39 表にはさながら悪意のごとく振る舞う、気位の高い慈愛もある
「渉の場合は、先ず始めに相手の目的を考えているんだ。そこから行動の意味を推察している。そこまでは良いんだけどね」
アストリッドとコーヒーを飲みながら話をしていたら、何と無く渉の話になった。
我々は、世界樹北部にある軍の駐屯地で待機している。ポルタヴァから東に二十キロの地点であり、渉達の状況は分からない。
「渉の発想は極端なんだよ。基本的にはマイナス思考で物事を悪い方向へと考えてるんだけど……何故か最終的には強気になってる。もし渉の頭の中が覗けたら、ゴチャゴチャしてて途中から訳が分からなくなりそう」
「うーん、私はそうは思わなかったけど。エズリーズはワタルの事が心配なのかな?」
「いや、そうじゃないんだ。渉は確かに空回りする所はあるけど、それでも大事な部分はちゃんと押さえてる。無事にここまで辿り着くさ」
私がコーヒーを飲み終えると、アストリッドの方もカップを空にしてソーサーに置いた。
「美味しいコーヒーだった。器のデザインも素敵だし」
「良かった。それを聞いたら渉も喜ぶよ」
アストリッドを玄関まで送り、私は戻って残りの冷めたコーヒーをカップに注いだ。しかし、どうしても腰掛ける気分になれない。暖炉で薪がパチパチと音を鳴らしたのを見て、胸が締め付けられる思いがした。
雪は降り止んだようだが、温度差で窓が曇っている。それを手で拭い、永遠に続く闇を見つめていた。
今も戦っているであろう、渉の身を案じて。
アーヴィンスラードはようやく意識を取り戻した。しかし未だに全身を恐怖が支配している。咳が止まらず、体が硬直して思い通りに動かせない。
やっとの思いで這い蹲り、呼吸を整え、周囲を見回した。邪龍が次々に着地して、抱えていたドラゴニアを地面に下ろしている。ドラゴニア達は震えていたり、暴れていたり、一見して全員が使役術の影響を受けていた。
アーヴィンスラードは使役術を受けて翼竜から落ちたところまでは覚えているが、その後の記憶がない。術者の支配下に置かれたか、それに近い状態だった事を意味している。ドラゴニアを支配する程の強力な使役術の使い手は、アーヴィンスラードが知る限り一人しかいない。
「ソカーニル……」
足の震えを堪えて立ち上がった。上空を巨大な白龍が旋回しており、ドラゴニアを抱えた邪龍達がその中を降りている。
ドラゴニアを下ろした邪龍達は、揃って一箇所に集まっていた。その場所から、邪龍を誘導する使役術の魔力を感じる。ソカーニルとは別の人物に違いない。彼はその場所に立っている人物も薄々感づいていたが、「違う、絶対に違う」と祈り続けた。だが、そこに居たのは紛れもなくミラジットだった。
ミラジットの深紅の瞳は、アーヴィンスラードを真っ直ぐに捉えていた。その現実を受け入れられずに、アーヴィンスラードは膝をつき、顔を押さえた。視界を塞ぐと今度は聴覚が戻り、仲間達の叫び声が思考停止を否応無く妨げる。
「嘘だ……仲間思いの姐さんが……こんな事するはず無い……」
まだ彼は現実を受け入れようとはしなかった。それまでには全てのドラゴニアが地面に運ばれており、既にソカーニルは野営地へと飛び去っていた。
ミラジットの隣には、以前戦場で姿を見た大精霊の姿がある。一瞬で広範囲を焼き払い、高速で離脱して行くあの大精霊を、その時のアーヴィンスラードはただ呆然と見ていただけだった。
こうなってしまった理由が分からない。オジクスを失った事が始まりなのだろうか。戦線が後退した事が原因か?あの大精霊に心を操られている可能性だってある。いや、それしか考えられない。
アーヴィンスラードは渉に対する怒りを糧にして立ち上がった。しかし一歩踏み出すと同時に、再び全身を激しい恐怖が襲う。身を丸めて、必死の思いで意識を保った。ミラジットの使役術に違いないが、彼にはそれを考えるだけの余裕は残されていない。
立ち上がり、体を動かそうとすると、思考しようとすると全身がそれに抵抗する。意識が遠のき、外傷も無いのに動かした手足に突然ズキズキとした激しい痛みが走る。一歩踏み出しただけで、何故自分はここまでして歩こうとしているのかと頭を過ぎった。今にも消えてしまいそうな炎を灯し続けて、アーヴィンスラードはまた一歩進む。倒れていたドラゴニアから、預けていた自身の刀を取り上げると、それを杖代わりにして歩みを続けた。
耐え続けるアーヴィンスラードは、ミラジットへの思いで意識を支えていた。彼の怒りは渉へと向けられている。自身を見やる大精霊の目は冷ややかで、それが彼の怒りを一層激しいものとしていた。
まさに阿鼻叫喚。ドラゴニア達は炎に焼かれているかのように苦しんでいた。俺が聞いていた話では、ドラゴニアは疲れ果てて思考が停止するまで暴れ続け、力尽きた後に数日は眠り続ける。その間に縛り付けてレタレクトに引き渡すだけ。そのはずだった。
たった一人、顔面蒼白のドラゴニアが、一歩、また一歩と足を動かしてこっちに近づいてくる。ミラジットと同じ南欧系の整った顔立ちだ。あんな状態じゃなかったら、イタリアのサッカー代表かモデルかと言われても納得しそうなイケメンだ。ソイツが俺を睨みつけて必死に近づいてきている。見てて少し背筋が冷える思いがするけど、何より哀れに思えた。
ミラジットは、そのドラゴニアに使役術をかけていた。さっきのソカーニルには及ばないが、ミーナよりもはるかに強力だ。使役術は目に見えないから普通だったら分からないんだろうけど、今の俺は精霊だから魔力の流れが分かる。
ミラジットが使役術を強めて、進み続けていたドラゴニアが立ち止まった。これ以上進ませたくなかったのだろう。だけどそれも長くは続かず、彼は速度を上げて再び進み始める。あのドラゴニアはどうして歩けるんだろうか。他のドラゴニアは既に力尽きて意識を失っている。あそこまで必死になる理由はなんなんだろうか?
「ミラジット、もういいよ。後は俺がケリをつける」
その一言でミラジットは使役術を止めて、俺の方を向いた。今にも泣きそうな表情だった。それを見て、なんとなくだけど状況を察した。
「彼はアーヴィンスラード。私の友人。お願いだから彼には手を出さないで。そんな事をしたら、貴方でも私は許さないから」
そう言って睨まれた。ミラジットは友人と言うが、それは彼氏か親友か。いつも冷静なミラジットにしては感情が表に出ている。それくらい大切な人なんだろう。
それにしても、アイツがアーヴィンスラードか。アーヴィンスラードは三人のリーダーの一人。会ったことは無いが、ミラジットの友人なのは話に聞いている。その彼はようやく使役術から解放され、膝をついて咳き込んでいた。
「貴方はそこにいて。私が彼と話をつけてくる」
そう言って踏み出したミラジットに、「待ってくれ」と声をかけた。
「アイツが睨んでたのは俺だ。だから俺が話すよ。アーヴィンスラードとは話をしてみたかったし、二人にしてもらえないかな」
ミラジットの顔には「俺を止めたい」って書いてあるけど、それは声にならない。ミラジットは、俺がニヤリと笑ってる時は絶対に引かないって分かっている。俺はミラジットの返事を待っているが、こうして待ってるのは単なる建前に過ぎない。
「俺を信じてくれ。彼と話をするだけだ。殺さないって約束するから」
M4を錬金術で分解して、不安そうなミラジットのもとを後にした。
あの二人が会話し始めたら俺の方がアウェーになる。それはマズイような気がした。アーヴィンスラードが目を覚ましているという想定外、ここで対応を誤れば、ミラジットが敵対してしまう可能性がある。 そうなったら全てがオシマイだ。
それにしても、ソカーニルの使役術を受けて彼だけ気絶しなかったのはなぜなのだろうか。使役術に対する耐性は先天的なものが大きい。リーダーである彼の素質か、それともソカーニルが意図して彼だけ気絶させなかったのか。
アーヴィンスラードは刀剣のおさめられた鞘を杖代わりにして、片膝をついたまま俺を睨みつけていた。激しい運動をした直後のように呼吸が荒い。
彼が握っているのは百五十センチくらいありそうな大振りだ。柄も鞘も全体的に黒色、長めの柄には皮が巻かれている。野太刀のように見えるが、反りが全く無いし、日本刀よりも肉厚に感じる。まぁ、鞘に入ってるからなんとも言えないけど。
遠間を保って立ち止まった。アーヴィンスラードが柄を強く握りしめているのが分かる。どうやら、向こうは世間話をする気分じゃないらしい。五メートルくらい距離を置いたが、向こうからすればこれでも十分なのかもしれない。だけど、これ以上離れてもビビってると思わせるだけだ。
「俺はお前たちを殺すつもりは無い。ミラジットはお前の身を案じている。大人しく投降してくれ」
返事はなく、睨み合いになった。だがそれも数秒で終わる。アーヴィンスラードの目が見開くとほぼ同時に、彼は刀を抜いて踏み込んできた。魔力によって強化された、獣のような鋭い踏み込み。五メートルを一瞬で、数歩で詰めてきた。
おいおい、初対面なのに殺る気満々だな。だけど、想定してなかった訳じゃない。
一年ぶりの感覚に、鳥肌が立って身を震わせる。俺は剣の道から離れたけど、それでも体には染み込んでいる。忘れていて、捨ててきたはずの感覚。だけど失くしたりしないもんなんだな。
目の前に現れたのは時間にして一瞬だが、反応速度を強化している俺たちにはもう少し長い。アーヴィンスラードが地面を蹴った直後に後退し、ヘソの前にアペンデックスキャリーしていたガバメントを引き抜く。ガバメントに「強化」と「啓蒙」をエンチャントして漆黒の横一閃を叩き上げ、二の太刀が来る前に念動力で刀を奪った。
「なっ⁉︎」
「重っ⁉︎」
「フォース」を使う銀河の騎士みたいな芸当を目にして、アーヴィンスラードは驚きの声を上げていた。一方の俺は、奪った左手の黒刀が想像以上に重くて驚いた。垂直に立てた状態で五キロぐらいに感じる。よく研がれた鈍器だな、これは。
それでも、日本人の俺には親近感が湧いてくる刀だ。見た感じで言えば、長巻とか、中国の斬馬刀に類する刀剣だろう。この世界にきて西洋人と西洋武具に囲まれてたから、東洋の趣には安心感を覚える。それを使うアーヴィンスラードにも親近感が湧いていた。
武器を奪われて警戒しているアーヴィンスラードを横目に、俺は転がっていた鞘を引き寄せて漆黒の刀をおさめた。後方から物が飛んできてるワケだけど、アーヴィンスラードに反応はない。俺の顔に穴でも空きそうなくらいのガン見だ。
俺はこの「フォース」で、刀剣でも鈍器でも、弾丸ですらも操れる。武器に頼るタイプの物理系キャラじゃ俺には勝てない。
とは言っても、かの銀河の騎士だって無敵じゃない。結局は滅んでいる。殺し合いは、一瞬の判断が生死を左右する刹那の世界だ。斬り合いなんてのはその最たるもので、平和な日本でのほほんとしていた俺が生き残れるほど甘くはない。それは理解してるつもりだ。だから自信はあっても、俺は刀ではなく、銃で戦ってきたワケだ。
溜めていた空気を吐き出して、生きてるってことを改めて実感した。やっぱり、あの五年間は無駄じゃなかった。この世界なら「自分だけが特別なんだ」って、変に葛藤する必要もない。
一呼吸おいてからアーヴィンスラードを見ると、向こうも落ち着きを取り戻しつつあるのが分かった。それを見て、刀を念動力でそっと返した。俺なりのリスペクトだ。
目の前で静止する刀を、俺が返した刀をすぐに取ろうとはしなかったが、アーヴィンスラードはそれを受け入れた。その表情に、さっきまでの敵意は感じられない。
今なら、互いにこの感情を語り合えば通じ合うかもしれない。だがそれも、ミラジットが飛んできて俺の目の前に着地し、アーヴィンスラードとの間に入ったことで吹き飛んでしまう。
「止めなさい!もう分かったでしょう?貴方が戦って勝てる相手じゃないのよ!」
そう言ってミラジットが立ち塞がるが、アーヴィンスラードの様子がおかしい。ミラジットに恐怖しているようだった。二歩、また一歩と後退している。もちろん今は使役術を使っていない。ミラジットも状況を把握できていないようだ。
「使役術の影響かもしれない。とりあえず今は下がって」
俺がミラジットを庇うように前に出ると、苦痛に満ちていたアーヴィンスラードの表情が変わった。何もない表情、全てを捨てた顔、見開かれた目……
「っ……今すぐ下がれ!ミラジット!」
直後にアーヴィンスラードが羽ばたき、地を駆けた。さっきよりも全然速え。いつの間にか刀は抜き身になっていて、八相の構えで飛び込んでくる。視線の先は俺だ。ミラジットは反応強化をかけておらず、止まった時間の中にいた。
今度はガバメントを引き抜く時間がない。「啓蒙」で刀からアーヴィンスラードの魔力を飛ばさなければ、握られた刀を念動力で操るのは不可能だ。アーヴィンスラードは一足一刀まで接近し、刀が振り上げられる。こうなりゃヤケクソだ。一気に懐に飛び込み、右手に溜めた魔力を放出、発勁の要領で吹き飛ばした。
アニメの見よう見まねでやってみたが、アーヴィンスラードは血しぶきを上げて見事に転がっている。腹に穴でも開けちまったか?ヤベェと思ってミラジットを見たが、特段驚いてるワケじゃないから大丈夫だ。そんな事でくたばるヤツじゃないだろう、たぶん。
俺の心配は、やはり無用だった。しばらくして顔を上げたアーヴィンスラードは、口の周りの血を拭った後に立ち上がった。彼は自分自身を取り戻していた。ついでに闘争心も。
血みどろの唾を吐き捨て、そして俺を睨む。ミラジットをチラッと見たが、さっきのように様子が変わることもない。よく観察してみると、アーヴィンスラードが放つ魔力の質が変化している。俺の発勁で、使役術の魔力を吹き飛ばした、ってところだろうか。
ようやく会話が出来そうだけど、俺はさっきの斬り込みを見て心変わりしていた。転がっていたアーヴィンスラードの刀をたぐり寄せて、左手の上で刀身を誇らしげにポンポンと跳ねらせる。
「このクソ重い刀を良く使いこなしているよ。この戦争で、騎士と戦って生き抜いてきただけのことはある。だけど理解していると思うが、オマエじゃ俺には勝てない。刀で語り合うまでもない。感情をコントロール出来ないヤツは、結局誰も守れやしない」
アーヴィンスラードは使役術の影響を受けていたから、感情をコントロールなんて出来ないワケで、ちょいと酷な話ではある。
冷静なアーヴィンスラードでは俺には勝てない。だけど、あの時は死んだな、と思った。少なくとも、斬り合いだったら負けていた。アーヴィンスラードは、俺を殺せるポテンシャルを秘めている。
「俺じゃあオマエに勝てない?だったらもう一回試してみればいいじゃねぇか。どうせそれがお望みなんだろ?」
その言葉を聞いてニヤリと笑い、アーヴィンスラードの刀を置いた。砂を巻き上げて錬金術を開始する。
「悪いな、藤田の爺ちゃん。写しを作るのを許してくれ」
爺ちゃんが魂を込めて打っているのを見ていたから、錬金術で刀を作るつもりなんてなかった。刀じゃなくても銃で戦えばいいんだから、その必要もなかった。何より、俺は剣道を捨てたんだから。
それでも、竹刀を捨てることはできなかった。あの日々の思い出が頭をよぎる。気づけば、作り出した鞘入りの刀を、自然と左手で帯刀していた。傘でもそうだが、やっぱりこの位置がしっくりきちゃうんだよなぁ。
短い間だけど思い出にひたってて、アーヴィンスラードを完全に放置していた。文句も言わずに待っているその姿に、親しみと、イジワルしたくなる衝動が湧いてくる。
「これ、返すぜ」
念動力で刀を返した。今度は投げ捨てて、アーヴィンスラードの目の前に突き立てる。だけど、それを手にしたアーヴィンスラードの表情に怒りはなかった。やっぱりいいヤツじゃん、オマエ。それでこそ、この刀を抜く価値がある。
作り出した刀を鞘から抜いた。反りの浅い二尺三寸。鍔の四方には、ハート形のような猪の目が彫られている。
「一六代目清光。加州清光。その写しだが、本歌は刀工会心の一振りだ」
アーヴィンスラードは、この説明を名乗りと受け取ったのだろう。表情が引き締められ、下段の構えをとった。その誘いに、俺は面を捉え、中段の構えで応じる。
「悪いなミラジット、ダチを借りるぜ。ちょっと語り合ってくるわ。語り合うだけだから」
状況が飲み込めないミラジットを放置して、俺とアーヴィンスラードの、刃の語り合いが始まろうとしていた。




