19,胸糞悪い魔法に会った日
馬鹿にしやがって! とエリーは腕を組んでカッカと怒っていたが、私は魔物扱いされたな、という点を考える。
あの白カールが言うには《魔力が無い事》を感知できるらしいが、少なくとも人間だとは分からないようだ。
歩みを再開しながらも相変わらずご機嫌斜めのエリーは、今に見てろ、だとか、お前も直ぐにオーグラーの胃の中だ、だとか、食わせる前に八つ裂きだ、だとか、とても近づきがたい言葉をブツブツ呟き続けている。
待て待て私が食べるのはクラスメイトであって先生まで含めないでくれ、……いやクラスメイトも食べる気はないが。
そんな風に内心焦っていた私だが、前方に見えてきた大きな建物に目を奪われ、思わずおお、と感嘆の息を零した。
その建物は、とても美しい巨大な教会だった。
全体的に黄色みがかった石壁で、隙間は許さんとばかりに壁全面にびっしりと細かく彫刻が施されている。
青空を突くようにあっちこっちに飛び出る尖塔は薄い緑色に塗られており、金色の風見鶏や旗、何かの彫像などがちまちま乗っていた。
数は多くないが、点在する座薬型の窓に嵌め込まれた色とりどりのステンドグラスがキラキラと朝日に輝く。
内側から眺めたらさぞかし綺麗だろう。
何より目を引くのは正面の大きな時計だ。
奇妙なことに、カラフルな文字盤には金色の針が6本程ついている上、てんでバラバラな向きを指して好き勝手動いている。
さらに文字盤をぐるりと囲む数字らしき飾り文字はざっと見ても20以上あった。
文字盤の中にはさらに別のドーナツ状の文字盤までくっついていて、そいつは秒針のようにゆっくり回っており、一体どこをどう読んだら時間を確かめられるのかまるで分からない。
前方を不機嫌丸出しで歩くエリーに私は尋ねた。
「エリー、あれは一体何時何分なんだ?」
「8時50分」
こともなげに言ってのけたエリーに、…そうか、と頷いて時計を眺め回すが、やっぱり分からない。
時計の下にはツバメの尾のように裂けた黒色の旗がぶら下がっていて、白抜きのミミズ文字が書かれていた。
建物名が書かれているのだろうが、無論、読めない。
だが教会なら皆やることは一つの筈だ。
「あそこでお祈りをするんだな?」
「はぁ? アレ学校だけど」
エリーの呆れ声での返答に、あれが!? と私は目をむいた。
日本と大違いだな、と呟く。
「……随分豪勢だ」
「お金使うとこ間違ってんの」
成程と頷きながら近づくと、周囲をぐるりと尖がった黒い柵が囲んでおり、巨大な灯台のような石の塔も、ぽつりぽつりと間隔を開けながら点在しているのが分かった。
豪奢な飾りのついた鉄門のそばには石柱の飾りが数本伸びていて、怖い形相のおじさんの胸像がでんと乗せられている。
眼球部分に穴が開いていて、こちらを虚ろな瞳で睨んでいるようで大変不気味だ。
フード付きマントを目深までかぶった門番らしい連中が、門の近くをウロウロとしており、おのぼりさんな私を見て不審そうに足を止める。
しかしエリーが、さぁアタシに尋ねていいわよと得意げに胸を張ると、門番はふいと視線を逸らして、元の警戒に戻すように歩みを再開してしまった。
つまらなそうにそっぽを向き返したエリーはフンと鼻を鳴らし、ズンズンと敷地内に入って行くので早足で追いかける。
するとプチ王子みたいな恰好をした銀髪の小さな男の子が後ろから走ってきて、エリーのフードを引っぺがして叫んだ。
「よぅ不細工! 今日は一段と頭が爆発してるぜ! もしかして魔法失敗して燃やしちまったのか?
ひっでえツラも一緒に燃えちまえばよかったのにな!」
「っ黙れ! お前程度の奴とお喋りしてやる時間なんか無い! あっちいけ!」
歯をむき出したエリーが、足を踏ん張って片手の平に小さな炎をゆらめかせ―――男の子が鼻で笑って人差し指を軽く振った。
その瞬間、なんと炎が粉々に砕けた。
橙色のガラスの破片のように地に落ちたそれに、エリーが地団駄踏んで叫ぶ。
「このチビ助! 卑怯者!」
「チビじゃねえ! 第一これは実力だね! お前が俺にかなうもんか!」
「嘘だ! アタシが怖いくせに!」
「怖いもんか! 怒鳴ると益々ブスだぜ! ちったぁ迷惑考えてお面でも被ってこいよな!」
あはははは! と楽しげに走って去っていく男の子。
五月蠅いチビ! とエリーは怒鳴ったが、風でも纏っているかのようにすっ飛んで行った彼には聞こえていないだろう。
小学生同士の喧嘩とはいえ(魔法合戦が始まりそうだったが)、女の子に酷い言い様だ。
もしかしたら彼は、好きな子ほど苛めたいという可愛らしい心の持ち主という可能性もあるが、そうだとしたら今のエリーの憎悪にまみれた顔を見て反省した方が良い。
しかし歩みを進めれば進めるほど、彼がまだまともな部類の少年であったことが分かった。
学校に来る生徒たちが年齢種族さまざまに大勢いるのだが、そいつらのほとんどがエリーを視界に入れると、コソコソ陰口を叩くのだ。
たまに私のような大人が彼らの傍を歩いていることもあるが、そいつ等も同様だった。
耳をそばだてて聞いていれば、カザイの魔女だとか、呪いが飛び火するとか、悪魔の末裔だとか、こんな小さな女の子に向かってかける言葉ではない単語のオンパレード。
エリーは気にしていないようで、……いや、気にしないように努めているようで、フードを被るのを諦め、ツンと鼻先を上に向けて歩みのスピードを緩めず校舎内へと進んでいる。
確かにエリーは火の魔法を使えるようだが、このファンタジー世界では普通ではないのだろうか。
なんで陰口を叩かれなきゃならんのだ。
かすかに歩くスピードが上がったので、私は遅れないように後ろにひっついて黒塗りの重厚な木製扉をくぐった。
しばらくは外観と似たような黄色い石壁と黒い板の廊下が続いていたが、奥に進むと窓がなくなり、太陽光が消え、代わりにロウソクによる薄暗いオレンジ色の光が増えていく。
歩みを進めながら、自分やエリーの影が長く伸びたりクロスしたりするのを不気味に思いながら眺めていると、ふわっと光が増えたので眩しさに目を細めて足を止め、顔を上げた。
どうやら最奥らしい此処は、広い円形のホールで吹き抜けとなっているようだ。
手を翳しつつ見上げれば、各階の廊下がぐるりと囲むようにそびえている。
天井には縦に長いシャンデリアが数個ぶら下がり、ロウソクの炎が反射してキラキラと眩く輝いていた。
落下する生徒がいないように、年季を感じさせる黒檀の壁が廊下をそれぞれ覆っているが、階ごとに壁に掘られた精緻な文様が違う。
……一体此処はどこだ、何のテーマパークだ。
あっけにとられてぽかんとしていたが、エリーがべしゃりと床にへばりついた音に現実に戻された。
「……? どうしたエリー」
転んだのか、としゃがんで様子を窺うが、エリーはついっと視線を逸らした。
「……別に。床の模様がイカしてると思って」
上ばかり見ていて気づかなかったが、この薄暗い場所の床に模様などあったのだろうかと、視線を足元に向けてみる――……黒色で何の変哲もない板の床が延々と広がっているだけだった。
一体どこに魅力を感じたのか分からない。
しかしいつまでも床にへばりついていては、他の通行者の妨げになる。
ほら掴まれと手を差し出すが、エリーは起き上がろうとも私の手を借りようともしなかった。
代わりに身体をユサユサ揺らして、低く唸り声を上げている。
「エリー、一体なんだ、何の動物の真似を――……っ!?」
驚きに言葉を途中で飲みこんだ。
四つん這いで床に張りつくエリーの両手首、両足首に、青色に光るミミズ文字がくっついていたのに気が付いたのだ。
……何だコレは。
目を凝らしても一体何が描かれているのかは分からなかった。
しかしエリーを強制的に床に張りつくようにしているらしい。
エリーは必死にそれから手足を剥がそうと体を揺らしていたのだ。
なんてこった!
一体どこのどいつがこんなひどい悪戯をする!
周囲を見回すが、チラチラ視線をくれる連中が居ても、誰もエリーを助けようと駆け寄ってくるものはいなかった。
通り過ぎていくだけならまだしも、くすくすと忍び笑いを漏らすものまでいる!
何なのだ、魔法使いや人喰い鬼がいるこの世界では、小さな女の子を床に雁字搦めにするのが粋な遊びだというのか!
なんて連中だ!
「待ってろ、すぐ外すぞ」
気色ばんだ私はエリーの尻側に回り込んで彼女を跨ぐようにし、エリーの肉の無い腹に両手を引っかけてふんぬっ! と持ち上げた。
瞬時に、私の腰がギクッと嫌な音を立てたと思ったが、エリーのいたぁい! という悲鳴が被さって良く聞こえなかった。
腰に手を当ててヨロヨロしながら、予想外に強力な接着効果のあるらしいミミズ文字を睨みつけつつ、エリーを窺った。
「え、エリー。すまん、大丈夫か……」
「大丈夫なわけない! 腕が千切れる!」
そうか、こっちのおじさんの腰は瓦解しそうだぞ、と思ったが口に出したら情けないので思うにとどめる。
しかしどうやったらこのミミズ文字は消えるのだ。
不気味な青色に光りながらエリーの手足の周りをグルグル回って、固定を強固なものにしようとしているらしい文字を掴もうと試みるが、それはするりと私の手をすり抜けた。
ぞわっと背筋が寒くなる嫌な感覚だけを私に寄越し、文字は相変わらずグルグル回っている。
もうこの謎の文字は手の出しようがないので、床の方を引っぺがしてやろうかと少々野蛮な考えに思い至ったところで、エリーがまたいきみ始めた。
息を止め、頬を真っ赤に染めて、プルプル体を震わせ、閻魔さまも裸足で逃げ出す形相になったかと思うと、エリーは叫んだ。
「っどりゃあ!!」
ばぁん! とエリーが捉えられていた床が破裂――いや、爆発した。
私の鼻先を炎がかすめていき、バラバラに吹っ飛んだ床材がそこかしこに散らばった。
周囲にいた生徒たちの中には、その床材の一部を引っ被った奴もいるようだが、爆発してすぐに火が消えたので惨事には至っていない。
破壊した床下の土が見える傍、爆発で軽く吹っ飛んだエリーは何事も無かったかのように立ち上がる。
ふぅ、と軽いため息をついて服についた木くずを払ってみせるあたり、もしかしたら日常茶飯事なのかもしれない。
赤い髪の毛は焦げて毛先がより一層チリチリになってしまっており、鼻先が黒いすすで汚れている。
折角の綺麗な夕日色の髪が短い理由がわかった気がした。
私は茫然となっていたが、何をすべきかと必死に頭を動かして、とりあえず尻ポケットに突っこんであったちり紙の残りを取り出し、エリーの頭を片手で固定しつつ、彼女の鼻の頭をごしごしこすった。
《レディは美しくしているもんよ!》と淑子は毎晩顔面をビッタビッタ叩いて謎の肌の手入れをしていたものだ。
エリーは嫌そうに顔を歪めて私の手を振り払おうとしたが、ちり紙が真っ黒に染まったのを見て、きまり悪そうに大人しくなる。
ぺちゃっ鼻が綺麗になったところで、私はゴミをポケットに突っこみ、腰を庇うように立ち上がりながら尋ねた。
「エリー、……人間を捕獲するような魔法使いが、いるのか?」
エリーはつまらなそうな顔で答えた。
「そりゃ、沢山」
そうなのか、と眉を寄せながら相槌を返す。
魔法の使い方には、色々あるらしい。
使う連中も、色々居るんだろう。
しかしどうも嫌な空気だ。
もしかしたらエリーは、クラスの中で苛められているのかもしれない。
……苛められていないのかもしれない、と考える方が難しい位だ。
そりゃ最初にクラスの連中全員を食えと言ってきたエリーなのだ、それも不思議じゃないのだが、私にはそれが出来ない。
勿論、こういう悪戯の魔法が学校内ではやっていて、偶然エリーが餌食になった、という小さな可能性も考えられる。
だがそうだとしたら、当初考えていたようにエリーから離れてトイレに逃げ込んだら、今度は私が訳の分からない魔法の餌食になりそうだ。
私は爆発魔法など使えないのだから、そんなものに引っ掛かったら一生抜け出せないかもしれない。
御免である。
ならば一体どうすればいいのか。
一体私は何を成せばいいのか。
一体何をしに――、此処に来たのか。
これからを迷って微妙な顔でまごついていると、さっさと行こう、とエリーはズンズン先へと進んで行った。




