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銀河鉄道の眠り姫  作者: のら
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蝎が望んだことですから

あ、と少年が声を上げた。今度は一体何を見つけたのだろう。少年は窓を開け放ち外に顔を出した。ぶわりと風が車内に舞い込む。草木と、水の匂いが乗り込んできた。雨上がりの森のような匂いだ。穏やかな匂いを吸い込むと、つきりつきり痛んでいた胸が少しだけ落ち着くような気がした。

「あの赤いの、なんだろ」

「赤いの?」

外を眺めながら首を傾げる少年に倣ってシロも窓を開けた。開け放たれた窓から冬夜も顔を覗かせてみる。線路から離れたところに鬱蒼と茂る森があった。車輪と風の音に混ざって、虫と鳥の声が聞こえてくる。きっと緑の匂いはあそこから運ばれてきているのだろう。列車の進む方角に、赤い光が灯っているのが見えた。

「……赤いね」

「え、どこ?」

「ほら、向こうの赤い光。段々近くに来てる」

「……ほんとだ」

指をさして教えるとシロもその光に気付いたようだった。

ぼんやり優しく、けれど眩しく光る紅。

「あれは心臓ですよ」

煌々と輝く光は星か、それとも電灯かなにかか。その正体をはかりかねていると青年がそう告げた。赤く輝く心臓とはなんだろうか。

「心臓?」

「アンタレス。蝎の心臓。蠍の心臓はああやっていつも真っ赤に燃えてるんです」

まあ星ですね、と付け加え、青年はまた視線を本に戻す。しかしその説明だけでは足りなかったらしい少年が本に手をかけ無理やり青年の視線を上げさせた。傾いて読めなくなった本から顔を上げ青年が不機嫌そうに眉をひそめた。少年は青年の機嫌など知らんとばかりの顔をしている。

「さそりは痛くないの?」

「さあ。でもあれは、蝎が望んだことですから」

青年は少年の疑問に答えてやるが、やはり顔からも声からも不機嫌な様子がよくわかった。

読書を邪魔された青年を不憫に思ったのか、苦笑した少女がそれならあたしも知っとるよと少年の注意をそらした。少女はえへんと小さく咳払い、ゆっくりと蠍の話を語りだす。

「むかしさそりがいてな、小さな虫をぎょうさん殺して食べて生きとったんやて」

けれどその語り口はどこかのん気で平坦。少女の声自体の耳触りは良いが、語られる噺としては頭に辿り着くまでに内容がぽろぽろ零れ落ちてしまうかのようで。現在進行形でお話を思い出しながら語っているのか、指で宙に八の字を書きながら少女は続ける。

「でもいたちに見つかって食べられそうになって、そしたら井戸に落ちて溺れてしもてー」

間延びしどこか要領を得ない説明に、少年はこれでもかと首を傾げながら目を瞬いていた。冬夜が隣を見るとシロの首も少しだけ傾いていた。

「お前はほんと説明が下手ですね」

「……うろ覚えやからしゃあないやん」

ぱたり、と本を閉じる音が車内に響く。聞くに堪えないと言わんばかりに少年が眉を寄せながらため息をついていた。

「……昔、野原にいた一匹の蝎は小さな虫を食べて生きていました」

本を窓辺に置いた少年が、静かに話を紡ぎだした。抑揚があまりついていない、落ち着いた声。まるで静かなホールで開かれている朗読会かのように、青年の声だけが、冬夜の耳に届いた。

「けどある日いたちに見つかって食べられそうになります。蝎は一生懸命逃げて逃げましたが、とうとういたちに捕まえられそうになりました。が、その時うっかりいきなり現れた井戸に落ちてしまいます。どうにも水の上に上がれない蝎は溺れはじめます。その時蝎はこうお祈りをしました」

緑と水の匂いが肺にいっぱい広がる。何故だか不思議と、水音が聞こえてきた気がした。ぱしゃりぱしゃりと、波紋がざわめく、そんな音。外からだろうか。車輪の音は一切聞こえやしないのに。

「ああ、わたしはいままでいくつもの命をとったかわからない、そしてそのわたしがこんどはいたちにとられようとしたときにはあんなに一生懸命逃げた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだをいたちにくれてやらなかったろう。そしたらいたちも1日生き延びたろうに。どうか神さま。わたしの心をごらんください。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸のためにわたしのからだをおつかいください」

紅が視界の端に見える。ちらちら燃えるような、赤い光。窓の外の灯は、さっきよりも近付いていて、より眩しくなっていた。

「そうすると蝎は自分の体が真っ赤な美しい火になって燃えて夜の闇を照らしているのを見たそうです」

少年が言葉を切った。その瞬間、ゆっくりと車内に車輪の音が響き始める。青年が話し終えるのを待っていたかのように列車が揺れる。

「……なんだかちょっと可哀想なお話だね」

あんなに綺麗な光なのに。眉を少し下げてシロがぽつりと呟いた。眩しい、けれどどこか優しげな光。あれは蝎の命で出来ているからこその輝きなのだろう。命を燃やす、とはよく表現したものだけれども、あの灯の明かりは蠍の命そのものだからこそなのかもしれない。

そしてふと、思い出す。燃やす。それに、何かが引っかかった。

なんだろう。なにが燃えていたのか、いや、燃やさなければならない。なにを。

窓の外を横目で見た。生い茂る森の中、群生するさるとりいばらが見えた。蝎のように赤く彩る実をぽつりぽつりと実らせ、鋭い棘のついた枝をめいっぱい伸ばしている。

『強行突破したいなら蝎の火でも使って燃やすことね』

頭のなかで、またあの嫌な声がこだました。

「蝎の、火……」

ぽつり呟く。

もしかすると、これのことなのだろうか。蝎の火。この灯火があれば、あのドアのイバラを退かすことが出来るのだろうか。しかしどうやって。蝎の火は星の光であって、本物の火ではない。青々と力強くドアに絡み付くイバラがこの赤い光でどうにかなる気がしない。

あの少女に担がれているのかもしれない。あの少女の言うことはどれもこれもイバラのように棘を持ち傷付けるものでしかなかった。蝎の火だって、冬夜への意地悪かもしれない。

けれど一度思い出すとあのイバラの絡み付いたドアが頭から離れない。

「冬夜くん、どうしたの……?」

シロが首を傾げると同時に冬夜は腰を浮かせた。

「俺ちょっと行ってくる」

「え、どこに?」

イバラが絡み付いたドアのところに、そう言いかけて、止めた。何故だかわからないがあそこには冬夜一人で向かわなければならないと、そう感じたのだ。

イバラを蝎の火で燃やそうと思って、そんなばかげたありえないことを告げたくなかったからだろうか。それとも、

「……わからないけど、行かないといけない気がする」

「…………冬夜くん?」

もはや冬夜自身にもわからない。シロの呼び掛けには答えることなく冬夜は踏み出す。視界の端で、青年がまた見透かしたような目で冬夜を見ている気がした。ちくり、ちくり、何処かが痛む。イバラが絡み付いているかのような痛みを振り切り、冬夜は車両のドアを開けた。

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