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30,本性を見た日





「あっづぁああ!!」


熱湯風呂である。


私は誰かに押すな押すなと振った記憶はないのだが、いつの間にか全身熱湯に浸かりこんでいたので、慌てて跳びあがって風呂から脱出した。


誰か水を! と思った次の瞬間、何故か体の表面が真っ白なワタに覆われていた。

さっきまでの熱さが一気に消えていく。


「……? なんだこれは、冷やっこくて気持ちが良……さ、寒い!」


全身を氷に包まれたようだ。

両腕を体に回しつけガタガタ震えると下から文句が飛んできた。


「っなんだよ、オッサン我儘すぎだろ!」

「馬鹿チビ! 何すんだ! オーグラーが凍え死んじゃうだろ!」

「チビじゃねえ! 馬鹿は手前だ! オッサン煮込んだって食えねえっつの!」


ぺんぺんと体を軽く叩くと、私を覆っていた白い綿が落ちる。

あ、綿ではないな、これは、雪だ。


私の隣で煮込んだの煮込んでないのと言い争うエリーとミコーを眺めつつ、私はどうやらこの2人に救われたらしいと気づく。


ヘルペスが放った津波に巻き込まれた私を、エリーが炎に巻いて助けてくれた。

さらに全身を熱湯にやられる前にミコーが冷却してくれた。


おかげなのか何なのか、さっき水にぶん殴られた衝撃は殆ど感じない。


「あぁ全く、酷い。あのアホミカ先生ですら、人の契約動物は殺しませんよ」


ヒリヒリとして赤くなっている皮膚から視線をあげると、ヘルペスが床に落ちているぶった切れた紐をつま先で蹴り転がしていた。

2つに千切れた紐――と思ったが、真っ赤な断面を見てそれは蛇の死骸だと分かった。


エリーが私の横に立ち、偉そうに胸を張る。


「へん! アタシの口に突っこむ方が悪い! クソ不味かった!」

「おやおや、彼が生きていたと分かったら途端に強気ですね。おめでたい頭だ」


口に突っこむ? と、エリーの顔を見れば、口の周りが真っ赤。

さらに頬にはウロコの痕。


どうやらエリーを黙らせるために、さるぐつわの代わりに蛇が巻き付いていたらしい。

根性逞しいエリーはその蛇を噛みちぎって外した模様だ。


す、凄いぞエリー。

しかし眼鏡が無くてよかった、オートで蛇の断面にモザイクが掛かってるようなもんだからな。


とりあえず尻ポケットに手を突っ込んでちり紙を――と思ったが、もうちり紙は無い。


まぁいいかと、しゃがんだ私がシャツの袖でぐいぐいエリーの口元を拭うと、エリーは慌てたように暴れた。


「ぶむっ、よごれ、!」

「レースまみれのシャツは好かん。構わない」


ホント? と、窺うように見上げられたので、苦笑して頷いた。


中年の見目麗しくないおじさんが汚い服を着ていても別に誰も困らないが、女の子が口の周りを血だら真っ赤にしているというのは宜しくない。


「おい、オッサン、ほら」


袖を引っ張られて右を見ると、吹っ飛んだはずの私の眼鏡を、ミコーが青い顔で差し出してくれていた。

片方のレンズが割れて欠けていたが、欠けた部分に綺麗に氷が張っている。


「ありがとう、ミコー」


受け取ったメガネをかけると、大波に押し流されて入ったらしい、暗めの部屋の全貌がうかがえた。


私がたまに足を運んでいたしょぼくれた銭湯くらいの小さめなホールだ。


私達が通ってきた螺旋階段がこの屋上ホールの中央の石柱となり、天井を支えている。

天井の真ん中からは傘の骨組みのように、ゆるやかな曲線を描いた柱が伸びて、ドーム型にホールを覆っていた。


柱の間は全て、ステンドグラスだ。

色とりどりのガラスがはめ込まれ、人物だったり動物だったりを描いているが、今は夜間なので絵がよく分からないし、あまり美しくも無い。

外の闇色が混じったガラスは、橙色のロウソクの炎に照らされてもじっとり濁っているようで、とても不気味だった。


足元は灰色の石が敷き詰められているが、軽く足を動かすと石の中が透けて波打つ。

水性ガラスならぬ、水性の……床、だろうか? 

ヘルペスの仕掛け満載らしい。


それはともかく、きっかりくっきり見えるぞと笑うと、ミコーは照れたように頬を染めつつ口を尖らせ、後頭部に手を回した。


「べ、別に、これくらいほんの、朝飯前――」

「ミコー。可能な限り魔力の消費を抑えるよう、僕は言ったと思いますが?」


ひっと、息を飲んだミコーは、背後で石柱に背を預けるヘルペスを怯えた様子で振り返る。


それが何故か分からないと言ったように、ヘルペスは首を傾げた。

さらりと金髪が滑り落ちる。


「ミコー、一体どうしたんですか? そいつに何を吹きこまれたんです? 

まさか、そこの火罪の魔女が、ほんの小さな子供だから怖くなんかないよ、みたいな無責任で碌でもない法螺話でも、聞かされたんじゃあないでしょうね?」


エリーがキッとヘルペスを睨み、ミコーは動揺したように目を泳がせた。


ヘルペスは隠そうともせず盛大にため息をついた後、右手に持ったカンテラを掲げる。

その中には、こうこうと輝く綺麗な炎が揺らめいていた。


私は軽く眉を寄せてから、エリーを窺った。


「エリー、家から持ち出したのか?」

「え、う、うん」


不味かった? とほんのり気まずそうにするエリーに、私はあまりよくないな、と素直に頷いた。

するとエリーはしょんぼりと俯く。


「やっぱり? カンテラに入れて、家の外に出たら、家が崩れちゃったんだ」


エリーの母は家を温めるだけでなく、家を崩壊からも守っていたらしい。


私は小さく笑って、エリーのホコリっぽい頭をグシャグシャと撫でた。


「それでも、家が崩れても、私が人質になったから、此処まで来てくれたんだろう?」

「……うん。……あのさ、オーグラー」


エリーがモゴモゴと、また入れ歯を調整し始めた。

また何か頑張って言葉を出そうとしているのか、と黙って待っていると、それを待たずにヘルペスが言った。


「ミコー。この悪魔の炎を僕の魔力に出来れば、僕に不得意分野は存在しなくなります。

故に、お抱え魔法使いになる道は容易い。僕の不足を指摘した連中も直ぐに落選を撤回するでしょう」


 かすかに震えるミコーを気にせずに、ヘルペスは続けた。


「勿論、君が協力してくれれば、の話。

水魔法は火を消すには有効ですが、消えない炎に対しては殆ど使えません。

この炎への唯一の対抗手段は、炎を消さずに氷結させる、それだけです」


前にも話したと思いますが、とヘルペスは炎の輝きをじっと恍惚の表情で見つめる。


それはあの時、エリーの生い立ちを話していた時と同じ、背筋が寒くなるような目の暗い輝きだった。


「――だというのに、君は迷っていますね?」


責めるように細められた瞳がミコーに向けられた。


ぴくりと指先を揺らし、冷や汗をかいているミコーが小さく頷く。

何故、と促されて、ごくりと唾を飲みこんだミコーがこわごわ言った。


「だ、だって、先生。

そこのオッサンは、カッコ悪いし、魔法も……、頭も悪そうだし、頼りにも……ならなそうだ。

け、けど、でも、先生みたいに――俺を殺そうとなんか、しない」

「…………」

「さ、さっきだって、俺を突き飛ばして助けてくれた。そうでなきゃ、俺が、溺れてた……!」


ミコーが恐怖に震える声を出す。

けれどヘルペスは心外だ、とでもいうように肩をすくめた。


「殺す? 何を言いますか。

僕に素直に協力してくれるのなら、そこの2人はともかく、君はちゃあんと生かしておきま――」

「ッ魔法使いは! け、契約で嘘を、ついてはならない。

契約は歯車であり、食い違いは許されず、欠損は許されず、すべてが契合していなければならない」


教科書を丸暗記したような台詞を、ヘルペスの言葉を遮って紡いだ後、ミコーはフォルミカ先生が言ってた、と俯いた。


するとヘルペスは生徒を褒める教師らしくニッコリと微笑む。


「素晴らしい、流石優等生。そう、その通りですよ。

契約魔法の重要項です、あのガリ勉馬鹿の試験に出ますね。そのまま頭に刻んでおくことをお勧めしま――」

「じゃあ! なんで! 約束をしたのに――っなんで、お、俺の…――ッ!!」


突如ミコーが胸を抑えて蹲った。


私は慌ててしゃがんでミコーの肩に手を回した。

顔を歪めたミコーは真っ青な顔でヒュウヒュウと喉を鳴らして呼吸をしている。


一体どうした、何か持病があったのか!? 


尋ねようと口を開いたが、先に喋ったのはヘルペスだった。


「どうして俺の心臓を捉えているの!? …ですか?」


わざとらしく甲高い声で、ミコーの声真似をし、クスクスと小さく笑ってから、がらりと表情を冷たいものに変えて、ヘルペスが鼻を鳴らした。


「真実を知るお喋りな馬鹿は野放しにしておけません。

特にこの学校には、鼻ばかりでかい匂いに敏感な奴がいますからね」


さっさと火元は消しておくに限ります、とヘルペスは言い放つ。

私はミコーの肩を抱いたまま、ヘルペスを睨みつけた。


「おい! ヘルペスお前、何をした!」

「ウルペスです」


ひくりと口の端を引き攣らせたヘルペスは、すぐに表情を作り直し、余裕の笑みを浮かべる。


「僕の得意分野は元素魔法の水。彼の心臓に流れる血液の流れを操ることなど、訳ありません。

一般的に水魔法は氷魔法に劣ると言われていますが。果たしてどうでしょうね? 

ミコー、どうです、私の支配下にある貴方の血液を凍らせて支配を解いてみますか? 即死でしょうけど」


なんだかとても恐ろしげな魔法を使われているらしい。

脂汗を垂らすミコーが、ガクガクと揺れる人差し指を持ち上げてヘルペスに向けたが、いっそう苦しそうに顔を歪めてとうとう床に倒れてしまった。


エリーが青い顔で私にしがみ付き、私はミコーを抱き起したが、歪んだ真っ青な顔がどんどん青黒くなっていくばかりだ。


「ミコー! おい、しっかりしろ!」

「わざわざ、この僕が!」


私の叫びなど聞かなかったかのように、ヘルペスが胸に片手を当てて宣言した。


「氷魔法の使い手に、何故君を選んだと思います!? 

もしやミコー、君自身に特別な才能があるとでも思いましたか? 

優しい先生が、特別に自分に目をかけてくれている、その理由が己の能力の素晴らしさにあると、まさか本当に思いましたか?」


楽しい漫才でも見ているかのように、ヘルペスはハハハ! とホールに響く笑い声をあげた。


「ご冗談を! キミが、僕より遥かに劣るからですよ! 幼き愚かな氷結の魔法使い! 

僕がちょっと特別だと囁いて君にウィンクしただけで、君はホイホイ僕のあとをついてきた。

僕が召喚した失敗作たちの世話まで引き受けて、使い走りにもなってくれて、挙句の果てには無様に床に転がって――――あぁ、もしかして僕の椅子になってくれているのですか?」


それともオットマン? いやそこまでして貰って悪いですねぇ、とヘルペスはニヤニヤ笑う。


「僕の心臓に氷結魔法をかけるには、君の魔法行使速度は鈍すぎる。

ああいや、クラスの連中と比べたら、そりゃあピカイチですよ? ええ、一等賞を差しあげます。

けれど残念、ここに居るのはもうすぐ王お抱えの魔法使いになる、才気溢れる先生でした。

君の氷結魔法が僕の心臓に届く前に、僕は君の心臓に血液を一気に送り込んで、軽く破れます。

―――風船みたいにね」


パン、と口で音を出しながら、片手で弾けるしぐさをするヘルペス。


ミコーにかけられている魔法を理解して、私は青くなった。


「や、やめんか! お前! 子供に何をする!」

「…………」


パチン、とヘルペスが指を鳴らした途端、息をつけないほど苦しげだったミコーはブハッと大きく息をして、ぜえぜえと荒い呼吸を繰り返した。


強張っていた小さな身体の力が、幽かに緩む。


「理解しましたか? ミコー。

僕らが交わしたのは紙面契約ではない、勿論血の契約でもない。ただの、口約束です」


嘘をつこうが破ろうが相手を殺そうが、自由です、とヘルペスは微笑んだ。


「ただ、君はまだ幼い。もっともっと生きなければ。

僕の言う事を聞いているうちは、しばらく生かしておいてあげますよ」


こちらへどうぞ、とヘルペスは冷たく微笑んで、片手を自分の横に広げた。





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