やっぱりなんでもない
シロの後を追い、冬夜も元の座席に戻る。窓際に座って戻ってくる冬夜を見つめるシロの表情に先ほどの哀愁は無い。にこにこと、優しく微笑んでいるだけだ。その笑顔が逆に冬夜の疑問に引っ掛かる。
「シロ、さっきのどういう……」
「……ううん。なんでもないよ」
けれどシロは応えない。冬夜があの車両でのことを話さないように。同じように目を伏せ、言葉を濁す。
それより!と、手のひらを合わせ、表情を変え、シロが冬夜に少しだけ身を乗り出した。
「蝎の灯り、すごかったね。冬夜くん見た?車両の中が真っ赤に照らされちゃってたんだよ」
「ああ、うん。血みたいでちょっと怖いくらいではあったよね」
話題を挿げ替えたシロに戸惑いながらも、冬夜は小さく頷いた。車内の色を丸ごと変えてしまう赤。どんな夕焼けよりも強く眩しかった。通ってきた車両を思い出しながら、食堂車の方もすごかったなと零すとシロが首を傾げて覗き込んでくる。
「冬夜くん食堂車見たの?」
「うん。見たよ」
「えーいいなー。ずるい」
「ずるいって」
まるで抜け駆けでもされた子供のような言葉に苦笑する。ふくりと頬を膨らませるシロは小さな子供みたいだった。拗ねたように眉を八の字にして不満げにしている。
「冬夜くんと一緒に見て回りたいなーって思ってまだ見に行ってなかったんだもん」
「そんなこと言っても。ていうか普通にテーブルと椅子が並んでるだけの車両なのに」
コックも給仕も、料理も何もない。けれど真っ白いテーブルクロスのかかったテーブルが並ぶ車両は確かに列車という空間ではどこか特別感はある。シロは冬夜とその特別感を味わいたかったのかもしれない。ただの通路として食堂車を通り抜けた冬夜にはあまり特別感も感動もなかったが。
「それでもいいの!ね、冬夜くん、あとで探検しよ?」
「はいはい」
探険なんて、本当に子供みたいなことを言う。そんな年でもないはずなのに。なんだか呆れてしまって、おざなりにため息と苦笑で返事をする。
「ね、冬夜くん」
小さくシロが呼びかける。
子供みたいに頬を膨らませていたシロはどこに行ったのだろう。慈しむように目を細めて、冬夜を見つめる。どきりと冬夜の心臓が反応する。シロはじっと冬夜を見つめている。
「わたしたち」
そこでシロは言葉を切る。
口を開いて、何かを言おうとして、けれど音は出ていなくて、一瞬、ほんの一瞬だけ泣きそうな顔になって、
「やっぱりなんでもない」
そう言って、ひどく苦しげに笑った。