23,帰郷への道が見えた日
「――だからこそ、貴方のような只の人間が傍にいたことに驚きました。
恰好が明らかに異質でしたので、貴方はどこか別の場所から来たのだという推測は容易に立ちましたけど」
エリーの生い立ちを語り終えたヘルペスが、目を閉じる。
そのたれ目がゆっくり開かれた時には、さっきまでの不気味な輝きは消えていた。
私はヘルペスから視線を逸らしてベッドに落とす。
エリーが1人ぼっちだった理由は分かった。
エリーがコソコソ言われる理由もわかった。
けれど、エリーは何一つ悪くない。
ちょっとばかし短気だったり、人を発火させるのは確かに少々問題ではあるが、だからクラス中が寄ってたかってエリーを苛めるのが正しいとは到底言えないし、周囲の大人連中が何も手を差し伸べずにいるのも間違っている。
エリーの母親がこの国に及ぼした影響に関して無知である私が、外野から喧しく言うのは卑怯と言われるかもしれない。
それでも、エリーはエリーであり、好んで人を火だるまにするような子供ではない。
私が改めて口を開こうとしたら、その前にヘルペスがわずかに首を傾けて私に尋ねた。
「それで、貴方は帰らなくて良いのですか?」
「っ!」
エリーに関する訴えが、喉の奥に引っ込んだ。
ヘルペスは肩を揺らした私を見て、ずいと顔を近づけてきた。
「彼女は、人の都合を鑑みるような性格ではないでしょう。
アモル、貴方は無理やりこの世界に引っ張り込まれたのではないですか?」
帰りたいのではないですか? と、ヘルペスが私の心をくすぐるように、口元に笑みをうかばせた。
その通りだ、帰りたい。
淑子と暮らした世界に、私は戻りたい。
――だが……、と口を引き結んだ私に、ヘルペスは満足そうに微笑んだ。
「やはりそうなんですね。でしたらお手伝いが出来ると思いますよ。
召喚魔法の専門はフォルミカ先生ですが僕も教師ですからね、ある程度は分かります。
そもそも本来召喚魔法は厄介で扱うのが大変ですから大人がやるもの。
子供が試してどうにかなったような召喚術、解読は容易でしょう」
物は試しです、僕に話してみてはどうですか、とヘルペスが自信満々に私を見る。
私はベッドのシーツの皺をじっと見つめた。
ぐにゃりとシーツが揺れた気がして、きゅっと目を閉じて拳を握る。
……私は、帰る。
私はいつか、帰るのだ。
――エリー、私は、帰るんだ。
エリーを置いていく私が、エリーへの扱いの、何を言えるというのだろう。
ここから姿を消す私が、エリーが本当はどんな女の子なのか語っても、誰が聞いてくれるだろう。
そもそも、役に立たない嘘つきのおじさんなど、エリーは必要としないのに。
エリーが欲しかったのは、頼りになる人喰い鬼であったのに。
自信にあふれ、とろりとしたはちみつ色の瞳を見返した私は、実は……と口を開いた。
「エリーは、あの子は、……血の契約と言った」
出された食事は、普通だった。
バターの香りが鼻をくすぐるふんわりしたパンと、湯気を上げるほのかに甘いポタージュ、柔らかにグリルされた鶏肉、それから色彩鮮やかな温野菜。
フォークとスプーンを使ってそれを口に運び、黙って咀嚼する。
清潔で、焦げなどなくて、牙をむくことも無くて、美味しくて、バランスもとれたメニューだ。
注文を付ける点などない。
料理長は素晴らしい仕事をしている。
なのに、何かが圧倒的に不足していた。
用意された着替えは清潔で、シャツはパリッとしていて――レース付きなのが難点だが――着心地は良い。
かぼちゃパンツは拒否したが、代わりに寄越された膝丈のくすんだ色のズボンは柔らかな生地で、腰回りにフィットする。
ただならぬ異臭を発していた足は、広い風呂を借りてシャボンの香りになった。
べた付いていた頭皮も綺麗に洗って、いつも通りに頭頂部に髪の毛をふんわり被せる事にも成功した。
全身さっぱりだ。
だというのに、私の心中には雲がどんよりと立ち込めている。
ちっともすっきりしない。
箸を……じゃない、フォークを置いた。
美味しい食事を終えた結果、なぜか腹には虚しいものが溜まった。
半分残したパンを見やりながら、ご馳走様と手を合わせる。
備え付けられていた小さな水道に向かい、口を濯いだ。
馬毛ブラシを探して手を彷徨わせ――あぁ、ここには無かったのだと、少し肩を落とす。
スプリングのきいたベッドに腰掛けて、らせんを描く飾りのついた窓を見上げた。
ガラスの外はすっかり暗い。
下弦の月と、キラキラ輝く星が見える。
……エリーはもう、食事をとったのだろうか。
ちゃんと歯を磨いただろうか。
しぶしぶ体を拭いただろうか。
トイレを済ませて、ベッドに入ったのだろうか。
それとも、うそつきの言った事は嘘だったのだと、全部なしにして眠ってしまっただろうか。
この部屋には暖炉が無いのに、温かな空気で満たされている。
きっとエアコンみたいな魔法がかかっているのだろう。
カタカタと、窓が幽かに風で揺れた。
暖かい季節だが、エリーの居るあの森は夜になると冷えこむ。
エリーの家の暖炉はずっと火が消えないが、隙間風があたってエリーが風邪をひいたとき、一体誰が看病するのだろう。
エリーの鼻水に、誰がちり紙をあてがうのだろう。
エリーは誰に、――甘えるのだろう。
ルルススが来るのだろうか?
乳臭いガキのお守りは御免だと、ルルススは言っていたが。
……そのルルススは、ヘルペスの話にきく《魔物》なのだと推測できた。
エリーの母を喰らって、その娘が大きくなったらさらに喰らう気らしい。
美人しか相手にしないとエリーは言っていたが、不細工エリーは照れ笑いが中々可愛いかもしれないのだ。
将来ルルススは本当にエリーの血を啜るのかもしれない。
あまりの憂鬱さに、小さくため息をついた。
頭の中で淑子が怒る。
だが淑子、これはため息をつく以外にどんな道がある?
私は家に帰るための手がかりを掴んだ。
方法もほぼ明らかで、多少胡散臭いが手助けしてくれる魔法使いも見つけた。
明日にも動けばどうにかなりそうだ。
……けれど。
けれど、エリーは? あの子はどうなる?
あの子に関しちゃ何も解決できていない。
それに、私が帰るために、エリーの家から持ち出さなきゃならないものもある。
そしてそれはきっと、エリーにとってかなり大事なものだ。
ちょいとおくれ、と言って簡単にもらえるものではない。
フカフカであたたかなベッドに潜り込みながら、私はヘルペスの思案顔を思い出す。
血の契約に関する私の告白を聞いてかすかに俯き、顎に手を当てたヘルペスは、形のいい眉を寄せたのだ。
「……なるほど、大体の経緯は理解しましたが、可笑しいのが、……血の契約に誤りがある筈がない、ということですね」
「……どういうことだ?」
ヘルペスの言う意味が分からずに尋ねた。
ヘルペスはまるで生徒に教えるがごとく、人差し指をたてて説明する。
「普通、人食い鬼を呼んだら、人食い鬼が出てくるもんです。
貴方――要するに、人間が出てくるはずがない。八百屋で人参を頼んだらネギを渡されたようなもんですよ」
この世界にも人参があるのか、という安堵は置いておき、だったらなぜ私が出てくる羽目になったのだろうと首をひねる。
ヘルペスは先生らしくきりりとした顔で、可能性は2つありますと答えた。
「1、彼女が魔法陣の記載を誤った。2、彼女が契約について、嘘をついている」
指を1本増やしてピースを掲げ、私としては2番をおしますね、とヘルペス。
けれど私は、エリーは上手な嘘をつけるような器用な女の子ではないと首を横に振る。
するとヘルペスは指を1本戻して、人差し指をプラプラ揺らした。
「では記載の誤りとなりますが……これは可能性としてはゼロに近い。
何せ、魔法陣の記載ミスは魔法の不発を意味します」
ヘルペスはパチンと指をならす。
すると暗がりだった部屋全体がふわりと明るくなった。
ロウソク1本で照らされていた部屋の電気が一斉につけられたようで、眩しさに一瞬目を細める。
しかしすぐに目が慣れると、この部屋の壁は一面本棚だと言う事に気がついた。
円形の部屋の中心に私のいるベッドがあり、天井に電気――はないが、魔法なのか何なのか、柔らかに白く光っている。
私達を見下ろすようにぐるりと並ぶ本達を見上げながら、ヘルペスが言った。
「この部屋には召喚術関連の資料しかありませんが、記載ミスの魔法陣が発動したという文献は1つもありません。
それもそうです。
なぜなら、魔法陣とはいわば歯車。
一か所の歯車が壊れれば、魔力の流れがそこで停止し、結果、全体が効力を失う」
ヘルペスは何時の間にやら、手元で小さなオルゴールを弄っていた。
ネジを巻いて私に差し出すが、それは音が鳴らない。
ケースの中が透けて見えたので、受け取って眺めたが、中では歯車が一か所、くるくると寂しげに空回りしていた。
動かない歯車は金属の板を跳ね上げてはくれず、当然綺麗な音色を奏でてもくれない。
オルゴールを握って、私は下唇を軽くかんだ。
――ならばなぜ、私は此処にいるのだろう。
何故エリーは、人間である私を呼べたのだろう。
私の苗字がこちらで言うOger(人喰い鬼)――オーグラーと、発音が似ているせいなのだろうか。
「何にせよ、貴方が帰る為に選べる方法は1つ」
ヘルペスの言葉に、私ははっと顔を上げる。
そうだ、此処にいる理由うんぬんより、私の帰り方が何より1番だ。
ヘルペスはニッコリと上手に微笑む。
そして、綺麗な弓の形を描く唇から、包み込むように優しく言葉を発した。
「すべき事は、血の契約の破棄。破棄に必要なのは、反転の魔法陣と、彼女が使った火の魔力」
魔法陣は僕が描きますから貴方は魔力を手に入れて下さい、とヘルペスは私の肩をポンとたたく。
しかし私は戸惑った。
「……魔力?」
「そう、彼女――火罪の魔女の、魔力が必要不可欠ですよ」
エリーに魔力を分けてもらう? そんな事が出来るのか? と眉を寄せる。
エリーは嘘つきの私に怒っているだろう。
素直に分けてくれるだろうか。
不安に思う私にヘルペスは首を横に振った。
「あぁ、いえ、彼女から直接貰う必要はありません。
彼女の魔力は希薄ですから、体から離れた途端に力を失って消え失せてしまいます」
見たことがありませんか? とヘルペスが私を窺った。
魔力が消えるなんて、そんなファンタジーなもの見たことがある訳が――と思いかけて、はたと動きを止める。
そうか、エリーの放火魔法がすぐに鎮火するのはそういう訳なのか?
私の顔を見て、どうやら見たことがあるようですねと、ヘルペスが頷いた。
「故に、血の繋がりを使いましょう。彼女の母、火の悪魔が結晶化して残した魔力の炎。
あれは強力ですから、移動させても決して消えません。それを手に入れて下さい」
これをどうぞ、とヘルペスはガラス製の小さなランタンを私に寄越した。
ぶら下げられるようについた丸い持ち手を握り、傘の下をのぞき込むように掲げるが、中に火はついていない。
なんだこれは、とジロジロ眺めて傾けたら、ガラスがちゃぷりと音を立てて揺れ動いた。
「!?」
「水性ガラスですので、火を逃げないよう閉じ込めるには最適です」
「す、水性ガラス?」
なんだそれは、と怪しげなランタンを摘むように持ちかえながらヘルペスを見る。
ヘルペスは得意げに微笑んだ。
「僕は元素魔法の教師ですから。そういうものは得意分野でしてね。
それに僕の場合は、特に水と相性が良いんです」




