第297話 変身
明け方になって、ようやく目的の巻物が完成した。
飛び込みの無茶振りな仕事に、五時間も費やしてくれたアストには感謝の言葉もない。
「ほら、これが変化を封入したスクロールだ。もちろん使い捨てだぞ」
「あ、ああ……ありがとう」
こいつには何かと世話になりっ放しである。いつか礼をせねばならないとは思っていた。
だがアストは完成した巻物の出来に不満なのか、渋い顔をしていた。
「どうした、何か問題があるのか?」
「ああ。正直言うと、その巻物は魔道具としては不完全だ。突貫だから仕方ないとは言えるが」
「正規の術式とはどのように違うので?」
そこで口を挟んできたのは、魔術バカのマクスウェルだった。
失敗作の術でも使い方次第では役に立つ。それを実際に目にしたからこそ、見逃せない話題だったのだろう。
「まず、術者の魔力を強引に引き出すから、反作用が発生する。具体的に言うと、連続使用ができない。一度使えば一か月は変化の術式自体の再使用ができなくなる」
「それは……例えば巻物で変化を使えば、その後正式な術を覚えても、一か月の間はそれを使用することができないということか?」
「ああ、巻物だろうが、自身の術だろうが変化自体が使えなくなる。そこは注意してくれ」
「わかった」
「それと、その影響は巻物の施術者にも影響を及ぼすので、量産が効かない。つまり俺も月に一個しか作れない」
「それは……困ったな」
できるならば頻繁に元の姿に戻りたかったが、月に一個しか入手できず、月に一回しか使用できないのでは在庫が溜まりようがない。
コルティナに会うためだけじゃなく、戦闘などでも切り札として保存しておきたかったのだが、少々残念である。
「それと、術式効率も落ちている。倍近い魔力を強引に引き出すわりに、効果時間は半日程度と短い」
「半日か……少なくとも直面の問題の対処にはどうにかなる」
「それで物足りなくなる場合もあるからな。魔道具作成に身を投じた身としては、少々どころでなく不服な所だ」
「高望みしすぎじゃねぇ?」
「専門家の俺の嫁なら――と思わざるを得ない面もある。まあ、今回は急造だから仕方ないが。しばらくは研究させてもらうとしよう」
「お前の嫁さんも魔道具を作ってるのか。悪いな、急がせて」
その後いくつかの説明を受け、俺はその場で巻物を使用することにした。
時間はもう明け方。今から術を使っても夕方までは持つはず。コルティナを慰めに行くには、充分な時間だ。
「よし、いくぞ……」
「苦痛はかなりあるから、覚悟しておけ」
「ああ、任せろ。我慢強さに関しては自信がある」
心配そうなマクスウェルに俺は安請け合いして、術式を展開させた。
かつて、この術は人間が使う術ではなかったらしい。それを強引に人間用に組み直したので、かなり無茶な仕様なのだとか。
それをさらに巻物という魔道具に組み込むという真似をしているため、術の完成度はかなり下がっている。
俺を襲ったのは、その未完成故の激痛だった。
「あっ、がっ! あ、ぐふぁ……あぐああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
一瞬にして目の前が真っ赤に染まり、身体がエビぞりに反り返る。
そして直後には胎児のように丸まり床を転げまわった。
肉が溶け、骨が砕け、強引に組み直される。そんな不快を超えた感触が全身を襲う。
脳内では神経がプツプツと千切れる音が聞こえ、鼓膜が破れるかのような耳鳴りが響いていた。
一度死を経験した俺ですら耐え難い激痛。
それに苛まれ、のたうち回ること……どれくらいだっただろう。ほんの一瞬だったかもしれないし、何時間も味わったのかもしれない。
歯が砕けかねないほどに噛み締め、苦痛に耐えた時間は、もはや自身で把握できない。
だがようやくその苦痛も引きはじめ――そこで俺は意識を手放してしまったのだった。
「――覚醒」
マクスウェルの落ち着いた声が聞こえてくる。聞き慣れた声に俺は意識を強引に覚醒させられた。
目を開けると、心配そうなマクスウェルとアストの姿があった。
「身体の具合はどうだ?」
アストの問いに、俺は目の前に手を持ってくる。
そこにはこの十一年で見慣れた細くたおやかな指はなかった。
いや、細くあるが強靭で、長くはあるが節くれ立った強者の指だ。
「ああ、多分……大丈夫だ」
口から漏れ出す声も、かつての俺の物だ。
その後も手足を動かしてみるが、違和感は――あるが、異常はない。
「俺は、どれくらい気を失っていた?」
「ほんの数分じゃよ。術が完成したと同時に叩き起こしたでな」
「これはお前が戦闘中に使わないわけだな。二度とゴメンだと思ったくらいだよ」
俺ですら気を失うほどの苦痛。マクスウェルならば、まず間違いなく失神するはずだ。
戦闘中に爺さんに気を失われると、それこそ戦線維持の危機である。
俺はそこでようやく立ち上がり、周囲を見る。
いつもより四十センチは高い視界。壁に立てかけた鏡に映る、生前の俺の姿。
その姿を見たとき、カチリと何かのスイッチが切り替わるような感触を覚えた。
それまで一応生物学的には少女だった俺の意識が、完全に男のそれに切り替わったような感覚。
「ああ……戻ったんだな」
「半日だけだがな」
「今はそれでいいさ。その間にできることをしておかないと。ああ、そうだ。謝礼はまたあとでいいか?」
「構わん。お前の隠れ家から適当に見繕って持っていく。ぼったくりはしないから安心しろ」
「そうしてくれると助かる」
あそこにはデンもいるので、こいつも無茶な取り立てはすまい。
それより今はコルティナである。
時間は既に太陽が昇り始めてもおかしくない頃合い。コルティナも向こうで獲物を仕留めた頃だろう。
「戻るにはいい頃合いだな」
「では、さっそく戻るとするかの――レイド」
にやりと、懐かしさを込めてマクスウェルが呼び掛けてくる。
俺もその声に親指を立てて返したのだった。