33 強者と弱者の世界
兵士達がボートを漕いでドニエプル川を渡っている。私は、渉やミラジット、そして邪龍達と一緒にその光景を眺めていた。
当初の計画では、私と渉で対岸の邪龍を排除した後に本隊を渡河させる予定だった。だが数日前に、ミラジットを含めた全員が降伏した。ミラジット以外の邪龍はこのまま拘束されるが、彼らの安全は保証されている。
渉とミラジットが、出会った時の事を話していた。丁度我々が立っているこの場所で、一週間程前の話だ。
ミラジットは数日滞在した後、私と一緒にライゼンリード軍に合流していた。その間にミラジットは、ポルタヴァ内の部下を世界樹へと移動させた。他のリーダーには、ソカーニルと一緒に「ドニエプル川には少数しかおらず、大規模な軍勢が迂回して世界樹に向かっている」と説明したらしい。
実際には、既に世界樹は我々に受け渡されており、今夜ライゼンリード軍が世界樹に到着する。我々は明日からポルタヴァへ向けて攻め入るが、そこで敗走した邪龍達から世界樹を守るのがライゼンリードの役目だ。
邪龍内の三つの派閥の内、ミラジットの派閥が最も数が多い。ミラジットはオジクスから重要拠点の防衛や兵站を任されていた。彼女が味方になったことでポルタヴァの周囲に配置されている魔族達を移動し、素通りすることが可能になった。但し、魔族達は何も知らされていないので不測の事態は起こり得る。
問題は、各地で敗れた邪龍達がポルタヴァに撤退してきた事だ。それでもポルタヴァ内の邪龍は作戦立案時(約三千)と同数程度であり、減った数だけ増えたと考えればいいだろう。
我々が会話している間に、最初のボートがこちら側へ到着した。彼らはカエルラ近衛騎士団だ。アントワーヌとステファンが所属している騎士団であり、この場にいる彼らの実力は、カエルラ騎士の中でも折り紙つきだ。
騎士達が積荷を下ろす中、一人の男性が真っ直ぐ私達の許へやってきた。
「これでポルタヴァへと向かうだけですね。心配事が、また一つ減りましたよ」
彼がこの騎士団の実質的な団長であるリシャールだ。彼は、「騎士の格好をした音楽家」とでも言うような人物だ。擦弦楽器であるフィーデルの演奏家で、吟遊詩人の様な一面もあるらしい。彼が私の目の前まで来たので、握手して出迎えた。
「リシャール副団長のカエルラ近衛騎士団なら、この場を制圧するのは容易かったんじゃないかな」
握手を終えた後、リシャールはミラジットの方を見た。
「さて、どうでしょうか。我々には、美しい貴女に刃を向ける覚悟があったかどうか……非常に心配です」
彼はゆったりとした口調で語った。恐らく口説き文句だと思うが、ミラジットの表情は険しくなった。
話の振りが悪かったかな、これは。
「何が言いたいのか全く分からないけど、貴方達で本当に大丈夫なのか心配になってきたわ……」
「あぁ……私も心配です……」
そう言って、リシャールは一人悦に入っていた。三人で顔を見合わせる。三十代のリシャールは凛々しいゲルマン系の容姿をしているが、性格の方は少し残念だったようだ。
「俺はミラジットが協力してくれて、本当に嬉しく思ってる。出来れば、これからもミーナの事を見守ってほしい。そうしてくれるなら生活も保証できるし、悪い話じゃないと思うんだけど」
渉が話を切り替えてくれた。それを聞いたミラジットは、即答を避けて天を見上げる。
「ミーナの事は貴方達に任せるわ。私とソカーニルは、これからの同胞の事を考えなくちゃいけない。ソカーニル達ドラゴンは解放する。それが貴方達との条件だからね。そして私が邪龍を率いなければ、我々がどういう末路を辿るかは想像が付くでしょう?」
恐らく、どう転んでも好ましく無い結末だ。それは邪龍だけでなく、渉にとっても不都合だろう。
「まぁ、この戦いが終わってから考えようか。私としては、ミラジットがもう一つの世界樹を安定的に管理してくれるのなら問題は無い」
私が何よりも優先するのは世界樹の保護だ。邪龍達の世界樹の扱いには不満があるが、彼らを生かしておく価値はある。
「私は心配ですね」
リシャールが再び喋り出した。
「ミラジット様が遠くに行ってしまう……それを止める勇気が私にあるかどうか……本当に心配です……」
案の定、実に下らない戯言だった……
当のリシャールは、ミラジットに一礼すると立ち去った。残された我々三人には、吹き付ける真冬の風の寒さが一層厳しく感じられた……
「彼は知的だが、少々風変わりな所がある。だが、実力と判断力がある事は確かだ。とまぁ、これは彼の部下であるアントワーヌからの受け売りだけどね」
私はリシャールの弁護を試みたが、二人の目は厳しい。どうやら力不足だった様だ。
「アントワーヌの言うことは本当ですよ」
そう言ったのはバルトロメウスだった。彼の隣には、北部戦線で一緒に行動したテオドールの姿がある。二人の背後にある河川敷では、次々と後続が到着していた。
「今度こそ私も一緒に行きますよ。マラピャチでの戦闘以来、前線に立たせてもらえなかったんですからね」
マラピャチ防衛戦は、渉がこの世界に来る前の話だ。
確かに、彼の本領は戦闘指揮等の戦術面で発揮される。彼が指揮を取っていなければ、アダマス海に面するあの要塞都市を守り抜くことは不可能だったろう。
「だけどいいのか?アントワーヌはバーティーが居なくなってさびしがってるんじゃないのか?」
そう言いながらも、渉はバルトロメウスを抱擁で迎える。
「レグニスタは小国なんですから、私がカエルラやレタレクトの貴族達を相手にする方が無理なんですよ。各国の上層部が認めても、司令部の全員が賛成してるわけじゃないんですからね」
そう言って彼は胸を張る。それもそうだろう。彼の言う様に、自国よりも強大で、一回りも二回りも歳の離れた要人達と渡り合ってきたのだ。この戦争で彼は、レグニスタと自分自身の存在感を世界に示すことができたのだろう。
「最後ぐらいは私の望みを叶えさせて下さい。最強の騎士達と、大精霊のお二人と、そして邪龍達と一緒に戦えるなんて機会は、もう二度と巡ってこないでしょう。将来語り継がれる戦いを、この目で実際に見たいんです」
バルトロメウスの口調と表情は喜びに満ちていた。アントワーヌが「彼は王子である前に、一人の騎士なんです」と言っていたのを思い出した。
「まるでもう死んでもいいような口ぶりだな。だけど、死ぬのは俺が許さない。ここまで来たんなら、絶対に生きて祖国に帰れよな。この場にいる全員だぜ?ミラジット達だってそうだ」
渉は、少々大きな声でお題目を唱えた。バルトロメウスだけはそれを聞いて奮い立っていた。近くには近衛騎士団の騎士達もいたが、彼らは冷ややかながら渉に賛同の意を示した。
河川敷では、ミーナとガウナ、そしてソカーニルが上陸していた。それを見た渉は、彼女達の許にまっしぐらだ。まるでピクニックに来たかの様に浮かれてる。
渉の言ったことは夢物語だ。これから行われる戦闘で、死者をゼロにする事は不可能に近い。最悪の場合を想定すれば、主力は騎士ではなく、飽くまでも歩兵だ。そして貴族である騎士達の命は重い。
渉の言っていることは強者の理論だ。カエルラ近衛騎士達の指揮は高まるのかもしれないが、これを聞かされた一般の兵士達はどうだろう。彼らは邪龍相手に為す術がない。
レタレクトの兵士達は、暗い表情で粛々と荷揚げを行なっている。彼らが作業の傍で渉を見るその眼には、怨念感情がハッキリと宿っていた。




