40,力を合わせた日
一旦炎を収めて、やはり効果が無いかと舌打ちしたヘルペスが、大きく両腕を広げて宙をひっかくような動作をした。
同時に空中から大量の水が現れて、滝のように降り注ぐ。
しかしその水は瞬時に凍りついて停止し、床に落ちてバラバラに砕け散った。
ヘルペスに向けて手を突き出していたのは、真っ白な顔のミコー。
それに気づき、ヘルペスが歯をギリギリ鳴らしてミコーにピンと伸ばした人差し指を向けた。
泣きそうな顔でミコーが頭を抱えたが、ミコーに向けられていたはずのヘルペスの長い指は、いつの間にか宙を舞っていた――――ピラニアと共に。
ピラニアの口に咥えられた人差し指には、洒落た指輪が付いたままで、血の尾を伸ばしている。
ヘルペスは信じられないと言いたげに目を丸くして、自分の手から消えた指を視線で追いかけた。
目が外れた隙を逃さずに、ヘルペスの真ん前に飛び込んだラーウムが――――怪力であるラーウムが思いっきり、全力のパンチをみぞおちに喰らわせた。
鈍い音がして、ヘルペスは最終段階に行きついた酔っ払いみたいな顔をし、食道を伝い上った塊に頬を膨らませ、しばらく堪えたものの、とうとう凍った炎をドロドロした液体と一緒に吐き出した。
ランタンの扉を開いてうまいこと飛んできた炎をその中に収めた私だが、怒りの形相のヘルペスがラーウムの横をすり抜け、チャック解放状態の大口を開けて、私めがけて飛びかかってくる。
私ごと炎を喰らう気か――!
もはや完全なる化け物の形相に、背中が粟立つ。
しかし私とヘルペスの間に、フォルミカが割り込んだ。
腕を振ったフォルミカのボロボロの袖口から、クモの糸が飛び出してヘルペスを捉える。
クモの巣に張りついた虫のようにもがくヘルペスだが、直ぐに抵抗を止めて口をぱっかり開いた。
すると、赤黒く、底の見えない喉の奥から、どっと大量の蝶が飛び出てきた。
金色の羽を擦りあわせる無数の蝶だ。気味の悪い羽音を響かせて、一斉に此方に向かってくる。
フォルミカが次々と糸を出したが、とても全部を捉えきれない。
すり抜けた蝶が塊となってフォルミカに激突し、ボロボロの身体は岩壁まで吹っ飛ばされてしまった。
「ッフォルミカ!」
慌てて駆け寄るが、フォルミカから返事は無く、ぐったりと岩にもたれているだけだ。
魔法も切れたらしく、ヘルペスを捕まえていたクモの巣がボロボロと崩れ落ちる。
同じく駆け寄ってきたエリーとミコーが、蘇生魔法ってどうやったっけ!? とフォルミカの傍で慌てているのを、私とラーウムは背中に隠して、ヘルペスに向き直った。
「あ、はは……。中々の、チームプレイ、ですね? わるく、ありません」
どこかザラザラした枯れた声でヘルペスが嗤う。
蝶が私達を潰すように襲ってきたので、慌てて避けたら私とミコー、ラーウムとエリーの2つに分断された。
まるで守るかのようにフォルミカの上でピラニアがビチビチ跳ねたが、それを無視してヘルペスが途切れ途切れに言った。
「けれど、これで残りは、烏合の、衆。こども2り、汚い人間が、ひとり。
役に立たない、人喰い鬼が、1匹」
びくりと肩を震わせたのはラーウム。
エリーを背中に隠して、恐ろしそうに震えている。
するとエリーがラーウムを押しのけて前に出た。
「ラーウムは料理上手だ! 馬鹿にすんな!
この――ヘルペス! みっともない! みずぶくれの! グチグチ!」
口唇ヘルペスを大変上手に言い表したエリーの口の悪さは中々のもんだと感心したら、ヘルペスは恐ろしげな口裂け顔を歪めて、無事な方の左手を振りおろした。
大量の水が上から降ってくるが、ラーウムはエリーを抱きかかえて横へ跳び、滝のような水をかわす。
苛々したように手をブンブン振り回して2人を追撃するヘルペスだが、素早いラーウムに追いつけず、更には出した水の半分をミコーに凍らされて、思うようにいかない。
あまりの怒りにわなわなと震えるヘルペスの後ろに私はコッソリ回り込み、ぶん殴ってやろうと手を振り上げた。
しかし気づいていたらしいヘルペスの蝶たちが、私に突っこんでくる。
私は弾き飛ばされ、同時に持っていたランタンが蝶に奪われた。
地面を転がって、私は息を飲む。
「しまっ……!!」
「お届け、くださって、どうも?」
ハチミツ色の瞳が愉悦に歪む。
ヘルペスは既に大きく裂けていた口に、蝶達から受け取った炎をランタンの蓋を割り開けて素早く放り込んだ。
あの時と同じように、ごくりと喉を鳴らす。
此方を見下しながら、勝利に酔いしれる顔が――――瞬時に青くなった。
「っ……! き、きさまっ! 僕に、な、何を……!!」
喉を抑えたヘルペスが、血走った眼で私を睨んだ。
私は痛む体を起こしながら、笑った。
「エリーとミコー、渾身の合作は、口に合わんか?」
「!」
すぐに吐き出そうとしたヘルペスだが、その前にミコーが人差し指を向けた。
その瞬間。
ヘルペスは、口と鼻からどっと火を噴いた。
私達に向けた攻撃の炎ではない。
あれは、ヘルペスを内側から燃やす炎だ。
氷解して使える、あの炎ではない。
――エリーが作り出した、夕日色の炎だ。
エリーの力は弱く、体から離れた炎は数秒と持たない。
しかもスープしか飲んでいないすきっ腹の疲れ果てているエリーに、火を出すだけの余力はなかった。
私の提案に則って、エリーは頑張ってくれたが、唸っても力んでも燃料切れライターのような火花が散るばかりで、使えそうな炎が出なかったのだ。
しかし蝶に吹っ飛ばされたフォルミカが、密やかに言った――《余計な掛け声を排除しろ》。
エリーは毎度毎度、炎を捻り出す度に、気合の入った掛け声を放っていた。
それを止めろと言う。
何故なのかは後で聞くとして、実際無言で踏ん張って試したエリーの手には、きちんと整った綺麗な炎が生まれた。
それをミコーが凍らせた。
それから、ほぼ炭になってしまったバスケットの中から空のスープ瓶を取り出し、その中にヘルペスが吐いたエリーの母の炎を入れて隠し、ランタンの中に凍らせたエリーの炎を入れた。
中身を交換したのだ。
唯一不満そうだったのはピラニアだが、後で大きな池を提供すると約束したら、大人しくフォルミカの腹の上をしばしの安息の地とすることに決めてくれた。
私とラーウムの背に隠れて2人がそんな事をしていたとは知らず、ヘルペスは炎を飲みこみ。
エリーの怒り一杯の炎をミコーが氷解した――。
内臓をカリカリに焼かれ、断末魔の絶叫を喚くヘルペス。
眼球が左右別々にあらぬ方を見ており、裂けた口からは漏れた炎が溢れ、見る間に火ぶくれしていく皮膚は見ているだけで痛々しい。
その姿に既視感を覚え――そうか、あの本。
あの化け物は、呼び出した生物などではなかった。
炎の扱いに失敗したものの、末路だったのだ。
エリーの炎は直ぐに鎮火し、口から真っ黒の煙を吐きながら、ヘルペスはどうと倒れ伏した。




