41、皆の顔が変わった日
しんと静まり返る、オレンジ色のロウソクで照らされた教室内。
カツカツと、チョークで黒板に魔法陣を描いているのは、フォルミカ。
生徒たちは皆、真剣な表情で板書きを羊皮紙に書き写している。
ロウソクの絵を加えたところで、フォルミカはさて、と振り返った。
「見て分かるように、不足しているのは、中央に描かれるべき対象、それから、注ぐべき魔力」
フォルミカは指先を生徒に示し、その先の空気を陽炎のように揺らした。
ウンウンと頷く生徒もいるし、必死に羽ペンを動かす生徒もいる。
フォルミカは相当厳しい上に物凄く怖い先生らしく、他の先生の時と違ってお喋りしたり居眠りしたりボケッとしたりしている生徒はいない。
性格がひねくれ曲がって怖いというのもあるし、火傷のせいで顔半分がデロデロに溶けているので、迫力が2割増しというのも大きいだろう。
「だが、この魔法陣の場合はもう3つ足りない。分かる者はいるか?」
生徒たちが《え?》というように目を見交わす。
私は勿論分からん。
教室の後ろの保護者がぎっしり並ぶ場所で、狭そうに背をかがめ、私の隣に立つラーウムに、目で尋ねてみた。
ラーウムは今日の授業参観の為に張り切って髪の毛にクルクルのカールを当てたかったのだが、滅多にやらないヘアアレンジを失敗したらしく、ただのボンバーヘアになっている。
ボンバーラーウムは、わかりっこないッス、というように肩をすくめて返事をした。
「「はい!」」
手を挙げたのが2人。
1人はミコー。
彼はどの科目でも優秀なので、不思議ではないのだが――なんと、エリーもぴんと手を伸ばしている。
チョークを置いたフォルミカが、ではまずミコー、と当てた。
ミコーはすっと行儀よく立ち上がり、良く通る声で答えた。
「術者と対象の、名前と血液です!」
その通り、とフォルミカが頷いて、魔法陣を拳の後ろでコンコンと叩く。
「これは紙面契約ではなく、血の契約の魔法陣。
紙面契約より契約文は煩雑な上、両者の血液が必須、さらにはお互いが真名を知り得ていることが前提条件。
……さて、ではルボルカエリーウェスペルティーヌス」
最後の1つを答えたまえ、とフォルミカが冷えた灰色の瞳を向けた。
子供達や保護者の連中の中にひそひそと小声で話しだすものがいたが、フォルミカに一睨みされて縮こまる。
エリーは緊張した様子で椅子から立ち上がり、胸を張って言った。
「目的の、合致だ!」
「合致”です”――だ、ルボルカエリーウェスペルティーヌス」
何度言えば分かるのかね、と見下ろされたエリーは、ぺろっと舌を出して席に座る。
「血の契約の魔法陣とは、このように術者と契約者の双方の目的が一致していなければ――――」
フォルミカの声を聴きながら、私とラーウムはお互いを見合ってニヤッと笑った。
「傷の具合はどうだ?」
エリー達の授業が終わった後の昼休み、さあ終わりだと飛び出していく生徒たちや、わが子と一緒に昼食を取ろうと周りを気にせず突き進む親たちに吹っ飛ばされないようにすり抜けながら、教卓で後片付けをしているフォルミカに声をかける。
白いカーネーションみたいなフワフワした花付きの植物をにょきにょき生やして、板書きを消させながら、フォルミカは鼻を鳴らした。
「あの程度。治癒魔法が使えれば大事ない。お前こそどうなんだ」
「魔法の薬とは凄い、の一言だ」
「……傷薬で済んで幸いだな」
足りないようならばまた送る、とフォルミカが言ってくれたので、遠慮なく頼んだ。
フォルミカがくれた軟膏は、かなり臭いのだが驚くほど良く効いた。
ズタボロだった私だが、塗り込んで大人しくしていたら、数日でキレイさっぱり痛みが消えたのだ。
ただ、あちこちの傷痕は残っていて、ひきつれた皮膚や、ポッキリいっていたらしい中指は斜め方向に曲がったままで、至極残念な事に増毛効果は無かった。
それでも今、元気に五体満足で動けているのだから、やはり魔法は凄い。
普通はそんなすぐに治らねえよ、とミコーが怪訝そうにしていたが、魔力が無いことが変な反発を生まなかったのだろうと、フォルミカは興味深そうにレポートらしきものを書いていた。
何にせよ良かった、と私は頷いてから、教室の後ろに視線をやる。
ミコーがラーウムのヘアスタイルを指さして爆笑しているのを、エリーが怒鳴りつけている。
手鏡を覗き込んで落ち込んでいるラーウムには悪いが、エリーにもう1人友達が出来たのは悪い事じゃあ無さそうだ。
エリーは相変わらず胸糞悪い悪戯を仕掛けられている。
けれど、言い争いをしながらも始終ミコーと一緒なので、どんと来い、と偉そうに上を向いて、楽しげに、フードをかぶらず、エリーは毎朝学校に向かっているのだ。
「ところで、その、……ヘルペスは? し、死んでいないだろうな?」
誰も聞いていない事を確認しつつヒソヒソ声で尋ねると、フォルミカは私を呆れた目で見た。
「オーグラ、お前、人間だとしても、やはり奇特な男だな」
なにが? と尋ねるが、フォルミカはそれには答えず、憂鬱そうにため息をつく。
「ウルペスは中身を焼かれたからな……」
「し、死んだのか!?」
「たわけ。子供の炎程度で死んでいたら、9年前を生き残れん。ただ、しばらく復帰は難しいというだけだ」
生きているという事に安堵しつつも、あの男、教職復帰するのか、と微妙な心持ちになった。
今回の事件はあの場に居たもの全員が、真実を口にしないことに決めたのだ。
でなければ、恐怖の原因となるエリーの母の炎は取り上げられてしまう。
故に、ヘルペスは苦手分野な火の魔法の研究をちょっとドジって研究塔をぶっ壊した、爆破音に驚いて駆けつけたところ、自分も巻きこまれた、という説明を、警備連中にフォルミカがしていた。
あの場に居たら可笑しい私、ミコー、エリー、ラーウム、ピラニアに火竜はルルススの霧に隠してもらいながら、見つからないよう森へ帰ったのだ。
私はそうだ思い出した、とフォルミカに詰め寄った。
「あのデカいクモ! 昨日の夜ミコーを喰おうとしてたぞ。ちゃんと言っておけ」
「腹が減れば美味そうなのから、ちょこっと味見したくなるだろうが」
お前ら4人の中じゃあ1番柔らかい肉がついていそうなのはミコーだからな、とフォルミカは大して反省した様子もなく、いけしゃあしゃあと言い放つ。
「それにだ、まず、彼女をデカいクモと呼ぶのはやめたまえ。
彼女はヤモリだ、感謝してしかるべき存在だぞ」
ヤモリ――家守の事のようだが、エリーの家が炎を持ち出して崩れた際、それをフォルミカに知らせたのはあのデカいクモ、改め、ヤモリということだった。
フォルミカが召喚契約したクモらしい。
ルルススやラーウムを呼んだのも、あのヤモリの糸というから、確かに呼び名は考えた方がよさそうだった。
「それはそうと、ウルペスは今頃医務室でグーグー鼾をかいているだろうが……おいまさか、面会に行くなんて馬鹿な事を言うんじゃ――」
私はウィンクしてみせた。
星を飛ばした気持ちなのだが、似合わん事はやめたまえ、と普通にフォルミカに引かれた。




