その十三 ウイツィトンの解釈
メキシコの伝説
ウイツィトンの解釈
伝説は、ウイツィトンがアステカ帝国に偉大な時を与える未来に関する意図をどのように解釈したか語っていますが、同時に長年の巡礼で直面しなければならなかったことも告げています。
メキシコ盆地に居住した民族集団はいろいろありました。
でも、一番重要な民族はナワトル語族として知られている、全体で七つの部族でした。
元来は一つの国民と呼ばれるべきものであり、メキシコの中央の地域にずっと前に到着した他の民族集団が住みついた後に、メキシコ盆地に定着した民族でした。
ナワトル語を話す部族は同じ国に属する部族で、共通の起源を持っていますが、起源となる場所からの部族移動は異なった時期になされています。
メキシコ盆地に住みついたこれらの部族は、ショチミルカ族、チャルカ族、テパネカ族、コルア族、トラウイカ族、トラシカルテカ族、そしてメシーカ族です。
これらの部族の発祥の地はアストランと呼ばれる地域です。
これらの部族は全て同じ言葉を話しますが、呼んでいる名前が異なっている理由は彼らが住みついた場所が異なっていたが故です。
こうして、ショチミルカ族はアグア・ドゥルセ(甘い水)湖の西の小川に建設されたショチミルコという大きな都市の名前を取りました。
チャルカ族は同じ湖の東の小川に位置したチャルコという都市の名前を取りました。
コルア族はクルウアカンという都市をつくり、メシーカ族はメキシコという都市をつくりました。
同様に、トラシカルテカ族はトラシカラをつくりました。
トラウイカ族はその地がアルマグレ(代赭:たいしゃ)が豊富に取れたところであることから、トラウイカンという名前からその名前を取りました。
それは、その言葉の語源がアルマグレを意味するトララウイトルという草の根から派生しているのです。
テパネカ族は湖の西の小川にアスカポツァルコという有名な都市をつくりました。
その名前は、何人かの研究者によれば、「宮殿の住人」という意味なのだそうです。
これらの部族全てが同じ場所に由来するとは言っても、アナワク盆地に同時に来たわけではなく、来た時期は異なっており、一見したところ、名前を挙げられた順に、この盆地に到着したということは間違いなさそうです。
メシーカ族はウイツィトンが試みた解釈によれば、アナワク地域に着いた最後の住民でした。
メシーカ族はメキシコ合衆国の北東に位置するアストランに十二世紀の半ばあたりまで住んでおりました。
その地域を捨てなければならなかった理由はその時代にその地域を荒廃させた旱魃であり、彼らは生き延びることが出来る、もっと肥沃なところを探しに、その地域を出たとのことです。
伝説は、アステカ族(メシーカ族)の中にウイツィトンという名の人物がいて、賢さでは集団随一で、部族が生きていく事態の困難さに気付き、他のところを探そうと部族を説得しようとしたと語っています。
そして、まさにこのような考えを抱いていた時に、木の枝に止まった一羽の小鳥が、ナワトル語で「行こう」という意味の「ティウイ」という言葉を告げる声で歌うのを偶然聞いたと云われています。
彼は、その時、これは自分の意図するところを行うための好機であると確信しました。
彼はテクパルツィンという名の卓越した男のところに行き、その男を小鳥がいつも歌っている木のところに連れて行き、彼にこう言いました。
「友よ、テクパルツィンよ、この鳥が我々に言っていることをほのかに感じていないかい? 絶え間なく繰り返している、このティウイという言葉は、ほかでもなく、この地を去って他の地を探すが良い、ということを言っているのだよ。これは間違いなく、我々が良きようにと願う神のお告げなのだ。それならば、従おうではないか、この声に、下手に抵抗すれば、神の怒りに触れることとなろうから」
彼の知性が持つ高い概念によるところもあったのか、もしくは、同じところに留まることでかかってくる部族の運命も心配してか、テクパルツィンはウイツィトンの解釈に同意しました。
これら二人の男の結束により、豊かさを探すという気高い理由のほうに国民全体が惹きつけられました。
こうして、メシーカ族の巡礼の移動が始まったのです。
- 完 -