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銀河鉄道の眠り姫  作者: のら
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選んで、ただ一番の幸いに近付くしかない

真っ白で雄大な銀河の近くを列車は走っていた。さらさらと星が瞬き後ろへ後ろへ流れていく。川岸にはさまざまな花が咲いていたが、冬夜にわかるのはシロに教えてもらった竜胆だけだ。花屋や道端の花壇で見た覚えはあっても名前は知らない花が瞬く星のそばで咲き誇っている。

「大きな川だねー」

「そやね、大きいて真っ白で綺麗やね」

「ねーあの花なにー?紫の」

窓に張り付く少年が外を指差した。少年の向かい側の座席で窓の外を見ていた少女は首を傾げている。わからないらしい。しかしちらりと外を覗いただけの青年は常識だと言わんばかりに淡々と答えた。

「アネモネ」

冬夜も窓の外を見てみるが、どの紫の花がアネモネなのか全くわからない。シロが小さくほんとだ、と呟いていたから、きっとシロはどれがアネモネかわかるのだろう。一瞬どれがアネモネか聞こうかと考えたが、聞いたところできっとすぐに忘れてしまうのでやめておいた。

「じゃああっち」

「ネコグサ」

「あ、あれ知っとるよ。ユリやろ」

「カタクリです」

冬夜が窓の外とシロを見て思案している間にも、花の問答は続いていた。どうやら知っている花と勘違いしたのだろう、答えを間違った少女は一瞬真顔になり、それからお花きれいやねー、と独り言のように呟いていた。

宝石箱をひっくり返したような川岸だ。幼稚な例えではあるかもしれないが、それ以外に冬夜には例えようがないくらい、透き通った花びらがあちらこちらで煌めいている。あのつぼみはアメジスト、あの実はルビー、葉は瑪瑙で枝は琥珀のようにも見え、さわりさわりと揺れる草は黄金色のキャッツアイのよう。きっとここは広い花畑なのだろう。行く先まで鮮やかな色が輝いているのがわかる。

窓の外を眺めるシロを見てみると、いまだ花に目を奪われていた。少しだけ窓に身を乗り出して眺める瞳に花の色が移りこむ。きらきらと楽しそうに、くるくると色鮮やかに。

つきり。

また胸が痛む。

何故だろう、嬉しそうなシロを見るたびに、肋骨の奥の、名前も知らない部位が痛むのだ。

こんなにも嬉しそうなのだから、こちらだって嬉しくなってもいいはずだ。しかし冬夜の胸の奥が伝える痛みは、感情は、嬉しさではない。ではこれは一体なんだ。

「何が幸せか、わからないんですか?」

ふと隣から問いかけられた。

声のした方を見た。窓の外の花を見ていた時と変わらない、平坦な表情をした青年と目が合うが、問いかけの意味がわからず、冬夜は思わず目を瞬く。青年は横目で冬夜を見たまま続けた。

「どんなに辛い選択でも、それが正しい道を進むなかでの出来事なら耐えるしかありません。ほんとうの幸福に近付くための一歩ですから」

やっぱり、意味は謎だった。辛い選択が、ほんとうの幸福が一体どういう意味か、なぜ今それを冬夜に伝えたのかどれひとつわからない。けれど冬夜を眺める青年の目は、まるで冬夜のすべてを見透かし察しているかのように穏やかで、真っ直ぐだった。

この目は、どこかで見た覚えがある。そう、確か、あの海岸で、

「選ばされているんでしょう。どうするかを」

「…………俺は」

くるみの割れる音と、遠くの波の音が耳の中でこだました。

俺は……一体、なんだろう。何を言おうとしたのだろう。

あの時と同じ目で見られ、何を言おうとしたのかすらわからなくなってしまう。言葉にもならなかった思いは冬夜の中で、紅茶に入れた角砂糖のように崩れて溶けて、消えてしまった。

青年はそのことすら見透かしてしまっているようだった。小さく笑い、窓の外を眺めてはしゃぐ少女と少年に視線を移した。

「何を選ぶべきか、どうするべきかはあなた自身が選ぶしかないんですよ。ここはそういう世界だ。選んで、ただ一番の幸いに近付くしかない」

そう言って青年は目を細めて、小さく呟く。

「……それが例え、しあわせに見えないとしても」

青年はどこか遠いところを見ているかのようだった。はしゃぐ少女と少年でもなく、窓の外でもなく、もっとどこか、別の場所を。

この人も何かを選ばされたのだろうか。しあわせに見えない選択肢を選んで、ここまで来たのだろうか。そして行きつく先は……一体、どっちだったのだろうか。しかし初対面という要素もあり、それを聞くことは流石に憚られた。

「そうだ」

ふと青年は思い出したかのように腰を浮かせた。懐から何かを取り出し、それを冬夜に差し出す。

「あげますよ、それ」

受け取ったそれは、冬夜の掌でころりと転がった。

「……苹果だ」

シロが呟く。小さめではあるが、見事なまでに真っ赤な苹果だった。

さっきした匂いは、これだったのだろうか。甘酸っぱい爽やかな果実の匂いが再度車内に漂う。

「あ、りんご!僕も食べる」

匂いで気が付いたのだろうか、少年が声を上げた。窓の外に興味津々に向けられていた大きな瞳は、今は冬夜の手のひらに向けられている。

「お前さっき食べたでしょう」

「でもおなかすいた」

「あはは。ほなあたしの、一緒に食べよか」

呆れたような青年の言葉に少年はぷくりと頬を膨らます。まるでリスみたいだ。面白そうに笑った少女はおなかをすかせたリスの頭をひと撫でし、苹果を差し出した。冬夜が貰ったものと同じ、紅い苹果だ。

「すごい、絵本に出てくるみたいに真っ赤な苹果だね」

「……うん」

上等な果物屋にでも行かないとこんな見事な苹果はなかなか見ないだろう。シロの言うとおり絵本の苹果そのものだ。それこそまるで、毒入りの、

「毒は入ってませんから、安心していいですよ」

考えを見透かしたかのように、青年がそう告げる。思わずどきりと冬夜の肩が揺れた。

「白雪姫みたいな?」

「そやね。継母の魔女がくれる苹果」

しゃくり、しゃくり。りんごを口いっぱいに頬張る少年は本当にリスか何かのようだ。苹果を飲みこみ訊ねる少年に少女も苹果を齧りながら頷いた。当たり前だが少年と少女が苹果の毒で眠る気配は無さそうだ。

「……もし冬夜くんがその苹果で死んじゃったら、王子様が口付ければ起きてくれるのかなあ」

何気ない想像なのだろうが、シロが呟いた疑問に冬夜は眉を寄せた。

「……何で俺男なのに王子が相手なんだよ。嫌だよ……」

毒苹果で昏睡になるまではまだしも、何が悲しくて男にキスをされなければならないんだ。思わずその様子を想像してしまうのも嫌でイメージを消し去るように頭を振る。せめて相手は王子ではなく姫に出来なかったのか。いやそれ以前に何故シロは男の自分が白雪姫になる前提で想像してしまったんだ。女子の考えることはよくわからないが、普通はヒロインには自分を重ねるものではないのだろうか。

「……そもそも、名前がシロなんだから、白雪姫はそっちじゃないの」

「そ、そっち?名前で来ちゃう?」

シロには冬夜の考えた普通は当てはまらないらしい。突然向いた矛先に目を瞬いていた。

「……わたしは、お姫様って感じじゃないと思うけどなあ……」

自信は無さげに、驚いて瞬いた目を静かに伏せる。

謙遜なのか、それとも本音なのか。そのどちらかは冬夜には計り兼ねた。

「そんなことないと思うけど」

建前なのか、それとも本心なのか。シロの言葉を否定する発言。自分の口から出たセリフだというのに、どちらなのか冬夜自身にも量り兼ねた。

「…………そっかあ」

計り兼ねたが、冬夜の言葉にどこか嬉しげな微笑みを浮かべるシロを見て、そんなものはどっちでも良くなってしまった。

喜んでくれたのならという満足感と、表情を曇らすことにはならなかったという安堵感。そしてほんの少しの不安が冬夜の胸中を満たす。

これも、選ばされているというのだろうか。幸せになるための選択肢を。先ほどの青年の言葉が脳内で繰り返される。幸せに見えなくとも、幸せになるための一歩を選ぶ、そうだとしたらこの嬉しそうなシロの微笑みは、もしかすると本当の幸せからは遠いのではないだろうか。

悩んでもわかりようもないどうしようもない漠然とした不安が、肋骨の裏側から小さく、けれど鋭いひっかき傷を残していく。

「それより冬夜くん、苹果食べないの?」

言われて気が付く、自身の手のひらの中で転がる赤い丸に。瑞々しく甘い香りはこの苹果がきっと美味しいことを主張している。けれど今はなんとなくその気分ではなかった。

「うーん……まああとで」

「そっか」

ころん、手のひらで転がす。

苹果が自身の手の中で不安定に揺れ動く様は、まるで冬夜自身の足元のようだった。

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