化」は今のレベルまで達しているのだが、それでも一本取られるってどんなバケモノだよ。
俺しか魔法を使えないのに、俺の目の前だけでも絶対に超えられない存在が何人もいた。強くなるためには、魔力をもっと高めていく必要がある。
当時の俺は剣道に夢中だったから、とにかく強くなりたかった。人格の陶冶には興味がない。師匠から全てを教わりたいから、俺は上辺だけの人格者にもなった。
中学最期の冬休み、リズが自衛隊の冬季訓練を見に行って帰宅が遅れたあの日、家に辿り着いたリズは魔力切れでかなり弱っていた。そんなリズに優しくしたのは、きっと魔力を得たかったからだと思う。弱りきったリズを、好きだったリズを、守るように抱きしめながら一緒に寝たけど、「もっと魔力を手に入れて強くなりたい」という願望が心の奥底にはあった。
実際に、マナとの親和性は格段に高まっていた。抱きついてきたのは最初の日くらいだが、隣で寝てくれるだけで効果はあった。リズは一週間程度で体調が良くなったのだが、それ以降も俺と一緒のベッドで寝るようになる。
憧れのリズと同じベッドで寝るなんて、小学生の頃じゃ逆立ちしても無理だった。だけど、リズと一緒のベッドで寝ていれば当然感じるはずの感情を、俺はまったくと言っていいほど感じる事が出来ずにいた。
好きな人をそんな風に利用できる自分を、醜いと思った。今振り返れば、弱ったリズを心配するよりも、「優しくすれば思い通りに魔力を得られる」と考えて利用していた自分自身に反吐が出る。当時の俺にもそんな罪悪感が幾分かあった。
リズと一緒に寝るようになってから、リズと一緒にいるのが辛くなっていった。リズの心配なんて二の次で、それ以上に力を欲している自分がいる。振り返ってみると、あの日よりずっと前からリズを利用している自分に気づいてしまった。
それを自覚しているのに、俺はリズを利用する事をやめようとはしない。リズが弱っていた頃は特に酷かった。まだ回復していないリズを、「リズが心配だから」と言いながら毎日ベッドに誘っていた。
恥ずかしがるリズの頭を撫でながら説得して、心の中では、師匠との掛かり稽古でボロボロになった十分間が頭を巡っている。高校生になれば剣道のレベルがグンと上がるから、トップを維持することへの恐怖もあった。
それを隠しておきたいから、ファミレスで笑いあっても、隣り合ってゲームしても、悟られないように表には出そうとしない。リズを都合よく道具扱いする度に、心には暗い影を落としていた。
リズの魔力を奪ってる、みたいな悪影響があるワケじゃない。話せば普通に協力してくれたかもしれない。けど出来なかった。リズが好きだから。
勝手に好きになって、勝手に自己嫌悪してる面倒なヤツなんだよ、俺は。
魔力の急激な成長を感じたのは、冬休みから中学卒業までの数ヶ月間だけだった。この魔力を持ってしても、俺は師匠を超えられなかった。
魔法しか持っていなかった俺は、より強くなる努力を諦めて剣道を捨てていた。剣道をやめることで、リズに対する思いも整理できた。
凡人の俺が強くなるためには、どうしても魔力を引き出していく必要がある。その必要に迫られた時、俺はリズに何をしていただろうか。
剣道を第一に考えていれば、いつかは過ちを犯していただろう。そんな自分になるのが耐えられなかった。
俺を信用して隣で寝ているリズを、邪念のない純粋な気持ちで守りたいと思った。リズと一緒にいるだけで胸が痛むのは耐えられない。友人を超えた、大切な家族でありたい。それが今までリズを利用していた償いでもある。
リズと一緒にいるのは楽しいけど、時折感じる罪悪感からは一生逃れられそうにない。
いつからそう感じたのかは分からないが、それが俺の初恋の終わりだった。




