わたし、冬夜くんのことが好き
シロとシロ。ドアから中を覗った姿勢のまま戸惑うシロと、先程の激昂をどこに捨ててきたのか涼しい顔をしたシロ。顔も、服も、なにもかもそっくりで、まるで双子のようだ。
「バレたらしかたないか」
本物が現れたからか、冬夜に見抜かれたからか。騙すことを諦めたらしいシロの姿をした彼女は静かなため息をついた。
ひらりスカートをはためかせ踵を返す。警戒してドアから動こうとしないシロに入ったら?と促し、ベッドの隅に腰かけていた。そこでもう一人のシロの存在に気付いたのだろう、寝ている自分を見つけたシロが小さく驚きの声を上げていた。やっとのことで部屋に入る決意をしたのかシロがおそるおそる病室に足を踏み入れた。シロの姿の人間がこんな小さな部屋に三人もいる。妙な光景だった。
「わたしは確かにシロじゃない」
ドアがゆっくりと閉まる。それを確認した彼女はそう切り出した。
「けど同時にシロでもあるしあなたでもある。わたしはね、罪と後悔で出来てるの」
「……罪と後悔?」
「罪悪感、って言った方がわかりやすいかな。あなた自身の中にある罪悪感。だからわたしはあなたが恐れている形になる」
ふと頭を過ったのは、あの気に食わない眼鏡の少女。冬夜の思考を読んだのか、彼女は思い当たる節があったでしょと微笑んだ。
「自分を責めたシロの友達が急に現れたら怖いでしょう?」
突き刺さるような視線、冬夜を否定し糾弾する言葉。隣の座席に居座った少女は、あの日の川辺と同じ視線で冬夜を捕え同じ言葉で冬夜を刺した。
「もしかしたら、シロになんで約束を守ってくれなかったんだって恨まれてるかも。もしかしたら、そんなシロに殺されるかも」
窓の外から流れ込んできた冷たく暗い水の匂い。窓枠に背を預けた時の心臓の感触がよみがえる。気分ひとつで突き落されたかもしれなかったあの瞬間、心臓を直接触られたかのように息が詰まった。目の前に立っていた彼女にはまぎれもない殺意があった。冬夜の返答次第で本当に列車の外へ、暗闇の川へ真っ逆さまになっていただろう。
「わたしはあなたが思い描いた通りに動く。あなたの罪の意識で、わたしは形を成しているから」
「俺の思った通りに……」
「ずっと怖かったんでしょ?シロが」
くすり、彼女が挑発するかのように嗤う。その微笑みは冬夜にではなくシロへ向けられていた。シロへ知られたくない冬夜の心情を、シロにまざまざと見せつけ嘲っている。
「得体の知れない相手と一緒に旅をするのはどうだった?自分を恨んでるかも、殺してくるかもわからない相手と旅をするのは」
「わ、わたしそんなことしない!」
「でも冬夜くんはそう思ってない」
シロの咄嗟の反論を切り捨て立ち上がり、スカートが花びらのようにくるりと踊る。シロが今着ているものと同じ淡い色合いのスカートだ。
「わたしがこの姿でここに立っていること自体が証明なの。ね?そうでしょ、冬夜くん」
シロと同じ顔、同じ声、冬夜がそう思ったからこそ彼女はここに居ると。
冬夜から否定の言葉は出なかった。冬夜が直接手を下したわけではない、けれど死んでしまう要因となった冬夜を許せるわけがないと、シロは冬夜を憎んでいるはずだと。忘れていても心の片隅でずっと思い込んでいた。そんな冬夜の心情と、彼女の今までの行動はすべて噛みあう。納得がいく。
冬夜が黙りこくっているのを見て彼女はほらやっぱりと微笑んだ。先程まで恐怖すら抱いていた彼女の微笑み、今はなんだか癪に障った。シロと同じ顔で、シロがするはずもない表情を浮かべる彼女に苛立ち、冬夜はでもと声を上げた。
「違うってわかった。シロはそんな子じゃない」
恨んだり、責めたり、自分の感情だけ押しつけてくる子ではない。それこそ目の前の彼女のように。
自分が心の奥底で感じていたことを否定はしない、出来ない。その上ここでシロと過ごしたのは僅かな時間でしかない。でも冬夜にはそんな僅かな時間で充分だった。
シロと彼女は、違う。
「そう……」
彼女は少し不快そうに目を細めた。
「でもね冬夜くん。あなたがシロを殺した事実は変わらないの」
「それは……」
「冬夜くんは一生、その罪を、わたしを背負って生きてかなきゃいけないんだよ」
言葉に詰まった冬夜に彼女が一歩、一歩、近付いた。
「酷い冬夜くん。シロを殺しておいて、一人だけ生きるなんて。そんなの酷いよ。許されないよ」
また甘い声音がひたひたと鼓膜に染みる。罪悪感で出来ていると彼女は言った。だからだろうか、彼女の一言一句が、冬夜の心臓を締め付けるのは。その言葉がシロの本意ではないとわかっていても、肋骨の奥が苦しくなり、息が詰まるのは。
シロのこれからを奪ってしまった原因は冬夜だ。シロが許そうが許すまいがそれは変わらない。耳に、顔に、彼女の呪いが纏わりつく。
「いい加減にして!」
叫びが、冬夜に纏わりつく音をかき消した。
叫んだのはシロだった。今まで一度だって声を荒げることなどなかったのに。それどころかシロが感情を顕わにするのを見るのさえ初めてだった。
「勝手なことばっかり言わないで!わたし、そんなこと全然思ってない!」
肩を揺らし声を震わせシロが言う。深い森に囲まれた水海のような翠の瞳、そこからはたりと雫が零れた。
シロ、と呼びかけた。けれど冬夜が声を出そうとした喉は涸れ、伸ばそうと持ち上げた腕は石のように固まっていた。
「川に落ちたのはわたしの不注意だよ!?なんで、そんな風に冬夜くんを責めるの!?」
零れ出したものは止まらなかった。
「……っ、やめてよ、もう……これ以上、冬夜くんを傷付けないで」
これ以上零れないように、堰き止めるように、震える小さな手が顔を覆う。冬夜の手がぴくりと動く。再びシロに伸ばそうとして、指先で宙を掻き、また固まる。
「……なんでそんなこと、シロが言うんだよ」
批難されども庇われる理由などどこにもない。
一番傷付いたのはシロのはずで、その傷はもうどうやっても癒すことが出来ないもので。取り返しなどつくはずもなく。
「傷付けないで、なんて、そんなこと言われる資格、俺には……」
「そんなことない……!」
シロが顔を上げ首を振る。
「……わたし、知ってるの……冬夜くんがどれだけ傷付いてるか」
はたり、はたり。また水海から零れた。濡れた睫はまるで深緑に降り注いだ翠雨のように小さな雫を蓄えている。
「だからこの旅でわかってほしかったの。冬夜くんは悪くないよって……わたしが冬夜くんのことどう思ってるか……ちゃんと知ってほしかった」
シロが真っ直ぐ冬夜を見つめた。静かに透き通った水海の瞳。翠が長い睫に隠される。深呼吸の音が聞こえた。ふるりと揺れた睫が動き、また冬夜を見つめる。
「わたし、冬夜くんのことが好き。大好き」
ことりとシロの言葉が胸に落ちた。
驚きは無かった。本当はずっと知っていた。言葉にせずとも伝わっていた。ただ冬夜に踏み出す一歩が足りず、気付かないふりをしていただけで。
「えへへ、やっと言えた」
気が抜けたような笑いをシロが浮かべる。
「本当はね、あの日言おうと思ってたの。でも言えなかったから……」
「……ごめん、シロ」
「だから冬夜くんは悪くないよ。どんな理由があったって、大好きな人のこと、恨んだり出来るわけ無いもん」
「……違う」
今度は冬夜が首を振った。
「疑って、ごめん」
横目に赤い目の彼女が映る。彼女はこちらを見定めるように黙って冬夜とシロのやりとりを見つめていた。
「シロがどんな子かわかるって言っときながら、本当は全然わかってなかった。心のどこかでやっぱりシロは俺のこと怒ってるんじゃって思ってた」
自分が死ぬことになる原因のひとつを笑って許せる自信は冬夜にはない。だから彼女がそこにいるのだ。自分もそうなのだからシロだってそうに違いないと。けれどシロはそうではなかった。やはり何一つ、冬夜はシロのことを知らない。
些細なことで無邪気に微笑む、どこにでもいるような普通の、けれど壊れそうなほど、哀しくなるほど優しい女の子。
それだけしか、知らないのだ。
「俺、もっとシロのこと知りたい。ただのクラスメイトとしてじゃなくて、もっとちゃんと……シロのことを見たい」
手を、伸ばす。今度は真っ直ぐにシロへと差し出せた手。
冬夜の手と、冬夜の顔を交互に見て、またシロが泣き出しそうに笑った。
「わたしも、冬夜くんのこと、もっともっと知りたいな。大好きな人のこと、いっぱいいっぱい知りたい」
控えめに、指の先にちょこんと触れるように、シロが冬夜の手を取る。細い指はやっぱり冷たかった。自分の体温を移すようにその指を握り締めたところで、シロの体がゆっくりと冬夜に倒れ込んだ。予期せぬ重みにシロの体を支え切れず、尻もちをついた。
「……そんなの、許されないよ」
ぼそりと上から声が聞こえる。
見上げると彼女がにっこりと笑っていた。不気味なほど嬉しそうに口元を歪め冬夜とシロを見下ろしている。その手には銀色のものが握られていた。あれは、ナイフだ。先ほど食堂車で見かけたカラトリーケースに入っていたのだろう、食事用のナイフ。ナイフの先は鈍く赤く汚れている。
シロに視線を落とす。顔は黒く長い髪に隠れてわからない。背中がじわりと赤く染みている。
「シロ……?」
名前を呟くことしか出来なかった。




