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銀河鉄道の眠り姫  作者: のら
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わたしのことは、忘れていいからね

たたたん、たたん。たたたん、たたん。

食堂車の窓の外を星の海原が流れていく。暗く広い空、今はどこを走っているのかわからない。景色を横目で見ることすらせずに、冬夜は目の前のシロを、ただただ視界に収め続けた。

「あったかいスープ?」

湯気を立てるティーカップを持ったままのシロがこてんと首を傾げる。

今の話題は好きな食べ物。冬夜は頷きながらコーヒーで口を湿らせた。

「シチューとか、そういうのが好きかな。逆に冷たい食べ物は嫌い」

「わたしもシチュー、好きだよ。あつあつのシチューにパンをひたして食べるの、美味しいよね」

「俺もそれ好き。パンは特に大通りにある角のパン屋だともっと良いな」

「あそこのパン屋さん美味しいもんね。冬夜くんもあそこの常連さんだったんだ?」

「まあそこそこ?」

「あそこの常連さんになると、イートインでパングラタン食べれるの、知ってた?」

「えっなにそれ初耳」

「えへへーあそこのパングラタン美味しいんだよー。売れ切れたら困るから、常連さんの中でも内緒の逸品なの」

「……今度注文してみる」

自慢げな顔するシロに今度は冬夜が訊ねる。

「じゃあシロの好きなものは?」

「わたし?わたしはね、これっ」

小さな両手で包んでいたティーカップを差し出される。中身の白い液体がゆるりと揺れた。

「……ホットミルク?」

「ただのホットミルクじゃないよ。角砂糖をひとつ入れると、あったかくて優しい味になるんだ」

そう言ってシロは息を吹きかけ湯気をくゆらす。甘い匂いがこちらにも漂ってくる。確かに匂いだけでも、優しい、心落ち着く香りだ。

穏やかな沈黙が流れた。列車はゆるく二人を揺らす。まるで時間が止まっているような、そんな緩やかな一時。

このまま、この時が、切り取られてしまえばいいのに。こうしてシロとずっとお茶を飲んで、他愛のない話をして、笑っていられたらいいのに。

「あ」

シロの呟きに、顔を上げる。シロは窓の外を見ていた。

「見て、竜胆」

「ほんとだ」

つられて視線をやると、輝く星の野原。ブルームーンストーンの透き通る竜胆が一面に咲き誇っている。まるで、最初に見た竜胆の花畑のようだ。いや、もしかしたら戻ってきたのだろうか。

「ね、冬夜くん。竜胆の花言葉って知ってる?」

シロも同じことを思ったのだろう。あの時と同じ質問。けれどあの時と違い、冬夜はもうその答えを知っている。

「あなたの悲しみに寄り添う、だろ」

「覚えててくれたんだ」

「まあね」

「えへへなんか嬉しいな」

忘れられるものか。忘れたくとも、きっと、一生忘れることなんて出来ないだろう。花言葉なんて興味もないし、これからも知ろうとは思わない。どれも聞いたところで覚えてはいないだろう。でも竜胆は、竜胆の花言葉だけは、一生、忘れやしない。

「……冬夜くん」

シロが小さく呼びかける。

「わたしのことは、忘れていいからね」

かちゃりと、カップを置いた音がした。

「シロ、それって……」

シロを見る。

「…………シロ?」

そこにシロはいなかった。人が座っていたかのように少し引かれた椅子と、飲みかけのホットミルクが入ったティーカップ。残されているのはそれだけ。

「っ……シロ!!」

シロの姿を探して、冬夜は思わず立ち止まる。あたりを見回すが誰もいない。

シロは、どこにもにもいない。シロは、いなくなった。

きっと列車の中を隅々まで探してもシロは見つからないのだろう。しいんと静まり返った車内のどこにも人がいる気配がしなかった。

指先にすら力が入らない。脱力感に身を任せ冬夜は再び椅子に腰を下ろした。

いつのまにか列車は止まっている。もしかしたらシロは列車から降りたのかもしれない。けれど立ち上がる気力だって今の冬夜には残ってなかった。呼吸すらも忘れていたのか肺の空気は少なかった。ため息といえるため息にもならなかったか細い息がわずかに開いた唇から漏れる。

ふと手元を見下ろすと、違和感のある白が目に入った。

真っ白いカップの中には、同じように真っ白な牛乳が注がれていた。たった今淹れたてのように湯気が立っている。このカップは先程自分がコーヒーを飲んでいたカップだ。なのに何故、ホットミルクになっているのだろう。

カップを持ち顔を近付けてみると甘い匂いがした。砂糖が入っているのだろうか、ミルクの甘さとはまた別の甘い匂い。

これは、シロが好きだと言っていたホットミルクだ。角砂糖をひとつ入れたホットミルク。優しくて甘い香りを漂わせるホットミルクはとても美味しそうだった。

きっとこれを飲めば、いつもいた場所に戻る。

何故かそう確信できた。

冬夜はゆっくりと息を吐く。湯気が目の前を揺らめき、消えていく。白いカップに口を近付けると優しい匂いがいっぱいに広がった。温かい液体に口をつけ、

「あんた、本当にそれでいいの?」

声がした。

あの嫌な声。

とっさに振り向いた。しかし、人の姿はどこにもない。ここには冬夜しかいなかった。

あたりを見渡し、それから飲みかけたホットミルクを見下ろす。

これを飲めば、いつもの場所が、いつもの日常が戻ってくる。

いつもの、しかし、今まで通りでは、ない。

そこにシロは、いない。

本当にそれでいいのか。そんなの、決まっている。

それが答えだと言わんばかりに、がちゃり、乱暴にカップを置いた。

椅子を蹴飛ばさんばかりの勢いで立ち上がり左右を見渡す。シロの姿をもう一度探したがやはりいない。

こつん。

固くて軽い音が足元でした。

くるみがひとつ、足元に転がっていた。茶色いくるみは冬夜の足にぶつかった反動でころころと床を進み、列車の外に繋がるドアにぶつかった。まるでこちらだと教えているかのように、くるみはこつりこつりと揺れてドアをノックする。

冬夜は迷わず、そのドアを開いた。

強い風が吹き抜ける。

目の前に広がるのはまばらに生えた木々の緑。道は無い。けれど冬夜は迷うことなく進んだ。木々には蔦が生い茂り、白いレースのような花とルビーのような紅い実が、まるでオーナメントのように彩っていた。足元には細い緑の草がさわさわと茂り、冬夜が進むたびに揺れて葉についた小さな露を零している。

ばさり。

大きな羽音が頭の上で響いた。枝の隙間から白い羽が覗く。鳥がいた。長い尾羽を靡かせ、悠々と満点の星空を泳ぐ。

あれは、くじゃくだ。

眩いほどに白く透き通る尾羽が星空に長く長く揺蕩う。まるで天の川のように、伸びていく。くじゃくが高く高く鳴いた。

考える暇もなく、冬夜はそのくじゃくを追って走り出した。

くじゃくがもう一度鳴く。冬夜を急かすように。

あのくじゃくが飛ぶ先にきっといる。


シロが、きっといる。

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