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31,肩をもまれた日






私とエリーは《あとで新魔力の実験に付き合ってくださいね》とヘルペスに魔法をかけられ、水でできた球体の中に閉じ込められた。


球体の中は空洞なので溺れるという事は無いが、手で殴ろうが足で蹴ろうが球体はブヨブヨするばかりで壊れない。

球体は天井から鎖で吊るされていて、私達が動けば多少揺れるがそれだけだ。


湾曲した足場である上に、エリーが水への拒否反応を盛大に示して、私の背中にべったり張りついていたので、うまくバランスをとれずにすっ転んだ。


トランポリンの上に居るように尻で跳ねながら、私は尋ねた。


「なぁエリー、さっきみたいにこの球体も、燃やせないのか?」

「……むり。もう殆ど力ないもん」


どうやらさっき私を助けるのに全力で魔力を使ってしまったらしい。


そうか……と肩を落とす私に、エリーは口を尖らせた。


「だって、丸1日ごはん食べてないんだもん! お腹減った!」

「……? なんだ、食えるものが無かったのか?」


バスケットから玉ねぎスープ瓶を取り出し、背中のエリーに渡す。

それを不本意そうに受け取ったエリーはムッスリと、そばかす付き頬袋に餌を大量に詰め込んだハムスターみたいな顔をして、そっぽを向いた。


え、なんだ、なんで怒ってるんだ。


エリーの尻を片手でポンポン叩いて、おんぶ姿勢を安定させると、エリーはしぶしぶ口を開いた。


「……だって、オーグラー、帰ってこなかったじゃんか」


私は口をあんぐり開けた。


「ま、待ってたのか!?」

「どこにも行かないって言ったの、オーグラーじゃん!!」

「い、いや、お前を嫌いにはならんと言っただけで、そこまでは言って……」


ごち、と頭頂部に小さな拳骨を喰らう。

ずび、と鼻水が啜られる音も喰らう。

ダブルパンチ。


「あー、いや、……じ、実は、ヘルペスに、その――、……あーぁぁ……」


私はがくりと項垂れた。


悪い。

完全に私が悪い。


私は1人美味しいご飯を食べて、そうだパンを半かけ持ってってやろうなんて思いながら1人フカフカのベッドで、しかもヘルペスんとこのベッドで眠ったのだ。


何てことだ。

私の馬鹿。

大馬鹿者。


私はしょぼくれながら謝った。


「エリー、すまん。私が悪かった。

まさかお前が、その、役に立たなかった私との食事を待っていてくれてるなんて、夢にも思わなかったんだ」

「…………」


エリーは私の背中で少々モゾモゾした後に、バラけ散った私の頭髪を、そっと頭頂部に撫で戻してくれた。

湿気っぽい手で、ぺちぺちと叩いて仕上げをされる。


それからやや間を開けてから、私の肩に両手が乗り、肉を摘むような動きをした。


もしや……肩もみか?


戸惑う私の背中で、恥ずかしげに咳払いをしたエリーは、抱えていた玉ねぎスープをチビチビ飲みつつ、私の手からピラニアランタンを取り上げた。


「この魚食べるの? それとも飼うの?」


じろじろと眺めまわされたピラニアは、自分は食いものではないと言いたげに、華麗に一回転泳ぎを披露。

感動して目をキラキラ輝かせ、もっかい! と笑顔でピラニアをせっつくエリーに、私はホッとした。


しかし実を言うと、今の状況は全然ホッと出来る物ではない。


下方では、ぎゅっと歯を食いしばり、振り乱した銀髪の隙間から覗く青色の目に涙を溜めて、ミコーがランタンを両手で持っているのだ。

ランタンの中の暖かく燃える炎が、ミコーの瞳にゆらゆらと映っている。


「さぁ、ミコー」


ミコーの後ろに立ち、小さな肩に両手を置いたヘルペスが、腰をかがめて顔を近づけ、囁くように先を促した。


ミコーがすっと息を吸い込んで、目を閉じる。

するとミコーの手の周りに白っぽいミミズ文字が躍った。


ヘルペスの恍惚の笑みが大きくなり、ミミズ文字が炎に吸い込まれた瞬間、まばゆい光を揺らしていた炎が――――ぴたりと固まった。


不思議な光景だ。

炎が動かない。


まるで、写真に写し取られた瞬間をそのまま持ってきたみたいだった。


ヘルペスが、感極まったようにぶるりと震え、嗚呼、と感嘆の息をついた。


「……これだ。僕が、ずっと、ずっと、――ずっと! 9年も前から焦がれたのは、これだ……っ!」


ヘルペスがミコーの手からランタンを乱暴に奪い、そっとランタンの扉を開いた。

細長い指先が、ゆっくりと炎を摘み出す。


炎はヘルペスの手を焼く事も、熱する事も無く、掌の上でころりと大人しく転がった。


同時にミコーが床に崩れ落ち、全力疾走後のように息を荒げた。


「おやおや、困りますよミコー。貴方には私が慣れるまで、氷解をしてもらわなきゃならないんです。

いくら悪魔の炎が相手だったとはいえ、ヘバっちゃダメですよ」


起きなさい、とヘルペスがミコーに人差し指を向けると、ミコーは胸を抑えて滝のように汗を垂らしながら、歯を食いしばって起き上がった。


私は水球に手をつき、足元を蹴り飛ばしながら叫んだ。


「ミコー! 大丈夫か! 待ってろ、今行くぞ!」


泣きそうに歪んだ青色の瞳が、縋るように私を見た。

しかしヘルペスがニタリと口角をあげて、こちらに蔑んだ目を向ける。


「来られる物なら?」


そうだ、私達は今、水球の中で移動できないのだ。

ベシベシと水の壁を叩きながら歯噛みするが、如何様にもならない。


我関せずと、ヘルペスが自分の口の端をつまむように、指を置いた。


一体何をしているのだと我武者羅に暴れながら眺めていると、ヘルペスの口の端がなんと――――裂けた。


チャックのようにジリジリと開かれていく口元からは、赤い歯茎と白い歯が見えていたが、仕舞いには首の真ん中辺りまで裂けたので、筋肉のような筋張った物とかプチプチした黄色い炒り卵みたいなものだとか、なんか見ているだけでウゲェ、と吐きたくなるような組織を拝む羽目になった。


尻もちをついたミコーも、目をかっぴらいてそのおぞましいものを凝視している。


右側が終わったら今度は左側、と同様に口のチャックを開け、顎がべろりと垂れ下がりそうな程になった辺りで、ヘルペスが笑った。


といっても、口の端は首元まで垂れ下がっているので、それが本当に笑顔なのかどうか分からない。

ただ、頬の筋肉がピクピクと痙攣して、はちみつ色の瞳がゆるりと細められただけだ。


元のジャニーズはどこかに消えた。

なんて醜くて、不気味な顔なんだろうか。


ラーウムの口裂け顔なんて可愛いものだ。

醜悪顔にどこか見覚えがあると記憶を掘り起こせば、ヘルペスの部屋の中にあった気色悪い本の挿絵で見たのだと納得する。


背筋を震わせる私達の前で、ヘルペスは凍った炎を高々と掲げると、口を大きく大きく、限界まで開き、すべての歯をぞろりとのぞかせて、蛇のように舌を伸ばし、炎を――――吸い込んだ。


ズルっと、うどんでもすすり上げたような音が一瞬して、その後にごくりと、あたりに響く嚥下音。


しん、と静まり返ったホールで、ふふっと、ヘルペスが楽しげに肩を震わせた。


ゆっくりと、両手を使ってヘルペスは口にチャックをする。


その気色悪い光景の中ぴんと張りつめた緊張の糸は、ヘルペスがこちらに人指し指を向けたことで、ぷつんと切れた。


「十分です。火罪の魔女、貴方のちっぽけな魔力など、不要でした」


はっと息を飲んだときには、水球が破裂していた。

身体が宙に放り出される。


内臓がゴッソリ浮きあがる嫌な感覚に、体がこわばった。


突然の事態に驚き、私の背中から離れたエリーを慌てて両腕で抱え込み、そのまま落下する。


「ミコー、小指の先の千分の一、僅かで結構、氷解してください」


ミコーの苦悶と絶叫の後に、ヘルペスの歓喜の咆哮が聞こえ――――床に叩きつけられようとしている私達を、劫火が襲った。




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