21,置いて行かれた日
ふっと意識が浮上したが、周囲は薄暗い。
なんだ、まだ夜かと、まどろみに従って目を再び閉じる。
フワフワとした心地よい眠気に包まれ、柔らかくて温かい布団に潜り込む。
あぁ、身体が楽だ。
何もかもが億劫で、湯の中にたゆたうように心地が良い。
やはり眠るなら床の上より、布団の上に限る――――…………ん?
……ふとん?
「っ!?」
がばりと、勢いよく飛び起きた。
慌てて周囲を見渡すが、視界は暗いうえにぼんやりとダブって見えて良く分からな――ああ、そうか、眼鏡が無いのだ。
顔をぺとぺと触って、一体どこにやったのかとキョロキョロしたら、奥で橙色の明かりがふわりと灯った。
「目が覚めましたか」
「……だ、誰だ?」
私が目を細めて、相手を認識しようと必死になると、相手はどうやら眼鏡の件に気付いたらしい。
私の近くに寄ってきて、直しておきました、と私の黒ぶち眼鏡を差し出してくれた。
お礼を言ってひび割れと汚れが消えた眼鏡をかける。
目の前には――――ジャニーズがいた。
「大変な目に遭わせてしまって……すみません。僕はどうやら生徒に舐められているようで……。
色々努力してはいるのですが、元気な生徒たちを抑えるのが下手くそなんです」
ふわりと軟らかくカールした金髪を左の耳元で縛り、肩に流しているその男は、長いまつげに覆われた垂れ目を細める。
はちみつ色の潤んだ瞳は、淑子が見たら黄色い悲鳴を上げそうな感じに、ものすごく柔らかい。
ロウソクの乗った燭台を小さなテーブルに置いて、ジャニーズは私のいるベッド前の柔らかそうな肘掛椅子に腰かけた。
「1人を寄ってたかってからかうものじゃないと、言い聞かせているのですけど。
やっぱり威厳が足りていないようで……。可愛い生徒達を怒るのは、どうにも苦手なんですよ」
小さく肩を竦める男は、ほんのり寂しそうに完璧に微笑んだ。
そのまま雑誌の表紙を飾れそうである。
ただ、服は少々奇妙だ。
フリルとレースの多いシャツの胸元を、黒の大きなリボンで留めている。
性別は間違いなく男だと思うが。
しかし腰回りは脛までのゆったりした茶色のズボンでカボチャパンツではないし、足元はスマートな革のブーツ。
上から下までじろじろ眺める私にも文句を言わず、綺麗に磨かれた爪のついた長い指――洒落た指輪付き――が、頬をかく。
「フォルミカ先生が羨ましい限りです」
ゆったりとそう言って、ジャニーズ男は口を閉じ、私をじっと見つめた。
状況が呑み込めずに、目の前の男の造形ばかり注視していたが、空間が無音に支配されると途端に窮屈に感じる。
「……あー、きみ、その、……?」
何か言おうとするが、未だにボーっとする頭で何を問えばいいのか分からない。
けれど男は特に気にした風もなく、あぁすみません自己紹介がまだでした、と白い歯を輝かせながら、足を組んで膝に手をおき、すっと居住まいを正す。
「僕はウルぺス、元素魔法の教師をしています」
微笑むと同時にふわりと周囲にバラの花が咲く。
ことわっておくが比喩じゃない。
実際に咲いた。
そんな馬鹿なと見ていたら、鼻に強いバラの芳香が届き、床に花びらがヒラヒラと、偏りなく見事な風に落ちた。
……あ、もしや魔法か?
自己紹介を華やかにする類の。
ううむ、魔法とはバラエティに富んでいる。
しかし出来たとしても真似はしたくない。
私の顔を見て苦笑し、いえいえホントですよ、嘘じゃありませんとひらひら手を振る男――なんだっけか、何とかぺス……ヘルペス?
口の端が痛くなってきそうな名前だが、そう、ヘルペスだ、多分。
ヘルペスは私にニッコリ微笑んでから、気遣うような顔になった。
「身体は大丈夫ですか? 全身に治癒魔法をかけまして、あちこちの打撲痕は消しましたし、失礼ですが、その、臀部の傷もついでに治しまして――」
ヘルペスの言葉に、私はハッとして叫んだ。
「あの子は! エリーは!?」
そうだ、思い出した。
私はついさっき、動き回る植物にグルグル巻きにされてぶん回され、エリーを裏切ったのだ。
なんで今の今まで忘れていたんだ!
身を乗り出す私に、落ち着いて下さいとヘルペスが両掌をかざす。
「彼女も治療しましたが、貴方より早く目を覚まして、帰宅したようです」
「……そうか」
帰宅した。
どっかに行かないよな、と私のシャツを掴んだエリーは、帰ったのか。
――私を、残して。
俯く私は相当沈痛な面持ちをしていたらしい。
どこか痛みます? とヘルペスが私の顔を覗き込んでくる。
私は顔を上げて首をふった。
「ああ、いや、身体は軽い。ありがとう」
「それは良かった……しかし、貴方は一体、何者です?」
きらりと、少し目を光らせるが、甘い笑顔は崩さずにヘルペスが尋ねてくる。
私は慌てて背筋を伸ばして頭を下げた。
「失礼した。私は大倉守という者で……――」
続きを飲み込む。
果たして自分は人間だと言うべきか、それとも、人食い鬼だと言うべきか。
そもそもこのヘルペスは人間か?
美形だからルルススのような吸血鬼だったりしないか?
まごつく私が言葉を決める前に、ヘルペスが形の整った片眉を上げて言った。
「Oger? まさか!
いくら専門が違うとはいえ、僕だって人食い鬼がどんな連中かくらい知っていますよ!」
「……どんな連中なんだ?」
「そりゃ、言葉の通じない、野蛮な肉食獣です。あれは手下にしたって大して使えませんね。
ついこの間実感しましたよ」
あそこまでお粗末な脳みその持ち主だとは思いませんでした、とヘルペスは首を振ってため息を1つ。
私はラーウムを頭に思い描いて、むっとした。
そりゃあ頭は悪いかもしれないが、奴はもっと良いもんを持っていた――……絶叫して姿を消したけれど。
私がリストラされる日を心待ちにしていたくせに、あっさり姿を消してしまったけれど。
勿論、人食い鬼という恐ろしい生き物が傍から居なくなったのは、僥倖と呼ぶべき事かもしれない。
けれど、……けれど、あんな別れ方もないだろう。
そもそも風呂を作るって約束はどうなった。
約束をすっぽかすようなひどい奴だったのか。
1人で腹を立てたり落ち込んだりモヤモヤしたり忙しい顔の私を見て、ヘルペスは怪訝そうな顔をした。
「もしかして、アモル。良い人喰い鬼にでも会いましたか?」
また名前の発音が違っている、と思いつつ、私は口をもごもごさせながら答えた。
「……ああ、まぁ。奴は……良い、かどうかは分からんが。少なくとも……悪い、ヤツじゃあ、なかったと」
思う、とボソボソ言葉を紡ぎながら、3人で過ごした空間を思い返す。
ギョロっとした目はあれで中々愛嬌があって、ざるそば色の長い髪の毛はサラツヤではなかったが、私とエリーの羨望の的だった。
大きな背丈を私達に合わせて丸めて喋って、馬鹿力が私達を傷つけないようにおそるおそる手を伸ばして、己が傷つくことを厭わず私たちを守って涙ぐみ、人肉が並ぶわけでもないのに、皆でとる食事に顔を綻ばせていた。
……そうだ、ラーウムは悪い奴じゃない。
ただ、素直な奴だった。
何故か分からないがエリーに怯え、それを前面に押し出して表現してしまった、馬鹿正直な奴だった。
エリーは傷ついたし、私もショックだった。
けれどきっと、ラーウムは悪い奴じゃあ、ないのだ。
私が確信を持って頷くと、ヘルペスは目を瞬かせた後、ふわりと柔らかく微笑んだ。
「――彼女が、貴方と共にいた理由は、それですか」
1人何かを納得した様子のヘルペスに私が首を傾げると、それはともかく、とヘルペスがニッコリした。
「アモル、貴方、どこから来たんです?」
「っ!」
「《人間》が《人喰い鬼》を同目線で語るなどありえない。
自分を見ながらヨダレをたらすハイエナを見て、あれは自分と一緒に食卓を囲む事が多いんだが、好き嫌いが激しい困ったヤツなんだ……なぁんて個性語りが出来ますか?」
そんな訳ないでしょう、とヘルペスが断言する。
私とラーウム、そしてエリーはどうやら一般的ではない奇抜な関係性を維持していたらしい。
あの食事会や語らいは、知らなかったが故に生まれた時間だった事は分かっているが……。
しかし、どうにもこのヘルペスの言葉は私の何かをチクチクと刺激する。
顔はにこやかで、態度も穏やかで、丁寧な言葉とふるまいは人を安心させるはずだ。
なのにどうして、私は此奴を信用する気になれないのだろう。
人喰い鬼を下の存在として語るからか?
顔が整いすぎているせいか?
私の思いには気づかず、ヘルペスは続けた。
「そんな事が出来たのは、貴方が人喰い鬼などものともしない国王お抱え級の魔法使いであるか、あるいは――――別世界から呼び出された、この世界の常識を知らない人であるか」
貴方には魔力がありませんから、後者でしょう、とヘルペスが薄く微笑んで、私を流し目で見た。
ここまで当てられてしまえば、もう誤魔化す必要もないのだが、私は頷きも否定もせず、代わりに疑問を口にした。
「……キミは、何故、私とエリーを治療したんだ?」
ヘルペスは、何を言っているんです? と言いたげに目をぱちくりさせた。
「困っている時はお互い様でしょう?」
「ならなぜ、エリーは1人ぼっちなんだ」
「…………」
ヘルペスは薄い笑顔で口を閉ざした。
探るような、冷えた目線だけが私に向けられている。
ソレを見て、あぁ、と納得する。
コイツを信用できない理由がわかった。
笑みの形の唇から零れる言葉が、総じて――薄っぺらだからだ。
率直なラーウムのように、ひねくれたエリーのように、相手の心に訴えかける喋り方をしていないからだ。
お前がラーウムの何を知っている。
誰がハイエナか。
可愛い生徒を怒るのは苦手?
それでエリーは1人苛められる羽目になるのか。
おじさんはだてに年ばかり食っているわけでは無いぞ。
怪我を負った私達を治療した目的は何だ。
打撲痕なんて、ラーウム達と栄養たっぷりの食事を摂っていれば治る。
私の尻の病だって、エリー達と山菜を口にしていれば自然と癒える。
何がしたくて、へらへら笑っているんだ。
そんな怖い顔をしないでください、と笑顔のまま小さく肩をすくめたヘルペスを、じろりと睨む。
その時ふっと、とある思考が頭をかすめた。
――もしかしたら、此奴は私の元の世界へ繋がる鍵なのかもしれない。
私を人であると、この世界を知らない人間であると見抜いて、こうしてエリーのいない場所で話ができている。
これは、私が学校へ行く前まで、隙があったらやろうと考えていたことだ。
だったら私は此奴に全てを話して、元の世界へ帰るための協力を仰ぐべきなのかもしれない。
エリーはクラスメイトを食せと人喰い鬼を呼んだ、ただ、呼ばれて出てきた私は人間で、人間の私はさっさと元の世界へと戻りたい――――。
「そう言われましても……僕は一介の教師ですから。彼女だけ特別扱いは出来ませんよ」
改めて顔を作り直す事にしたらしく、降参するように掌を見せて、心底困った風に眉を下げるヘルペス。
私はきゅっと口を結んで、先ほどの思考を追いやってから、一言一言を噛みしめるように言った。
「小さな女の子が、ボロ屋で1人ぼっちで生活していて、学校では暴力と暴言を振るわれ、哂われている。
……教師の前に、人としてすべきことがある」
臭いおじさんを治療して、ベッドに運んで、世話を焼いたのにこの説教か、と普通の感性の持ち主なら怒るかもしれない。
けれどヘルペスは怒るどころか、落ち込んだ風に背を丸めた。
「成程確かに。そうですね、彼女がただの《人》であったのなら、僕だってそれをしたでしょう」
「……なんだって?」
人であったのなら?
エリーは人だろう。
爆発する火の魔法は使えるようだが。
私の顔を見て、貴方は知らないんでしたね、とヘルペスは憐れむように言った。
「ルボルカエリーウェスペルティーヌス――彼女は、カザイの魔女」
「……またそれか」
聞き飽きた、と鼻を鳴らす私に、ヘルペスは恐ろしい内緒話でもするように、声をひそめてゆっくりと語った。
「彼女は……火の悪魔が生み、魔物に育てられた――人ならざる忌むべき魔女なのです」




