でもわたし、満足だよ
倒れたシロはぴくりとも動かない。
「……シロ」
膝をついて恐る恐るシロの肩に触れる。やはり反応はなかった。軽く体を揺すっても起きる気配はない。
どうしよう、どうしよう、どうしたら、
「言ったでしょ?一人だけ生きていくなんて、許さないって」
上からの声に顔を上げると彼女の赤い目がそこにあった。嗤うように細められた赤に見下ろされ、冬夜の体が強張る。彼女の手にはまだてらりと赤く光るナイフが握られていた。
「これで冬夜くんは、わたしを一生背負って生きていくことになる」
「お前、なんで、なんでシロを……!」
彼女は冬夜の考えた通りに動くと言った。けれど冬夜はそんなことを、シロを傷付けることを望んでいない、望んでいないはず、なのに。何故。けれど問いかけても彼女は答えない。
「ねえ冬夜くん?」
逆に彼女が冬夜に問いかける。
「本当に、これでハッピーエンドになるとでも思ったの?シロがどんなに許してくれても、シロはもうこの先が無いのに」
「っ……それ、は」
「どこまでも行けるのは冬夜くんだけ。シロはもう先には行けないの」
突きつけられた現実。
シロのことを知りたいと言った。シロに知りたいと言われた。けれどもそれは叶わないとわかっていた。わかっていたはずなのに、言葉の衝撃で息が詰まる。
冬夜の罪悪感でもある彼女。冬夜の罪の意識はきっと永遠に冬夜自信を許す気などない。彼女は現実と後悔を忘れかけていた冬夜にこれでもかと思い出させただけだった。
「時間制限のある旅は、もうここで終わり」
汽笛の音が響く。
「精々最後の時間を楽しんで」
それはまるで呪いの口付けだった。シロと同じ顔が、シロと同じ声で呪いを紡ぎ、冬夜の顔に落ちてくる。触れる距離でそれは空気に溶けるように消えていった。
気が付いたら冬夜は虚空を見上げていた。
彼女が居たはずの空間には何もなく、ただ白い天井が見えるだけ。
長い時間そうしていたのかそれとも数秒しか経っていないのだろうか。現状を理解する前にシロが小さなうめき声を上げ、その音で冬夜は引き戻された。
「シロ……!」
「あ……冬夜、くん?」
「シロ、ケガは……!」
もう一度シロの体を揺さぶると、今度は返事が返ってきた。ゆるりと顔を動かし冬夜を見上げてくれた。ほっとするのも束の間、刺されたにも関わらず自力で立ち上がるシロに血の気が引く。シロと強く呼びかけ静止をかけようとしたが首を横に振られ拒まれた。
「大丈夫。痛くないよ。本当の体じゃないもの」
その体は、その傷は、その言葉の意味は、一体どういうことなのか。冬夜が訊ねる前にシロはしっかりとした足取りでベッドに近付いた。ふわりと揺れた黒い髪の下に赤が覗き見える。けれど痛みすら訴えることもせずシロは冷静な顔で寝ているシロ見下ろした。
「……なんだか変な感じ。こうやって自分を見るの」
冬夜だって変な気分だ。双子でもなんでもないのに、さっきまで同じ顔が三人、この狭い部屋にいたのだから。けれど茶化す気も起きない。立ち上がり、シロを眺めるシロを冬夜もまた眺めるだけだ。
「わたしね、まだ死んでないの」
ぽつり、シロが呟いた言葉に冬夜は目を見開いた。思わず駆け寄りシロに詰め寄る。
「どういうこと、シロは、死んだって……!」
あの祭りの途中から冬夜の記憶は無い。シロがどういう形で見つかったのか、冬夜はそれを見届けたのか、どうやって家に帰ったのか、まるでで覚えていない。覚えているのは祭りのざわめきと、川の水音と、冬夜を糾弾する嫌な声。あとはもうこの列車の中の出来事だけだ。
シロは言いよどみ、詰め寄った冬夜から視線を逸らす。
「わたしね、あのあと奇跡的に助かったの。でもまだ意識は戻らなくて、今はずっと寝たきり」
「……じゃあ、シロは」
シロの次の言葉を待つ鼓膜がどきりどきりと鳴る。
車輪の音、鼓動の音、シロの言葉を待つ間、それを長い時間聞いていた。シロが自分の胸に手を当てる。まるで自分の鼓動を確かめるかのように。
「生きてるよ……でも、そろそろ、無理かな」
かっと熱くなった目の奥、けれどそれはほんの一瞬で冷えた。心臓の音が頭の後ろを冷たく強く打ちつける。シロを見つめるがシロは目を合わせてはくれない。
「……冬夜くんとほんとうにお別れ、しなくちゃならないの」
「…………なんで」
絞り出した声は酷く掠れていた。ごめんねと謝ったシロの声は震えていた。
「でもわたし、満足だよ。冬夜くんと一緒に旅して、色んなものを見て、色んなこと話して、好きってちゃんと言えたもん」
シロの視線が、窓の外に流れる。星が瞬いている。最後尾からシロと冬夜、二人で見た景色と変わらずそこに在るのだろう。
「……だから、もうじゅうぶんすぎるかな」
「でも、俺のこともっと知りたいって言っただろ!?」
シロの肩を掴む。小さくか細い肩。守ってやらなければと思わせるような華奢な体なのに、力を込めずにはいられなかった。そうでもしないといつ消えてしまうかわからない気がした。
「俺だって、シロのこと、まだなにも……!」
「そうだけど……これ以上は贅沢だよ。こうして今話せることだって信じられないのに」
「……もう、どうしようもないのかよ」
繋ぎとめたい。それすらも許されないのか。手のひらに落ちてきた思ってもみなかったはずの希望は、まるで先程見た竜胆の花びらのように、簡単に吹き飛ばされてしまった。
「だから冬夜くん、最期にわたしのお願い、聞いてくれる?」
肩を掴む冬夜の手に、シロの手が重ねられる。
シロは笑っていた。優しく、諦めた笑顔で笑っていた。
「残った時間いっぱい使って、冬夜くんのことが知りたいの。冬夜くんの好きなもの、好きな場所、好きな本……冬夜くんの好きを、いっぱい教えてほしいな」
いやだ。
知りたいと言った。知ってほしいと思った。それはこんな形ではない。
子どものように、喉一杯泣いてしまえたら、そんなことはいやだと言えたら、どれだけよかっただろう。けれど断ることなど冬夜には出来やしない。
肺はなんだかおかしく熱っていた。重い空気を吐き出し冬夜は小さく頷いた。
「……ありがとう。わたしのわがまま、聞いてくれて」
冬夜の手をシロの手が包む。シロの小さな手は、やはり、冷たかった。




