どっちが悪いと思う?
少女は呆れたようにシロを一瞥しそっぽを向いた。お得意の毒舌も出てこないあたり本当にシロに毒気を抜かれたのだろう。
「……あるところに、親子がいたの」
かわりにぽつりと、少女は呟く。
「……は?何、突然」
唐突な少女の語りに冬夜は訝しげに眉をひそめた。しかし少女が冬夜に答えることはない。赤い眼差しは、窓の外を静かに飛び回る白鷺に向けられている。星空のあちこちにたゆたう白鷺はまるで白波のようだった。
「母親はある暑い日、子供のためを思って子供に帽子を被せてあげた。熱中症にならないように」
思い遣りのある母親、どこにでもありそうな親子の様子だ。それが一体何なのか。少女は星空の波を眺めながら告げる。
「ところが子供は亡くなった」
ずきり。
何故か心臓が痛んだ。
「母親が良かれと思って被せてあげた帽子が風に吹かれて、それを追いかけて子供は道路に飛び出した」
少女の赤い眼差しが、冬夜へと移る。少女は首を傾げた。
「……どっちが悪いと思う?」
「……どっちって」
ずきり、ずきり。
冬夜の心臓が痛む。少女の視線に鷲掴みされた心臓の音が耳までこだまする。
この話はなんなのだろう。
少女の視線は沈黙による答えはおろか、質問も受け付けていない、そう強く語っていた。冬夜が選ぶまで、この視線は逸らされない。そう察した。
しかし心臓の痛みは増すばかりだ。どちらかを選ばなければならない。どちらか、どちらかを、
「母親」
そして冬夜は選んだ。
「……母親なんじゃないの。母親が殺したようなもんだろ、そんなの」
選びはしたが、これはどちらが悪いだとか言う話ではないと思った。けれどもしどちらかが悪いと言うのであれば、どちらかを選ばなければならないのであれば。原因を作った母親なのではないか。
「そう、あんたはそう思うんだ。まあそうよね」
選ばせたくせに、まるで冬夜の答えには興味がないとばかりにおざなりな返事だった。少女は軽く眼鏡を持ち上げ、淡々と告げる。
「シロを殺したあんたなら」
くるり、踵を返し歩き出す。少女はただの一度も振り返ることなく、青い髪を揺らして車両から出ていった。
たたん、たたたん。
ゆっくりと列車が動き出す。鷺の白波が遠ざかっていく。ちかちかと青い三角標の光が列車の中を照らす。
「…………え?」
少女がいなくなってどれくらいの時間がたったのだろうか。やっと冬夜は一音を発することが出来た。シロが不安そうに冬夜を呼ぶ。しかし冬夜の耳には入らない。
「……俺が、殺したって……どういう」
少女は言った。シロを殺したあんたと。確かにそう言った。
「……どういうこと?」
本人を見ることなく問う。殺したとは一体どういうことだ。なんの冗談だ。冗談にしても笑えない。シロは勝手に殺さないでと憤るべきだろう。憤って、そしてあの少女の言葉を早く否定してほしい。しかしシロは否定をしてくれなかった。
「冬夜くん……座ろ?いったん、落ち着こう?」
肯定も否定もすることは無く、シロの指が恐る恐ると冬夜の袖を掴む。なんだかそれが、やけに癪に障った。どうして、なにも言ってくれない。それじゃあまるで本当に、
「……どういうことって聞いてるんだけど」
言葉の先は飲みこみ、もう一度問いかける。振り向くとシロは冬夜から目をそらすように俯いた。
「俺がシロを殺したってどういうことなんだよ」
「…………」
シロは答えない。俯いて、口をつぐんでいる。
「……シロは、生きてるよな」
「うん……」
すがるような問いかけに、ようやくシロが口を開いた。
「わたし、ここにいるよ……ちゃんと生きてる」
するりとシロの手が冬夜の手を取る。体温の低い、柔らかい手。この手が、死人の物だなんてありえない。こうして冬夜の手をしっかりと握っているのだ。死んでいたとしたら、一体どうやって手を握るというのか。
「……そう、だよね」
漏れたのは乾いた笑い。流石にひどい冗談だと笑い飛ばせるような心境ではなかった。
シロの手に導かれ、冬夜は座席に腰を下ろす。
たたん、たたたん。
車内に車輪の音だけが響く。冬夜もシロも、口を開かない。ただ流れる景色をぼんやりと眺めていた。
「……あ、冬夜くん……せっかくもらったんだし、チョコ食べたら?」
まだ冬夜の手に握られていたチョコに気付いたシロが溶けちゃうよ?と促す。
そういえば貰っていた。存在を憤りとともに頭のすみに追いやっていた。
「…………」
手を開いてみる。チョコはまだ体温で溶けてはいなかった。しかしそのチョコを見ると次第にあの少女の顔を思い出す。
「いいよ、あげる。いらない」
しばらくチョコを睨み付けて思案した末、冬夜はチョコをシロに差し出した。シロは少し目を瞬いたあと、戸惑った顔で眉を下げた。
「え……で、でも」
「いらないなら捨てるけど」
「……貰ったもの捨てちゃだめだよ」
困ったように、けれど諭すように言われてしまう。
このチョコを見るとあの少女の顔を思い出すのだ。どうにも終わったはずの憤りがまた甦ってくる。しかしそれを踏まえてもこれが流石に大人げない行為だとは気が付いた。
困ったシロの顔と手のひらのチョコを眺め、冬夜は負けたと言わんばかりに息を吐く。
「……わかったよ」
食べればいいんだ食べれば。よくよく考えればただのチョコだ。むしろこんなところで変に意地を張るよりもさっさと胃の中に消してしまった方が早いに決まっている。
冬夜の返事に、シロがほっと微笑んだ。久々にシロの笑顔を見た気がした。
「わたしもさっき食べたけど甘くて美味しかったよ」
「そりゃチョコだしね……」
チョコを包む透明なフィルムをめくる。羽の形をした小さなチョコレート。口に放り込めばあっという間に溶けてしまった。
「美味しい?」
「普通」
「そっか」
味わうつもりもなかった上にそもそも何の変哲もないチョコだ。とてつもなく高級で美味しい味がするわけでも苦くて不味いわけでもない。シロの苦笑した返事を聞きながらかさりとフィルムを握り潰す。
「…………」
くらり。
目眩がした。
たたん、たたたん。たたん、たたたん。
列車の揺れに合わせてくらくらゆらゆらと、視界が回っていく。乗り物酔いのような、目眩特有の不快感はない。ただ目の前にいるはずのシロの姿すら捉えることが出来なくなる。ゆらゆらぐるぐる。
やがて目に映るもの全部が渦を巻いて、形を溶かしていく。溶けきったチョコレートが合わさるみたいにとろとろくるくると、景色が混ざっていった。青い座席と床の茶色と窓の外に映る星の白。くるくると溶け合い、混ざり、濁る。白い星は渦の中で小さく光り、ふわりふわりと漂っている。
どさり。
後ろで急に重い音がした。
慌てて振り向くと、大きなファイルをいくつも床にばらまいたシロが、申し訳なさそうに謝罪のポーズをとった。ふわふわとあたりに埃が舞っているのが見える。
窓から差し込む日差しは、もうすっかり茜色で染まっていた。




