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35,拒絶した日




「――フォルミカ先生も確か、9年前の戦争に参加していましたっけね。

分かりますよ、あれに参加して生き残った連中に、まともな神経をしている奴なんて居ない事」


重い火竜が吹っ飛んで、壁に激突して半分めり込んでいた。

緋色の美しかったウロコは、ボロボロと禿げ落ちたり、炭に汚されたりして、哀れとしか言いようのない姿となっている。


「僕は後方治療部隊で……そう、搬送されるのが死人ばかり――――いいえ、炭ばかりでした。

その光景に、絶叫して逃げ出す者がいた、恐怖のあまり半狂乱になる奴もいた、勿論必死に指示を出す者も、心を無にして動こうとする者も……色々でしたが。

僕は只一人、炎の魔法の威力に――――魅入った」


火竜の近くに、大の字に転がっているのはフォルミカだった。

白かった髪の毛は煤で汚れてばらけ、装飾の豊かだったコートは半分燃えて引っ掛かっているだけ、白いタイツはあちこち破れて雑巾を履いているようだった。


ひゅうひゅうと苦しそうな呼吸音が、フォルミカの生を伝えてくるが、虚ろな目と左半分が焼け爛れた顔は、とてもじゃないが無事とは言い難い。


「むしろ可笑しいのは周りじゃないでしょうかね? あれだけの力を見せつけられて、皆怯えるのみだなんて……。

あれが欲しいと、喉から手が出るほど欲しいと、そう思った連中が居ないだなんて。

どうやら皆、怯えて暮らすのが、好きらしい」


物好きですね、そう思いませんか? と、此方に歩いてきたヘルペスがニッコリ微笑んで、私の顔を覗き込んだ。

しかしその顔は水面に映ったようにぐにゃぐにゃ揺らいでいる。


私はフォルミカとは逆の岩壁の近くで、右腕を下にして丸まるように転がっていた。

大規模の爆発に吹き飛ばされ、むき出しの岩壁に背中と頭を、これでもかと激しく打ち付けた。


壁にぶつかった時に、一気に空気が肺から押し出されたに違いない。

――苦しい。

地面に打ち捨てられた魚の気分だ。


空気を吸おうとあえぐ度、肺に包丁を刺しこまれるように痛む。

ぶつかった時、枝が折れるような音も聞こえた。

肋骨が折れたのかもしれない。

襲い来る痛みに意識が逃げかけるのを、必死に掴んで手繰り寄せる。


脳みそがクラクラするし、聞こえる音が洞窟の中に居るようにくぐもって響いている。

視界は滲んだり揺らいだりと落ち着かない。気持ち悪さに吐きそうだ。


だが、歪んで見える光景に、おそらく間違いはない。


フォルミカが――敗れた。

私達を覆っていたドームが吹っ飛んだのも、きっとそのせいだろう。


浅く息を吸い込んだと同時に咳き込んだ。

全身に電流のような痛みが走って、思わず息を止める。


「……ぅ、……ッ」


痛、い……! 

体がバラバラに砕け散りそうだ。

地面で手を傷つけた時の何万倍だろうか。

全身を襲う激痛。

こん棒で滅多打ちにされたよう。

息が出来ない。


口の端からヨダレが垂れたが、気にしていられない。

なんとか痛みから逃れようと体を固くし、ひたすら耐える。

ささやくような幽かな呼吸をふるわせて、弱々しくうめいた。


私はどうなってしまうのかと、滲む涙の奥で怯える。


我慢していれば、治るのか? 痛みは消えるのか? 助かるのか? 

それとも――耐えられず―――このまま死――恐怖が全身を駆け抜ける。

ああ! やめてくれ! いやだ、痛いんだ、苦しい……――誰か。

誰か助けてくれ。何とかしてくれ!


助けを叫びたいが、声が喉の奥に引っ込んでいる。

誰かの名前すら呼べない。

目を閉じ、こらえ、必死に痛みが去るのを待つ。

恐怖と痛みとで、脳みそがグチャグチャとこんがらがっていく。


なんで私がこんな目に――こんな所で――どうして――私が何をした――私だけが――何故――畜生――もう、……もういやだ、……いっそ――……淑


「っぐ、らぁ!」


エリーが、ボロボロと涙を零しながら私の体をゆすっていた。


なぜか、そのぐちゃぐちゃな顔を見たら、私の中で半狂乱に暴れまわっていた痛みがすぅと、遠ざかった。


……魔法か?


ほっと、身体から、力が抜けた。

亀のようにのったりと、瞬きをする。


――エリー。


お前は、身体をぶつけなかったか?


傷は無いか? 


痛い所は、無いか?


……なら、そんなに泣くなエリー、ぐしょぐしょに濡れるぞ?


お前、水は嫌いだろうが。


「フォルミカ先生、本当に炎と踊りたかっただけですか? あと数分で死にそうですが。

炎との心中がお望みで? 戦争が心に変な傷痕でも残して、正気を燃やしてしまったのでしょうか」


もう話せそうにありませんから、真実は闇の中ですけど、とヘルペスは肩をすくめる。


「さぁて、予想外に踏ん張ってくれたので、暴れすぎました。

勿論、力試しはしておきたかったというのもありますけど。流石に警備が来ちゃいますかね――……。

ミコー! とりあえず火罪の魔女を殺したらさっさと此処を燃やして閉じます。

炭になれば誰が誰だか、いえ、何が何だか区別なんてつきませんし、研究の失敗とでも言っておきましょう――ほら、立ちなさい。

まったく子供は扱いやすいですが体力が無くていけない……」


少しばかり落ち着いた私の耳に、ブツブツと文句が聞こえてくる。

どうやらミコーの力が尽きかけているのが不満なようだ。


「お、おーぐらっ……! う、ぅ、お……っ」


エリー、お前、私なんか放っておいて、逃げないか。


あいつ、お前を殺すなんて言ってるんだぞ。

泣いてどうする。

役に立たんおじさんの為に、涙を零してどうする。


世界に1つのアップリケが付いた、夕焼けを背負う最高の戦闘服を着た途端に吹っ飛んだ、情けないおじさんの傍に居て、一体どうするんだ、エリー。


ぺちゃっぱなから、鼻水がでろんと垂れている。

緑色の瞳が、涙でいっぱいになって、まぶたが腫れあがっている。

噛みしめた唇から、血がにじんでいる。


髪の毛は、ボサボサのグチャグチャ。

泥まみれの手で顔をこするから、そばかすの頬が黒くなって、更に涙が混じってとんでもない有様だ。


あぁまったく、女の子はキレイにしてなきゃいかんぞ、エリー。


そっと、左腕に力を入れた。

頭が痺れていて、叩きつけられた体はやっぱり痛くて、ヨボヨボのジーさんみたいに手が震えたが、何とかエリーの顔に手が届く。


そっと、目じりの涙を親指でぬぐった。


だというのに、次から次へとエリーが泣くもんだから、まったくもって意味がない。


「――……」


声を出そうとしたが、さっきから必死に呼吸しようとしていた口が乾いていて、音にならない。


私はザラザラした唇をゆっくりと舌で湿らせ、痙攣して落ちてくるまぶたをこじ開けながら、エリーの緑の瞳を見つめた。


「――――ぁ、くな、……ぇり……」


ようやっと出たのは、掠れた細い声。

だが、それはエリーに届いた。


ハッとしたエリーはうんうんと何度も頷いて、ゴシゴシと涙をぬぐう。


「わ、わがっだ、ぁ、からっ。おっぐらっ……! じ、じななっでぇ!」


しゃくり上げる声が、涙と鼻水と一緒に降ってくる。


死にゃあしないさ、エリー。

ちょっとひどい打撲なだけだ。

美味い魚でも食っていれば、そのうち、きっと癒える。


だから、私の事は放っておいて大丈夫だ。


涙は拭いても、ツララの様に垂れる鼻水がそのままだったので、困った女の子だと目じりを緩めたら、エリーは私の脇腹あたりのシャツに顔をうずめた。

レースの多いシャツは鼻水を大変よく吸収する。


それで多少の鼻の通りは良くなったらしい、泣かないように息を止めて声を詰まらせるエリーが、私の名を呼んで懇願するように喚いた。


「ひ、人! たべなくて、いいっから! す、すてーきに、しなくて、いいっ! ……あ、あたし、歯ッ、み、がいてた、し! といれもっ! いった、! あ、あた、し、ふろも、……はいるっ!」


そうか、エリー。

私がいない間も、ちゃんと良い子にしてたのか。

偉いじゃないか。

しかも、風呂にも入るだって? 一体どんな天変地異の前触れだ?


思わずふっと笑ったら、エリーには私が元気になったように見えたらしい。


息をのんでから、ひたすら喋ろうと決めたようで、思いつくままに、つっかえながらも必死に口を動かした。


「お、ぉ、っはよう、っも、するし! おやすみも、する! でんとう、ダンス、だって……! ふ、ふッとんも、いっこ、あげる! ごはんも! も、もやす時はっ、ちゃんと、それだけに……するっ! ね? いいで、しょ!」


ねぇ! と、切に訴えかけるエリーは、私からの反応が無いのを見て、泣き笑いの顔をした。


「だ、だって……ぅ、そ、そう! あ、あ、あだしっ、お、思った! お、おーぐらっ、は、人間なら、ッ、もしかしてっさ! あたしの、父さんか、も!」


……そんな馬鹿な。


突飛な思考に思わず突っ込みを入れたが、エリーはまた鼻水を垂らし始めながら、目を潤ませ、詰まる声を無理やり押し出すように、どんどんと話しを続けた。


「ッかぁさん、悪魔、なんでしょ! でも、あ、あだっ、ぜんぜん、……まほ、だめだしっ。きっと、父さん、人間なん、かも! おっぐらは、お、ぐらじゃ、なかったのに、よべたの、その、せいかもって、ね! 父さんは、こどもの、そばに、いるっでしょ? きっと……ッ。だ、だから、」


グシャグシャと顔のパーツ全部を歪めるエリー。


それを見つめた私は、ゆっくりと息を吸い込む。


それから、ズキンと痛む胸を堪え、小さく、突き放すように言った。


「私は――……えりー、おまえの……父さんには、なれん」

「……っ」


だから――……頼む。

逃げるんだ、エリー。


おまえの父親に、私はなれない。

そんな私など捨て置いて、此処から逃げろ。


私はお前の笑顔を望む。


私はお前が生きていたら、嬉しい。


私はお前が死んだら、泣くんだ。


――エリー。

心が強くて、優しくて、ちょこっと短気な、可愛い女の子。


お前が幸せであることを、私は、心の底から願っている。

私は、お前の涙なんか要らない。

鼻水の滝も、しゃくり声も、細くふるえる瞳も、欲しくない。


一つだ。

願うのは、一つきり。


なぁ、どうか、……どうか。


ハゲ頭で、弱くて、頼りにならない、お前を大好きな人間の、最期の頼みだ。


此処から逃げろ。



 後生だ……――――生きてくれ、エリー。



「誰か……、ほかの、オーグラ……を、さがせ」


かき集めた力を振り絞り、弱弱しくも確実に、とん、とエリーの胸を押した。


エリーはふらりと、体を揺らして、見開いた目から、大粒の涙をぽろりと零した。


それを拒絶するように、目を伏せる。


……すまない。

散々傷ついてきたお前を、傷つけたくなんか、なかった。


けれど私の傍を、お前は離れるべきだ。

ここに居ちゃあ、ならない。


ただの人で、ただのおじさんだった私は、お前に何もしてやれなかったが、せめて――足枷には、しないでおくれ。


情けないおじさんに、綺麗な夕焼けをありがとう。



エリー……――さようならだ。



エリーはグシグシと顔を強く拭き、涙と鼻水としゃっくりを引っこめた。

それからくるりと、私に背を向ける。


見えるのは、小さな背中。

色んなものを背負った、細くて、頼りない、とても小さな背中。


その背をぎゅっと抱きしめられたら、どんなにいいだろう。

震える背中をそっと撫でてやれたら、どんなにいいだろう。


お前の名を呼んで、振り向いたお前に笑いかけてやれたら、どんなに、どんなに――。


あぁエリー。

お前は今、きっと、あの時と同じ顔をしているんだろうな。


ラーウムが去った時と同じ顔を、しているんだろうな――……エリー、すまない。


情けなくて、悔しくて、切なくて、涙があふれ出た。


けれど、もう、私がやれることはこれだけだ。

惨めで役に立たないおじさんがやれるのは、これだけなんだ。


……急げエリー。

ヘルペスは余裕にあぐらをかいている。

チャンスは今しかない。


私は唇を噛んで、心の中で叫んだ。


 ――行け、エリー!


まるで私の思いが届いたかのように、エリーは地面を蹴って、咆哮を上げて涙をばら撒きながら、勢いよく走り出した。





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