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37,仲直りできた日





ヨレヨレのおじさんの渾身の一撃は、ヘルペスの体を僅かに揺らす程度の効果しかなかった。


それでも、ヘルペスに怒りの沸点を越えさせるには十分だったらしい。


口の端を歪め、目をぎらつかせた憤怒の表情で、ヘルペスは私に人差し指を向け――


「がふっ!」


飛んできた丸太に吹っ飛ばされた。

私は目の前で起きた予想外の事態に目を見張る。


「!?」


ヘルペスは丸太を抱えるようにして、岩壁にめり込んでいた。

つぅと垂れた鼻血に、ぐしゃぐしゃになった金髪、岩に背中を激突させたはずだが――どうやら纏っていた外套に何かの魔法が掛けられているらしく、体には傷が無い。


しかし一体どこから……と丸太が飛んできた方を見て、私は己が目を疑った。


そこにいた人物はぜえぜえと肩で息を切らし、私とエリーの方を腫らしたまぶたと、隈に囲まれた大きな眼で見た。


「ッ……!」


私の傍に駆け寄ってきたエリーがきゅっと、私の薄汚れたズボンを掴んだ。


その人物は両腕に大きな丸太をまだ1つずつ、計2つ抱えている。

私とエリーの視線に応えるように、その人物はオドオドと言った。


「あ、こ、これは、3人分の、風呂に、しようと……、その、とりあえず、切り出して……これから、中を、えぐる予定で――」


長く櫛を通していないらしい髪の毛に、葉っぱやら小さい昆虫やらが絡がっている。


つんつるてんの洋服は、泥まみれだ。

私とフォルミカが通ってきたお手製の穴は、大きな体にはとても小さかったのだろう。


言葉を返せず無言でいると、その人物はじわりと目に涙を浮かばせた。


「そ、その、……―――、……ッ、」


言葉が喉に張り付いて出てこないらしく、躓き声が止まる。

ただ、意味を持たない、しゃっくりのような空気を揺らすばかりの音が、震える口から時折零れ落ちた。


「ッ………、―――!」


何かを必死に話そうと、何かをどうにか伝えようと、何かを、懇願しようとするかのように、大きな口が開いたり閉じたりした。


けれど、言葉は途切れたままだ。

痙攣するような動きの乾ききった唇は、結局、きつく結ばれる。


するりと、丸太から手が離され、ごろんごろんと転がって行く丸太が砂煙をあげた。

それを見もせずに、その人物はガクリと膝をつく。


縋るようなざるそば色の瞳が、此方をまっすぐ見つめ――3人分の視線が交差した。


 その瞬間に、私は――、私達は。


 何故、惹かれ、言葉を交わし合っていたのかに、気付いた。

 

同時にそいつは、顔をぐしゃぐしゃにする。

そのまま大きく息を吸い、鼻声で吠えた。


「ざ、ッみじいぃ!」


岩壁に反響した訴えに、私とエリーは、同時に息をのむ。

するとそいつは、せきを切ったように大声を上げて泣き始めた。


「ごっごめんなざぁあああ! え、エリー! あもるざっ! 

ご、ごめんなざッ!! ゔぁぁぁあ!」


親に叱られた子のように、涙を滝のように零して、顔をこれでもかと歪めて、ごめんなさいと繰り返す。

顔じゅうのいたる所から何かしらを出しながら、そいつは必死に叫んだ。


「ざみじいん、です! ひ、ひどりは! ごはんが! い、いっぱい、釣っでもぉ! だ、だれも、いな……」

「「ラーウム」」


私とエリーの声が重なる。

それに驚いて、私とエリーはお互い目を見交わした。


同じように驚いたらしく、ラーウムが目をぱちぱちさせる。

それに合わせてぼろんぼろんと、大粒の涙が瞳から落ちて地面に染みた。


微笑んだ私がエリーの背中をそっと押すと、エリーは素直に歩いて行って、ラーウムの前に立った。

ラーウムはグチャグチャの顔いっぱいに不安の文字を浮かべている。


そんなラーウムを見ながら、少し緊張した様子のエリーは、一度軽く呼吸して、そっと言った。


「アタシの名前は、……ルボルカエリーウェスペルティーヌス」

「!」

「母さんがくれた、夕焼けの古言葉。

……火罪の魔女だなんて、変な名前じゃないもんね!」


ラーウムの元々大きな目が零れ落ちんばかりに見開かれる。


それを優しげに見つめた後、エリーは斜め上に視線をやってから、小首を傾げ、ちゃめっけたっぷりに言った。


「ね、ラーウム。今度は、――――魚の釣り方、教えてくれる?」


ぶわりと、ラーウムの瞳に涙があふれて、大きく裂けた口はもっと大きく裂けた。


それに見合った大きな声でむせび泣きながら、ラーウムはエリーに抱き着――こうとして、ハッとして身を引いた。

長い指をワラワラと動かしてから、体の後ろで手を結び、気まずそうに縮こまる。


さっきまで大きな赤ん坊のように泣いていたのが嘘のようだ。

自分の力で思うがままに抱きしめたら、エリーが潰れると身を引いたらしい。


けれどエリーはそれを可笑しそうに笑う。

その笑顔のまま、地を蹴ったエリーはラーウムの首元に、思いっきり抱き着いた。


目を丸くして、ひゅっと息を飲んだラーウム。

大きな上半身が、エリーの勢いで少し揺れる。


自分の頬にくっつく赤いクルクル頭を横目に見て、ラーウムはまたもや目を瞬かせた。


それから一瞬彷徨わせた腕を、そっと、エリーの背中に回して、微笑むようにゆるやかに瞳を閉じた。





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