36 アーヴィンスラード
アーヴィンスラードがポルタヴァに向かう部隊を発見してから二日後。彼はその間に付近の戦力を集結させていた。
バルトロメウスが率いるのは歩兵二千と騎士五百である。それに対し、オーガを中心に五千を超える数の魔族、そしてポルタヴァ内の邪龍二千五百が夜間の奇襲を計画していた。
現在、丘の上でバルトロメウスが野営の準備を開始しており、時刻は夜十時である。明日にはポルタヴァに到着する筈であった。
対する魔族は、既に二時間前から行動を開始している。二十キロ先で待機していたオーガの部隊が前進していて、現在は野営地から十キロ程の距離である。夕方まで降っていた雪が浅く積もっており、オーガ達は真っ白な大地をかき分けて進んでいた。間も無く、この戦争の行方を決定づける戦いが始まるだろう。
邪龍も出撃に向けて、ポルタヴァの南門前広場にて待機していた。ドラゴニアが五百、邪龍が二千。彼らは焚き火を囲んで寒さを凌いでいる。
南門から少し先、ポルタヴァ市街を見下ろす事のできる要塞化された小高い丘では、五百を超える翼竜が所狭しと羽を休めていた。ドラゴニアの人数分であり、長距離移動のために用意されている。
そして城壁の上には、一人佇むアーヴィンスラードの姿がある。縁に腰掛けて右を向き、西の地平線の先を見つめていた。
雪は降ってないけど、夜中は一段と冷えるな。しかも、風が強くなってきやがった。決戦っぽい雰囲気になってきたじゃねぇか。
一昨日に敵を発見してから、俺は出来る限りのことをしてきた。俺たちはポルタヴァを落とされたら終わりだ。世界樹を失えば食料(精霊山羊)がなくなる。だが一方で、ここで奴ら、特にあの大精霊二人を倒せればこっちも勝機は見えてくる。アイツらが現れてからこの戦争はおかしくなった。絶対に、俺がこの手で殺してやるよ。
あの二人は兄貴の仇だ。俺と姐さんを救ってくれた兄貴には、いくら感謝してもしきれない。兄貴は、俺を認めてくれたのもそうだし、両親のせいで差別されていた姐さんを評価してくれた。兄貴がいてくれなかったら、姐さんは罪人の娘として一生過ごしていかなくちゃならなかった。
姐さんはいつも臆病者と罵られてきた。それに耐えながら、人一倍努力した姐さんは実力で周りの連中を黙らせてきた。頭は誰よりも良くて、戦闘でもオジクスの兄貴以外は勝てっこない。だけど、それでも長老たちは姐さんをバカにし続けた。
そんな姐さんのために一肌脱いでくれたのが兄貴だった。兄貴が居てくれてたから、今の俺と姐さんがある。能力をキチッと評価してくれた兄貴のおかげで、姐さんは自分のシマを持つことができた。
長老ども……あんなクソみたいな連中が邪龍を率いていたらと思うとゾッとする。実力が無いのに、ただジジイってだけで時代錯誤なルールを押し付けてくる連中だ。臆病者はお前らの方なんだよ……
俺があの大精霊をぶっ殺して兄貴の仇を討つ。それが兄貴への手向けになるし、それをやり遂げれば間違いなく俺はオジクスの後継者になれる。今まで面倒見てくれた兄貴の代わりに、これからは俺が姐さんを守ってやれるんだ。だからこんな所で立ち止まるワケにはいかねぇ。
「伝令が飛んできたよ?」
突然声をかけられてビックリした。俺の真後ろだ。全く気づかなかった……ついつい気が緩んじまってたな。
振り向くと、長い金髪を風になびかせているドラゴニア—ブロンシュの姿があった。十九歳の女の子で、色白の肌をしたドラゴニアだ。戦闘には参加しないから、いつも着飾っていて女の子らしい格好をしている。
「怖い顔してさ、何を考えてぼーっとしていたの?」
「昔のことさ。それと、お前をどうやって村に返すか考えてた」
そう言うと、ブロンシュに軽く胸を殴られた。端っこに立ってたから、思わずバランスを崩しそうになる。
「次言ったら、今度はブン殴って突き落としちゃうからね」
このワガママで破天荒なお嬢さんが俺の副官であり、頭脳だ。成り行きでそうなった。
ブロンシュの親父は世界を旅してきた元冒険家で、俺と姐さんの師匠である。その関係で俺たち三人は幼馴染だ。ブロンシュは、姐さんとはちょっぴり仲が悪いみたいだけど。
ブロンシュは箱入り娘で、両親から大切に育てられてきた。毎日家で母親と一緒に服を作っていたのだが、両親に黙って家を飛び出し、ビヒモスが引く荷車に隠れてこの街までやってきた。
もちろん俺と姐さんは帰るように言ったんだが、コイツは聞く耳持たずで全く帰ろうとしない。どうしようもないから、仕方なく俺の下で働いてもらっている。今はぴょんぴょん跳ねながら手を振って、飛んできた伝令に合図しているようだった。
すぐに伝令が着地してきた。俺より若い青年の邪龍だ。ブロンシュと同じくらいだろう。
「ご苦労だった。疲れてると思うが、早速だけど伝言を聞かせてくれ。それと、お前が見てきた現地の様子を見せてほしい」
俺がそう言うと、伝令の邪龍は膝をついて頭をたれた。その頭に左手を当てて目をつぶる。
暗闇の中で、俺は意識を手のひらに集中させた。
(敵が行動開始。間も無く戦闘開始)
目を閉じて真っ暗だった頭の中で、声が響いた。そして少しずつ、彼が見てきた光景が視界に広がってくる。月明かりに照らされた大地が、夜中にも関わらず白く輝いている。
視界が自分の意思とは関係なくキョロキョロと動き、やがて一点を見つめた。その丘の上は松明で明るくなっていて、いくつかの天幕が並んでいる。そして丘の中腹では、人間たちが整列して綺麗な長方形を作っていた。完全に戦闘態勢だな、これは。一方で、この付近を見渡しているが、どこにもオーガの姿はない。
(オーガは指定の位置で待機。三十分以内に戦闘開始可能)
ちょうど聞こうとしていたことを言ってくれた。「この辺で敵に見つからないよう待機しろ」と指揮官に命令していたのだが、考えてやってくれてるみたいだな。
「分かった、ご苦労だったな」
もう少し見せてもらった後、お礼を言って頭から手を離し、彼を立たせた。
状況から判断して、人間は付近を偵察してオーガを発見したのだろう。あそこら辺は起伏の少ない開けた地形だ。奇襲は失敗だが、俺も完全な奇襲が成功するとは思っちゃいない。
「すまないが、もう一度戻れるか?」
邪龍の青年はコクリと頷く。
「悪いな、そしたら俺たちと一緒に出発だ。それまで皆と待機していてくれ」
そう言われた邪龍は、さっきと同じように頷いた後、壁から飛び降りて広場に着地した。その後はドラゴニアの合間を縫って、後方で待機していた邪龍の集団へと走っていった。
さっきまで賑やかだった皆が、駆け抜ける邪龍に反応して静まり返っていた。一斉に、城壁の上に立つ俺とブロンシュの方を見上げてくる。戦が近づいていることを感じ取ったのだろう。
俺は、左手を上げて指を開いた。そして左から右へ動かしながら指を閉じる。邪龍が狩りの時に使う「待機」のハンドサインだ。
「もう少し楽にしてていいぞ。もう少しで出番だからな」
俺が大声でそう伝えると、皆は言われたとおりにした。ダベったり、メシにがっつき始めたり、剣を磨き始めたり……だけどその表情は引き締められている。
ドラゴニアの後方で待機している邪竜たちは、ずっと突っ立ったまま待機していた。皆が同じ姿勢だ。その先頭には、さっきの青年がまるで始めからそこに居たように溶け込んでいる。もうちょっとドラゴニアのようにリラックスしてくれてもいいんだけどなぁ。
ブロンシュは、俺の隣でその光景を眺めていた。城壁の真ん中まで戻ってからブロンシュの方を向くと、ブロンシュは手を後ろで組んで、ちょっと機嫌が良さそうな顔をしていた。
「どんな状況だったの?」
「敵は準備万端だ。オーガを発見したようだな。丘の中腹に移動して戦闘態勢を整えている。まぁ彼が見てきた光景だから、これが十分か二十分前だな。逃げ出すことはないだろうけど、もう少し丘を下りてるかもな」
俺がそう言うと、ブロンシュから笑顔が消えた。
「そんなに暗い顔しなくてもいいさ」
今のブロンシュが何を考えているのか分からない。だけどそんな様子だから、俺は彼女の肩をポンポンと叩いた。俺としちゃあ急に暗い顔されるよりは、笑って送り出してくれる方が嬉しいに決まってる。
「戦えないなんて副官失格だよね……いつかは、翼竜に乗って私も戦場についていきたい」
ブロンシュはますます暗い顔をしてしまった。兄貴の副官だった姐さんと自分を比べてるんだろうか。
「まぁ落ち込むな。姐さんは規格外だからさ」
ブロンシュは十分に魔法は使えるから(むしろ並の奴らより強いかもしれない)、いつかは狩りに連れて行ってもいいだろう。だけど初っ端からこんな戦いに連れて行くわけにはいかねぇ。
ブロンシュは父である師匠と同じで、翼や角みたいな邪龍としての身体的特徴が全くない。代わりと言っちゃなんだが、耳がピンと伸びていて長い。これはエルフの特徴だな。ブロンシュの母親がエルフで、小さい頃はマクシミリアノ共和国貴族の召使いとして働かされていたらしい。人間のことを恨んでいて、娘であるブロンシュもその影響を受けている。だから戦いたいんだろうし、毎日服を作っていただけの娘がこんな所までやってきたんだろう。
「ポルタヴァまでこっそりついてきたときはビックリしたぜ?まぁ、かなり助かったよ。俺がいない間も、ポルタヴァで姐さんと話を合わせてくれてたしさ」
そう言って、俺はブロンシュの頭を撫でた。いつも嬉しそうにしてくれるから、ホント撫でがいがあるんだよなぁ。
「あの時も私の頭を撫でてたよね」
そう言われて、右手を残したまま考えた。コイツの頭を撫でた回数なんて覚えてないけど、たぶんアレだな。
「ポルタヴァでお前を見つけた時のことだろ?」
「そう、それ‼︎変な奴らに絡まれてたから怖かったなぁ」
姐さんと一緒に街をブラついてたら、ブロンシュが十体くらいのドラゴニアに囲まれていた。美人だし、エルフにしか見えなかったんだろう。俺と姐さんも、遠くだからブロンシュだと気付いていなかった。まぁ俺たちが駆けつける前には、使役術と雷魔法で撃退してたけどな。
その時はついつい嬉しくなって頭を撫でたが、「人間と戦わせて欲しい、私も何かやらせて欲しい」と言われた時は、姐さんと一緒にどうしたもんかと考えたものだ。
「あれからなんだかんだ言っても、私のことを頼りにしてくれてるよね。ミラジットも私のことを認めてくれてるし」
「何週間も積荷に隠れてポルタヴァまで来たんだろ?さすがに追い返せねぇよ。その勇気を称えて頭を撫でたのさ」
ブロンシュは苦笑いで俺に撫でられている。昔と変わんねぇなぁ。大きくなっても頭を撫でられるのが好きなんだな。
ブロンシュは、ハーフエルフだから長生きするらしい。百年くらいこの姿のままだ。だから、俺が死ぬまではずっとこの笑顔なのかな。俺なんか、いつかは長老みたいなジジイになる。そう思うと、羨ましいような、寂しいような感じがした。
「さてと、そろそろだな」
ブロンシュから手を離した。そして、西の空を睨みつける。首の関節を鳴らして、深呼吸で調子を整えた。
「応援してるから。だから、絶対負けないでよね」
頷いたあとに、前に出て広場を見下ろす。
徐々に、そして一斉に静まり返って、皆が俺に視線を合わせた。焚き火の炎が一人一人の顔を照らす。時が来たことを予感しているようだった。それを確認して、もう一度ブロンシュの方を向いた。
「準備が終わったら出発する。また俺がいない間はよろしく頼む。なるべく早く帰ってくるからさ」
ブロンシュが頷いた後、さらに一歩前に出て壁際ギリギリに立った。
「皆、準備は出来てるな?奴らは歩き疲れてクタクタで、横になろうとしていた真っ最中だった。せっかくだから、このまま永遠に奴らを眠らせてやろうじゃねえか‼︎」
手短に終わらせたが、皆は声を張り上げて俺に応えてくれた。
オジクスの仇を‼︎
どこから上がったか分からないが、次第に皆がそれを叫び始めた。
「オジクスの仇を‼︎まずはあの大精霊からだ‼︎みんな行くぞ‼︎」
俺が飛び上がったのに続いて、ドラゴニア、邪龍、そして翼竜たちが続いてきた。俺を含めたドラゴニア全員が空中で騎乗する。
「俺は最後尾につく。全員出発だ‼︎」
掛け声を上げて皆が進んでいった。
俺はそれを見届けてブロンシュを探すと、城壁の上ギリギリに立って、またぴょんぴょんと手を振っていた。危なっかしいので、翼竜をブロンシュの前まで進ませた。
「お前は飛べないんだから無茶するなよ」
「うっさい!さっさと倒して帰ってきてよね!」
翼竜の羽ばたきがブロンシュの髪とスカートを揺らしている。彼女はそれを必死に押さえていた。面白いからもうちょい見てたかったけど、その場を後にして皆の元へ向かった。
ブロンシュはずっと手を振っていた。俺はそれを、振り向きながら見えなくなるまで見つめていた。




