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20,約束を破った日




エリーの教室は、吹き抜け廊下2階の奥だった。


重そうな木の扉のてっぺんには、小さな旗が飛び出していて、ミミズ文字が書いてある。

元の世界で言う、1‐Aクラス、とかそんな感じかもしれない。


ようやっと到着かと私はげんなりしつつも安堵してしまった。

何しろ此処に到着するまでが、大変険しい道のりだったのだ。


螺旋状の薄暗い階段で、エリーは何者かによる罠により足首を捕えられすっ転んだ。

おでこを強打したが、幸いにも怒りの罵声を1分近く殆ど息継ぎなしに喚けていたので、大丈夫そうだった。

むしろ、すっ転んだエリーの足に蹴られた私が巻き添えを食らって、階段を一気に転がり落ちるという重症っぷりである。


階下にて呻きつつ、衝撃にばらけた髪の毛を撫でつけていたら、エリーが心配そうに私の頭を伺い見た。

アンタ、頭の防御が脆そうだもんな、と正直な感想つきだ。

ぶつけたせいで身体のあちこちに青あざは出来ているだろうし、黒縁眼鏡にヒビが入ってしまった。

(この世界に湿布や眼鏡屋はあるのだろうかと不安を感じた。)


さらに、教室入口近くで頭の上から水が降ってくるというドリフ漫才のような事態が発生。

これは水嫌いのエリーが危険を察知し素早くダッシュして逃げたので、エリーはずぶ濡れにならずに済んだ。


私は勿論、この世界で2度目の濡れ鼠である。

エリーは少々すまなそうな顔をして、火で温めようかと申し出てくれたが、爆発させられたくはないので丁重に辞退した。


靴を片方脱いでひっくり返すと、水をなみなみ注いだコップをひっくり返したように水が床に溢れた。

べたっと肌に張りつくシャツやズボンも脱いで絞りたいが、流石に学校で中年男が半裸になっていたら通報されるだろう。

ぐしょぬれの大人がいるのもそれなりに問題ではあるが、変態性に関しては比べるべくもない。


学生が集う教室とは到底思えない、重々しい押し開きの扉をぐるりと眺めまわしつつ、もう片方の靴もひっくり返しながら、私は口をへの字にした。


「まったく、一体何だ此処は。忍者屋敷か?」

「学校だって言ったじゃん」


エリーは忍者屋敷って何? という顔をしたが、説明をしようと開いた口から、言葉は出なかった。


話しすがらにエリーが目の前の扉を押し開けた途端、彼女の体が太いツタのようなものに掴まって、あっという間に宙に引っ張り上げられてしまったのだ。


「……ッエリー!?」


一瞬遅れて出た私の叫び声など聞こえなくなるくらい、クラス中が爆笑していた。

私の耳一杯に、溢れんばかりに笑い声がどうと押し寄せてくる。


それは決して、皆で楽しく遊んでいる時のような、明るい笑い声ではない。

いいや、この現状を知らずに声だけ聴けば、子供たちが皆笑っているという大変平和的で明るいクラスだと思ったかもしれない。


だが実際はそうではない。

ちっとも、そうではない。


エリーは濃い緑色でウネウネと自由自在に動き回る葉のついた植物に体をグルグル巻きにされて、宙を振り回されている。

ロウソクの光で照らされた教室は暗くて全貌は窺えないものの、天井の高さは元の世界の教室が縦に2つおさまりそうなほど高い。

しかしエリーを捉えているツタは余すところなく、教室中にはびこって蠢いている。

森で私たちを助けてくれたツタとはまるで違うらしい。


エリーの顔は苦しげに歪んで、いつどこにぶつけられるか分からずに固く目を閉じていた。

負けるものかと何か呪いの言葉も叫んでいるようだが、このクラスのガキ連中の笑い声がかき消していた。


なんという事だ。

なんて酷い事だ。

一体エリーが何をしたと言うのだ。


この小さな女の子が一体何をしたと言うのだ!


「っおい! お前ら! 何してる! やめないか!」


慌てて水の滴る靴をぶん回しながら叫ぶが、子供らの視線はエリーに釘づけで、おじさんの喚き声など耳に入っていないらしい。

視界の隅に学校の入り口で見た銀髪の少年もちらっと見えたが、彼は頬杖をついてエリーを見上げているだけだ。


私は悪態をついて靴を床に叩きつけると、自分の木登りの才能が失われた事を忘れ、エリーの体に巻き付く幹にえいやっと飛びついた。

しかしすぐさまふり飛ばされて、私は黒い木で出来た勉強机に、尻から激突した。


薄っぺらな私の尻が更に薄っぺらくなってしまった気がする。

痛みを堪え、私の上に倒れ込んできた重い机を歯噛みしながら押し返す。


あぁ全く、年上を労わることを知らないのだ、今の若者は!

いいや、年寄りどころか、同い年の小さな女の子に優しくすることすら、知らないのだ。

彼女がどんなに苦しく傷ついているか、想像できず、考える事すらせず、まるで分っていないのだ……!


「おい火の悪魔! 何だよソイツ、お前の親父か?」

「バッカ、アイツのパパは、アイツが燃やしちゃったんだぜ! ひでー!」

「じゃあアレなに? 変な恰好!」


渦巻く嗤い声の中に、私への嘲笑も混じっていたが、そんなもの、私は慣れている。

禿げ頭を指差されて、これまで散々、晒されてきた視線だ、今更なんてことはない。

ガキに向けられる笑い声など、屁の河童だ。


だがエリーにとってはどうだ。


あの子は荒れ果てたボロ屋に1人で住んでいて、誰もいない所で食事をとって、1人で学校へ行く準備を整えて、ようやっと会話できる相手がいる学校には自分を痛めつけて笑う連中しかいない。


上を向いて、口をきゅっと結んで、奴らからしたらちょっとしたイタズラを必死にかわして歩くエリーに、手を差し伸べるどころか指をさして笑う連中しかいない。


なんてことだろう。

けれど、この私も、なんてことなのだ。


今、涙も零さずに、止めてと懇願すらせずに、無邪気な残酷の色に満ちた笑い声の中で、エリーの口が動いている。


「――――!」


私は、帰るのだ。


この意地悪で、辛くて、訳の分からない生き物で溢れる世界に、私はさらばと手を振るのだ。


私はエリーの傍を離れるのだ。

ラーウムのように、ここを去る。


余計な手も口も、出すべきではない。


「――――!!」


なら。


だったらどうして私は――。


どうして私は、憤って、彼女の心中を慮って、あの子に手を伸ばして、この周囲の連中に怒鳴り散らしている?


エリーが張り上げる声を聴きながら、私は堪えきれずに、目からぽろりと1粒こぼした。

本当に零したいのはエリー本人に違いないのに!


鼻水を垂らし、四十肩の大して持ちあがらない腕をぶん回してツタを殴りながら、私は喚く。


この訳の分からないファンタジーな世界で、文字は読めなくとも言葉が通じていたから、私はエリーの口の動きを読めた。

押しつぶそうとしてくる笑い声と、ズキズキしてくる体に顔を歪めながら、ツタを跳ね除けようと暴れる私の視界の中で、エリーの口が、叫んでいた。


「オーグラー! こいつら全員! ――食べて!」


あぁ! そうしてやれたら最高だ……!


小さな女の子を寄ってたかって苛めるそいつらを、バキバキむしゃむしゃ、骨の髄まで啜って食べてやれたら最高だ。

笑い声を悲鳴に変えて、嘲笑を絶叫に変えて、余裕に腰かけている連中を恐怖に逃げ惑わせて、このクラスの連中を私の臓腑にあますことなく収めてやれたら最高だ。


そうだ、エリーはこのために、私を呼んだのだ。

人喰い鬼を、呼んだのだ。


――ああ、そうだ。


おぞましく、冷徹な笑みに満ちた、魔法と鬼が闊歩する―――、エリーが喰らってしまいたいと嘆く、悲惨な世界に私は……私は呼ばれたのだ。


だというのに、なんていう事だろう。



私は人間だった。



私は人間の食べ方なんて知らない。

調理してサイコロステーキにする方法なんて知らない。

げらげら心無く笑う子供たちの喉笛の喰いちぎり方なんて、知らないのだ。


エリーが声を張り上げ続けている。


食べて! 食べて! 食べて! そいつら皆、食っちまえ!


ツタにぶん回されて、ギュウギュウ絞め上げられて、苦痛に小さな顔を歪ませて、エリーは必死に私に叫んでいた。

辺り一面敵だらけで、私にしか、叫べないのだ。


私は濁流のように溢れる涙をそのままに、鼻水をすすり上げて、再度ツタに飛びかかる。


ジャックと豆の木を彷彿とさせる、いやに太くて器用に動く植物は、私の動きなどするっと避けて、私の足首に巻き付いた。

アッと思った時には私は教室に宙づりにされ、ぶらんぶらんと揺さぶられていた。

眼鏡が床に落下して、ネクタイがべろんと顔の前に垂れ下がる。


「あはは! あの顔! 気持ち悪い!」

「悪魔の手先だろ! やっちまえ!」


ワーワーと盛り上がる教室内。

めちゃくちゃに手足をばたつかせてみるが、それすらお見通しと言わんばかりに手足にツタが巻き付いてきた。


首元にもするりと巻き付く大蛇のような植物に、思いっきり歯を立ててみたが、緑色の汁が軽くジワジワ染み出てきた程度で、何のダメージも与えられていなかった。

口の中に苦い味が広がって、仕返しと言わんばかりに首の絞め上げが強くなる。


畜生、手も足も出ないどころか絞め上げられて口すら出せない。

口の端からみっともなくよだれを垂らし、泡を吹きながら、私はかすれ声で名を呼んだ。


「……え、ぃ――……」


あの子を放せ、彼女を放せ。

あんな小さな女の子を寄ってたかって苛めて、お前ら碌な大人にならないぞ。

お前らを見ていると私の上司すら温厚で真面目で可愛げがある人間に思えてくる。


絞め上げられてうっ血した顔は元が元なのだから、それは見れたもんじゃない酷い有様だろうが、知ったことか。

こんな連中に気を使ってやる必要などない。


視線だけを動かして、エリーが居る方向を見た。

大量の植物でグルグル巻きの、アスパラベーコン巻状態になっているエリーは、逆さまに吊り下げられている私を見て、目を見張っていた。


次の瞬間に、その顔はぐしゃりと歪み、ひどく――……裏切られたような顔になった。


頭をハンマーでガツンとやられたような、そんな気分がした。


けれど、仕方ない。

……そりゃ、そうだ。


自分を苛める連中を片っ端から食ってくれる魔物を召喚したはずが、出てきたのが役立たずのただのおじさんだった事が分かったんだ。

嫌いな連中を食べてくれると約束をしたはずの相手が、ただのうそつきの人間だったのだ。

難しいが努力すると言った相手が、あっけなく敗れているのだ。


ズキンと痛くなる胸の内を押し込むようにして、すまないエリー、私のようなハゲオヤジが出てきてしまってと謝った。

謝ると言ったって、肺を絞め上げられてもう吐き出せる息が残っていないから、声も出ないのだが。


酸欠でぼうっとしてくる私の脳みそ。

霧が満ちるようにかすんでくる視界。

ずっしり重くしびれてくる身体。


視界の隅。捉えられているエリーの口が幽かに動いた。


「オーグラー……アタシは――……     」


それを最後まで読み取る前に、私は意識を失った。






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