26,予想外の再会の日
「誰か! 誰かいないのか! っ出してくれー!!」
一体何時間経ったのだろう。
声が枯れるほど何度も叫び、耳もすませたが、私の声のくぐもったこだま以外は何も聞こえてこない。
柵を掴んで、ずるずるとへたり込みながら、私は肩を落とした。
頑丈な柵は蹴ろうが揺すろうがびくともしないし、岩の壁は押そうが叩こうがウンともスンともいいやしない。
排気口でもあったらと天井を見上げるが、横壁と同じ固そうな岩肌が見えるだけ。
出口が見当たらないのだ。
そもそもこの檻、出口――改め、入り口が無い。
牢屋に入ったからには入り口が無いと可笑しい。
鍵が掛かっていて出られないのならまだ分かるが、この牢は出入り口がついていないのだ。
一体自分がどうやって此処に入ったのかと首をひねるがちっとも分からないので、魔法だ、という結論しか導けない。
「ノロノロしている暇なんぞないというのに……!」
よく分からないが、エリーが危ない。
ヘルペスが何かしようと企んでいる。
最初から胡散臭かった相手であったのに、色々と正直に口にし過ぎてしまったと後悔するがもう遅い。
魔法使い相手にどう立ち向かえばいいのか、まるで見当がつかないが、この牢でぼんやり過ごし続けることはどう考えても最善じゃあない。
地面は多少柔らかな土であるので、こっちを掘ってみようか。
地上まで掘り進められずとも、牢の外の狭い廊下に出る位なら何とかなりそうだ。
よし、そうと決まれば、とシャツの袖をめくり上げ、地面の土に指先を突っ込んで、えぐるように手前に土を寄せる。
思ったより土は固く、僅かしか掘り進められない。
土をかき寄せ、ガリガリと邪魔な小石をほじくり、また土を掘り進め、下に行けば行くほど硬さを増す地面に閉口しつつもそれを続ける。
遥か昔に泥遊びをした記憶はあるが、人間1人が通れるほどの大きな穴を掘った記憶はない。
果たして、人が通り抜けられる穴を作れるのだろうか――いや、分からんが、今はこれ以外に方法が思いつかないのだ。
やるしかないだろう。
エリー、頼むから変なジャニーズ男に掴まるなよ。
私やラーウムと楽しげに過ごしていた辺りからして、面食いではないと思うが、ニッコリ微笑まれたからと言って、ホイホイ付いて行ったら駄目だ。
美味しい甘味をぶら下げられても、逃げなきゃいかんぞ。
あぁ、ちくしょう、こんなことならそういう事も教えておけばよかった。
何しろエリーの周りには人が居ないと思い込んでいたので、《知らない人についていくな》《怪しいヤツを見たら逃げろ》というような一般的な小児に対する注意事項が頭からすっぽり抜け落ちていたのだ。
いや、忠告してあったとしても嘘つきおじさんの小言など、エリーは守らないかもしれないが。
野生児エリーの直感がうまいこと働いてくれることを祈りながら、私は必死に土を掘――「ッ!」突然の痛みに顔をしかめた。
尖った石に気づかずに手をスライドさせたせいで、ざっくりと左手のひらが裂けたのだ。
傷からはじわじわと血が滲んで、見る間に溢れた血がポタポタ垂れてきて、ピンクの肉が見え……勘弁してくれ!
痛みより何よりその見た目にくらりと貧血を起こしかける。
しかし此処でぶっ倒れている場合ではない。
傷をなるべく見ないように顔をそむけながら、どこかに逃げかける意識を慌てて引き戻し、ぎゅっと手を握りこんで血を止める。
手のひらについていた土が傷についてジンジンと傷む。
……傷口に、こんな衛生的でない所の土がついて大丈夫なんだろうか、変なばい菌が入ったらどうしたものだ。
……いや、きっと大丈夫だ、呪いのかかった尻で衛生的ではないものを排出しても私はこうしてピンピンしているんだから。
それに、私の小さな傷の心配をしている場合じゃない。
エリーにどれだけの猶予があるのか分からない今、一分一秒だって無駄には出来ないのだ。
ほつれたレースシャツの裾を咥えて無理やり裂いて、左手に巻き付けて縛り、ゆっくりと指を曲げ伸ばしした。
べろんと皮が垂れた小指の外側、血がにじんでいる指先、土が入り込んで浅黒くなった爪。
山々を駆けずり回ったせいで手のひらには豆が出来ていて、細かな切り傷や擦り傷の痕がかさぶたとなって残っている。
デスクワークをしていた頃とはずいぶん違う手になった。
節くれだった私の手は今、猛烈に、汚い。
けれど、汚いだけではない。
「……待ってろ、エリー」
ぎゅっと、拳を握って掘削作業を再開しようと地面に手をついた瞬間――――地鳴りがした。
「っなんだ!? 地震か!?」
慌てて立ち上がり周囲を眺めまわすが、誰も居ないので確認のしようがない。
転ばないようさっと柵に掴まると、地面の下から誰かが――桁外れの力を持った誰かが、暴れているような音がした。
重い鉄球が大量に落下したような地響き音は、ここから随分遠いようだが、どんどん此方に近づいてきている。
謎の襲撃者を想像して私がぶるぶる怯えている間に、地面の下に押し込められた巨人が地上へ出ようと怒り狂って悶えている――というような地面の揺れと音に変わった。
パラパラと上から土くれが落ちてくる中、私は青くなる。
ちょっと待ってくれ、魔法使いに人喰い鬼に吸血鬼に悪魔、今度は巨人まで出てくるのか!?
いや、居ても可笑しくないが今は勘弁してくれ!
私はエリー救出に動かねばならんのだ、変な生物と戦っている暇はない。
急いで脱出口を作らねば! と、地面に手を突っ込んだ途端、ずぼりと、手が埋まった。
「はっ!?」
そんな馬鹿な、地面はこんなに柔らかくなかった! と、予想外の事態に慌てて手を引っこ抜く。
それと同時に、土の下から何かが飛び出してきた。
それは私の頬をかすめ、牢の隅に飛んで行って、跳ねまわって勢いよく岩に体当たりしている。
どうやら巨人では無い、随分と小さなその影をしげしげ見て、私は目を丸くした。
「ぴ、ピラニア!?」
血走った眼球がぐるぐる回転して四方八方を睨んでいる。
キラキラと輝くはずのウロコは土にまみれてみるも無残なドロドロの有様だ。
土の中で暴れたせいで傷つけたのであろう、尾びれが裂けて痛々しいが、顔つきの凶悪さに磨きがかかっていて、大丈夫か? と声をかけるのが憚られた。
なんでこんな所に魚が、と柵にへばりつくようにしてピラニアから距離を取っていた私だが、あ! と気づいた。
「お前、あの時逃げ出した……ピラニアか?」
ラーウムに分けてもらったバケツの中から1匹消えた、あの時のピラニア。
すさまじい形相は良く似て――――いやまさか、こんな所にまでどうやってやって来たと言うのだ?
ここの魚は地中を泳ぐのか?
意味が分からん。
おどおどする私にイラついたのか、ピラニアはくわっと牙をむき、尾びれで地面を打って私めがけて跳びかかってきた。
うわっと叫び、咄嗟に頭を抱えてしゃがみ込む。
すると頭上でガチン! と、固い金属同士がぶつかるような、つまり、生物からしてはならない音が聞こえた。
おそるおそる上を見てみたら、ピラニアが柵に派手に噛み付いて、ビタンビタンと体を激しく震わせながらこれでもかと激烈な喧嘩を売っていた。
鉄柵にガチンガチンと攻撃を喰らわせても折れない奴の歯は一体何製なのかという疑問はさておき、さっき私が地面に手を突っ込んだ時、あと一歩遅れていたら私の手は今頃奴の腹におさまっていただろうと身震いする。
こっそり下がってピラニアから距離をとる私の目には、見る見るうちに柔らかな粘土の如くボロボロにされていく鉄柵が映った。
これは――チャンスだ。
何故ピラニアがここに居るのかは分からないが――もしかして自分を捉えた人間に復讐しに私を追って此処に来たのか?――なんにせよ、突破口が出来そうだ。
よし、もう一口噛み切ってくれ! と拳を握ってひっそり応援する。
しかしあとちょっと、という所で、ピラニアはぴたりと動きを止め、柵を噛んだままずりずりと落下しだした。
「お、おい! どうした!?」
噛まれやしないかと、牢の隅っこから声をかけるが、ピラニアはだらりとヒレを垂らし、べしゃっと地面に落ちた。
そして牙の見える口をぱくぱく苦しそうに喘がせ、えらをぺこっぺこっと揺らしながら、尾びれで力なく地面をたたいた。
どうやら、力尽きてしまったらしい。
「しっかりしろ! どうした、腹が減ったのか!?」
本当はエリーにくれてやるつもりだったが、今は惜しんでいる場合じゃない、とバスケットの中からパンを取り出して、ピラニアの口先に持って行ってみた。
しかしピラニアは一口も食べようとしない。
さっきまで鉄柵を腹に収めていた魚と同じだとは到底思えない衰弱っぷりだ。
一体どうして、と焦る私の前で、ピラニアはどんどん元気をなくしていく。
パクパク動く口が緩慢になり、えらの動きも遅くなり、尾びれは動かずだらりと垂れさがったままだ。
もはや私は手を喰いちぎられるとは思わず、ピラニアをそっとすくうようにして持ち上げた。
僅かに焦げ臭いが、ひんやりした泥まみれの体は、私の手の上でぐったりしている。
一体どうしたらいいのだ、どうしたら此奴の元気は戻る?
オロオロと無駄にあたりを眺める私の前で、ピラニアの鱗が1枚ぺらりと剥がれ落ちた。
エリーが回収していたあの綺麗なウロコと一緒だが―――乾燥したせいで、剥がれ落ちたのだろう。
今はそれを集めて喜んでいる場合ではない、とそのウロコから意識を外そうとして、ふと気づいた。
…………乾燥?
「も、もしかしてお前……――苦しいのか?」
本来水の中で生活する魚。
何故か今まで地中を掘り進めて生きていたようなので、そんな常識は頭からすっぽり抜け落ちていたが、もしかして水が無くて、苦しいのではなかろうか。
私の言葉にその通りだと頷く様に、今までぼんやりしていたピラニアのギョロ目が私に焦点を結ぶ。
なるほどやはり水か! と思い立つが、困った。
魚を入れられるだけの水なんてない。
天井から滴り落ちる水滴ではとても賄えないだろう。
唯一の持ち物であるバスケットの中を覗き見て、私はへらりと笑って尋ねた。
「……玉ねぎのスープで良いか?」
その時のピラニアの形相と言ったら、筆舌に尽くしがたい。
当然だ。
何しろ玉ねぎのスープに魚を突っ込む――もはや救出ではなく、具材にされたと思うだろう。
私は渋い顔で唸った。
「そんな顔をされたって、他に水分なんて……――あ」
私の目に飛び込んできたのは、バスケットの中で転がる、ソーセージ入り水性ランタンだった。




