6,顔を合わせた日
シトシト雨は朝方まで降り続いていたが、何故か雨漏りはすることなく、私はバケツや茶碗を持って駆け回らずに済んだ。
雨は止んだものの未だ雲が立ち込めていて外は暗く、時間がいまいち把握できない。
目は覚めたが一体今何時なのか分からずボロ布の中でゴロゴロ転がっていたら、エリーがモゾモゾと起きだして、私におはようと言ったため、朝を認識した。
眠たげに目ヤニのついた目をこするエリーに、おほん、と咳払いして、私はシャツの袖を捲り上げた。
「お、おはようエリー。そ、そうだ、私が目玉焼き位、作ろう」
「……え?」
「宿を借りている手前、出来ることはしようと思ってな」
うん、と尤もらしく頷いてみる。
エリーはぽかんと口を半開きにして固まっているが、何を隠そう簡単だ。
ご機嫌取り作戦である。
私が呼び出されたもののうち第何番目なんだか知らないが、少なくともおじさんが邪魔で役に立たないからという理由で燃されたくない。
昨晩見た地下に少々恐怖を覚えたのもあるし、エリーが油断して契約内容をぽろりと零す可能性も考えて、出来る限りエリーが上機嫌でいられるように取り計らう事にしたのだ。
タマゴは何処だ? と尋ねると、呆けた顔のエリーが小声で答えた。
「うらの……木の上」
「…………」
鳥の巣から獲ってくるのか。
よりによって最初に木登りという難題が来たぞ、と思わず閉口したら、エリーはワタワタとベッドの上でボロ布と謎の戯れをした後、ベッドから転げ落ちて額をぶつけ、視線をあっちこっちにやりながら、今度は元気よく叫んだ。
「あ、アタシが! 獲ってくる!」
「あ? あぁ、悪い、頼む」
「任せとけ!!」
ぐっと親指を突き出された。
やる気に満ち溢れる顔に少々引きながら、行ってらっしゃいと手を振れば、エリーは爆発ヘアーのまま扉に突撃し、南京錠が掛かっていることを忘れていたのか扉にぶつかって勢いよく跳ね返ってきた。
ひっくり返されたダンゴ虫のように床に転がり額を抑えてゴロゴロ悶えるエリーに、私は引き攣り笑いで尋ねる。
「だ、大丈夫か?」
「こなくそ!」
どん! と音。
……なんと、扉が吹っ飛んだ。
正確に言うと、発火――いや、爆発して、吹っ飛んだ。
跡形もなく。
まるで此処に扉なんて最初から無かったかのようだ。
熱風と爆風に私の頭頂部からひらりと一筋の髪の毛が落ちてきたが、私は引き攣り笑顔のまま固まっていたので、それを撫でつける余裕は無かった。
半分溶けて変形した南京錠が、扉があった筈の場所に転がっていて、私は現行の作戦の重要さを改めて認識するに至った。
エリーが風のように勢いよく家を飛び出していった後、吹き抜けとなった扉を何とかしようと、私は寝るときに纏っていたボロ布を引っかけてみた。
目隠しにはなるが……テントじゃあるまいしこれは早々に何とかしないといかん、と食後の予定に扉の修理を組み込む。
木材ならばその辺に腐る程、いやむしろ腐ったのしかないので、またあの日の射す果物の木のあたりで手ごろなものを探すべきか。
あの場所まで行くのは体力を使うんだが、と足腰の調子を考える私の元へ、エリーが駆け戻ってきた。
随分早いが、エリーは木登りが上手なようだから不思議ではない。
「見て! とった! とってきた!」
得意げに緑の目を輝かせるエリーは、ダボダボした黒い服の腹の部分を引き伸ばし、そこに薄い水色の卵をゴロゴロ包み込んできたらしい。
私の両手に乗せても溢れそうな程沢山ある。
ソレを見て私は川の方を指差した。
「とりあえず、洗わんとな」
「え? なんで? 良いよこのままで、美味しいよ」
「何を言うか。殻が羽と枝とフンまみれじゃないか」
「食べるの中身じゃん!」
「己の手が触れるだろうが! そうしたら自分の口にも――っ」
しまった、と口を抑える。
思わず力強く訴えてしまったが、機嫌を損ねて発火どころか、さっきの扉のように爆破されたらどうしよう。
冷や汗をかきながらちらりとエリーの顔を窺えば、エリーは鳥みたいに口を尖らせてブツブツ言っていた。
「鬼がきれい好きって、めんどくさっ! なにさ、別に羽が入ったって食べられるよ」
どうやら爆破までの怒りではないようだ。
変な沸点ポイントはあるようだが、意見を述べる程度で爆発するような子供ではないらしい。
ただ、不満は不満そうである。
ま、人は腹が減っていると腹が立つものなのだ。
私はひそかに胸を撫で下ろしてから頷いた。
「……エリーの言う通り、食える。だが、より一層美味しく頂くために必要な過程なのだ」
するとエリーはふん、とぺちゃっ鼻を鳴らしてから、仕方ない、と偉そうに納得した。
あちこちにぶつけたらしく、ベコベコに変形したやけにデカいアルミ製の両手鍋に卵を入れて、川に向かう。
エリーは水に触るのが嫌らしく、洗うのはオーグラーがやってよ、と何度も何度も口にした。
冷たい水に触るのが嫌なのだろうか。
分かったと頷きつつ足元のツタを避け、ピンクのキノコを通り過ぎて、不在の様子のクモの巣を横目に見ながら、昨日訪れたばかりの綺麗な川に出る。
ぜえぜえ息切れする私の横、へっちゃらな様子で川のあちこちを眺めていたエリーが、何かに気付いたらしく、ハッとしてフードをかぶった。
「エリー? どうし――」
「あ! アモルさぁん! おはよーございます!」
川の真ん中あたりから、バッシャバッシャと賑やかに音を立てながら、ざるそば色が近づいてきた。
手には釣竿、腰には網籠、どうやら朝から釣りに励んでいた様子だ。
やはり会ってしまったかと半ば諦めの心持ちで、私は片手を軽く挙げて挨拶を返す。
「ラーウム、おはよう」
「クビになりましたか!?」
「……いいや、洗い物をしに来ただけだ」
嬉々として目を輝かせていたラーウムは、そうっすかぁ、とちょっぴりションボリした。
クビにならないよう祈っていてくれと頼んだはずなのに、どうやらラーウムは一緒にサバイバル生活をする仲間を欲しているらしい。
「あれ? ……お子さんッスか?」
私の影にサッと隠れたエリーに気づき、ラーウムは身体を曲げて私の背中を覗き込む。
エリーは益々フードを深くかぶって、顔をすっぽり覆った。
しかも私の腿裏の肉を千切り取らんと細い指で抓ってくるので、正直に言ったら爆破すると宣告したい模様。
私は視線を彷徨わせた。
「あー、まぁ、血の繋がりはないんだが、その、訳あってな」
「……あ、そ、そうなんですか。すいません、その、俺、空気読めないってよく言われるんですけど……えと、ごめんなさい」
込み入った家庭事情を察したらしく、頭を下げるラーウム。
全然家庭的問題ではないのだが、ラーウムはまたやってしまった、と言った風に落ち込んでいる。
肩を叩いて気にするなと言いたかったが、どうにも肩の位置が上過ぎるので、ラーウムの平たい尻を叩いて気にするなと言ってみる。
するとラーウムは、はい! と敬礼姿勢をとりながら表情を明るくした。大変正直で素直な人喰い鬼の青年である。
人喰い鬼で無ければ最高なのだが。
ラーウムは私の背後で小さくなっているエリーに、にっこりと笑いかけた。
勿論フードで遮られているのでその笑顔は見えないだろうが、エリーにとっては幸いだ。
何しろラーウムの口裂け笑顔はホラーである。
「俺、ラーウムっていいます。アモルさんとはクビ仲間です」
「まだ私はされとらん」
私の確たる主張に、ラーウムはあぁそっか、と軽く頷く。
「じゃあ――えっと、その……」
言葉をすぼめていくラーウムはまるで恋する乙女のように、細い両足をモゾモゾすり合わせ、両手の人差し指を突っつきあわせてもじもじしながら、蚊の鳴くようなボリュームで言った。
「……お友達です」
初耳だ。
しかし拒否したら喰われそうな気がして、さもそうなんだ、という顔で私は頷いた。
するとそれを見たラーウムは目を丸くした後、ポッと頬を染め、へへっと照れくさそうに笑った。
……此奴、何なんだろうか。
キミは? とラーウムが長い足を折りたたむようにしゃがみ込んで、エリーの顔を覗き込む。
顔を見られたくないらしいエリーは、フードを引っ張れるだけ引っ張って顔を隠したので、まるで黒いてるてる坊主みたいになっている。
私はすまないな、とラーウムに謝罪した。
「シャイな子なんだ。……エリー、この前の魚はラーウムがくれたんだぞ」
「……!」
ぴくりと反応を示すエリー。
しかしてるてる坊主のままだ。
ラーウムは良いっすよ、と手を振って立ち上がった。
「俺、子供に怖がられるのは慣れてるんで」
「そうなのか?」
「俺が笑うと逃げていくんス」
逃げたい気持ちは大変よく分かったが、口は噤んでおく。
寂しげに肩を竦めたラーウムは、私が抱えた鍋を指差し、卵洗いに来たんスか? と尋ねてくる。
頷けば羨ましげな瞳で見られた。
「凄いっスね。俺が洗ったら、片っ端から中身が飛び出ちゃいます」
「……そうか」
何と言ったらいいか分からず、相槌のみにとどめる。
そうなんス、と頷いたラーウムは、腰に下げた籠を指差した。
「良かったら、魚。またどうですか? その、エリーも、魚嫌いじゃなかったら……」
どうっスか? と無視してばかりのエリーにも、優しく声をかけるラーウム。
籠を繋いでいたベルトを外し、中の魚が見えるようにラーウムは籠を地面に下ろす。
するとエリーは興味を引かれたらしく、フードを少しずらし、私の背後に隠れたままだが、籠を覗き込むような動きをした。
そういえば、と私はラーウムに尋ねた。
「なあ、お前は普段、魚はどうやって食べるんだ?」
「え? 焼いたり……焼いたり……焼いたりします」
一択らしい。
美味しい食べ方でも教わろうと思ったが、あまり参考にはならない。
礼を述べ、さっさと卵を洗って帰ろうと考えていると、私の後ろから声がした。
「どれくらい?」
「「え?」」
「……どれくらい焼くの?」
なんと、エリーが口を開いた。
フードを少し持ち上げていて、緊張して結ばれた口元が見える。
ラーウムはパッと表情を明るくして、嬉しそうにしゃがんだ。
「そ、そうっスね! 皆大きさが違うんで、えと、串を刺してみると、焼けたか生か分かるんス!」
「……この前、燃やしたら炭になった」
「うえ!? そ、それは、相当な火力でやりすぎたんスね。よかったら、俺、これから焼くんで、見ながら食ってきます?」
断れエリー。危ない。喰われるぞ。
魚じゃなくて、私達が喰われる可能性が高いぞ。
ラーウムは私を人喰い鬼だと思っているし、その人喰い鬼が預かっている子供となれば、当然エリーの事も人喰い鬼だと思っているだろう。
だが人間だとバレてみろ、しなびたおじさんよりエリー、お前の方が絶対美味しそうだから喰われるぞ。
しかしエリーは私の心配なんぞつゆ知らず、こくりと小さく頷いてしまった。
イヤハヤすまないがこれから急用が、と口を開きかけた私だが、きゅるる、とエリーの腹が後押しのように鳴ったので、仕方ない、と小さなため息に変えた。
出来るだけ変な情報を話さないようにしようと胸に決めた瞬間、私の腹もぐるるるる……と音を立てたので、なんとも決まらなかった。