もうすぐですよ
ひらりと、窓の外を鳥が軽やかに舞っているのが見えた。
「あ、鳥さん」
少年が声を上げ窓に張り付く。
一羽、二羽、走る列車と並行するように灰色の鳥が飛んでいた。まだら模様の羽を広げ悠々と風を切っている。少年の頭越しに少女が窓を覗き込み、ほんまやねと頷いていた。
「むくどりやろか」
「よだかですよ。そんなのもわからないんですか」
「……ちょっと詳しいからて偉そうに」
窓の外の鳥を眺めながら発した少女の言葉は速攻で青年に否定された。ふてくされた少女を笑うかのように、キョキョ、短く鳥が鳴く。
「よだかなら僕知ってるよ。鳴き声がすごいやつ」
窓に張り付く少年が、自慢げに後ろを振り返った。
「そうなの?」
「うん。鷹みたいにかっこいいんだ」
「だから名前にたかがついてるのかなあ」
少年の言葉に相槌を打ちながらシロが窓の外を見る。冬夜もつられてそちらを見た。よだかと呼ばれた鳥はまだ列車と並行している。丸っこい鳥で、あまり鷹らしさは無い。キョキョキョ、少年とシロの会話に相槌でも打つかのように、よだかはまた鳴いた。
「でも可哀想な鳥なんだよ。よだかはいじめられて辛かったからお星さまになったんだ」
「そうなんだ……詳しいね。すごい」
「えへへ」
「にしてもこの辺は鳥が多いんやね」
シロの賛辞に照れた少年の頭ごしに、窓を覗き込んだ少女は悠々と羽ばたくよだかを見ながらそう呟いた。言われてみると確かに鳥が多い。列車と並走して飛ぶよだかだけでなく、星屑が揺らめく小池の側に、さらさらと揺れる深緑の草陰の隙間に、猫目石のような模様の木々の枝に、見回すとあちこちに様々な鳥の姿があった。色も大きさも見た目も多様で、まるで鳥園にでもいるかのようだ。隣のシロが感嘆の声を上げているのが聞こえた。
「わあ……すごいね。あれ、鷺かな?」
「多分」
水際で羽を休める白い鳥。雪よりも透き通った白翼が見える。大きさからしてもきっと鷺だろう。ぱしゃりとその羽で水飛沫を立てていて、星屑の輝きが白い羽に反射してきらきら煌めいていた。
「あ!くじゃくだ!」
少年の驚いた声。先ほどよりも興奮した様子でべたりと窓に張り付いていた。けれどこんな所に孔雀がいるわけがないだろう。あんな目立つ鳥、確実に見ることが出来るのは動物園くらいだ。きっと背の高い花か何かを見間違えたのではないだろうか。そう訝しげに冬夜は窓の外を見渡す。見渡し、豪奢な羽が見えて言葉を失った。
「……孔雀さんだね」
「……うん。いたな」
シロも驚いているようだった。それもそうだろう、あんなに大きく目立つ鳥を野生で見たことなど冬夜だって無い。
ばさりと瑠璃と翠玉の鮮やかな羽をゆったり広げている。派手で高い扇のようだと冬夜は思った。そのすぐ側にいるのは雌なのだろうか、それとも色が違うだけの雄なのだろうか、ミルクのように真っ白い孔雀が同じように羽を広げている。
「ね?くじゃくいたでしょ?」
ふふんと鼻を鳴らし、少年が何故か自慢げに微笑んだ。その様子がおかしかったのだろう少女がくすくす笑う。
「すごい羽しとったな」
「ぶわーってしてた」
「雄ですねそれは」
少年の身振り手振りに、外に目をやることなく本を読んでいた青年が顔も上げずに呟いた。見えた孔雀はどちらも豪奢な羽だった。確かにあれは雄だった。
「普通は女の人のがお洒落なのにね。なんか不思議」
「動物の世界は目立つオスをメスが選ぶものですからね。男側に選択肢があるのは人間くらいのものですよ」
確かに昔図鑑で見たりした生物の大抵はメスにつがいの主導権があった覚えがある。カマキリのつがいの恐ろしさに自分は人間でよかったと幼心に思った記憶がよみがえり、冬夜は青年の言葉に心の中で納得した。しかし少年はよくわからないのだろうきょとんと首を傾げている。
「よくわかんないや」
「まあその年やしね」
「その年で完全に理解したら恐ろしいですよ……」
きっと恋も何も知らない年頃なのだろう。野生生物のオスとメスの関係も、人間の男と女の関係も理解の範疇外なのだ。青年と少女が困ったように、少し安堵したようにお互い顔を見合わせて苦笑していた。しかし少年の関心はそんなことよりも外の景色にあるらしい、視線を窓の外に戻しまたくじゃくがいる!とはしゃいでいた。その様子を見て、青年は呆れたようにため息をつき、持っていた本でため息の零れる口元を隠した。
青年が持っていた本は表紙からしてどうやら童話のようだった。男の子と猫が表紙に描かれた薄い本。桃色の花で彩られた綺麗な表紙だった。冷静沈着な様子しか見せないこの青年の読むものとしては少し似つかわしくなくて眺めていると、青年と目が合った。
「あなたもそう思うでしょう?」
「え……」
いたずらげに微笑まれ、冬夜は口籠る。
「必ず何かを選ばなければならないあなたになら、わかりますよね」
全てを見透かしているような穏やかな目。幸せを問いかけられた時と同じ目だ。たたたん、たたたん、車輪の漣が車内に響く。言葉を探すが、どうにもその音と視線に邪魔をされて見つけられない。ただ「はい」か「いいえ」で答えればいいだけのはずなのに。
「……わからない」
肯定でも否定でもない、曖昧な返事で誤魔化す。青年は憤慨することも嘲ることもなく、まるで冬夜がその答えを選ぶのがわかっていたかのように小さく笑った。
「あなたはうそつきですね?今だって、あなたは選ぶことを強要されているのに」
それはこの問いかけの話なのだろうか。それとも、もっと別の、幸せのための、選択肢なのだろうか。
「もうすぐですよ」
そんな冬夜の疑問すら、青年は見透かしているようだった。冬夜は何が?と小さく訊ねる。けれどこれ以上、冬夜も理解していない冬夜の心の内を見透かされたくなくて、青年の目をもう見ることは出来なかった。辛うじて見れた青年の口元は、何もかもわかっていると言わんばかりにほほ笑んでいた。
「ほんとうのしあわせのために、選ばなければならない時が」
青年の口元が引き締まった。見ていなくとも視線が動いたのがわかった。顔を上げ青年の視線を追うと、シロの笑顔に行き着いた。少女と何気ない会話に花を咲かせ、笑うシロ。
つきりつきりと肋骨の奥がまた痛みだす。それは車輪の音に合わせて静かに、徐々に、大きくなっていく。
「例え選べる選択肢がひとつしかないとしても、選ばなければならない。この先は、そういうところです」
冬夜の知らない冬夜の心境を見透かすこの青年は、その選択肢すらももしかしたら知っているのかもしれない。けれどきっとそれを訊ねたとしても青年は何も教えてはくれないのだろう。
青年との会話を故意に終わらすように、痛む胸を紛らわすように、冬夜は小さく唇を噛み締めた。