28 戦火の友情
広大なドニエプル川が流れている。川を挟んで、人間と魔族が睨み合いを続けている場所である。日が落ちる頃だが、空は青い。
最前線であるドニエプル川の中でも、この場所は邪龍の手に落ちたポルタヴァから最も近い場所にある。かつては石造りの橋が架かっていたが、退却の際に破壊されて半分しか残っていない。
ポルタヴァはレタレクティア帝国の領土であり、この世界の魔力を作り出す巨大な世界樹の一つが郊外に聳え立つ。当然ながらレタレクティア帝国の重要な都市であるが、邪龍の集団には対抗できず、カエルラ帝国を主力とした軍団が攻略を担当している。この場にいるカエルラ帝国の戦力は歩兵三千と騎士(及び騎兵)が五百ほどである。
二人の若い将校が河川敷に立っている。対岸にいる数体の邪龍達が、感情の無い瞳で彼ら二人を凝視する。青年二人は同じ国の出身ではなく、仕える国も違う。当然ながら、制服も異なるものを身に着けている。一人の男は、北部戦線にて渉やアストリッド達と共に戦ったアントワーヌである。カエルラ帝国の帝位継承権を持つ彼は、隣に立つ他国の将校と親しげに会話していた。
もう一人の男は、レグニスタ公国のバルトロメウスと言う青年だ。現レグニスタ公爵の息子である。彼はプラチナブロンドの巻き毛を短く揃え、伸ばした後ろ髪は一つに纏めている。彼はこの十字軍で、レグニスタ公国の指揮官として初陣を経験した。アントワーヌもこの十字軍で初陣を飾り、指揮官であり、同い年の十九歳である。アントワーヌが南部戦線に移動した際、気の合う二人はすぐに意気投合し、親友となるのに時間は掛からなかった。
「アントワーヌ、見てみろ」
バルトロメウスはアントワーヌとの会話中にふと気になり、遠眼鏡に目を通す。
「美しいな」
バルトロメウスは思わず感情を口にした。黒髪の、美しい女の邪龍だった。その邪龍がチラリと彼を見る。彼女は男を見るなり、林の中へと去っていった。女は邪龍というよりはドラゴニアだ。先程のドラゴニアは翼を持ち、角が生え、龍の尻尾まであった。ドラゴニアは個体によっては翼や尻尾が無かったり、翼の大きさや角の見た目も違う。あのドラゴニアは邪龍の特徴が濃く出ているが、人間には持ちえない美しさを備えていた。
「確かに美しかったな」
アントワーヌも同じ意見だったようであり、二人で少しの間余韻に浸っていた。
「邪龍には本当に苦戦を強いられた。この地で俺が死ぬのであれば、彼女に殺してもらいたい」
バルトロメウスの呟きを聞き、アントワーヌは苦笑した。
「それでいいのか?お前なら、彼女を平伏させて許しと忠誠を誓わせる、と言ってくれると思ったが」
アントワーヌの問いかけに、彼も苦笑いで返した。その時、彼はこちらに向かって来る一人の人物にふと気が付いた。
「それにはカエルラ近衛の力が必要だな」
アントワーヌはまだ気付いていないが、来客はまだ遠い。彼はそのまま話を続けた。
「貸してやるさ。それに、もうすぐ大精霊のお二人が来る。きっとお力を貸してくれるぞ?」
アントワーヌは言い終わると、カエルラ皇帝より下賜された指揮杖をバルトロメウスに差し出した。彼はジッと見つめた後、それを片手で受け取った。
「大精霊になんて言う?女の邪龍をものにしたいから力を貸してくれ、とでも言うつもりか?」
バルトロメウスは素っ気なく答えた。彼は別に、一目見たあの邪龍を望んでいるわけではない。女をどうやって捕まえるか、そんなことはどうでもいい話だ。一方でアントワーヌは、
「あのお二人が協力してくだされば上手くいく。せめてどちらかでも力を借りれないだろうか」
と、腕を組み、遠い目をして、その様子は本気で思案しているらしかった。
アントワーヌは少し考えた挙句、「突っ立ってないでお前も考えろ」と言ってきた。これには返事の代わりに、笑いながら首を振った。
それを見たアントワーヌは、「お前が言い出したことだろう」と言う。
(美しい女の邪龍がいるとは言ったが、欲しいとは言ってないぞ)
口には出さなかったが、バルトロメウスはやはり首を横に振った。
「だったら俺があの女をもらうぞ。大精霊には俺が話す。まあ、こんな話はエズリーズ様には無理だな。ワタル様の方がいいだろう」
アントワーヌは強い口調だった。他愛もない話だと軽く流していたが、相棒はそうではなかったらしい。
「あの大精霊も真面目な御方だ。女の為に頭でも下げるつもりか?お前はカエルラの皇子だぞ」
バルトロメウスはたしなめるように言った。
「あの邪龍だったら悪くないな」
それを聞いたバルトロメウスは、肩をすくめて呆れた。アントワーヌは女好きだが、捕まえて閉じ込めておくような節操なしではない。ポルタヴァ奪還作戦を前にして、弱気になっていた自分への当てつけで言い出したのだ、ということをバルトロメウスは理解している。
問題は、自分が『重症』だったので、アントワーヌが本気で事をやりかねないほどムキになってしまったことだ。彼はそれに気づいて呆れていた。
「カエルラの将来が心配だな」
「そこまで言うか⁉お前にはあの邪龍を抱かせてやらんぞ」
アントワーヌは腹いせに指揮杖を奪い取る。子供じみた行動に、微笑ながら、バルトロメウスは心からの笑みを見せた。
そんな二人を歩きながら観察していた人物が、アントワーヌの後方から近付いていた。まだ少し距離はあったが、
「私も同感ですな。バルトロメウス殿」
と声をかける。アントワーヌがその声に振り返り「枢機卿猊下」と、何も無かったように挨拶をした。枢機卿と呼ばれた人物は、青年らの父親と同年代に見える。緋色のカソックを身にまとい、同じく緋色のカロッタを頭に乗せている。
バルトロメウスがアントワーヌに続いて声をかける。
「これはアリヴェーニュ公。あなた自らこちらに来られるとは。エストブルターニュの方は、もうよろしいのでしょうか?」
男の名前はクレマン・フィリップ・デュ・シェレル。カエルラ下級貴族出身の彼は、地位を捨て教会に仕えながらも、近年カエルラ皇帝から公爵の地位を与えられている。
「半島もこちらと同じだ。魔族は冬営に入って活発な動きをしていない。暫くは様子見だ」
この戦争は北部戦線と南部戦線だけではない。東の『エストブルターニュ』と呼ばれる半島も戦場となっている。この場所は、聖ゲオルギウス騎士修道会の流れを汲む、通称『エストブルターニュ騎士団』が領土としている。
「遅ればせながら、アントワーヌ様、お久しぶりでございます。バルトロメウス殿、ドニエプルラインまでの撤退の判断は賢明であった。私もこの戦線に参加するよう拝命し、貴殿らの下に馳せ参じた次第だ」
クレマンの発言に、青年二人が顔を合わせる。
「アリヴェーニュ公、貴方は拝命したと仰いましたが、それは公爵として、もしくは枢機卿、どちらの意味で受け取ればよろしいのでしょうか」
バルトロメウスが尋ねた。
「お二人方からの拝命である」
バルトロメウスは驚き、そして笑みを浮かべた。アントワーヌは腕を組んでアリヴェーニュ公を見つめている。
「ポルタヴァの作戦に当たって、半島から騎士を派遣する。率直に私の要件を言おう、カエルラ近衛騎士団を含めて、貴殿らが求めている戦力が知りたい」
アリヴェーニュ公の踏み込みすぎた発言に、アントワーヌは周囲の目を気にしていた。川幅一キロ以上とはいえ、対岸には邪龍もいる。だが、灰色の修道服を身に着けた者達が周囲に配置されていることに気づき、その心配が無用であることを悟った。
一方のバルトロメウスは、アントワーヌの心配を知ってか知らずか、興奮した様子でアリヴェーニュ公の質問に答えた。
「スラヴ人の街ポルタヴァは、今や邪龍の居城。カエルラ近衛騎士レベルでなければ対応できません。近衛の投入を許可して頂いた時に私は震えましたが、よもやエストブルターニュまでとは‼」
バルトロメウスは我を忘れたように語った。要領を得ない回答だったため、アリヴェーニュ公は眉をひそめてアントワーヌを見る。
「バルトロメウスは猊下の用意して下さった戦力に満足しているようですね。半島から、選りすぐりを十人ほどお借りすることは可能でしょうか?」
「それだけで良いのか?」
アリヴェーニュ公の発言に、バルトロメウスは再び語気を強めた。
「それだけとはとんでもない!エストブルターニュの先鋭十人……レグニスタに攻めてきたら、止めることは不可能でしょうね……」
語気が強かったのは最初の一言だけだったが、そう言ったバルトロメウスは高揚収まらぬようで、枢機卿であるアリヴェーニュ公に背を向け、膝を付き、神に感謝を捧げていた。
アリヴェーニュ公はバルトロメウスの様子などどうでもいいらしく、アントワーヌに視線を戻した。
「エストブルターニュからはそれで十分です。近衛騎士団は予定通りでお願いします。カエルラから、その他の戦力を追加で投入する必要はありません」
「それならば良い。だが、カエルラの中核を為す戦力を投入するのだ。使い潰すようなことがあってはならんぞ」
カエルラ近衛及びエストブルターニュ騎士団は、カエルラの誇りであり国家の威信である。カエルラを問わず、全ての騎士がその存在に敬意と畏怖の念を抱く。バルトロメウスはレグニスタの王族ながら、自らも一人の騎士として、騎士の頂点たる彼らの指揮を委ねられたことに興奮していた。
「相手は邪龍ですから油断は出来ません。騎士と同じように、邪龍にも強者と弱者がおります。ポルタヴァの邪龍は強者の集団です」
アントワーヌの一言に、アリヴェーニュ公は一層険しい表情となった。
「ポルタヴァに辿り着き、包囲し、そして全ての配置が完了したとして、そこから都市を落とすのに何日かかる。いや、何ヵ月かかるのだ。半島の魔族が動いた場合、エストブルターニュの騎士は即座に撤収せねばならん」
バルトロメウスは我に返って立ち上がり、そしてアントワーヌの顔を見る。二人は頷いた。
「一日」
二人は揃って答えた。
「包囲の必要すらありません。北部戦線で勝利したアストリッド様が世界樹を奪還した後、騎士団と大精霊様のお力をもってポルタヴァを奪還します」
アントワーヌの言っていることが、アリヴェーニュ公には理解できなかった。そんなに簡単なら、ポルタヴァはとっくに取り戻している。
アリヴェーニュ公は政治家だった。もちろん、枢機卿という身分でもあるのだが。彼はカエルラ皇帝と教会を繋ぎ、政治・外交の分野でカエルラの実権を握った。カエルラ皇帝は、己の全力を以て国の為に働く彼を信頼した。時に教会は蔑ろにされ、彼らは不満だったが。
アリヴェーニュ公は政治家であるのだが、彼は軍事に疎かった。基礎的なことは理解しているが、例えば、『戦力』や『戦いの流れ』というものを想像できないので、具体的な作戦計画を考えることが出来ない。彼はこの十字軍において、志を同じくするアントワーヌという皇族の青年を見つけた。アントワーヌが信用するバルトロメウスという他国の王子も、軍事の専門家として信頼を寄せていた。
「貴殿らの自信が理解出来ん。オジクスはジョルジュ(ゲオルギウス)の雷と雪嶺を、同時に相手にしながら倒したのだぞ。エストブルターニュ最強の二人だった筈だ」
オジクスは、エストブルターニュ半島にて騎士団最強の二人を殺している。外野が見守る中の、ニ対一の決闘であり、ジョルジュの雷と呼ばれた人物が騎士団総長であった。
この世界は魔法の存在により、人間が一騎当千の存在になりえる。戦場に立たずに軍事感覚を研ぎ澄ますことは、地球でのそれよりも難しいのかもしれない。だからこそアリヴェーニュ公は、最前線へと精力的に足を運んでいるのかもしれない。
「その点につきましては、大精霊のお二人から夜の会議の場で直接伺いましょう。二人は時間を必ず守りますから、そろそろ到着されると思いますよ」
夕日は既に山影に沈んでいた。地平線に赤い空が広がっている。三人は、崖の上に見える要塞へと戻っていった。要塞内にはエズリーズと渉、そしてミーナの三人が既に到着しており、将校たちと会話をしながら、最大のキーパーソンである三人の戻りを待っていたのであった。
相変わらず投稿に時間がかかっております……
多少変更がありまして、
十字軍8話の「皇太子でもあるアストリッド」を「王女でもあるアストリッド」に、
十字軍12話の「アントワーヌとソランジュさんのカエルラ騎士コンビ」を「ステファンとソランジュさんのカエルラ騎士コンビ」に変更しております。
12話の方は大きな変更ですが、アントワーヌはオストフチで一言も喋っておりませんので、その他は変更ありません。
単純に間違いです>< 自分自身、ステファンとアントワーヌが時々逆さになっちゃうんですよねぇ。




