22,君の誕生日の話を聞いた日
9年前、この国には火の悪魔がいた。
炎のように赤い艶やかな髪、なめらかな黄金色の瞳、しなやかな黒の翼を持った美しい女性。
妖艶で人の枠を超えた美貌に男も女も虜になって、身を滅ぼす連中が後を絶たなかった。
勿論、それだけなら良い。
悪魔に惹かれるのは致し方ないし、その影響が及ぶのは彼女の周囲だけだった。
好奇心を抑えて近づかなければ問題ない。
だが彼女に直接関わりがなくとも、国全体に影響が及んだ問題があった。
火の悪魔は水を嫌った。
雨雲を追い返し、熱をばらまき、川や湖を干上がらせた。
山火事が増え、作物の収穫も減り、水を手に入れ難くなり、干ばつの影響は徐々に広がって行った。
魔法使いたちが水の魔法を駆使して、どうにかこうにか国が干上がるのを防いでいた。
けれどそれがどうにかこうにかで収まるレベルを超えてきた。
干ばつによる死者が出始め、国の力が弱まり、豊かさが消え、民衆が怒り吠えた。
とうとうそれを抑えきれなくなった国の王が、火の悪魔の退治を命じた。
本来、悪魔なんて人が退治できるものではないし、そんな事をしたらどんなしっぺ返しを食らうか分からない。
そもそも悪魔は国の力の一部であり、不干渉の共存が最善。
しかしもはや共に有り続けることは適わない。
故に、このままジリジリすり減って干からびるよりも、少しでも可能性がある方に、生き残りたかった国は賭けた。
国中の兵や魔法使いが総動員された。
悪魔相手にはそれでも人手不足で、鬼やら妖魔やらも呼ばれて集まった。
悪魔殺しの為、咆哮を上げて一斉に、火の悪魔が住む乾いた森の一軒家に、皆で攻め入った――。
「勿論僕も参加していました。
駆け出しの新人でしたから、後方の支援部隊に居ただけで、ほとんど何もしていませんでしたけど、……情けない事に正解でしたね。
手も足も出なかったんです。
手足どころか、魔法の魔の字を出す前に、皆……――炭になっちゃいまして」
それはそれは悲惨でした、とヘルペスが語る。
その時の光景を思い浮かべているのだろう、膝の上に組まれた手に、ぎゅっと力が入っていた。
「目の前で、人の形をした黒い影が、ボロボロ崩れ落ちる様が、……どれだけの恐怖と絶望を呼んだでしょう」
哀れそうに、悔しそうに、凄惨な事件を語るように、ヘルペスは言葉を震わせ、口をつぐんだ。
けれどそのはちみつ色の瞳は何故か、陰鬱に濁るどころか、ロウソクに照らされて爛々と輝いていて、そのギャップに背筋がぞっとする。
此奴は一体何を考えているのかと訝るが、答えに行きつく前にヘルペスが語りを再開した。
「……もう、この国は終わるのだろうと、その場に生き残っていたもの全員が思いました。
何もかもが消し炭になって終わるのだと。
……けれど、終わったのは火の悪魔の方でした。
彼女は劫火で人々を焼き払いながら……そう、死の絶叫のこだまする戦のさなかに、1人の子供を産んで――そのまま息絶えた」
「……何?」
予想外の展開に、私は眉を寄せる。
子供を?
戦いながら出産?
悪魔の出産なんて想像もつかない。
しかし何故死んだのだ?
悪魔とはそういうものか?
私がヘルペスを見やると、ヘルペスは軽く首を振って答えた。
「父親は不明ですが、彼女が子を産んで直ぐ息を引き取った原因は明らかでした。
お腹の子の持っていた火の魔力があまりに――弱すぎた。
彼女は己の火の魔力で胎児を焼き殺しまいと、自分の魔力をありったけ外に出して結晶化した。
勿論、子を生み落した後にその結晶化した魔力を再び己に取り込めば、彼女は生きながらえたでしょう。
けれどその前に、隙を狙っていた魔物が弱った彼女を襲い、彼女は喰われてしまった」
あっけない幕引きです、とヘルペスは肩をすくめた。
ゆらぐロウソクの灯りをじっと見つめて、遠くの思い出を引き出すように、ヘルペスは続けた。
「残された子供は悪魔の末裔だと、生き残った魔法使いや兵隊たちから刃が向けられました。
けれどそれを、母親を喰った魔物が庇った。
これが育ったら自分が喰らうに値する獲物となる、手を出したらそいつからまず喰らう――、そう言って魔物は高笑いしました。
おそらく、火の悪魔の小さな魔力を持つ赤子を、育ててから喰らえば力になると思ったのでしょう」
実際、子供の魔力は育てば大きくなりますから、とヘルペスは付け加えた。
「国は結局、魔物や赤子を始末しようとはしませんでした。
何しろ、国の主戦力が火の悪魔の劫火に命を落としていたので、やろうにもやれない。
それに、悪魔を喰らった魔物の強さは想像もつかない。
さらに、その魔物は頭がおかしいらしく《一般人》を襲わない。故に、積極的な戦争は終結しました」
まぁ、そもそもあの消し炭現場を見たもので、戦いを挑みに行けるような気狂いはいませんでしたし、とヘルペスは自嘲する。
「そうして魔物に赤子は育てられた。
時折、魔物や赤子の元へ向かった無謀な賞金稼ぎもいましたが、連中のいる森から生きて帰ってきた者はいません。
それに、火の悪魔が死んだことで、国に及んでいた干ばつの影響は消えた。
河川や湖には水が溢れるようになり、作物の収穫も問題なく進むようになった……。
それでも人々を焼き殺した悪魔の子供の監視はしたい。
いつか魔物に食われるとはいえ、育った悪魔の子がどんな魔力を持つか分からないのです。
母親を屠る切っ掛けとなった我々に、牙をむくやもしれません。
――――故に、彼女は学校に通う事を許された」
ヘルペスはどこか懐かしそうに目を細めて、幽かに微笑んだ。
「人の言葉を話せる魔物と暮らしていたせいか、その子は言葉を自由に操れた。
ある程度の文字を読むことも出来た。
ただ、ひどい格好に、ひどい癇癪持ち。
気に入らない事があると直ぐに爆弾と化して――――まぁ、その性格のお陰で、僕等教師にとっての役目、彼女の正確な力の把握、それはつつがなく果たせましたがね」
彼女には殆ど魔力が無く、火の才能もないのは、誰にとっても救いでした、とヘルペスは安堵に顔を緩めた。
予想外の物語に茫然とする私の顔を見て、ヘルペスは目を爛々とさせてゆっくりと頷いた。
「そう、それが彼女――ルボルカエリーウェスペルティーヌス。
国の戦士たちを焦土に変えた火の悪魔の娘。
大火によって多くを奪った罪が生んだ赤子――火罪の魔女と呼ばれるようになった彼女の出自です」




