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4,夢を見た日



木々に光が遮られた森の中とはいえ、日が高くなると多少周囲は明るくなった。


さあ、昼ごはんの収穫だ! と、爛々と顔を輝かせるエリーが、意気揚々と空っぽの肩かけ鞄を引っ提げて森を突き進む。


「何ぼやぼやしてんだ、さっさと歩けよ!」


エリーはノロノロ歩く私のシャツの袖を掴んで引っ張った。

私はむすっとしながらそれを軽く振り払う。


「止めてくれ、皺になる」

「……なにさ、あの変な上着燃やしたの、まだ怒ってんの?」

「変で悪かったな。あれは私と付き合いの長い戦友だ」


雨の日も風の日も、上司の唾が飛んでくる日もクレームの嵐の日でも、私はあの灰色の背広を羽織って出社した。

いわば戦場に向かう戦士の鎧である。

しかしその鎧は燃やされ、慌てて魚を放り飛ばし、叩いて鎮火したが背中に大穴があいた。繕うのは布の欠損が大きすぎて無理で、アップリケでも縫いつけないと修復不能だ。


戦友をボロボロにされて良い気分ではないのは当然。

更に空腹も相まって私の機嫌は底辺だ。


ちなみに、人面魚はエリーがつついて食べていたが、殆ど黒焦げだったので美味いのか不味いのか判別できない様子だった。

会いたくはないが、またラーウムに会う事があったら美味い食べ方を聞いた方がよさそうだ。


そんなこんなで機嫌の悪い私がムッツリと黙り込んだのを見て、面白くなさそうにエリーが口を尖らせた。


「上着なんかなくたって、火があれば温かいじゃん」

「あれは防寒着ではない。戦闘服だ」

「……あんなすぐに燃えちゃうのに?」

「ああそうだ、闘志を燃やしてくれる服だ」


私が頑なに背広の有効性を譲らないと見て、エリーは口を閉じた。

私の裾をつかむのは諦めて、凸凹のひどい獣道をすいすい1人で進んでいく。短

くとも駆動性の高い四肢が器用に動いて、木の根に足をとられてすっ転びそうになる私などなんのその、目を離したらすぐどこかに行ってしまう子ザルのようだ。


「お、おい、待ってくれ」


私の背丈よりデカいピンクのキノコを横目に見つつ、またクモやらツタやらに遭遇したら堪らないと慌てて小走りになれば、エリーはふくれっ面で更に足を速めた。


「ふんだ! グリュプスに連れてかれちまえ!」

「……ぐりゅぷす?」


耳慣れない言葉を繰り返すと、エリーは面倒臭そうに、「馬!」と叫んだ。


「馬? 馬がいるのか。そりゃ是非乗せて貰いたい」

「ふん! アンタなんか近付いたら一口だ!」


どうやら馬の妖怪的な物の話をしていたらしい。

そんなのに遭遇したくはない。


仕方なく慣れない山道の中、エリーの後ろを必死に追いかけていたら、ぱっと視界が開けた。


薄暗い森の中にぽっかり空いた明るい場所。

そこには背の高い1本の木が生えていた。

神社の境内に生えて注連縄で祀られていそうな位に逞しく、薄い桃色をしたピンポン玉位の実をぎっしり茂らせている。予想はしていたが、やはり今までに見た事の無い植物だ。

ガッシリした幹や横に広がる枝、茂る葉っぱは桜の木とよく似ているが、どう見ても実っているのはサクランボではない。

時期だって可笑しいだろう。


「オーグラー、木登りは出来んの?」


エリーが鞄の蓋を開きながら尋ねてくる。

私は無論だと頷いた。


「子供のころは田舎で良くやったな。東山のボスザルだともてはやされて――」


……いや、今考えると、もてはやされていたわけでは無いな。


しょげて背中を丸めたが、エリーは気づくことなく、なら丁度いいと頷いて桃色の実を指差した。


「じゃ、登って採ってきて」

「……変な生き物は潜んでいないだろうな?」

「知らない。生き物なんだから同じ所に居続ける訳ないじゃん。アタシは会ったことないけど」


私にかけるべき言葉は最後の文章だけで良かった気がするが、文句は言わず、大きな木の根っこに足をかけた。

通常なら尻ごみする所だったが、ふわふわと甘い香りが漂ってきて、あの実は人面魚よりよほど美味そうなのだ。

やってやろうという気にもなる。


きゅぅ、と胃が萎むような音を立てた。

残業で飲んだコーヒー以降、胃に入れたのは水のみなのだから仕方ない。 


私はえいっと手を伸ばして木の幹にしがみ付く。凸凹している幹に足掛かりや手のとっかかりを見つけ、芋虫のように這いずって上へと向かう。

30センチ程登ったところで手が痺れてきたので、休憩しようと幹に抱き着いたら、ずりずりと下に40センチほど下がった。


鞄を開けて落とされる実を待つエリーが、平たい声で言った。


「……オーグラー、夜になる」

「なにをこれしき……! っぎゃあ!」


手が滑って、私は落下した。

うねり盛り上がる固い根っこに、思いっきり尻をぶつける。

私に尻尾が存在していたら間違いなくぺしゃんこだ。くそ、何事も若い頃のようにはいかないということか……!


尻を両手で抑え、地面を転げまわる私を冷たい目で見たエリーは、私の横からスルスルと木に登る。

まるでトカゲのように幹をクルクル回りながら太い枝にたどり着き、逆上がりの要領で枝に腰かけた。

黒色のフード付きマントの下から、黒色の長靴と、茶色っぽいズボンが見えた。


エリーは手を伸ばして桃色の実を掴み取り、肩掛け鞄に放り込んでいる。

尻の痛みが引いてきたところで、足を滑らせて落ちやしないかと、立ち上がってエリーの下あたりをウロウロしたが、エリーは慣れた様子で収穫を続け、鞄は見る間にパンパンになった。


「オーグラー!」

「なん……っうわ!」


突如桃色の実を1つ投げつけられて、額で受けた。

思ったより痛みは少ないが、ぶつかった衝撃で実が弾けとび、顔面がベトベトだ。

さるかに合戦のカニになった気分である。投げつけられたのは柿じゃなくて、水分の多い柔らかな果実だったけれども。


「……受け取れよなー。勿体ない」


呆れ声のエリーは、枝の上で桃色の実にかぶりついている。私は汁まみれの眼鏡を外して袖で拭きながら言った。


「良いかエリー。見ていてわかったと思うが、おじさんというのは、若いころに比べて体力も反射神経も著しく低下するんだ」


東山のボスザル伝説は幕を閉じてしまったのだ、と悲しく項垂れたら、エリーはふーん、と興味なさそうに返事をした。

多少ベトベトをぬぐえた眼鏡をかけ直すと、エリーは今度、放物線を描くように桃色の実を投げてよこす。

今度こそきちんとキャッチして、少々構えつつも、甘い匂いのするその実をちょこっと齧った。


食感は――こんにゃく。

繊維質ではない、ぷりぷりとした変わった歯ごたえ。

噛むとじわりと甘ったるい果汁があふれ出てくる。

職場の女衆が好きそうな味だ。淑子だったら2桁はイケそうだな。


いきなり果実が牙をむくといった事はなさそうなので、遠慮なく口の中に丸ごと1つを放り込んだ。

中心に詰まっていた丸い種をぷっと吹き出して地面に落とす。


「果物は食べられるんだ」


頬をハムスターのように膨らませて果物を食むエリーは、私の食事風景をじーっと眺めつつ、独り言のように呟いた。

残念ながら人肉以外は食えるだろうな、私は。


普段なら甘い物はつまむ程度に終わらせるが、空腹の私はエリーが投げてよこす実を次々と口に入れて胃に収めた。



甘ったるい昼食を終えたところで、エリーは薪を拾わないと、と周囲に散らばる枝を集め始めた。

日がさしているこの周囲には、枯れ枝が沢山落ちているのだ。

エリーの家の周囲はジメジメしていて、枝は落ちていてもカビだかコケだかが生えた物ばかりで、燃えにくそうな枝しか見当たらなかった。


これ位ならば私でも手伝えるだろう。


シャツの袖をめくり上げ、散らばる枝の中でまっすぐで燃えやすそうな物を拾い集めながら、私は気になっていたことを尋ねた。


「エリー、その、魚を燃やしたのは……なんだ? 魔法か?」


エリーは薪ひろいの手を止めずに、片眉を上げて何言ってんだコイツ、という顔をした。


「それ以外に何だってのさ?」


やっぱりそうなのか。

自分の戦友が燃えた事に気をとられて、エリーが魚を発火させたという事を暫く忘れていたが、思い出せば出すほど種も仕掛けもなさそうなのだ。


この世界には人喰い鬼やサラリーマンを呼び出す以外にも、魔法があるらしい。

呪文や杖は使わないようだが。


「そうか……あー、……凄いな」


本当にお伽話の中のようだと落ち込みつつ褒めると、エリーはぎゅっと太い眉を寄せて少し怒ったような顔をした。

何で褒めたのに不機嫌になるのかと、今度は私が不審な瞳を向け返せば、エリーは抱えきれなくなった薪を足元に置いて、ああ、と思い出したように手を打った。


「人喰い鬼は魔法、使えないんだっけ」


使えないらしい。

そういえばラーウムも怪力しか能がないと言っていたか。


不便だな、と私を見やってから、エリーは不機嫌さをどこかにやって少々嬉しげに、薪ひろいを再開した。



2人で抱えてようやっと持てるだろう、という大量の薪を集め終え、一仕事終えたらしいエリーは大きな木に寄りかかってウトウトと船を漕ぎ始めた。

一寝入りする気らしい。

あの日の射し込まない家で昼寝していても、気持ちよく無いのだろう。


たまたまかもしれないが、エリーといたら変な生き物に出会わなかったので、私は1人で森の中を散策する気にはなれなかった。

仕方なしに、エリーの隣に人1人分くらいの隙間を開け、木の根の間に腰を下ろす。


徐々に高度を上げてきた春らしい日差しのお陰で、濡れて冷えていた身体が少しずつ温まる。

しかし濡れた衣服を纏っているのは気持ちが悪い。

エリーは寝ているし、幸か不幸か周囲に人の気配はまるでないので、濡れたシャツとネクタイ、ズボンと靴下を木に引っかけて干し、タルタルしたパンツとへろへろしたタンクトップだけになって、座り直す。


傍から見たら幼い女の子の傍に半裸の中年男という110番まっしぐらな光景な気もするが、人喰い鬼がいるような世界におまわりさんがいる気はしない。

おまわりさんが居るとしたら、ちっちゃい女の子が1人サバイバル生活を送っているという事実にまず動くべきだろう。


「…………」


穏やかな風にざわざわと枝が揺れて、柔らかな草の生える地面に、木漏れ日がまだら模様を描いている。

風が揺れるたびにエリーの赤いチリチリ頭もかすかに揺れた。

同時に、ちょっとばかし鼻をつまみたくなるニオイが漂ってくる。


私の靴下には敵わんだろうが――一体この子は何日風呂をサボっているんだか。


明るい所でよくよく見れば、赤色の髪の毛にはフケがたかっていて、体のあちこちには泥もついている。

汚れている口の周りはガサガサに荒れていた。

目ヤニが堂々と陣取っている目元には、髪と同じ色の短いまつ毛が並び、ピクピクと震えている。

何か、夢を見ているのだろう。


芋虫みたいにくるりと背中を丸め、根っこに隠れるように眠る薄汚れエリーから視線を逸らし、私は木に寄りかかって、こつんと後頭部を木にあてる。


さて、これからどうしたものだろうか。


まず、帰る方法を探したいところだ。

エリーが私を呼び出したのなら、私を帰すことも可能かもしれない。

しかしクラスメイトを食わせるという目的の為に私を呼んだのなら、その前にバイバイさせてくれるのかどうか。

私は人間であって人喰い鬼ではない、という点を事細やかに説明すればやってくれるかもしれないが、短気そうなエリーだ。

怒りのあまり人体発火させられる可能性も低くはなさそうだ。

まずはエリーの機嫌を伺いながら話を聞いてみるのが1番だろう。


もしもエリーからの協力を得られそうになかったら、私が現れたあの土壁の地下室、あそこを調べてみるのも良いかもしれん。

ミミズ文字を読めない私に、何らかの手がかりを掴めるかと言ったら怪しいが、可能性があるとしたらあの部屋だ。

帰るためには薄気味悪い魔女の呪文みたいなものが必要なのかもしれないが、それはそれとして、ヒント位は掴みたいものだ。


未だに私が魔法と人喰い鬼のいる世界に居るというのは、にわかに信じがたいのだけれども、信じられないからと言っていつまでもこうしていたら自然と帰宅していた、みたいな儚い望みに縋るのも馬鹿馬鹿しい。


おじさんは現実の中で頑張れる生き物だ。

時々酒の力を借りないと現実逃避できない位に。


そうと決まればまずエリーに話を聞いてみよう、と隣で寝息を立てるエリーの肩をそっとゆすり――――かけて、手をひっこめた。


常に怒っているような顔のエリーが穏やかに眠っている。

邪魔するのも悪いし、何しろ寝る子は育つと言う。

ガリガリのエリーが多少なりとも大きくなるのなら、この昼寝とて馬鹿には出来ない。


それに寝ている所を起こされるというのは、気分の良い物ではない。

起き抜けに私の頭が燃やされたら困る。


パンツ一丁で帰る訳にはいかないのだ。


私の服が乾くまでは、良い夢を見ていればいいと、私もそっと、目を閉じた。




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