蝎の火でも使って燃やすことね
たたん、たたたん。たたん、たたたん。
別の車両に移っても、車輪の音は変わらなかった。当たり前だが、その変わらない音がなんだかほっとする。
こちらの車両にも人はいなかった。青い座席が幾つも並んでいるが、誰にも使われていない。車輪の音だけが聞こえる車内。
ふと隣の車両はどうなのだろうと思った。この先の車両にも、人はいないのだろうか。冬夜はちらりと後ろを窺う。まだ戻る気にはなれない。ならば進んでみるのも一興だろう。ぎしりと床を軋ませる。窓の外では冬のイルミネーションよりも穏やかに、けれどひときわ明るく光る、青白い三角標が立っていた。後ろに流れる青い光を横目に、冬夜はまた真鍮のドアノブに手をかける。
次の車両には青い布地の座席ではなく、真っ白なクロスがかかったテーブルが幾つも並んでいた。食堂車だろうか。染みひとつ無いテーブルクロスの上にはメニュー表らしき紙が置いてある。メニュー表の端に描かれた猫と目が合った。にゃあ、サラダの前にちょこんとお座りした絵の猫がそう鳴いてるような気がした。
食堂車を通り抜け、冬夜はまた次の車両に足を踏み入れる。並んでいたのは青い布張りの座席。誰もいない通常車両だ。しかしふとした違和感に、冬夜は首を傾げた。自分がいた車両とは何かが違う。冬夜はそれが車両の奥、次の車両へと繋がるドアにあることに気がついた。
鮮やかな緑色をした歪な形のドア。今までのドアは全て木製で、色も加工していない木の色そのままだった。ここのドアだけペンキでも塗ってあるのだろうか。そう思いながら近付いてみると、その緑がペンキでもドアの色でもないことがわかった。
「……なんだこれ、イバラ?」
まるでドアを塞ぐように、イバラが生い茂っていた。力強い緑色のイバラは列車の木の床から生えており、行く手を阻んでいる。ドアノブがあるだろう箇所には棘のついたイバラがびっしりと覆っており、無理にでもドアノブを掴もうとすると怪我をしそうだ。ここから先には、行けそうもない。
怪我をしてまでこの先を見たいわけではない。諦めるか。そう思って軽くため息をついた冬夜の背中に声がかかる。
「ダメよ」
びくりと背中の筋肉が固まる。体がその声に対して拒否反応を示していた。
すっかり嫌な声として耳が覚えてしまった。嫌々ながらもゆっくりと振り返る。顔も合わせたくはないが、背後にいられてはどうしようもない。元の車両に戻るためには対峙しなければならないのだ。やはりというか、眼鏡をかけたあの少女だった。その姿を確認して元々寄っていた冬夜の眉間がさらに険しくなる。
少女は冬夜もイバラの扉も視界に入れることはなく、面倒そうに小さくため息をついた。
「そこはダメ。今のあんたに見る資格はない」
まるで扉の先を知っているかのような物言いだ。資格はないだなんて、冬夜を否定した言葉に頭の血がぐらりと沸いた気がする。
「……なんなんだよ。さっきから」
自分の喉から出た音は思った以上に低くなっていた。自分が思っている以上に、冬夜はこの少女のことを受け付けていないらしい。しかし少女は怯むこともない。とすりと青い座席に腰掛け涼しい顔をしている。
「とにかくダメ。強行突破したいなら蝎の火でも使って燃やすことね」
蝎の火とはなんだ。蝎は別に発火する生き物ではない。それとも蝎を薪がわりにして燃やした炎ということだろうか。小さい蝎でこんな力強いイバラが燃えるとも思えない。しかし元の車両でもそうだったが、この少女の言うことは遠回りでわかりにくく、このイバラのように棘しかないのだ。追求したところで無駄なのだろう。
むしろ蠍よりも気になることがある。この少女は知っているらしいこの扉の向こう。
「ここに何があるんだよ」
「だから今のあんたに資格はないって言ったでしょ。見る資格も、知る資格も」
一応聞いてはみたが、やはり無駄だった。ばっさりと切り捨てられた。予想はしていたが頭には来る。
資格とは、なんなんだ。なんでお前は知っているくせに自分はダメなんだ。そう問い詰めたくはあったが、それも恐らく切り捨てられるのだろう。
少女がまた小さくため息をついた。赤い縁の眼鏡を指で押し上げる。レンズの奥の瞳はあきれ返ったように伏せられていた。
「わかったらとっとと帰りなさい。あの子、あんたのこと待ってるんだから」
まさかそんな言葉が少女から出るとは思っていなかった。先程はシロに対してあんなに容赦なく攻撃してきたと言うのに。
「…………ほんと何なんだよ。さっきはあんな風にあの子に毒吐いたくせに」
白々しいと言わんばかりに冬夜が呟く。冬夜の言葉など聞こえていないかのように、少女は何も言わなかった。散々毒を吐いたかと思えば今度は無視。いい加減舌打ちしたくなってきた。
このまま言い合いになっても冬夜は構わない。言われっぱなしは性に合わない。けれど、シロが冬夜のことを待っているというのは、きっと間違いではない。戻らない冬夜を心配している可能性だってある。そんなシロを放っておいてこの少女と喧嘩しても意味はない。損ばかりだ。あの表情を曇らせたくないと思ったばかりなのに、早々に心配させてどうするんだ。
冬夜は一人で待っているだろうシロの元に戻るため、足早にこの車両から出ていった。扉をばたりと乱暴に閉める。
「……それこそ、あんたが知る資格も権利もないわよ」
扉の音に隠すよう、少女が呟いた声は、冬夜には届かなかった。




