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24,夜の客人に殴られかけた日




その後、もう遅いのでどうぞ泊まって行って下さいと、ヘルペスは本にまみれた部屋を変え、小さな箪笥や水道、テーブルや温かいベッドが付いた小部屋に私を案内したのだった。


フワフワのベッドは寝心地が良い筈だが、中々眠気が訪れずに、ごろんごろんと何度も寝返りを打つ。


髪の毛が引っ張られて抜けないように気を使わないといけないので、結構大変だ。

……いや、私の髪の毛の心配などしている場合ではない。


小さく息を吐いてから、私は布団を頭の上まで持ち上げて、暗がりの中で問いかけた。


「私は、どうしたらいいんだ? なぁ、……淑子」


私の頭の中で、淑子はぐうぐうと、盛大ないびきをかいて眠っている。

私の悩みなど取るに足らないちっぽけなものだと言いたいのかもしれないし、夜更かしはお肌に毒よ、と美容を訴えたいのかもしれない。


――エリーを置いて帰る。


その為に、私はエリーの家から火の魔力の結晶を持ち出さなきゃならない。


私は頭の中で真っ赤な宝石を想像したが、ヘルペスは私のイメージを否定し、それは《消えない炎》だと断言した。


そう、その魔力の結晶とは、あの消えない暖炉の火だ。

エリーの家を温め、寒さからエリーを守って、目玉焼きを焼いてエリーを育て、ずっとずっと、1人ぼっちのエリーを見守り続けてきた、あの温かな炎だ。


大して薪を突っ込まれている訳でもないのに、外出している間も消えない暖炉の火を、私は変なモンだと思って見ていたが、あれはエリーの母の魔力だったのだ。


ヘルペスはそれを持って来いと言う。

あの水性ガラス製らしい、ランタンの中に入れて持って来いと言う。


そうすれば私は帰れる。


――代わりにエリーが寒さに震える羽目になる。


びしょ濡れの私に、火で温めようかと言ってくれたエリーが、凍えるかもしれない。

エリーは風呂に入ることを嫌がるだろうから、きっとブルブル体を震わせて眠るのだ。


あぁ、でもマッチ売りの少女みたいに、小さな炎を自分で作って温まろうと頑張るかもしれない。

最終的にマッチ売りの少女はどうなったんだっけか。

色んなご馳走を見て、優しい家族を見て、それから――――天国に行っ……。


「――っ駄目だ! エリーが死ぬ!」


青くなった私は布団を跳ね除けた。


暖炉の火が消えた程度でも、エリーなら自分の火でどうにかできるんじゃないかとウダウダ考えていたが、駄目だ。

一瞬の爆発程度しか炎を出せないエリーが、自分の火だけで暖をとれるなんて、なんて甘い考えだ。


……ならば、どうする?


フカフカのベッドから降りて、毛足の長い柔らかな絨毯の上を裸足で歩き、ウロウロした。


エリーの家の、砂で少しザラザラする固い床と違って、なんだか落ち着かない。

水の上をゆらゆらと歩いているようだ。


やはり人間は地に足をついて暮らすもんだと思いながら、私は小さな箪笥を開けて、先ほど仕舞い込んだ、綺麗に洗われたシャツにくるめたものを取り出した。


それは、ラップがなかったので少し乾燥してしまった半かけの丸パン。

断面がカサカサするそれを片手に持ちながら、私は口の端を少し緩めた。


「……一応、水を頭からかぶって行くべきか?」


この程度の土産でエリーの機嫌を上々に出来るとは思えないので、丸焦げにならないようぐっしょり濡れ鼠3度目を頑張る必要がありそうだ。

ああそうだ、目玉焼きを作ってやるというご機嫌取りミッションも再開した方が良いだろう。


パンを包み直して仕舞い込み、私は頷いた。


「それで、本人に頼むべきだ。エリーに魔法陣を描いて貰い、エリーの魔力で帰してもらう」


あぁ、そうだ。

それが最善だ。


――私は、全部を話そう。


エリー、私は人喰い鬼ではなく人間で、お前の意に沿うことは出来ない。

私がいた元の世界は碌な会社がある場所じゃあないが、連れ添った相手の墓がある。

死んだら、同じ場所で眠りたい。


決してお前を嫌いになったわけじゃあない。

火罪の魔女なんて身の丈に合わない蔑称で呼ばれているお前を恐れたわけでもない。


でも私では、人間の私では、お前の望みをかなえてやれない。


だからエリー、私を帰して欲しい。

すまないがクラスメイトの捕食は、今度こそ本物の人喰い鬼を呼んで、頼んでくれ。


「……そうだ、そうしよう」


もはやエリーが私にこだわる理由は無い。

ただの人間である私をこの世界に引き止め続ける理由などない。


真実を隠し続けていた私に、エリーは怒っているだろうから、ちゃんと謝らなきゃあならない。


エリーは短気な女の子だが、人の頼みを無下に扱うような子ではないだろう。

逃げ出したラーウムを責めずに、黙って背を向けて去った、不器用で優しい女の子だ。


真摯に頭を下げれば大丈夫だ、分かってくれるだろう。


方針を決めて、うん、と頷いたとき、視界の隅に変なものがある事に気がついた。


ん? と視線を右にやったら、すぐ隣に紫色の馬鹿でかいキノコが生えていた。

思わず私は1歩下がる。


「……い、何時の間に……」


エリーと森の中を歩く時はよくピンクのでかいキノコを見たものだが、紫は初めてだ。

しかも部屋の中に生えている。

私の身の丈位のコウモリ傘になりそうなキノコは、毒々しい紫の体をぬらりと動かした。


なんだか不吉なにおいに私が身震いしたとき、舌打ちが聞こえた。


「厄介な道しるべを見つけおって!」

「っ!?」

「そこの間抜け! 貴様、その目は飾りか!」


何故か分からないが尖った怒っている声。

一体どこからと周囲を見渡し――私の目は窓に釘付けになった。


何せ、人が――――飛んでいる。

竹箒に乗って。


目をかっぴらいて、私はそいつを指差した。


「っ、ま、魔法使い!」

「当たり前だこのトンチキ男!」


怒鳴られて、それもそうだと納得した。

この世界には魔法使いがいっぱいいるのだった。


しかしイメージ通りに箒に乗って空を飛ぶ魔法使いをこの目で初めて見たので、ある種の感動を呼ぶ。


しかし箒に乗っているのが白カール男だという事に気づき、盛り上がりかけた気分が急降下した。


あの白カールはカツラではなく自前だったようで、頭に沢山のカーラーを巻き付けており、今は決してバッチリ決まっているとはいえない髪型だ。

服はあの時のかぼちゃパンツ王子スタイルとは違い、ゆったりとした地味なズボンとシャツの上から、黒色の外套を羽織って風よけとしていた。


なんだ、昼間の服装より今の方がまともで似合っているじゃないか。


ただ服装の批評に関しては、人様のものを借りている手前あまり強く言えないので、窓を開けながら私はどうも、と挨拶するにとどめた。


すると白カールは灰色の瞳を細めて私を睨む。


「貴様、何を考えた」

「え……あ、ああ、服装が、その、今の服が大変似合っていると思っ――」

「嘘をつくな」


本当なんだが。


口の端を歪めた白カールが首をぐいと近づけて、私をねめつける。


「あの優男に何を吹きこまれたか知らんが、この世界では貴様だけだ。

あの小娘の隣に在れるのは、貴様だけだ。

それを分かってなお、そこの胸糞悪い道案内を選び続けるというのなら――……」


白カールは何かを宣言しようとして、悔しげにぐっと口をつぐんだ。

私は訳が分からずに、白カールに尋ねた。


「小娘って、エリーの事か? 待て、あの子が本当に欲しかったのは、私ではな――っ!」


最後まで言う前に、怒気をあらわにした白カールが歯をむき出して、私めがけて拳を繰り出した。

ひっと息を飲んで首をすくめたが、その拳は私に当たることは無かった。


なぜか、空中に透明なビニールが張られているように、途中でその拳が勢いを殺されて止まり、ピリピリと小さな稲妻が周囲に走る。

同時になんと、窓枠が蛇のように形を変えて、白カールの喉元に噛み付こうと勢いよく伸びた。


舌打ちと一緒に白カールが壁を蹴って、間一髪、蛇の牙が宙をかむ。


くるくる回転しながら箒にしがみ付いて私の元から離れた白カールだが、窓ガラスが溶けだしたかと思うと無数の蝶に形を変え、白カールの元へまっしぐらに飛んでいった。


透明な蝶は夜の闇にまぎれて良く見えないが、虫特有の背筋の粟立つような羽ばたきの音が重なり合って聞こえてくる。

月明かりの元で暗い大きな影の塊になった蝶が、白カールを捕えようと大きな手の形を象り、包み込むように迫った。


掴まれる! と息を飲むが、白カールが大きく片手を振ると、袖口から白い糸が飛び出した。


何かと思って見ていれば、糸は放射状に広がって網目をつくり、さながら大きなクモの巣のようになって逆に蝶の群れを包み込む。


投網に囚われたガラスの蝶たちは飛べなくなって落下し、白カールは私を一睨みしてから、隙を逃さず夜の闇の中へと飛んで行った。




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