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8,美食家と出会った日




吸血鬼と聞いてイメージするもの。


バンパイア。

ドラキュラ伯爵。

コウモリ飛び交う古城に住み、人間の首筋に噛み付いて血を啜る、ニンニクと十字架、太陽が嫌いな海外のお化け。黒いマントを翻し、鋭い牙を光らせ、闇夜をさすらう、ファンタジーな生き物――。


それがこの世界に居るらしい。

人喰い鬼がいるんだ、不思議ではない。

むしろメジャーなお化けだろう。

しかし会いたくない。


私が会って話をしたいのは人であって、人を食料とみなす連中ではないのだ。


しかしエリーはそうと決まれば、と颯爽と肩掛け鞄を引っ提げて出発の準備を整えた。


「待つんだエリー、扉位なら、その、工夫すれば、どうにかなるかもしれん。早まるな」


手のひらを見せてストップをかけるが、エリーは何やってんだ早くしろよ、と冷や汗を垂らす私を迷惑げな目で見る。

私は訴えかけるように叫んだ。


「血を吸われたらどうするんだ!」

「ルルススはへん食だから大丈夫」


偏食? エリーの言葉に、私は恐る恐る尋ねた。


「……おじさんの血は飲まないのか?」

「うん、美人な女の人の血しか飲まないって言ってた」


なら、大丈夫だろうか。

そういえばお伽話のドラキュラ伯爵も、美女ばかり選んでいたような気がする。


中年親父は美味しくないのだろうし、見た目にも遠慮したくなるのだろう、多分。




エリーの家は山の中だが、それ以上の山の奥深くにルルススなる吸血鬼は住んでいるらしい。


川へ繋がる道から45度程脇にそれ、獣道とすら言い難い道なき道を四苦八苦しながら進む。

登った覚えのない山を必死になって下りたと思えば、急こう配の岩肌にへばりつく様にしてロッククライミング。

ぬかるみに足をとられ、生い茂る草に掴まりそうになり、何故か何度も何度も出会う巨大な傘をしたキノコを、息切れしながら横目に見ていく。


「はっ、なぁ、さっきも、あの、キノコ、無かった、か?」


大人が数人、余裕で腰掛けられそうなくらいに傘を大きく広げ、私は毒持ってますと堂々アピールするかのような蛍光ピンク色をしたキノコを指さす。

此奴はラーウムの川に繋がる道にも居たような気がする。


膝に両手をついて、ぜえぜえする肺の悲鳴を聞きつつ、まるで口に入れたいという気は起きないキノコの傘を見上げた。

傘裏の規則正しく並ぶヒダが、ぞろりと揺れて、一気に背筋が粟立つ。

しかしエリーは特に表情を変えることなく頷いた。


「あったよ。同じキノコ」

「……ま、迷子か?」

「? この道であってるからキノコがいるんじゃん」


お前こそ何を言ってるんだ。

山道で何度も同じ目印と遭遇するのは迷子の証拠じゃないのか。


変な見栄を張られているのかと疑ったが、エリーの足にはちっとも迷いがなかった。


……駄目だ、魔法使いやら人食い鬼やらがいるこの世界について、深く考えては頭が破裂する。

一々ツッコミを入れていてはきりがない。

そういうものだと受け入れるのがきっと1番賢い選択だ。


置いてくよ、と先をズンズン進んでいくエリーに、私はネクタイに指をかけて緩めてから、必死に足を急がせる。

その瞬間にふくらはぎがつって、あがぁっ! と悲鳴を上げて蹲った。


そんな私をエリーは、家の中に入って来た屁っぴり虫でも見るような目つきで見た。


別に、慣れている。

置いていかずに待っていてくれるだけ、マシというものだ。


「……オーグラー、あんた、そんなでホントにクラスの奴ら食べられんの?」


出来ない、と言えば人体発火コースだ。

しかし素直に任せろとは言い難いので、私は痛みに喘ぎながらマイナス方向に答えを濁した。


「見ての通り、体調が悪いからな……難しいかもしれん」

「え、で、でも、難しいけど出来るよな?」


大人にとって、《難しい》イコール《無理》なのだが、やはり子どもにそれは通じなかったらしい。

切羽詰まった顔で私を見るエリー。

どうあってもクラスの連中に復讐を遂げたいらしい。


私はボソボソと呟くように言った。


「……勿論、努力はするが」

「うん!」


努力はするが難しいのだ、大変難しいのだ。


しかしエリーは、私の努力する、という言葉を、魔法のパワーでもって何とかしてみせる、と言う風に受け取ったらしい。

顔をキラキラ輝かせて頷いてくれてしまった。


必死にスジを伸ばして、何とか歩けるようになった私には、歩みのスピードを緩めてくれたエリーを見て罪悪感が押し寄せる。


……いや、知らん。私は知らん。


「あー……その、ルルススって吸血鬼は、どんな奴なんだ? 話せる奴か?」

「うーん……」


腕を組んだエリーは口を軽く尖らせて、視線を斜め上に向けた。

エリーの口から唯一聞けた知り合いなのに、分からないのだろうか。

唸り続けていたエリーは、ちらりと私を見上げた。


「アタシを、死なないようにしてたって、言ってた」

「……うん?」

「ごはん、くれたり。火の使い方、教えてくれたり。本、読んでくれたり」


エリーは指折り、ルルススがこれまでにしてくれたらしい出来事を数えている。

じっと聞いていれば、どうやら物心ついたころから傍にいたルルススに、生きるすべを習ったようだ。

しかしそれは、死なないようにしてた、ではなくて、育ててくれた、ではないのだろうか。

勿論、それにしては放任主義すぎる。


気にはなっていたが、中々口に出せずにいたことを思いきって尋ねることにした。


「その、エリー。ご両親は……いないのか?」

「うん。父さんはどこかへ逃げたけど、母さんはルルススが食べちゃったって」

「!?」

「母さんは美人だから、とっても美味しかったって言ってた」

「っ!?」


恐ろしい驚愕の事実に私の足が止まる。

エリーは不思議そうに目を瞬かせたが、いや、不思議なのはエリーの方だ。


何で自分の親の血を啜った奴の所へノコノコ行こうとしているんだ。


「え、エリー! 駄目だ! 帰るぞ!」


私はエリーの腕を掴んで、慌てて道を逆戻りする。

困惑の表情のエリーは、なんでだよ、と長靴を地面にこすってブレーキをかけているが、力だけなら大人の私の方が上である。

しかし私はたいして大きくも無い地面のくぼみに足が引っ掛かって転倒したので、エリーの手は私の手からすっぽ抜けた。

泥のついた鼻っ柱が折れそうな痛みをこらえて立ち上がりながら、私は先を進もうとするエリーを説得しにかかる。


「ッエリー! 良く考えろ! お前も私も噛みつかれるかもしれな――」

「ふん、あたしゃ乳臭いガキも、禿げあがったオッサンも、御免だよ」


突如後ろからかけられた声に、肩を揺らして振り向いた。


そこにいたのは――白塗りのマネキン。

私のような中年親父が入るのを躊躇うようなオシャレなデパートのガラス越し、堂々と流行の服を着こなしてポーズを決めていそうな、美人のマネキンだ。けれど、

真っ赤に塗られた艶やかな唇がニィッと挑発的な笑みを浮かべたので、これは人形ではなく生きているのだと気づいた。


物凄くキツそうな、美人の女性だ。

波打つ長い黒髪、どこか冷たい印象を受ける、切れ長の水色の目。

すっと通った鼻筋に、吊り上がった眉。


顔だけで十分迫力満点なのだが、服装も凄い。

山中であることを忘れるような、光沢のある深紅のドレスを優雅に纏い、病気かと思うほどに真っ白な首、腕、胸元を遠慮なく晒している。

私より頭2つ分高い背丈を支える足元は、かかとの異様に高い靴。

泥まみれのおじさんとは180度違い、汚れが1つもついていなかった。


美人がいたらそれだけでドギマギするもんだが、あまりに人外じみた綺麗さに、ぽかんと眺める事しか出来ない。


「ジロジロと失礼な奴だね。……朝の子、お前なんてモンを飼いはじめたんだ」


その女性は腕を組み、私に不愉快そうな視線をくれてから、エリーを睨む。

睨まれたエリーは、胸を張って答えた。


「オーグラーだよ、アタシが呼んだ」

「人喰い鬼?……そうかい、そりゃ随分、粋な選択だ」


口の端を歪めて嗤う女性。

その時ちらりと真っ赤な口元から尖った牙がのぞいた。

……まさか、と私の顔がひきつる。


エリーがその女性を見上げるようにして、僅かに小首をかしげた。


「ルルスス、家の扉、壊しちゃったんだ。直せない?」


その言葉に、私はヒッと息を飲んだ。

美女の血を好む吸血鬼というから、てっきり男だと思い込んでいたのに、どうやらルルススは女性だったらしい。

私の眼前で偉そうに大きな胸を張る、キツイ美人の。


……まずい、遅すぎた、血を吸われる、とプルプルする私を放置して、ルルススはエリーにガンを飛ばした。


「お前はあたしを便利屋かなんかだと思ってるのかい? 冗談じゃないね、大工仕事ができたらあたしの家は今頃新築の城になってるさ」

「霧やコウモリになれても、家は直せないの?」

「アンタだって、火は出せても水は出せないだろうに」


それもそうだとエリーは頷いた。

満足げに鼻を鳴らしたルルススは私に冷たい視線を寄越す。


「しっかし貧弱で不味そうな男だねぇ、もっと美人を呼べなかったのかい?」


嘲るような口調だが、発言や空気からして、エリーの言う通り私達の血を吸う、というような事態は避けられそうだとホッとする。

身体の力をほんのり抜く私の横で、エリーは面白くなさそうに頬を膨らませた。


「アタシのオーグラーだ。馬鹿にすんな!」

「馬鹿になんざしてないよ。あたしの好みじゃないってだけさ。それより扉が欲しいんならウチの正面扉を持って行きな。貧弱男でもそれくらい出来るだろ」


まるで魔女のように赤色に塗りたくられた鋭い爪が、私を指差した。

扉運搬係に任命されたようだが、自分んちの扉を取り外して持って行けとは如何なる事態だ。

同様に思ったらしく、エリーがルルススの顔を窺った。


「でもそれじゃ、ルルススが寒いじゃん」

「馬鹿だねアンタ。あたしの家に扉があって何の役に立つってんだい? 窓ガラスなんて全部割れて換気抜群だってのに」


一体どんな家に住んでいるのだろうか。

エリーのボロ屋より更にひどい崩壊具合の家を想像するが、廃屋しか思い浮かばない。


するとエリーが目を輝かせて叫んだ。


「ルルススもウチに住めばいいよ!」


最高の案だ!という顔のエリーに、ルルススは口の端で笑った。


「ハッ、何度言えば分かるんだい? ガキのお守りなんざごめんだよ。それに吸血鬼は寒さに強いんだ。寒風こそ心地良いそよ風さね」


確かに常夏を謳歌する吸血鬼はいなそうだな、と頷くが、エリーはしょんぼりと肩を落としていた。

同居を断られたのが残念らしい。


そんなエリーにフォローの言葉をかけることなく、ルルススはほっそりした人差し指で、自分の顎をトントンたたく。


「さぁて、じゃああたしは何を頂こうかねぇ……」

「あ、ウロコは? 綺麗な虹色ウロコあるよ」


しょんぼり顔をパッといつも通りのぶちゃいく顔にして、エリーは肩掛け鞄をゴソゴソ漁る。

しかしルルススは首を横に振った。


「ふん、いらないよ。輝きに関しちゃあたし以上のものなんて、そうそうないんだからね」


そうかもしれないが何というナルシストっぷりだろうか。

再度しょんぼりするエリーに、やはり声をかける事無く、なんとルルススは私に人差し指を向けた。

するとエリーが慌てて私の前に両腕を広げるように割り込んだ。


「駄目! アタシの!」

「お馬鹿! 誰がこんな貧弱男、欲しいもんかい! あたしが欲しいのはそっちのポケットに入ってるものさ」


ポケット? と私とエリーは同時に首を傾げた。

私のポケットには、しめった未使用ちり紙と、エリーの鼻水がついた使用後ちり紙しかないぞ。


しかしルルススが人差し指をくいっと曲げると、私のズボンのポケットから一筋の糸が飛び出した。

それを見てそういえばと思い出したのは、人喰いグモとの邂逅記憶だ。

あの時くっついてきたクモの糸と抜けてしまった私の髪の毛を、私はポケットに収納しておいたのだった。


ふわりと弧を描く様に宙を舞った糸は、ルルススの人差し指にするりと巻き付く。

ルルススがクルクルと指先を回すと、私の頭皮から顔面にかけて頑なにへばりついていたものまで、するりと取れていった。

スッキリだ。


ルルススはそれをミシン糸のように綺麗に束ねると、満足そうに微笑んだ。


「ヤモリの糸。余計なモンもついてるが、ついでにもらっとくかね」


私はルルススの言葉に眉を寄せた。


「ヤモリ? あれは馬鹿でかいクモだったぞ?」

「さっきから失礼な奴だね、レディからの贈り物を尻ポケットに仕舞うのもどうかと思うよ」


私を冷ややかに見たルルススは、けれどこれで取引終了だとエリーに頷いて見せた。

ありがとう、とエリーも返事をする。

ルルススは私を流し目で見つつ言った。


「さて、貧弱男――」

「あ、その、私は大倉守と言いまして」


ここで少しでも情報を得なければならなかったのだと、慌てて自己紹介を挟む。

胸元から名刺を取り出すしぐさを仕掛けて、この世界で名刺なんかあっても何の役にも立たないと思いだし、仕方なくどうぞよろしくお願いいたしますと45度にお辞儀をしてみた。


ルルススは意外そうにパチパチと目を瞬かせる。

そうして、ニヤッと口の片端を持ち上げ、なにか企んでいるような、おもしろいものでも見ているような、そんな顔をして言った。


「あたしはルルスス。見ての通り吸血鬼さ――……そこのガキを宜しく頼むよ、愛ある人喰い鬼(Oger Amor)」

「……?」


なんだか不思議な渾名を付けられたようだったが、それを尋ねる前にルルススはくるりと私達に背を向けた。


「悪いがもう日光浴の時間だ、失礼するよ。今日は高価なものを貰ったからね、家からなら好きなものを持って行くと良い」


ひらりと手を振るルルススが、空を見上げて愛おしそうに表情を緩めた。

キツイ印象しかなかった顔が、ふわりと柔らかくなる。


エリーが焦ったように叫んだ。


「ルルスス! また灰になるよ!」

「ほっときな。こんがり小麦色が夢なんだ」


陶器のような自身の腕をサラリと撫でて、夢心地に水色の瞳を細めるルルススに、エリーは困ったものだと言う風に小さなため息をついた。


日の光に弱いらしい吸血鬼が、日光浴を嗜むとは一体どういう趣味なのだろう。

高所恐怖症がバンジージャンプに挑むような物じゃないだろうか。


しかし私が、さようならも、扉をありがとうも、この世界についての質問も口にする前に、ルルススはふわりと霧と同化し、消えてしまった。




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