38,遺志を見た日
「ッ……の! 下等生物どもがぁあ!!」
今の今までスッポリ頭から抜け落ちていたヘルペスが、怒りの咆哮を上げてこちらに人差し指を向けた。
延長線上にいるのはエリーとラーウム。
見えた空気の揺らぎに慌てて二人の前に割り込もうと走るが――っ間に合わな――
「動くんじゃあないよ、小僧ども」
まず見えたのは白い糸、それを追うように流れた黒髪に、目に鮮やかな深紅のドレス。
私達に向かって放たれた強大な炎の前に立ちふさがった美しき吸血鬼は、大きく息を吸い込んで――――巨大な炎を吹いた。
炎と炎がぶつかる凄まじい唸りが聞こえ、熱気と轟音に思わず耳をふさいで目を閉じる。
熱風がおさまったところで目をうっすら開くと、熱さに空気が揺らぐ中、ルルススを目の前にしてヘルペスが青い顔をしていた。
「魔物!! お前……なぜ此処に!」
あちち、と口の端をぬぐったルルスス。
ヘルペスの疑問ももっともだ。
一体何故ここに居るんだろうか。
それになんで吸血鬼が火を噴くんだろうか。
私のイメージが間違っているだけで、吸血鬼は皆火を噴けるのか?
ルルススは髪の毛の乱れをさらりと手で直してから、ツンと顎をあげた。
「ふん、あたしがいるのは、美しい太陽の傍だけさ」
「た、太陽だと!?」
ヘルペスの問いかけには答えず、ルルススが横目で私に笑いかけた。
「随分と、良いモンしょってるじゃないかい――Oger amor。
お気に入りのドレスを千切った甲斐はあったようだねぇ……あたしが欲しいくらいだ」
「る、ルルスス……」
「さぁ、3人と1匹、纏まっておいで。そこの死に掛けはまだ動けるだろう? 立ちな。
ほら、ボケッとしてんじゃないよ、坊やもだ。可哀想な竜の子は、後で手当てしてあげようねぇ」
私達のほとんどを冷たい目で眺めていたのに、壁際でぐったりしている緋色の竜には優しい母のような言葉をかけるルルスス。
この差は何だと考えていたら、火竜の傍で倒れていたフォルミカが、唸りながら上半身を起こし、呼吸を荒げ、ふらつきながらも立ちあがった。
すぐ膝が崩れて倒れそうになったが、どこからか飛んできたコウモリたちが、服を引っ張るようにして支えた。
顎から血をしたたらせるフォルミカは、どこか楽しそうに笑う。
「……まったく、お前は、何年経っても――相変わらずだ」
「ふん、若造は多少、男前になったじゃないかい」
イカした勲章だよ、と微笑んだルルススは、ふらついて此方に歩いてきたフォルミカの焼け爛れた頬を撫でた。
何をしようとしているのか分からないが、とりあえず私は、壁際で頭を抱えて蹲っているミコーの手を引く。
しかしミコーは頑として動かなかった。
「ッ駄目だ! お、俺は、先生の、そばにいないと、こ、殺され」
「あぁ、そうだな。側に居ても、多分長くない。だがよく見ろ、お前が居なければヘルペスは1人だ。
私は頼りないボロボロのおじさんだが、こちらには逞しいエリーがいるぞ。
男前度が上がったフォルミカ先生もいる。丸太を吹っ飛ばせる怪力のラーウムも、なんでも噛みちぎるピラニアもいるし、ヘルペスが怖がってるルルススもいる」
「あたしゃ、応援しに来ただけで加勢はしないよ」
「……らしいので、ルルススは直戦力にはならんようだが、……うむ」
私の言葉の説得力はあまりなかったようだ。
青色の瞳は絶望のまま、蹲るのを止めようとはしない。
もう強制的に持ち上げて運ぼうかと思ったが、その前にラーウムとエリーが小走りでこちらにやってきた。するとミコーが真っ青になって叫んだ。
「な、何だよお前ら! 来るな! 俺まで殺されるだろ!」
「そのまま全員ぴったり固まっていな」
ルルススの声が聞こえたと思った途端、ヘルペスから渦を巻く業火が放たれた。
ルルススに言われた通り、全員で団子のようにくっついて丸まる。
背中を炭にせんと火が炙っていく感触――だが、何故だろうか。
私は何度も何度も、この恐ろしい炎に見舞われているのに。
どうして私はズタボロの割にピンピンしているのだろう。
皮膚の火傷以外は、殆どが打撲による痛み。
どうして二本足で立って、歩いたり、喋ったり、皆を強く抱きしめたり、出来ているのだろう。
炎が掃けた後も炭にならずにいる私達を見て、同じことを思ったらしいヘルペスが叫んだ。
「っ何故だ! ミコー! 氷解が弱いぞ!」
「坊やのせいにすんじゃないよ、醜い小僧っ子」
黙れ! と叫んだヘルペスが、地下全体を覆うような炎をぶつけてきた。
ミコーの存在はキレイさっぱり頭から抜け落ちたらしい。
蝙蝠のように天井に張りついていたルルススも、流石に丸焼きにされるのは勘弁らしく、脇に抱えたフォルミカと一緒に私達の傍に着地する。
勇気を振り絞って目を閉じず、ごうごうと怒り狂うような炎を良く見てみると、炎は私達の周りにぽっかり空間をあけて存在しているのが分かった。
私達を――避けている?
熱気に乾燥する目を瞬かせながら、私は尋ねた。
「ほ、本当に、どうして私達は焼けないんだ?」
「分からないかい、Oger amor。
あの炎はその子の母の遺志だ。愛しいわが子を焼き殺しまいと死んでいった、母の強い意思の塊だ。
子を消し炭にするはずがないだろう」
私はハッとして、腕の中のエリーを見た。
エリーは周囲を赤く染めている炎を見上げ、緑の瞳に映して、――かあさん、と呟いた。
「朝の子を放すんじゃないよ。その子を守りな、炎からなら、お前達も守られる」
もしかして、フォルミカはそれを分かって私にエリーを離すなと言ったのか?
腕の細い女性に軽々運ばれているフォルミカを伺うが、白目をむいて口からよだれを垂らしているので、どうにも質問は憚られた。
さぁ、とルルススがニヒルに微笑んだ。
「あたしゃ動かないからね。やるのはアンタ達だよ」
「ルルスス、もう火ぃ噴いてくれないの?」
すがるようなエリーの言葉に、ルルススはありゃあたしんだよ、と鼻を鳴らした。
「世界最高の上着を拝めたから見合った分を返しただけさ。もうやれるもんは無いね」
またルルススの流儀の物々交換。
交換したのは物ではないが、本当にこれ以上手を出す気が無いらしく、べしゃりと足元にフォルミカを落っことした。




