32,発破かけられた日
あつい――痛い――熱い――――
ごうごうと燃えたぎる窯の中に居るようだ。
熱風が吹きつけて、背中を炎が舐める。
怒り狂った蜂の群れに一斉に刺されたよう。
息を止めて、隙を狙っている火が鼻や口から入ってこないようにする。
肺や内臓を炭にされたらたまらない。
むき出しの耳と首すじは、溶ける寸前まで熱した鉄の棒を押し付けられたようだ。
目から水分がどんどん奪われるので目を閉じた。
なのに瞼が透けて、辺り一面真っ赤に見える。
チリチリと髪の毛が焦げる特有の臭いがした。
頭に手を持って行こうとして、薄目の隙間から腕の中のクルクル頭が見えた。
――そうだ、私のすだれ頭より、この小さな夕焼け色が燃えてなくなってしまう方が困る。
ぎゅうと、強く小さな頭を抱えこむ。
周りが熱くて仕方ないのに、この腕の中で震える温かみはどこへもやってはならんと、強く思った。
《――――あんた! ちょいと!》
荒ぶる炎の轟音の中。
とても、懐かしい声がした。
遥か昔に、色んな声色で私を呼んでくれた、だみ声がした。
呑みすぎて深夜帰宅した時の怒声だったり、醤油買ってきてーの命令だったり、グチや噂話を持ってくる時だったり。
寂しい時に、辛い時に、嬉しい時に―――、私を呼ぶ沢山の時に、かけられた声がした。
今聞こえたのは、ウトウトする私を蹴り起こす時によく飛ばされた声色だ。
おい頼むから尻を蹴るなよ、と体に力を入れると、その声は予想外に優しく丸みを帯びた。
《――先にいったあたしが言うのもなんだけどね、体は大事にするもんだよ、あんた。
まったく……よく考えな――……急く必要が、どこにあるってのさ?》
凄まじい劫火の唸り声より、良く聞こえる。
そりゃ、そうだ。
だってお前の声は至近距離で話していたって3軒隣に響く位デカい。
負けずに声を張り上げて返事をしていたら、お隣さんに喧嘩してんのかい? 程々にな、と覗きこまれた程だ。
《ムリすると膝を痛めるよ。あたしゃ、か弱いんだから。アンタをおぶってなんか、やんないよ》
その体型でかよわいってんなら、私なんか瀕死だぞ。
相変わらずの物言いに、私は苦笑する。
――……なんだ、まだ迎えに来る気はないのか。
《甘えんじゃないよ! それとも何かい、アンタまだ、迎えに来てほしいのかい?
困った旦那だよ! シャキッとしな!》
響き渡る呆れ声。
やはりデカいそれに、私は微笑みを返した。
――お前も膝が悪いだろうが、淑子。
私は……ゆっくり、ゆっくり歩いて行くとするさ。
友達と煎餅でも食べながら、大好きなおしゃべりに花を咲かせて、のんびり待っていてくれ。
私は、大丈夫だ。
……あぁ、そうだな。
いつかお前へ――――、小さくて、クルクルした夕日色の土産話を、持って行こう。
「――! ――ぃ! おい! この、とんま! 起きろ!」
「あいたっ!」
頬を引っぱたかれて目が覚め、その瞬間に絶叫した。
「ッエリィィィイ!」
「無事だ! 黙れ! 喧しい!」
お前の3拍子の方が喧しい、とは言わずに口を閉じて周囲を見渡した。
ここは何処だ、此奴は誰だ、私は何をしている!?
ぱっと周囲を見てわかったことは、ここは私とミコーが昇ってきた階段の途中であり、私の目の前で気絶しているエリーの頬をペチペチ軽く叩いているのは白カールであり――私の時は思い切り頬を張り飛ばしたくせに――、傍で竹ぼうきがぼうぼうと燃えているという、よく分からない事態だ。
私はキョロキョロしながら尋ねた。
「な、なんだ、一体、どうなった?」
「……私の足が燃えた。貴様、足は動くか?」
白カールの足はぴっちり白タイツに包まれていて、とても燃えているようには見えない。
しかし白カールの目線が、炭になっていく竹ぼうきに向けられていたので、此奴の言う足とは空飛ぶ箒の事だと分かった。
私は少々ヒリヒリするがちゃんと感覚のある足で立ってみて、ゆっくり足踏みをした。
少しふらついたが、ちゃんと動く。
白カールは頷いた。
「行けるな。貧弱な見た目の割に頑丈……ああ、いや、小娘のせいか」
「……エリーがどうした?」
白カールが答えようとした時だった。
頭上から大きな地響きのような振動が伝わってきて、僅かに遅れて階上から熱風が襲ってきた。
石ころや砂がぱらぱら落ちてくる中、転ばないよう足を踏ん張り、熱気を腕でカバーする。
一体何が起こっているのかと戸惑う私の背を、白カールが蹴り飛ばし、エリーを私にほん投げた。
「走れ!」
何がどうなっているのかはまるで分らないが、白カールはどうやら敵では無さそうだった。
どうにか受け止めたエリーを背負い、言われるがまま階段を駆け降りる。
ちらりと後ろを振り返ると、白カールも私を追うように走っていたが、何やらブツブツ唱えたりミミズ文字をばら撒いたりと忙しそうだ。
エリーの右手にはしっかりとピラニアランタンが握られているが、階段を転がるように駆け降りているせいで、ピラニアは前後左右上下滅茶苦茶に振られ、時折肩掛けバスケットに激突もして、大変居心地が悪そうだった。
ミキサーに突っこまれている気分だろう。
だが構ってやれる暇はない。
耐えてくれ、と前に向き直った時、私は1人メンツが足りない事を思い出し、慌てて叫んだ。
「み、ミコーが! ミコーが大変だ!」
「そんな事は百も承知だ! 黙って走れ!」
走り抜けた背後を、黄緑のツルが鬱蒼とうごめく通路に変えた白カールが、私を一喝する。
何ださっきから黙れ黙れと、と文句を言おうと思ったが、茂る葉の向こうに炎が踊っているのがチラリと見えて、慌てて口をつぐんだ。
私の後ろを走りながら、白カールが言う。
「ミコーは稀少な氷結魔法の使い手だ。腕も良い。そう易々と殺されはしない」
「ほ、本当か?」
「便利な操り人形は壊したくない筈だ。――……人形が反抗しない限りは、な」
嫌な一言を付け加えた白カール。
私は怯えた青色の瞳を思い返し、ぎゅっと口を引き結ぶ。
そんな私の後ろから、白カールが尋ねてきた。
「そうだ、貴様、どうやってウルペスと渡り合う気だったんだ」
どうやって?
……どうやって。
そりゃ、何とか隙を狙って、何とか逃げて、何とか世間に真実を――となんとなくイメージしていたこれからを伝えた。
ヘルペスの化け物じみた姿や、遠慮なくこちらに炎をぶちかました性根を考えると、とても何とかなるとは思えなくなってきたので、後半になればなるほど言葉が尻すぼみに縮んでいく。
白カールは盛大に舌打ちした。
「これだから! 何でもかんでも気合でどうにかなると思う世代は!」
「…………」
反論できないので視線を逸らす。
しかし気合は大事だぞ、……いや、気合も、大事だぞ、だ。
勿論それを口にして更なる怒りを買いたくは無かったので、言われる前に黙る。
すると白カールはグルグル階段を駆け降りるスピードを上げて私の横に並んだ。
「奴が得たのは炎の源。まともにやり合うには、国中の氷結魔法使いを招集するしかない」
「そ、そうなのか。よし、直ぐ集まってもらおう!」
「無理だ、9年前に戦闘可能な氷結魔法使いは全滅した」
息を飲む私に、残っているのは学生のみだ、と白カールが厳しい顔で言う。
「不幸にも、奴は生徒受けの良い教師、私は鼻つまみ者教師だ。
奴を慕う学生達を私が呼んだところで、まともな戦力にはならん。
足手まといどころか――炭になって終わりだ」
きゅっと眉間にしわを寄せた白カール。
ならばどうするんだ、と切れてきた息をヒィヒィ言わせながら尋ねる。
白カールは少し迷った後に答えた。
「消えぬ炎に対抗するには氷結。あるいは――――さらに大きな、炎」
その言葉に、私は慌てて首を振った。
「ま、待て、エリーはちっちゃい火しか出せん」
「小娘なんぞ端から戦力外だ間抜け」
ぴしゃりと言い返した白カールは、私達がどこに向かっているか分からんのか、と冷えた灰色の目で私を睨んだ。
どこって、これは私が通ってきたルートを逆戻りしているのだ。
地下牢じゃないのか。
階段の下りとはいえ私の背中にはエリーとピラニアがくっついており、さらに体はボロボロなので、ひいこら言いながら白カールを伺うと、人差し指が下に向けられた。
「地下牢よりさらに下に、居ちゃならんヤツが居る」
白カールの言葉を数秒考えて、私はハッとした。
「ッ火竜!」
「そうだ、―――竜の炎を使うぞ」
竜は普通悪魔に喧嘩は売らないが、相手が人間となれば話は別。
しかも、己を捉えて縛り付けている、憎たらしい人間が相手だ。
迷わず強烈な炎をかましてくれるに違いない――。
白カールの説明に、私はがぜん元気が湧いて出てくる。
しかしその元気を削ぐように、背後からゆるやかに声が響いてきた。
「フォルミカ先生? 一体貴方、ここで何をしているのです? ここは私の研究塔ですが」
「っ!」
背後の茂みがどんどん燃やし尽くされていく。
その向こうから、愉悦に満ちたはちみつ色がのぞいていた。




